CROSSING (11)

ちょっとヤバイ状態かもしれない。
そう思って伸は入場門近くに設えてあった休憩用のパイプ椅子に腰を降ろした。
足がズキズキ痛む。
これはきっと先程行った、九人十脚競争をした際に起こったアクシデントの所為だ。
かなりの巨体を誇るクラスメイトの男子が夢中になりすぎてバランスを崩し、そのまま勢いに任せて伸の上に倒れ込んできたのだ。
もちろんちゃんと相手が怪我しないよう気を遣って避けようとはしたのであるが、とっさの事態だったことと、足を両側とも固定されていたのと、予想以上に相手の体重が重かったという事もあいまって、伸はもつれ込むようにその巨体と一緒にグランドに倒れてしまった。
その時、支えようとしてひねった身体の体勢が悪かったのか、ここ最近溜まっていた疲れの所為か、気づいた時には足に激痛が走っていた。
「大丈夫か? 毛利」
一緒に走っていたクラスメイトが思わず心配して除き込んできたが、伸は持ち前のあいまいな笑みを浮かべ、つい大丈夫だと宣言し、そのまま立ちあがった。
結局そのままゴールまで何事もなかったかのように走り終えた伸を見て、みんなはたいした事なかったのだと安心したようだったが、これはとんでもない誤解である。
立ちあがったとたんに激痛が走った。足にちょっとでも体重をかけようものなら身体中を電気が走りぬけていくような感覚があった。
「マジ、痛いかも」
だが、今更痛いなどと言うわけにいかない。というか完全に言うタイミングを逃してしまったことは事実だろう。
まったく。自分の我慢強さと外面の良さが憎らしい。
こんなことなら、倒れた段階で素直に痛いと言っておけばよかった。
でも、そんな事を言ったら、伸の上にのしかかってきた例の巨体の持ち主が伸に怪我をさせてしまったと気に病むかもしれない。
色々な、本当に色々な雑念の所為で、伸は結局足の捻挫を誰にも告げず、そのまま一応平気な顔をしていることにしてしまった。
実行委員をしている関係上、伸の出場する競技は、その九人十脚競争で最後である。
あとは実行委員の仕事のみ。しかもそれも残り僅か。
立っているだけなら何とかもちそうだと、伸は誰にも気づかせることなく、そのまま黙々と仕事をこなしていた。
「伸、どうだ、調子は」
カメラを片手に遼が入場門のそばにいた伸の元へ駆け寄ってきた。
伸はとっさに足の捻挫がばれないようにと、笑顔を作って遼を迎える。
「もうすぐ僕の担当は終わり。そうしたら観客に戻れるよ」
「そっか」
「遼のほうは?」
「あとオレの担当は1種目。最後のスウェーデンリレーはオレが出場するんだから、如月さんが担当になってる」
にこりと笑う遼の笑顔は、本当に今日の日差しに似合っている。
「写真楽しみだな。たくさん撮った?」
「うん。かなりね。来年のパンフレットに使えるようにって、色々注文多くてさ先輩達。面白かったけどな」
「そうなんだ」
「伸や征士の写真もいっぱい撮ったぜ」
「……あ、そう?」
本気で自分と征士の写真を中心に売るつもりなのだろうか、新聞部の奴等は。
今度ひとこと言ってやらなければと考えながら、伸は困ったように肩をすくめた。
「征士はともかく、被写体が僕じゃ、たいした売上にはならないと思うんだけどな」
「またお前はそういうことを言う」
そう言って遼が拗ねた顔をして伸を軽く睨んだ時、向こうで遼を呼ぶ声が聞こえた。
「いけね。オレ行かなくちゃ。またな、伸」
「うん」
軽く手を振って遼を見送り、伸はホッと息をついた。
足の怪我の事はどうやらばれないですんだみたいだ。
「……本当にお前は自分の事がわかってない奴なんだな」
ぼそりと伸の真後ろで声がした。振り返りもせず、伸が呆れてため息をつく。
「……だから気配を消して人の後ろに立つなって言ってるだろ。当麻」
「別に気配消してたわけじゃないぞ。お前と遼の邪魔をしないようにって気を遣っただけだ」
「だからそれが余計なお世話だって……」
「伸、立てるか?」
伸の言葉を遮って、当麻はいきなり伸の腕を自分の肩に回して伸を椅子から立ちあがらせた。
「じゃあ、行くぞ」
「え?……ちょっちょっと待ってよ、当麻」
「ほら、せっかく遼にはばれない様に待っててやったんだから早く行こう」
「行くって……何処へ」
「決まってる。保健室だ」
「…………!?」
唖然とする伸を引きずるようにして、当麻はスタスタと校舎へ向かい、そのまま保健室へと歩き出した。
「ちょっと……当麻?」
「痛むんだったら、おとなしく我慢してるなよ」
「…………!?」
半分抱え上げるように伸の身体を支えたまま校舎の中へ入って行った当麻は、ガラリと保健室の扉を開けて室内を見渡した。
「先生。浩子先生。いますか?」
「どうしたの?」
部屋の奥から保健医の浩子先生が顔を出した。
「ちょっとこいつの足、診てやってくれますか?」
「毛利君? どうしたの? 怪我?」
「いえ、その……」
「多分捻挫だと思うんですが」
伸に代わって当麻が浩子先生の質問に答える。
浩子先生は納得した様子でひとつ頷くと、伸に椅子に座るようにと勧めた。
「はい、ここに座って、足見せて」
「あ、えと、その……」
「ほら、早く」
「はい」
やはりさすがの伸も先生には逆らえないらしい。
おとなしく椅子に座って伸が足首を見せると、浩子先生は呆れたように大きくため息をついた。
「これ、いつ?」
「あ、その……九人十脚競争の時」
