CROSSING (8)

「16:00閉会式っと……」
カチャカチャと滑らかにキーボードの上を滑っていた細い指がようやく動きを止め、伸は大きくのびをしてパソコンデスクの椅子から立ちあがった。
おもいっきり身体をそらせて深呼吸すると身体の節々が痛む。
いかにずっと同じ体勢でパソコンの前に居たかが知れるというものだ。
「当麻ってよく飽きもせずにカチャカチャやってるよな。今更ながら感心するよ。まったく」
人様の趣味というものはわからないものだ。
そんな事を思いながら、伸は部屋の空気を入れ替えようと、生徒会室の窓を大きく開けた。
ふわりと暖かい風が室内に吹き込んでくる。
さすがに季節は秋口になろうとしている時期ではあったが、まだまだ残暑厳しいおりである。
もう夕方だというのに、太陽も眩しげに輝いていた。
「あれ?」
ふと校舎南側に位置する中庭の端の無造作におかれたブロックの上に見なれた後姿をみかけ、伸は首をかしげた。
「何やってんだろ。あんな所で」
ぼんやりと何か物思いにふけっているらしきその後姿の主は、頬杖をつき、大きくため息をついたかと思うと、ふっと顔を上げて流れる雲をじっと見上げていた。
「珍しく元気がない……?」
いつも元気いっぱいなはずのその人物の見なれない様子に、伸はふと表情を曇らせた。
周りがどんなに落ち込んでいても、彼だけは場を明るく和ませようと、いつも笑顔でいてくれたはずなのに。
何か悩みでもあるんだろうか。
しばらくじっと窓の下を見下ろしていた伸は、ついに何かを決心して、作業途中だった書類をまとめパソコンの電源を切ると、生徒会室を出ていった。
ほんの少しだけ急ぎ足で階段を駆け下りた伸は、そのまま真っ直ぐに中庭へと向かう。
途中、応援団らしき一団とすれ違い、伸はようやく中庭は応援団の練習場であったことを思い出した。
「そっか。だったらあいつがあそこに居てもおかしくないわけだ。納得。」
練習は終わったのか、応援団のメンバーは雑談をしながら廊下を歩き去って行く。
途切れ途切れに聞こえてきた会話の内容から判断するに、今日の練習は滞りなく終了したらしい。では、練習中はいつもの元気な彼でいたのだろう。
それなのに、何故。
一人になったとたん、何故彼はあんなに寂しそうにして空を見上げていたのだろう。
普段皆の前で明るく振舞っている分、一人の時間になると、どっと疲れがでるとでもいうのだろうか。だとしたら自分たちはそれほどに彼に無理をさせていたのだろうか。
考え出すときりがない。
伸は校舎の南口の扉を開けると、ようやく歩く速度を落として、ゆっくりと中庭へと歩いて行った。
「あれ? 伸? どうしたんだ?」
ぼんやりと空を見上げていた秀は、かさりと芝生を踏む足音に気づいて、驚いて振り返った。
「ちょっと気分転換しようと思って。ずっと生徒会室でパソコンと向き合ってたら頭痛くなっちゃってさ」
「そっか、実行委員も大変だな」
「そうそう。データ入力するの多くてね。今、ようやく当日の詳しいタイムテーブル入力し終えた所。にしても秀こそどうしたの、こんな所に一人で」
さりげないふうを装って伸はストンと秀の隣に腰を降ろした。
「今日、応援団の練習は?」
「さっき終わった」
「調子はどう?」
「いい感じだぜ」
にっと親指を突き出し、秀は笑った。いつもと同じ笑顔だった。
「誰かを応援するっていうのは、オレの性にあってるのかも知れないなあって思った。団長にも体育祭だけの臨時応援団じゃなくって正式部員にならないかって誘われたし」
「そうなんだ。すごいじゃない。どうするの?」
「うーん。考えてるとこ」
大げさに腕を組んで秀は口をへの字に曲げた。
「応援するのはいいんだけど、そうすると助っ人として対抗戦出たり出来ないじゃねえか。それは困るしなあ」
「あ、なるほど、そういうことか」
秀は現在特にどこの部活動にも参加していない。その代わり、各学校間で行われる対抗戦だとか、地区大会の予選だとかでメンバーが足りない時や戦力的に不安な時など、よく声をかけられて特別参加をしていたのだ。
「応援もしたいけど実際の大会にも参加したい。難しいところだね」
「そうそう」
うんうんと大きく頷いて秀は笑った。
秀のそんな笑顔がいつも通りであればあるほど、何故か伸の心は晴れなかった。
何かがひっかかる。
それが何かはわからないのだけれど、やはり秀の笑顔はいつもとほんの少しだけ違っているのかも知れない。
「ねえ、秀」
「……ん?」
「その…風邪はもうすっかりいいんだっけ?」
「へ?」
確かに先日喉風邪をひいて1日学校を休んだのは記憶に新しい出来事ではあるが、熱はすぐに引いたのだし、声も夕方には出るようになっていた。次の日には元気に学校へ復帰したというのに、今更何を訊いているのだろう。
秀があんぐりと口を開けて伸を見たので、伸は慌てて誤魔化すように肩をすくめて見せた。
「あ、いや元気ならいいんだけど。ほら、自分が風邪引いた時って結構長引くタイプだからさ。羨ましいなあと思ってね」
「…………」
「やっぱり元気な声で当日は応援してもらいたいじゃない。もうすぐ本番なんだし」
