CROSSING (9)

雲一つない晴れ渡った青空。突き抜けるような蒼の世界を見上げ、秀は満足そうに大きく伸びをした。
「最高の体育祭日和ってこういう日の事を言うんだろうな」
秀の言葉に頷きながら、伸も隣で気持ちよさそうに深呼吸する。
「さすが、自他共に認める晴れ男健在って感じだね」
「まあな」
10月吉日。
待ちに待った体育祭当日は、見事な程の晴天であった。
グランドに集合し、校長先生の挨拶を聞く。続いて学年主任による諸注意事項があり、最後に選手宣誓。
宣誓をしたのは、陸上部の主将。巷では鬼部長と呼ばれている大柄で目付きの鋭い3年生、鬼澤だった。
「あれが陸上部の主将?」
「そうだな」
遼がこそっと征士に耳打ちすると、征士は小さく頷いて壇上の鬼澤を見上げた。
「なんか厳しそうな人だな。」
「あの先輩は他人にも厳しいが、その分自分にも厳しい方だと聞く。先日、当麻がしばらくの間、陸上部に世話になっていたときも色々と指導してくれたそうだぞ」
「へえ……」
遼はこっそり並んでいるみんなの輪の中から抜け出し、カメラを構えた。
こういう時、新聞部の写真担当は得である。
邪魔にならないよう後ろへ移動し、予め並べられていた椅子の上に立ち望遠レンズで姿を捕らえ、カシャリとシャッターを切る。
片手を上げて選手宣誓をする凛々しい陸上部主将の姿が遼のカメラの中に切り取られて保存された。
ほっと息をつき、遼はそのまま並んでいる生徒達をぐるっと見まわした。
一番端にA組。先程抜け出した列の中に見える一際明るい髪。征士。
中央右寄りはC組の列。偶然にも隣同士で秀と伸が並んでいるのが見えた。
そして、少し離れて当麻のいるD組。
暑くもなく寒くもない、良い気温。太陽はかなり眩しかったが、風がすーっと通りすぎると、肌にとても心地良く感じる。
最高の1日にしよう。
皆の最高の瞬間を切りとって宝物にしよう。
「よし。」
ギュッと拳を握り締め、遼は再び列の中へと戻って行った。

 

