夢の跡地 (1)![]()
夢だ。これは夢だ。いつもの夢だ。
世界が真っ赤に染まる緋色の夢。
抱き上げた同胞の瞳から、血の涙が流れ落ち、私の手を濡らしていく。
世界が赤く染まる。
手も足も身体も、全部が緋色に染まる。
これは夢だ。それは分かってる。
それなのに、どうして私は此処から抜け出せないのだろう。
いつまで。
いったいいつまで私は此処にいればいいのだろう。
いつまで此処に居なくてはいけないのだろう。
もう許して欲しい。解放して欲しい。
繰り返し願っては、罪の意識に嘖まれる。
願うことが罪となる。
願うことこそが、罪になる。
息が苦しい。身体が熱い。
もしかして火を放たれた所為だろうか。
でも、これは夢のはずだ。
私が見ている夢のはずなのに。
それなのに、何故、ここはこんなに熱いのだ。
熱くて苦しい。息が出来ない。出来ない。
息が出来ないんだ。
助けて……!!
「クラピカ!?」
さっきまでピクリとも動かなかったはずのクラピカが突然弾かれたように起きあがった。
「クラピカ!? どうした!?」
慌てて差しだしたオレの腕をクラピカが振り払う。
いつもの鎖は消えていたので何とか避けられたが、それでも伸ばした指の先が頬をかすめ、激痛が走った。
「痛っ! てめえ、クラピカ! 正気に戻れ!」
オレの声など耳にはいらないみたいに、クラピカは声にならない悲鳴をあげた。
引きつった悲鳴。
何かから逃れるように、クラピカの表情に脅えが走り、瞳が緋色に染まっていく。
やばい。これはさすがにヤバイだろう。
そのまま後ろに倒れそうになったクラピカの腕を取り、オレは無理矢理自分の方へと引き寄せた。僅かな抵抗だけで、クラピカの身体がトンとオレの胸に倒れ込む。すると、一瞬、自分とクラピカの周りの空気だけ温度が上がったように感じた。
こいつは。
「クラピカ! しっかりしろ!!」
直接触れて改めて気付く。こいつの身体が、まるで火がついたように熱いこと。
これじゃまるで地獄の業火に焼かれてるみたいだ。ふとそんな考えが頭をかすめる。
悲鳴が聞こえる。
掠れて声にならない悲鳴。
熱の所為で錯乱したクラピカはオレの腕の中で暴れ出した。
身体だけじゃない。心も一緒に暴れ出した。
「クラピカ! クラピカ!!」
名前を呼んでも反応はない。クラピカの瞳は焦点の合わない虚空を見ていた。
怒りなのか、苦しみなのか、もう分からない。
それでも、この細い身体には収まりきれない何かがクラピカの全身を駆けめぐっているのだけは分かった。
「クラピカ! しっかりしろ! 目を覚ませ!!」
無駄と知りつつ、それでもオレは声をかけることを止めなかった。
やがて、クラピカの身体が小刻みに震えだし、それがどんどん大きくなっていった。
このままだと爆発する。
クラピカの中にある何かが、音を立てて崩れていく。
「……やめろ……来るな……」
クラピカの口から言葉が漏れた。
だが、意味として分かったのはその二言だけで、あとは獣のような咆吼が続く。
身体の震えが、痙攣へと進む。クラピカの歯がガチガチと鳴り出した。
このままではまずい。
痙攣した状態で叫び続けたら、へたすると舌を噛んじまうんじゃねえか。
オレは慌てて手近な所にタオルかなんか落ちてねえかと見回した。
とにかく、さるぐつわでも何でもいいから噛ませないと、これじゃ舌を噛むか口の中を切っちまうのは時間の問題だ。
あ、あった。
タオルかどうかは分からなかったが、白っぽい布が落ちているのを見つけ、オレは手を伸ばした。
「……って、くそっ」
布が落ちてるのは部屋の隅。ここからじゃ手を伸ばしても届かない。
だが、今、クラピカの身体を離すわけにはいかない。
今はオレが何とか支えているから無事なのであって、ここでオレがクラピカを離したら、床に頭を打つ危険性もある。
って、くそう。
なんでこういう時に限って、部屋に誰もいないんだよ。
