CROSSING (10)

「赤組のぉー勝利を祈ってぇー!!」
「おおー!!」
雲ひとつない澄み切った青空に深紅のはちまきがひるがえる。
真っ白な長ランを着た背の高い団長が両手を大きく天へと掲げると、それに呼応するように他の団員達も天を見上げる。
「フレー! フレー! 赤組!!」
「フレッフレッ赤組! フレッフレッ赤組!」
「わぁー!!」
ドンドンという大太鼓の音に合わせて、巨大な旗が天高く掲げられた。
赤組勝利の文字が描かれた、団旗である。
真っ青な空に映える深紅の旗。
風にはためくその旗の動きを合図に、赤組応援団の応援合戦が開始された。
体育祭の目玉のひとつ、応援合戦は先攻白組、後攻赤組という順番であった。
白組の応援合戦は、ミニスカートをはいたチアガールの一団を先頭に立てたダンス。
対する後攻の赤組は、男ばかりの硬派なイメージを生かして、太極拳を応用した群舞だった。
指導したのはもちろん秀麗黄。
「おー、すげえすげえ」
敵側だというのに、当麻は伸び上がるようにして、秀達赤組の応援合戦を見物していた。
「羽柴、すごいのは認めるけど、大声で敵さんを応援するのはなしにしろよ、周りの目が怖い」
クラスメートの鍛治も苦笑しながら当麻の隣で一緒に応援合戦を見物している。
グランド中に響き渡る太鼓の音と、唱和する声、見事に統制された群舞の動き。
それは敵味方関係なく、充分賞賛に値するものだった。
「でも、マジすげえな。あいつお前の友人だろ。あの一番目立ってる奴」
鍛治が秀を指差して感嘆の声をあげた。
「そうそう。毎日朝練とか言って早く出かけてっただけのことはあるよな。秀の奴…」
冗談抜きに感心しながら、ぽそりと当麻がつぶやいた。

 

――――――同時刻。征士も当麻達と同じように秀達赤組の応援合戦を見物していた。
さっきまで一緒にいた遼は、アングルを変えて写真を撮りたいと言い、グランドの向側へ走っていってしまったので、一人での見物である。
眩しげに目を細め、征士はじっと太極拳を舞う秀の姿を眺めていた。
幼い頃から祖父にカンフー等の拳法を習っていたという秀の動きは、群舞の中にいても一際目を引く。
征士も自然とその動きをなぞるように、じっと秀の姿を目で追っていた。
「…………」
いつもの見慣れた笑顔とはちょっと違う真剣な横顔。
秀が本気になった時の顔だ。
どんな事にも真っ正面から立ち向かう時の秀の顔だ。
そんな事を思いながら、征士は知らぬ間に小さくため息をついていた。
「…………」
何故だろう。
近くにいるはずなのに、何故かほんの少し遠い気がする。
仲間として同じように接しているつもりなのに、どうして最近は何かが違う気がするのだろう。
ほんの僅かに曇った表情をしている征士の後ろに、その時ゆっくりと近づいてきた影があった。
征士はその影に気付かないまま、まだじっと秀を見つめ続けている。
そんな征士の横顔をしばらく眺めていたその人物は、やがて小さく肩をすくめてようやく口を開いた。
「張り切ってるな、お前の太陽君は」
「…………!!」
突然かけられた声に、征士が驚いて振り返ると、鷹取が征士を見下ろしていた。
「鷹…取先輩……?」
「よう」
白いはちまきをして、鷹取は楽しそうな笑顔を征士に向ける。
「先輩、どうして此処に。白組は向こうの座席のはずではないのですか?」
「そう堅いこと言うなよ。いい場所で見たいなあと思って移動してたら、やっぱりお前が居たからさ。ついつい…」
「やっぱりとはどういう意味です」
眉間に皺を寄せて征士は鷹取を軽く睨みつけた。
「別に他意はないさ。オレも太陽の光に当たりたくなっただけ」
征士の言葉を軽く受け流して鷹取は可笑しそうに笑った。
健康そうな浅黒い肌に白い歯。笑うととたんに人なつっこい顔になるこの剣道部の先輩は、相変わらず飄々とした態度で意味深な事を言う。
「にしても、見事だな。あの子の太極拳。なんか習ってたのか?」
「秀は子供の頃からカンフーや太極拳等、一通りの拳法を習ってきてますから、かなりの使い手です」
「さっすが〜」
ヒュウッと口笛を吹いて、鷹取は再び秀に目を向けた。
「いいねえ。ああいう場所はあの子が一番輝く場所なんだろうな」
「……そうですね」
反論する必要もないので、征士は素直に鷹取の言葉に頷いた。
いつも太陽の様に明るいあの男は、確かに今日のような青空の下が似合っている。
どんな時でも元気に笑っていてくれるその笑顔に、自分もどれだけ励まされたか。
「……ちゃんと太陽の光浴びておけよ。お月さん」
「……!?」
ぽつりとつぶやいた鷹取の言葉に征士はビクッとして顔をあげた。
「先輩……?」
「オレは池に映った月の影を愛でる気はない。光の届かない地で燻ってる月も見たくない。それだけ」
「…………」
何と答えていいかわからず、征士は眉をひそめて鷹取の横顔を見あげた。
「先輩……あの……」
「んじゃ、オレは大人しく自分の場所に戻るわ。またな」
そう言って、鷹取はくるりと踵を返した。
征士は慌てて鷹取の後を追おうと椅子を蹴倒すようにして立ち上がる。
「先輩! 待ってください!」
「…………」
「先輩!」
征士の必死な声に、鷹取はようやく足を止め、振り向いた。
「何だ」
「先輩……私が月なのだとしたら、その月の定義は何ですか」
「定義?」
「…………」
酷く言いにくそうに顔を伏せ、征士は小さくため息をついた。
「……月は、太陽に憧れて、太陽のそばに行きたくなっても、地球の引力に引かれてがんじがらめに縛り付けられています。月はいつまでたっても太陽にとって地球の影でしかない。私は……」
「ストップ」
征士の言葉を遮り、鷹取はくしゃりと顔を歪めると、ポンッと征士の肩を叩いた。
「それ以上は言うなよ。此処が人目のあるグランドだってこと忘れそうになるから」
「…………?」
「まったく。お前は不思議な奴だな。もっと冷静沈着な奴だとばかり思ってたのに。なんでそんな表情するんだよ。困るじゃないか」
「……何…?」
「何でもないよ。ただ、お前が今抱えてる問題は他人が何か言うべき事柄じゃないような気がするんでな。何も言えない」
「……先輩?」
「大事な事は、オレじゃなく自分自身とお前の太陽に聞け。じゃあな」
「先輩!」
軽く手を振り、鷹取は足早にその場を去っていった。
残された征士は、何とも言えない表情で、去っていく鷹取の背中をじっと見つめていた。

