CROSSING (7)

50mダッシュ4本。合計200m。プラス流して200m走ったあと、休憩をはさみ、再び400m走る。
当麻はゴールを走りぬけたとたん倒れ込むようにグランドにしゃがみ込んだ。
「こら、羽柴。急に止まったらよけい駄目なんだぞ。ダッシュ終わってもしばらくはゆっくり歩いておけよ」
「…………了解」
渋々立ちあがり、当麻は隣を歩く陸上部の友人、鍛治に歩調を合わせて歩き出した。
「にしても陸上部っていつもこんな練習してんのか?大変だな」
「今日は軽いほうだぜ、これでも。鬼部長が休みだからな。なんたって」
「へえ」
「っつーか、こっちも驚いたよ。急に体験入部したいなんて言い出してさ」
「そんなに変か?」
額を流れる汗を拭いながら当麻は首をかしげた。
「変っていうか、お前って確かにがり勉タイプじゃないけど頭良いだろ。どっちかっていうとスポーツより勉強が好きなんじゃないかなって思ってたから」
「どっちも好きだよ。オレは。ずっと机に向かってたらくさくさするのはみんなと同じ」
「そっか。そうだよな。なんたって並み居る陸上部を差し置いてスウェーデンリレーのアンカーに選出されるくらいだからな。これで走るの嫌いって言われちゃ陸上部の立つ瀬がないよ」
「ははっ」
照れ笑いを浮かべて当麻は肩をすくめた。
走るのは嫌いじゃない。
また自分の身体能力が他の一般人よりずば抜けて高いことも自覚している。
まあ、これは自分だけじゃなく遼をはじめ他の奴らも同じだろうが。
「一応選ばれた責任もあるからな、それなりにやらないと負けちまったあとが怖い」
「だからわざわざ陸上部に顔出したってわけか。結構真面目じゃん」
からかうようにそう言って、鍛治はにっこりと笑った。
「でも羽柴くらい速けりゃ、かなりいい線いくんじゃないか。他のクラスにお前より速い奴ってそうそういないだろう」
「いや、いるよ」
「へ?」
あまりにもきっぱりと当麻が言ったので、鍛治は驚いて足を止めた。
「誰だよ。それ」
当麻の前に回り込んで、鍛治はさらに追求しようとする。
それもそうだろう、当麻には、陸上部としてはかなり悔しく思う良いベストタイムを出されているのだ。
これで他にも当麻レベルの奴がいるのなら、是が非でも陸上部にスカウトしなければ。というか、これでは冗談抜きで陸上部の沽券に関わる。
「同じ1年生か? それ」
「ああ」
短く当麻は頷いた。
「何組だよ」
「んな根掘り葉掘り聞くなよ。どうぜ体育祭当日になればわかるから」
「ってことは何か、そいつもスウェーデンリレーにでるのか?」
「ま、そういうこと」
「へえ」
どこの誰かは知らないが、そいつの存在の所為で当麻は今回の陸上部体験入部を言い出したのだろう。
だとしたらD組としては感謝しなければ。
今でこそ充分速い当麻だが、これできちんとフォームを見なおせばもっと速くなる可能性がある。確実に優勝を狙える程には。
「よほど勝ちたいんだな。そいつに」
感心して鍛治はそうつぶやいた。
「お前がそんな負けず嫌いな性格だとは夢にも思ってなかったけどさ」
「別にそんなんじゃねえよ」
「そうか?」
にやりと笑って鍛治はパチンと当麻の額を指ではじいた。
「ま、頑張れよ。D組と陸上部の名誉にかけて、オレに出来ることなら何でも協力すっからさ」
「そりゃどうも」
照れ隠しなのか、わざとぶっきらぼうに答えて、当麻は次のメニューをこなす為、グランド中央に向かって走り出した。

 

