CROSSING (6)

「すっげえ。さすが真田。めちゃくちゃ速いなあ」
皆の感嘆の声が上がる中で遼はゼイゼイと大きく胸を上下させてグランドにしゃがみ込んだ。
「つっかれたー」
「さすがだな」
ポンっとタオルを手渡しながら、征士も遼に向かって感心したように微笑みかける。
「長距離や中距離走ならともかく、短距離は敵わないな。遼には」
「征士、手抜いて走ってないよな」
「そんな器用な真似が私にできるわけなかろう。本気で走って遼の方が速かったんだ」
「そっかー」
嬉しそうに遼が征士に笑顔を向けた時、記録を取っていた体育委員がバタバタと二人のほうへ駆け寄ってきた。
「やっぱ速いな、真田は。マジでスウェーデンリレーのアンカー頼むぜ」
「アンカーなのか? オレ。」
「今さ、全学年の記録照らし合わせてみたんだけど、やっぱ一番いい記録だしてるのが真田なんだよ。先輩方も是非お前に走って欲しいって言っててさ。いいか?」
「オレは別に構わないけど」
スウェーデンリレーのアンカー。
昨年伸が走った競技だ。なんだか、そんなことが嬉しくて遼はふふっと含み笑いを洩らした。
「じゃあ、これで全競技の出場選手の選出決定だな。急いで実行委員の所に持ってかなきゃ。遅れちまったから怒られるかなあ?」
「実行委員会?」
頭を掻きながら、早速出場選手リストをまとめてホッチキスで止めている体育委員を見て、遼がおもむろに立ちあがった。
「オレ、持って行こうか?実行委員の所まで」
「へ? いいのか?」
「いいよ。今暇だし」
「ラッキー!じゃあ、頼むよ、これとこれ。こっちは控えなんで、オレから担任に渡しに行くから、実行委員への提出分は頼んだ」
「了解」
リストの用紙を受け取り、遼はトントンと端をそろえて小脇に抱えた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「遼、真っ先に伸に知らせたい気持ちはわかるが、あまり慌てて転んだりするなよ」
からかいまじりに征士が言うと、遼は少し照れたように頬を染めて、わかってると小さく頷いて走り出した。
理由なんてどうだっていい。
逢いたい。
そして、自分が頑張っているところを見て欲しい。
少しでも強くなるために。少しでも自分に自信が持てるように。
大切なあの人に相応しいと思える人間になるために。

 

――――――タンタンと軽い足取りで階段を駆け上がり、遼は実行委員会の運営室となっている生徒会室のドアを開けた。
「失礼します。A組の真田遼です。出場選手リスト持ってきました」
「遼?」
思ったとおり、部屋には伸がいた。
伸は、パソコンに何かを打ち込んでいる最中だったが、遼の声に驚いて立ちあがり振り返った。
「どうしたの。遼が持ってくるなんて。体育委員の子は?」
「うん、頼まれたんだ」
本当は自分から志願したのだけど。
伸はいつもの柔らかな笑顔を浮かべ、遼から出場選手リストを受け取った。
「提出遅れたって言ってたけど、オレ達のクラスがラスト?」
「いや、D組がまだだよ」
「そっか」
安心したようにほっと遼が息をつく。
「遼は何に出るの?」
「スウェーデンリレー」
嬉しそうに宣言する遼に伸が目を丸くした。
「スウェーデンリレー? あの全学年のクラス対抗の?」
「そう、伸が去年出た奴」
「そうなんだ」
伸はパラパラとリストをめくり、スウェーデンリレーの選手一覧を見て納得したように頷いた。
「なるほど。遼がA組の中で一番速かったんだ」
「みたいだな」
「すごいじゃない」
「本当は征士に負けるんじゃないかとひやひやしてた」
「征士は次点っだったの?」
「0.2秒オレのほうが速かった。でも、ひどいんだぜクラスの奴ら。オレが山梨の山育ちだからって山猿だとか言うんだ」
「あははっ」
伸が肩をすくませて笑い声をもらした。
「でも、頑張ってね。リレー。応援するよ」
「え……」
遼が戸惑ったような顔で伸を見た。
「でも、リレーはクラス対抗なんだし。伸が応援してくれれば、めちゃくちゃ嬉しいけど」
「クラス対抗なんて関係ないよ。応援する。遼に一番になって欲しいから」
「…………!」
ぱあっと遼の顔に笑顔が広がった。
「有難う、伸。オレ、頑張る」
「うん」
「伸の為に一位になる」
「うん。期待してる」
最後にもう一度にっこりと笑顔を浮かべて遼は生徒会室を出ていった。
パタンと扉が閉じられたと同時に、伸一人だと思われていたはずの部屋の片隅からぼそりとつぶやく声が聞こえる。
「なんつーか、犬みたいな奴だな。元気にしっぽ振ってる絵が見えるようだよ」
伸はちらりと声を発した男、羽柴当麻を睨み付け、小さくため息をついた。
「どうでもいいけど、なんで遼が来たとたん、隠れるように部屋の隅にいくわけ? 行動の意味がわからないよ」
「いいじゃねえか。別に。波風たてたくないだけだよ」
「なんで波風がたつんだよ」
「自覚ないっていうのも、度を越すと罪だぞ」
「…………?」
眉間に皺を寄せたまま、伸は先ほど遼に手渡されたリストをパラパラとめくった。
これからこのリストを入力して出場選手一覧表を作らなければならない。実行委員の仕事も楽じゃないなあと思いながら、伸はパソコンの前に腰を下ろすと、再び当麻を振りかえった。
「そうだ。忘れるところだったけど、あと君のクラスさえ提出してくれたら全部そろうんだから、さっさと提出してくれないかな。だいたい生徒会室にしかソファがないとはいえ、わざわざここへきて惰眠をむさぼるってどういう神経してんの? いちおうここは関係者以外立ち入り禁止になってんじゃなかったっけ」
「とか言いながら追い出さずにかくまってくれるんだよね、伸ちゃんは」
「次来たら叩き出してやる」
凄味を利かせた伸の物言いに、当麻は仕方なく立ち上がった。
「来年あたり生徒会にでも立候補してみようかな。そうしたら心置きなくここで眠れる」
「ここは仕事をするための場所であって、君のベッドルームじゃない。いいから、さっさと教室戻ってリスト持ってきてよ」
「へいへい」
ガチャリとドアを開けた当麻の背中に向かって、伸が思いついたように声をかけた。
「ねえ、当麻」
「ん?」
「そういえば、君は何の競技に出場するの? 聞いてなかったよね」
「…………内緒」
奇妙な沈黙の後、当麻はそう言って生徒会室を後にした。
「内緒って、リスト持ってきたらすぐバレるのに、内緒にしてどうすんだよ。変な奴」
呆れたような独り言を洩らし、伸は今度こそリストを入力する為にパソコンへ向き直った。