「呆れた。よくこんな状態でそのあと歩き回ってたわね、毛利君。立ってるだけでも相当痛かったでしょうに」
「はあ……」
確かに痛かったことは事実だが、歩けない程ではないと自分自身に言い聞かせていた。それより、頼まれた仕事に穴を開けるほうが自分的には嫌だったのだ。
「最初はそんなに痛みもなかったんですけど」
「よく言うわ。これだけ見事に腫れ上がってて」
指さされた足首を見て、伸は改めて目を丸くした。
足首は自分でも驚くほど腫れ上がっていて、色もどす黒く変色している。
これで痛くないというのは間違いなく嘘だろう。
「しっぷ貼っておいてあげるから、今日はもう歩いちゃ駄目よ。実行委員の仕事が残ってるんだったら、他の人に引継ぎして頼んでおきなさい」
「…………」
申し訳なさそうに伸は顔をしかめた。
「とりあえず、残念だけどしばらくはここで休んでて、帰りは羽柴君達について帰ってもらうこと。出場競技はもうないのよね」
「あ、はい。もうないです」
「じゃあ、問題ないわね。そっちのベッドが空いてるから休んでなさい」
テキパキと指示を飛ばし、浩子先生は伸を保健室の奥のベッドに寝かせた。
「じゃあ、私はちょっと席外すけど、おとなしくしてなさいね」
「あの……!」
「何?」
「あの……今日はもう保健室から出ちゃいけないんですか?」
「歩いちゃいけないって言ったの聞いてなかったの?」
「…………」
しゅんと肩を落とした伸は本当に残念そうにため息をついた。
「……はい」
「じゃ、私は行くわね。羽柴君もそろそろグランドに戻りなさい」
「了解しました。もう少ししたら戻りますんで」
にっと笑って浩子先生を見送った後、当麻は伸の寝ているベッドの脇に椅子を寄せて腰を降ろした。
「ちょっとだけここに居ていいか?」
「……いいけど、君の出場種目は?」
「最後のスウェーデンリレーの召集がかかったら行くよ」
「…………」
ふっと視線を落とし伸は僅かに唇を噛んだ。
「どうした?」
「何でもない」
「やけに悔しそうだな」
「そりゃ悔しいよ。最後までちゃんと見たかったし」
「…………」
足に負担をかけないよう気遣いながら、伸がベッドの上に身を起こした。
「ねえ、当麻」
「ん?」
「どうして僕の足のことわかったの?」
「そりゃ解るだろ。オレを舐めてんのか?」
呆れたように腕を組んで当麻は伸を見下ろした。
「まあ、と言っても最初はわかんなかったし。確信したのはさっき遼と話してるお前を見た時だけどな」
「遼と話してる時?」
遼と話してる時はずっと座っていたはずだ。足を動かしてもいないのに何故確信など出来たのだろう。
伸が不思議そうに当麻を見上げると、当麻はふふっと笑ってベッドに手をついた。
「あれっと思ったのは、お前が座ったまま遼と話してたから」
「…………?」
「他の奴等相手ならともかく、お前が遼相手に座ったまま話をするっていうのは不自然だなあって。遼がお前に気付いて駆け寄って来たってのに、座ったままお出迎えってことほど妙な事はない。お前の場合」
言葉に詰まって伸は当麻を見つめた。
「もっとも遼の方は気付いてないがな。そんなこと」
「僕は……別に…」
「そんなつもりはなかったって言うんだろ。当たり前だ。まあ、いいじゃないか。それだけお前さんは遼の事が好きだってことなんだろう」
僅かに顔を歪めながらも当麻はさらっとそんな事を言う。
とたんに伸の胸がチクリと痛んだ。
「当麻……」
「何だ」
「……この間ね、征士が言ったんだ。僕が2人いればいいのにって」
「……えっ?」
当麻が眉をひそめる。
「もし僕が2人いれば、片方の僕は、ちゃんと君のことだけ見ていられるのかな?」
「…………」
何とも言えない表情で当麻はまじまじと伸をみつめた。
伸は当麻の視線を避けるようにうつむいている。
「…………」
「それは困るな」
やがて、ぽつりと当麻が言った。
「オレは今のままのお前が好きなんだから、お前が2人になったらとても困る」
「当麻?」
「遼の事が好きで、烈火の事が忘れられなくて、正人の事を大事に想ってて、そんなお前が良いんだよ。オレは」
「…………」
「今のお前のままで、そばに居てくれれば何も望まない。そのままで良い。ずっとずっと、そのままのお前でいてくれ」
「…………」
「そのまま、何も変わらないでいてくれ」
そう言って、当麻はじっと伸の顔を見つめた。
吸い込まれるような宇宙色の当麻の瞳。
倖せそうに。そして、ほんの少し苦しそうに、当麻はそうやって伸を見つめる。
いつも。どんな時も。
伸はしばらくの間、無言のまま当麻を見つめ返していたが、やがて小さな声で言った。
「当麻。お願いがあるんだ。僕をここから連れだしてくれないかな」
「……え?」
「やっぱり諦められない。先生の忠告を無視する事になるけど、これだけは譲れない。僕を連れていって」
「連れていく? 何処へ」
「君を見ていられる所へ」
「…………?」
どういうことだと、当麻は伸の顔を覗き込んだ。
伸は、そんな当麻の目を真正面から見つめ返し、ふわりと柔らかな笑みを浮かべる。
「君を見ていたい。君が走る姿を見たい。君が風のようにグランドを駆けぬける姿が見たいんだ」
「伸……」
「他の誰でもない。今は、君の姿を見ていたい」
「…………」
たまらなくなって当麻はそっと伸を抱きしめた。
愛しくて愛しくてたまらない、この世でただ1人の大切な人を。