――――――夕刻、そろそろグランドにいる者も、体育館にいる者も部活動を終え、下校しだす時間帯、征士は剣道場の外の廊下に当麻の姿を見かけ、おやっと足を止めた。
「当麻?」
「……征士」
「どうしたのだ。こんな所で」
「いや、ちょっとな。」
言いながら当麻はつかつかと征士の元へ歩みより、トンッと肩に頭をもたせかけた。
「当麻?」
「ちょっと筋肉痛なんだ」
「は? 筋肉痛?」
思わずオウム返しに征士が聞き返す。
「何だそれは」
「いや、ちょっと陸上部に顔だして真面目に走ったら足腰痛くてさ」
「…………」
「走ってすぐ出るってことはまだ身体は年取っちゃいないって事だからその点は安心したんだけど」
「おい」
「ほら、年取ると2〜3日後に出てくるって言うだろ、筋肉痛」
「貴様はバカか。日頃の鍛錬が足りないからそういうことになるのだぞ」
「……そうだな。鍛錬が足りないよな。」
ポツリとつぶやきながら、当麻は更に征士に体重を預けるように寄りかかった。
「おい、当麻。いい加減にしろ」
「…………」
「当麻……?」
ほんの少し、当麻の様子がおかしい。
征士は当麻の身体を支えたまま廊下へと座り込んだ。
「どうした。そんなに疲れたのか?」
「いや。疲れてるんじゃない。自分に嫌気がさしてるだけだ」
「…………?」
「駄目だな。オレってホント」
「……どうしたのだ」
「……征士、オレ、勝ちたい」
「…………?」
「勝ちたいんだ」
やけに苦しげな、絞り出すような口調で当麻はそう繰り返した。
「勝つ? 誰に?」
「…………」
「当麻?」
「…………」
ふーっとため息をついて廊下の天井を見上げ、征士はポンポンと当麻の頭を軽く叩いた。
「当麻。何を以って勝ちとしたいのだ」
「…………」
「遼より速く走れれば勝った事になるのか?」
「…………」
当麻は小さく首を振った。
「だろうな」
これは勝ち負けでどうにかなるような問題ではない。そんなことはとうの昔からわかっていた。
それでも、勝ちたいのだ。どうしても。
でないとこの不安が拭えない。
いつまでたっても拭えないのだ。
「お前は子供のようだな」
当麻の頭を自分の胸元へ引き寄せながら征士がささやくようにそう言った。
「大切な宝物を取り上げられるんじゃないかと怯えて震えている子供のようだ」
「そうだな。ガキだな。オレは。どんどん独占欲が強くなる。本当にどうしようもないくらいガキだよ」
苦笑交じりに当麻はそうつぶやいた。
「まったく私には理解できない。あれほどそばにいて、これ以上何を望むのだ。お前は」
「…………」
「当麻」
「……確かに贅沢なことを願ってることはわかってる。でも不安なんだ。とてつもなく。どんな瞬間でさえ、この不安は消えない」
「当麻……」
「そばにいるだけでは駄目だってこと。何の助けにもならないってこと。オレはきっと、どうしようもなく臆病になっちまってる」
「……そばにいるだけでは……駄目…か」
すっと視線を外して征士はうつむいた。
「確かにそうなのかも知れない」
「……征士……?」
ふと征士の肩口から顔を離し、当麻はうつむいて何かを考え込んでいる征士の端正な顔を見つめた。
「………征士、オレ、何かお前にとって嫌なこと言ったか?」
「……何故、そんなことを訊く」
「いや、だって、お前、何か辛そうだから」
「当麻」
すっと顔をあげて征士は当麻を見た。
「やはり、太陽に触れるためには火傷することを覚悟しなければならないのだろうか」
「…………えっ?」
思わず目を見張って当麻はまじまじと征士を見つめ返した。
「太陽……?」
「伊達、何してる。集合だぞ」
ガラリと扉をあけて、その時、鷹取が廊下へと顔を出したので、征士は慌てて当麻のそばを離れて立ちあがった。
「すみません。今行きます」
「おうっ、早く来いよ」
「はい」
征士はもう先ほどの言葉など忘れたように、いつも通りの表情で鷹取の後を追って剣道場の中へと消えていった。
しばらく剣道場の扉にもたれて何かを考え込んでいた当麻は、一つ嘆息すると、かなり薄暗くなってきた廊下をゆっくりと歩き出して去っていった。

 

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