 

――――――「嘘つき」
書斎にいた当麻に珈琲を手渡しながら伸がぼそりとつぶやいた。
「何が嘘つきなんだよ」
意味がわからず当麻が眉間に皺を寄せる。
「そっか、嘘つきは正確じゃないな。じゃあ、秘密主義。これも違うな」
「だから何なんだよ、いったい」
「…………」
じろりと当麻を睨みつけて伸は大きくため息をついた。
「……何で言わなかったんだよ。自分もスウェーデンリレーに出るって」
「…………」
ああ、そのことかといった顔で当麻は嘆息した。
「別に言わなくてもいいだろう。現にこうやってすぐバレてんだし」
「だから、すぐバレるのに、どうして聞いた時わざわざ隠すような物言いしたのかって聞いてるんだよ」
「わざわざも何も、言ってどうすんだよ」
「どうするって……」
「言ったら応援してやるとか言ってくれるのか? お前は」
「…………?」
やけに喧嘩ごしな口調でそう言うと、当麻は伸を見ながら椅子から立ちあがった。
「応援してももらえない相手に言ったって、自分が虚しくなるだけなんだからいいじゃないか。」
「何言ってんだよ。応援するよ。何拗ねてんだよ、当麻」
「…………」
ふっと当麻の唇の端に自嘲気味な笑みが浮かんだ。
「出来るわけないだろ。そのリレーには遼も出場するんだぞ」
「…………!?」
伸が何を言ってるんだといった顔で目を見開いた。
「と……当麻?」
「クラス対抗といってもあいつはお前と同じ赤組なんだし、お前ははっきり遼に頑張れって言ったんだし。それを目の前で聞かされたあとのオレに何を言えっていうんだ」
「……馬鹿じゃないのか、君は。そんなの関係ないだろ。二人とも頑張って欲しいって思ってるよ。だから二人とも応援するのは当たり前だろ」
「お前は何もわかってない。勝利のテープを切るのはあくまでも一人なんだ」
「…………!」
言ったとたんに当麻は酷く焦ったように慌てて伸から目をそらせて、くしゃくしゃと前髪を掻き毟った。
「悪い」
「…………」
「あー、くそっ。こういうこと言いたくなかったから、言わないでいたのに。何やってんだろう、オレは。ごめんな、伸」
「当麻」
「気にすんな。本当、悪かった」
「…………」
「お前が言ってるとおり、オレは拗ねてるだけなんだから、気にせず遼を応援してやってくれよ。オレのことは気にしないでいいから」
「…………」
どちらを応援するかなんて、本当に些細なことだろうに、そんなことですら当麻はこだわってしまうのだろうか。
頑張れ。そのひとことが欲しいくせに、それを口に出して望むことすら出来ないほど。
「………まったく君って奴は」
意地っ張りで寂しがりやで、いつも無理に強がって。
だからこそ。
「…………」
伸は持っていた自分用の珈琲をカタンとデスクに置くと、すっと腕を伸ばして当麻を抱きしめた。
「し……伸?」
「バカ当麻」
「…………」
「ちゃんと応援してるから」
「…………」
「頑張れ。当麻」
「…………」
「頑張れ」
「…………」
最後にギュッと抱きしめる腕に力をこめると、伸はそのまま当麻から身体を離し、デスクに置いた珈琲を持ち上げた。
「じゃ、珈琲は自分の部屋で飲むから。じゃあね」
「えっ? おい、伸」
「おやすみ」
にっこりと笑って伸はそのまま書斎を出ていった。
当麻は何とも言えない顔で伸の背中を見送った後、ふっと笑って前髪を掻きあげる。
「まいったな。もう……」
伸の腕の温もりがまだ身体に残っている。
突然の事で抱きしめ返すことすら出来なかった。
暖かい腕。優しい海の匂い。柔らかな笑顔。
本当に、どうしようもなく愛しくなる。欲しくて欲しくて仕方なくなる。
「……なんて考えてたこと、きっと全部見破られてんだろうな」
くすりと笑って、当麻は伸がいれてくれた珈琲をこくりと飲んだ。
少し苦いその味は、まさに今の自分の心境そのもののようで、当麻は再び小さく笑いをもらした。

 

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