 

――――――「じゃあ、競技が終わったら迎えに来るよ」
教室の窓際の席に伸を下ろしてやりながら当麻が言った。
「ありがと。ごめんね」
言いながら伸は教室を見回す。
「ここって1年D組?」
「そう。そして、ここはオレの席。窓際だからちょうどグランドが見渡せて良い眺めだろう」
「なるほど。こういう位置に座ってるから午後の授業は爆睡こいてるんだ」
「おいおい」
伸が言ったことはあながち間違いではなかったため、多少苦笑しながら当麻は肩をすくめた。
この窓際の席は、午後の日差しがとても気持ち良くって、実際のところ、当麻はこの席で授業中居眠りをしてしまい先生によくこっぴどく怒られている。
まあ、それだけさぼっていても成績になんら影響がないということが、余計に先生方の気に障るらしいのだが。
「とりあえず浩子先生を見かけたら、いちおうここに居るっていうのは言っておくからな」
「うん。僕が無理やり頼んだって言っちゃっていいからね」
「んな言い方するかよ。ここに連れてきたのはオレの希望も入ってるんだから」
「そうなんだ」
くすくすと可笑しそうに伸が笑う。その笑顔が愛しくて、当麻はそっと伸の髪に触れると、眩しげに目を細めた。
いつもいつも不安で仕方なかった。
どんなにそばに居てもこの不安は拭えない。
それは決して、この愛しい人が自分だけのものになどならないことが解っているから。
でも、それでもいい。
今この瞬間、この人は自分を見てくれている。
その優しい瞳で自分だけを見ていたいと言ってくれたのだから。
それ以上何も望まない。
「当麻」
すっと顔を上げて、伸が当麻を見た。
「当麻。風になれ」
「了解」
パンッと両手を合わせてひとつ頷き、当麻は教室を出ていった。
グランドでは最終種目であるスウェーデンリレーの召集アナウンスがかかっている。
やがて校舎からグランドに飛び出していく青い髪の後姿を見おろして、伸はふわりと微笑んだ。
秋の日差しが目にとても心地よかった。

FIN.      

2003.9 脱稿 ・ 2004.1.17 改訂    

 

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