――――――「よっしゃー行けー!!」
応援団の中から一際元気な声が発せられた。言うまでもなく秀の声である。
ドンドンと響く太鼓に負けないほどの大きな声を張り上げ、応援をしている秀は本当に楽しそうだ。
そんな秀の声を背中に聞きながら、征士は次の種目に出場する為、入場門へと急いだ。
「じゃあ、次、借り物競争出場者はこっちへ並んでください。点呼をとります」
決して声は大きいほうじゃないはずなのに、伸の声は、やけに耳にすっと届いて聞こえてくる。
耳障りの良い声というのはこういう声のことをいうのだろうか。等と考えながら、征士は足早に伸の元へと走り寄った。
「伸、頑張っているようだな」
「征士? あ、そっか、征士は借り物競争に出場するんだったね。じゃあ、こっち並んで」
「わかった」
「そっかー。征士が出るんだ。これは楽しみ」
伸が心底面白そうにクスクスと笑った。
「何がそんなに楽しみなんだ?」
征士が不思議そうに首をかしげる。
「何って言うか、まあ、それは競技が始まってからのお楽しみ」
「……お楽しみのも何も、どうも楽しんでるのは私ではなく、伸の方のようだが」
「そりゃあ、こういう競技は見てる者が楽しむ為のものなんだから」
「…………?」
やはり意味がわからず、征士は再度首をかしげた。
その時、わあっと一際大きな歓声があがり、同時に校内アナウンスが前の競技が無事終了した事を告げた。
「じゃあ、いってらっしゃい。頑張って走るんだよ」
にっこりと笑いながら手を振って、伸は征士をグランドへ送り出した。
と、ふいに伸の耳元でぼそりとつぶやく声が聞こえる。
「……ちなみに、借り物はどんな物を用意してるんだ?」
「…………!?」
驚いて伸が振りかえると、いつから後ろにいたのか、当麻が腕を組んで征士が走り去る後姿を眺めて立っていた。
「当麻? いつからそこに居たの?」
「さっきからだが」
「ビックリするじゃないか。気配消して立たないでよ」
「別に消してなんかないぞ。お前らが話に夢中になってただけじゃないのか」
「…………」
あっさりと反撃されて、伸は誤魔化すように手元のクリップボードに目を落とした。
「あ、そっか。次、君出るんだ」
「でなきゃここに来てるわけないだろ」
「確かにそうだ」
パラパラと手元の資料をめくり、伸が頷いた。
次は1年生の学年競技である組体操。当麻も出場する競技だ。
「で、さっきの話。どんな借り物なんだ?」
「訊きたい?」
クスリと悪戯っぽく笑いながら伸は当麻を見上げた。
借り物競争のメニューを決めるのは実行委員の仕事だったはずだ。
トラックの途中に用意された借り物競争のメニューの入った箱を差して伸はこそりと言った。
「今回はね。物じゃなくて全部人間なんだ」
「人間?」
「しかも、内容は憧れの人とか、気になる人とか、苦手な先生とか。そういう題目で書かれてる」
「おいおい」
「で、もちろんゴールした後は、その連れてきた相手と書かれてた題目を発表しなきゃならない」
「それって公衆の面前での告白タイムって事になるんじゃないか」
「ものによってはね」
「ものによってって言うか、でも、苦手な奴ってことで連れて来られた相手はへこむだろう」
「だから、そういうマイナス要素の題目は全部先生相手。逆に生徒相手の題目は好きな人系のプラス要素ばっかり書いてある。これはゲームなんだし、喧嘩させる為のものじゃないしね」
「……ふーん」
「ちょっと気にならない?征士が誰を連れてゴールするのかって」
「確かに」
万が一そんなことはあり得ないだろうが、征士が好きな人とかの題目で誰か女生徒を連れてゴールなどしようものならパニックが起こるかもしれない。
なんだかんだ言いながらあの容姿は女生徒に絶大な人気を誇っているのだ。
「ちょっと見てみたいかも」
やはり人間、好奇心には勝てないらしい。
入場門の後ろから、当麻は伸び上がるようにして、グランドのほうに目を向けた。

 