ゴンとキルアは食料調達に出たまままだ戻ってきてないし、さっきまでここにいたセンリツは、間の悪いことにちょうど氷を足すためと言って部屋を出てしまっている。
オレは、暴れるクラピカの身体を抱えるように押さえ込んだまま舌打ちした。
くそう、このままじゃ、マジでこいつ舌を噛み切っちまうんじゃないだろうか。
南無三。
他に方法は無い。
オレはクラピカの口の前に自分の腕を差しだした。
「痛ってぇぇ!!」
遠慮のえの字もない勢いで、クラピカがオレの腕に噛みついた。
肉に歯がめり込む感触。
痺れるとか、痛いとか、熱いとか、そんなレベルじゃない。
とてつもない激痛。半端ないぞ。これは。
オレは唇を噛みしめ、痛みに耐えた。
どれくらいそうしていただろうか。
少しずつオレの腕を噛むクラピカの身体から力が抜けていった。
そして、そのまま糸の切れたマリオネットのようにクラピカの首がうしろにコトンとのけぞって落ちた。
オレは慌てて片手でクラピカの頭と首を抱え込んで支える。
もう片方の手は、噛まれていた所為で完全にしびれて使い物にならない。
しばらくしたら、ジンジンと痛みだすんだろうなあ。
そんなことを考えているところへ、ようやく桶いっぱいに氷を抱えたセンリツが戻ってきた。
ったく遅いよ。
せめてあと10分早く戻ってきてくれたら。
「レオリオ!? どうしたの? あなた大丈夫なの?」
オレとクラピカの様子を見て、センリツが驚いて駆け寄ってきた。
まあ、さっきまで寝てたはずのクラピカがオレの腕の中で気絶してんだから、何事かと思うのは当然だろう。
しかも、クラピカを支えてるオレの腕からは、真っ赤な血がかなりの量滴り落ちており、それが床に血溜まりを作っていたんだ。
「クラピカ、目を覚ましたの!?」
「ああ、今、一瞬な。またすぐ落ちたけど」
「……そう」
オレは、クラピカの身体をそうっと布団の上に降ろしシーツをかけてやった。
クラピカは完全に意識を無くしているみたいで、ピクリとも動かない。
センリツは横から手を出して、クラピカの額に浮いた汗を拭いた後、氷で冷やし直した布をクラピカの額に乗せた。
昨夜、飛行船の中で意識を失ってから、クラピカはずっと高熱にうなされ続けていた。
無事人質交換が済み、気が緩んだのだろうと最初は思っていたが、それにしては熱が高すぎる。しかも一向に引く気配すらない。
昨夜から今日にかけて、まったく意識も戻らなくて、ようやく起きたと思ったら、錯乱状態。しかもまたすぐに意識レベルは最低に戻っちまった。
もっとちゃんとした設備があれば、原因も治療法も調べられるんだろうが、こんな寂れたビルの一室では、何の対応も出来やしない。
「……痛っ……!」
「大丈夫?」
いきなり腕にヒヤッとした冷たいものが当てられ、驚いて目を向けると、センリツが残っていたもう1枚の布を氷で冷やし、オレの腫れ上がった腕に巻いてくれていた。
「冷湿布代わりにくらいなるかしら?」
「あ、ああ、充分。ありがとな」
血はもう止まっている。雑菌が入ったわけでもないから、冷やしておけば大丈夫だろう。
オレは冷たい布を手で押さえ、苦笑した。
やはり思った通り、痺れが治まり出すと同時に、腕は熱を持ってジンジンと痛みだしてきていた。
「……?」
ふと見ると、センリツがオレの真正面で不思議そうな表情をしていた。
「何か変か?」
思わずそう尋ねると、センリツは困ったような笑みを浮かべた。
「いえ、何だかあなたが嬉しそうに見えたから」
「……嬉しそう?」
「ええ。違ってるかしら?」
「…………」
嬉しい。
嬉しい……のか?
センリツの視線は、さっきクラピカに噛まれたオレの腕に注がれている。
オレはどんどん痛みが増してきている自分の腕をさすり、ニヤッと笑ってみせた。
「そうかもな。少し嬉しいのかも知れねえな」
「…………?」
分からないといった表情でセンリツが首を傾げた。
そして探るような目を向ける。
あ、もしかしてオレ誤解された?