 

――――――「すんげえ良かったぞ、秀。絶対赤組応援団の勝ちだよ」
ジーッとフィルムを巻き取りながら、遼が笑顔で応援合戦を終えた秀の元に駆け寄ってきた。
「ああ、遼。写真いっぱい撮ってくれたか?」
「もちろん。バッチリ」
グッと親指を突き出して笑顔を見せると、遼はそのまま巻き取ったフィルムを取り出し、新しいフィルムを入れ直す。
「予備用に持ってきた分も全部使っちまいそうな雰囲気だよ。やっぱり一生懸命頑張ってるみんなの顔って撮ってて楽しいよな。良い表情してるんだよ、これが」
「そう言ってるお前もなかなか良い表情してんじゃねえか?」
言いながら秀は両手で長方形を作り、遼の顔を手のファインダー越しに眺める。
すると、遼は照れたような笑顔を浮かべながら、再びカメラを構えた。
お互いを撮りあうようなポーズで2人の間に笑顔が広がる。
「あ、そうだ。なあ、遼」
ふと思いついたように秀がすっと顔を上げてグランド隅のある一角を指差した。
「あれ、誰だ?」
「え?」
振り返った先に居たのは、2年生白組のクラスが固まってる場所であった。
「どれ? 誰?」
「あそこ。背の高い色の黒い奴」
「ああ」
みんなの中に混じっていても一際目立つ長身。肩幅はそれなりにがっしりしているのに、決して大柄な印象を与えない、引き締まった筋肉。すらりと伸びた足。
剣道部の鷹取だった。
「ああ、あれは征士のいる剣道部の先輩で、確か鷹取先輩とか言ったと思う」
「あ、やっぱそうか」
なんとなく複雑な顔をして秀がつぶやいた。
「やっぱって? 何だよ?」
きょとんとして遼が首をかしげる。
「いや、さっき征士と一緒にいるの見たから、誰かなって思ってたんだけどさ。何か見覚えあるなあと思って。剣道部って聞いて思い出したよ。あの先輩、この前、応援団の練習してた時、剣道場の前で見かけたんだ」
「ふーん。そうなんだ」
鷹取の話題は、たまに征士から聞いたことがあった。
今の2年生の中ではダントツに上手くて、3年生が引退した後は、間違いなく部長になるだろうと噂されている人物だとのことである。
また、実力もさることながら、その人間性もなかなか評判がよく、下級生達にも慕われているのだと。
「そっか、あの人って確か剣道も全国クラスの実力だけど、足も速いんだってさ。去年は障害物競走かなんかで驚異的な記録出したとかって斉藤部長が言ってたぜ」
「障害物競走で?」
「ああ。そん時の写真見せてもらったけど、二位以下を大きく突き放しての単独勝利って感じだった」
「へえ、そうなんだーって、ちょっと待て。障害物競争といやあ、オレが出る種目じゃねえか。そろそろ行かなきゃ」
応援合戦の後の競技は、学年別障害物競走の種目だったはずだ。
秀は慌てて、襷をはずし、学ランを脱ぐと遼に手渡した。
「ちょっと持っててくれよ。終わったら取りにくるから」
「了解。頑張れよ」
「わあってるって。去年のその先輩の記録、オレが塗り替えてやるからちゃんとフィルムに収めてくれよ」
「承知! 絶対勝てよ」
「任せとけって!」
グランド内に、次の競技種目の案内と入場門への整列を促す放送が流れる中、秀は足早に伸が点呼を取っている入場門に向かって駆け出した。

 

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