――――――パンっと小気味の良いピストル音が聞こえ、一斉にA組からF組までの
6人の1年生がスタートダッシュした。
1周400mのトラックを真中まで走り、征士は先頭を切って置いてあった白い箱に手を突っ込んだ。
中に入っている数枚の紙から1枚を掴み取り、広げる。
「…………!?」
思ったとおり、一瞬征士の顔に戸惑いが走るのが見えた。
「何を引いたんだろう。」
さすがにこの位置から紙に書いてある文字は見えるはずがない。
当麻と伸は、目を凝らして征士の次の動きを見守った。
征士同様、他の者たちも一瞬どうすればいいのだろうといった表情をして周りで見守っている同級生達の顔を見まわしている。
一番早く動いたのは、D組の生徒。
以前、当麻がお世話になった陸上部の鍛冶だった。
鍛冶は、ぐるりとグランドを見まわし、何かを発見したのか、一目散に入場門めがけて走り出した。
「何だ?」
迫ってくる鍛冶の姿に当麻が目を丸くする。
と、その当麻に向かって鍛冶が手を差し出した。
「羽柴! 来てくれ!」
「…………はぁ? オレ?」
「いいから早く!!」
「ほら、ご指名だよ。行ってきな」
伸に背中を押され、当麻は慌てて駆け出した。
よろよろと鍛冶の元へ駆け寄ると、鍛冶は当麻の腕をがしっと掴み、そのままグランドへ中央へ向かって駆け戻って行く。
「何を引いたんだろう?」
ほんの少し複雑な顔をして伸は再びグランドに目を向けた。
征士は、相変わらず戸惑った表情で誰かを探している。
そして、鍛冶に手を引かれて走ってくる当麻を見つけ、ようやく決心がついたというように、真っ直ぐ顔をあげた。
当麻がちらりと征士を振りかえる。
征士はすうっと息を吸い込んですっと真正面に手を差し伸べた。
「来い。秀」
目の前の応援団の一団に向かって征士が叫んだ。
「せ……征士?」
秀が驚いて目を丸くする。
「オ……オレ?」
「そうだ。お前だ」
「…………」
一瞬まじまじと征士を見つめたあと、ニッと笑って秀が応援団の集団の中から飛び出してきた。
「おっしゃ。行こうぜ! 征士」
「ああ」
肩を並べて走り出した二人は、あっという間に当麻と鍛冶の二人を追い越してトップでゴールテープを切った。
「やったぁ! 1位だ!」
秀が嬉しそうに破顔する。征士も満足そうに秀の顔を見つめていた。
「すまなかったな、突然呼び出して」
「いいってことよ」
「で、題目は何だったんだ?」
2位でゴールした当麻がすかざず征士に詰め寄った。
「そうだよ。なんて書いてあるんだよ。それ」
秀までが征士の手元を除き込もうと身を乗り出したので、征士は慌てて題目を書いた紙を背中に隠した。
「いや、そんなたいした内容では……」
「どうせみんなの前で発表されるんだから、隠しても無駄だぞ」
「いや、だからといって……」
「征士」
「……そ、そうだ、当麻。お前は何で連れてこられたのだ」
何とか話題をそらそうと、征士はそう言って、当麻を連れてきた張本人である鍛冶を振り返った。
「確か、D組みの……」
「鍛冶って言うんだ。よろしくな」
にっと笑って鍛冶は当麻の腕を引っ張りながら征士の前に題目の書いた紙を差し出した。
「ほら、これがこいつを選んだ理由」
「……最近可愛いなと思った人?」
目を丸くして征士がまじまじと題目の書かれた紙と鍛冶、そして当麻を見比べた。
「可愛いのか? こいつが」
心底信じられないといった顔で征士がつぶやく。
言われた当麻本人も、呆れたようにあんぐりと口を開けた。
「おい、陸上部。どういう意味だこれは」
「怒るなよ。天才児。だって本気でそう思ったんだから」
「だから、何を見てそんなこと思ったんだよ、お前は」
「うーん」
大げさに空を見上げ、鍛冶はにっこりと笑って再び当麻に顔を向けた。
「負けず嫌いな所かな」
「…………!?」
「最初会った頃って、お前は本当の天才児に見えたからさ。何にも努力しないで器用にこなすの見てて悔しかったんだけど。最近わかった。努力しないで何でもこなしてるんじゃなくって、誰かさんに負けたくないから必死で頑張ってんだなあこいつって思って」
「…………」
「なんだ。意外に可愛い奴じゃんって」
「…………!!」
「こら、そこの1年坊主達。静かに整列してろ」
実行委員の上級生に睨まれ、当麻達はようやくおしゃべりをやめて整列した。
当麻が隣に立つ征士をそっと盗み見ると、征士は大事そうに題目が書かれた紙をきちんとたたみなおし、そっと手に握り締めた。
ちらりと見えた題目の文字には『出逢えてよかったと思った人』という言葉が書いてあった。

 

――――――「出逢えてよかったと思った人か……」
借り物競争が終わり、それぞれの席へ戻っていく出場者達の姿を見ながら遼はそっと構えていたカメラを降ろした。
「出逢えてって……それ伊達さんが引いた題目?」
隣で聖香が訊く。
「そう。なんか征士らしいなあと思って。秀を選ぶって所が」
「仲良いの? あの二人」
「二人だけが特別に仲良いってわけじゃないけどさ。でもわかる。なんとなく」
「そっかぁ」
大きく深呼吸して、聖香がにこりと微笑んだ。
「良い写真撮れた?」
「ああ。良い顔してたよ。みんな」
「じゃ、部長が喜ぶわね。伊達さんの写真なら高値がつくだろうから」
「本当だ」
お互い顔を見合わせて、ふたりはクスクスと笑い合った。
空は相変わらずの晴天だった。

 

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