「……そうだな」
伸の意図には気付かなかったのか、それとも気付かないふりをしてくれているのかわからなかったが、秀は伸に向かって安心させるように笑みを浮かべた。
「オレってもともと頑丈に出来てるんだよ。風邪引いたのだって鬼の霍乱って当麻に言われちまったくらいだぜ」
「そっか。そうだよね」
「……でも、確かにちょっと疲れてるのかもしれないな、オレは」
そう言って秀はおもむろに伸の膝に頭を乗せて仰向けに寝転がった。
「秀?」
「んーいいねえ、膝枕。当麻だけに譲ってやるのは惜しい」
「なっ……!」
気持ちよさそうに伸の膝に頬をすりよせ、秀は大きくあくびをした。
「何? 寝不足?」
「ちょっとな」
「珍しい。どうしたの」
「…………」
伸の質問に答えず、秀はじっと下から伸の顔を見上げた。
「……何?」
「何でもない」
「変なの」
「うん。最近変なんだ。オレ」
珍しく固い口調で秀はそう言ってため息をついた。
「悪いな。気を遣わせちまったみたいで」
「…………」
やはりこの相手に誤魔化しはきかないみたいだ。
ふっと息をついて、伸は膝の上に乗っている秀の少し硬めの髪をくしゃりと掻き回した。
「何かあるなら相談にのるよ。これでも一応先輩なんだから」
「ははっ、そうだな」
くしゃっと顔を歪めて秀は伸を見上げた。
「やっぱ、いいよな。お前は。暖かくて」
「……?」
「……なあ、伸」
「何?」
「お前さ、いつから当麻のこと好きだった?」
「…………!?」
予想もしなかった問いに一瞬伸は絶句した。
「……えっ? な……何?」
思わず訊き返すと、秀はおかしそうにくくっと笑い声をもらした。
「んな、鳩が豆鉄砲食ったみたいな顔すんなよ。そんな意外か?」
「いや、意外も何も、まさか君の口からそんな言葉が飛び出そうとは……」
明らかにうろたえた様子で伸は答えた。
他の事ならいざしらず、よりによって秀の口から出てくる言葉とは思えない。
「どうしてそんな事訊くの?」
「訊きたいから」
即座に秀は言った。
「何? 好きな子でも出来たの?」
「そうじゃねえけどさ」
「じゃあ、何で」
「わからないんだよ。自分の気持ちが」
「…………」
いつものあけっぴろげな秀とは思えない。伸は探るように秀の顔を覗き込んだ。
「自分の気持ちがわからないって、それ、僕の答えを訊いて何かがわかるの?」
「…………」
すっと秀が視線を外した。
「秀」
「わかんねえ。でもさ、前に遼が言ってたろう。好きになったら触れたくなって当然なんだって。お前もそうなのかなあって思ってさ」
「…………」
「オレ、わかんないんだ。これが好きって感情なのか。オレ、別に自分ではノン気だと思ってるし、そんなふうにあいつを見たことはない。これは断言できる。でも、やっぱ泣かせちまうのはまずいなあって」
「な……泣く? 誰か泣かせたの?」
秀は伸の膝の上でゆっくりと頭を振った。
「泣いてないよ。全然。でも、泣きそうな目してた」
「…………」
「笑顔を見たいのに。誰よりも綺麗な笑顔を見たいのに、オレはあいつを泣かせちまいそうで怖い」
「…………」
あいつ。
秀の言うあいつとは、もしかして。
伸はふっと視線をさ迷わせて中庭に面して建っている建物、剣道場を振りかえった。
透明で綺麗な硝子のような少年。
禅が命をかけて守ろうとした少年の魂を受け継いだただひとりの人間。
「そっか……」
そういえば征士が言っていた。秀は自分にだけ距離をおいて接していると。
それ程にこだわっているのだと。
そういう事だったのだ。
伸は小さく息を吐いて、もう一度優しく秀の髪を撫でた。
「秀はその人のこと、とても大切に思ってるんだよ。それが恋愛感情かどうかなんてわからないけど、でも、とてもとても大切に思ってるんだよ。そして、秀がそれだけその人のこと大切に思ってるってことはきっと相手にも伝わってるはずだよ」
「……そうかなあ」
「そうだよ」
「…………」
「きっと、そうだよ」
「…………」
ようやく嬉しそうに笑って秀は伸の膝の上から身体を起こした。
「よっと。そろそろ帰るか」
「もう大丈夫なの?」
「大丈夫っつーか、これ以上このままでいたらマズいだろう。当麻に見つかったらなんて言うんだよ」
「何だ、それは」
「ははっ」
可笑しそうに笑って秀は自分の頭をポリポリと掻いた。
「やっぱ、相手によって沸いてくる感情って違うものなんだな」
「…………?」
「当麻や遼がお前のことギューって抱きしめたいって言う気持ちがよくわかった」
「…………!?」
「好きになった相手がお前みたいな奴だったら、きっと楽だろうなって思う」
「何言ってんだか、まったく。馬鹿なこと言ってないの」
「…………」
ふっと笑みを浮かべて秀が立ちあがった。
「本当、ありがとな、伸」
「どういたしまして。僕なんかの膝でよければいつでも貸してあげるよ」
「おうっ、また頼むわ」
にっこりと笑った秀の笑顔は、ようやく本当のいつもの笑顔に戻っていた。

 

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