腕を噛まれて喜んでるなんで、それじゃただの変態じゃねえか。
「違う違う。オレは別にマゾでもなんでもないぞ」
「じゃあ……?」
「そうじゃなくて、これはこいつが生き返った証だから」
「……!」
咄嗟に口を出た言葉に、センリツが驚いたように目を見開いた。
言ったオレ自身も、少し戸惑う。
生き返った証。
ああ、そうか。
オレは更に痛みを増してきた腕を労るように撫でてみた。
「昔死んじまったオレの友人は、最後、眠ったままどんどん衰弱していったんだ。もちろん意識なんか戻らねえし、たまに目を覚ましても力が出なくて、自分の腕一本持ち上げられねえでさ。……でも、こいつはさっき目を覚まして、こんな血が出るほど噛みついてきやがった」
「…………」
「まだ生きてる証拠だ。こんだけ力が残ってんなら、まだまだ大丈夫。こいつは助かる。元気になる」
「…………」
「絶対元気になる」
「……そう。そうね」
センリツが頷いた。
「あなたの言ってること、とても良く分かるわ。私もその通りだと思う」
センリツの言葉が、声が、ストンとオレの胸に落ちてきた。
確か、ミュージックハンターって言ったっけ。
その所為かどうかしらねえが、センリツの声ってのは聞いてるとなんだか落ち着く。
だからきっとそばにいると安心できるんだ。
「……ぅ……」
クラピカが微かな声を洩らして身じろぎをした。
額に乗せていた布が、クラピカが首を振った動きの所為でずり落ちる。
オレが手を伸ばすより先に、センリツがさっと布を拾い上げ、もう一度氷水に浸してからクラピカの額へと戻した。
相変わらず熱は高いようだ。
「ねえ……本当に病院へ連れて行かなくていいのかしら。幻影旅団のことが心配なのは分かるけど、うちのボスに話を通せばその辺りは何とかなると思うし。少なくとも此処にいるより、むしろ病院の中の方が安全かもしれないわ」
「……そりゃ、そうなんだけど……」
センリツの提案にオレはつい口ごもった。
彼女の言うことはもっともだ。
ここは廃ビルの一室。セキュリティもくそもあったもんじゃない。
こんな場所、もし蜘蛛の奴らに見つかったら、それこそ一環の終わりだろう。
分かってる。
もっと、別の場所に移した方が安全なのは分かってる。
だが。
だか駄目なんだ。
病院なんかに行って、こいつの身体を調べられたら。
そのほうが、こいつにとってマズいことになるんじゃないだろうか。
「…………」
ふと気付く。
もしかしてセンリツは知っているのだろうか。クラピカの性別を。
だったら。
「いや……やっぱ駄目だ」
頭を振って考えを止める。
センリツが知っている確率は高いかも知れない。
だが、もし知らなかったら?
万が一、億が一でも、知らない可能性がある限り、オレの口からこいつのことを話すわけにはいかないじゃねえか。
もし、オレが話したことがバレたら、きっとクラピカはオレを許さないだろう。
自分の秘密を誰に話すかはこいつが決めることだ。
オレじゃない。
だから、オレは口が裂けても言えない。
オレは。
「…………」
クラピカが意識のないまま、それでも苦しそうに小さな呻き声を洩らした。
再びオレとセンリツの視線がクラピカへと集まる。
「悪りぃ。あんたが本気でクラピカのこと心配して言ってくれてるのは分かってるんだ。けど……」
「……何か行けない理由があるのね」
「…………」
「そして、それは私には言えないこと?」
「あんたには、じゃないよ。あんたにも、だ。こいつの許可がない限り、誰にも言っちゃいけねえんだ」
そう。それは誰にも言っちゃいけないこと。
こいつ自身にさえ。オレが知ってるってことすら、言っちゃいけない。
オレはクラピカを護りたいと思ってる。
その身体も心も。そして、こいつが抱え込んでる秘密も全部。
全部を。すべて含めて護ってやりたい。
「分かったわ」
それ以上追求することもなく、センリツは大人しく頷いてくれた。
オレはほっと胸をなで下ろした。