CROSSING (4)

「伊達、今日は何かあったのか?」
放課後、剣道部の午後練をしながら2年の鷹取がこそっと征士に耳打ちしてきた。
「何か……とは?」
微妙に眉を寄せ、征士は鷹取の顔を見上げる。
一年生とはいえ、高校生にしては背の高いほうであるはずの征士より鷹取は頭一つ分ほども高い。
不思議そうに自分を見上げる一年生を見下ろして、鷹取は小さく肩をすくめた。
「まったく、わかってて隠してんのか、本気で自覚がないのか判断つかない奴だな相変わらず」
ポリポリと頭を掻き、鷹取は大きくため息をついた。
「この間はあんな可愛い顔してたかと思ったのに、何で今日はそんな無愛想なんだよ」
「私は別に……」
かなり心外であるという表情をして征士はぷいっと横を向いた。
「私は自分を可愛いなどと思ってません。まして、誰かにそんな風に思われたくて振舞っているつもりもありません」
「はいはい。わかってますよ。オレだって媚びた可愛さには吐き気がする人種だ。誰もお前さんにそんなこと押し付ける気はないよ」
ちょうど訪れた休憩時間に、これ幸いと征士を剣道場の外へと連れ出すと、鷹取はうーんと伸びをして外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「お前の可愛さってのは、自覚がないからいいんだよな」
「…………」
「……意外か?そういうこと言われるの」
くすりと含み笑いをして鷹取は征士を見下ろす。
言葉通りにとっていいのか、何か裏を読んだほうがいいのか、判断がつかないところに関してはどっちもどっちでないか。
そんなことを思いながら、征士は鷹取の隣に疲れたように腰を下ろした。
「別に先輩が気にするようなことは何もありません。私はいつも通りです」
「本気で言ってるなら、自覚がないんだな」
「…………」
やはり納得いかないといった顔をして征士は鷹取の横顔を見上げた。
本当に、いつも通り振舞っているつもりでいる。
朝練の時も、授業中も、クラスメートや先生方に何か言われるということもなかったはずだ。
遼だって特に何も言ってなどいなかった。
体調も悪くない。稽古だっていつも以上に頑張っているつもりだ。
それなのにどうして、この人だけがそんなふうに自分を見るのだろう。
「フレー! フレー!」
突然中庭から聞こえてきた応援団の声援にビクッとなって征士は顔をあげた。
「おっ、今日もやってるな。」
元気な応援団の声の聞こえる方向に顔を向け、にっこりと笑顔を浮かべた鷹取は、次いでおやっと首をかしげた。
「おい、伊達」
「はい」
「あの太陽君はどうした」
「…………」
秀の姿の見えない中庭からふっと視線をはずし、征士はうつむいた。
「風邪をひいたようで、声がでないんです。なので、奴は今日1日家で寝ているはずです」
「…………」
妙に納得いったという顔をして鷹取は腕を組んだ。
「なるほど」
「…………」
ちらりと鷹取を見て、征士は再びふいっと横を向く。
なんともいえない顔をして、鷹取は征士を見返した。
「お前はまるで月のようだな」
「……?」
夜光ならともかく自分に対して月と言う形容詞を言われたのは初めてである。
意味を計りかねて征士は、再び鷹取の方に顔を向けた。
「やっぱ自覚がないんだな。変な奴」
「……自覚も何も、先輩の言ってる意味がわかりません」
「本当にわからないか?」
「わかりません」
「…………」
ふっと笑って鷹取は征士の顔を覗き込んだ。
「言ったろう。あの子はまるで太陽みたいだって」
「…………?」
「あの元気少年が太陽君。そしてお前が月。ほら、簡単なことじゃないか」
ますます言ってる意味がわからなくて、征士は眉間に皺を寄せた。
「月は太陽の光を受けることで明るく輝く。今日のお前は太陽の光を失ってぶすぶすと燻ってるんだ」
「…………」
「お前を輝かせるのも、光を失わせるのも、太陽の笑顔次第。ほら完璧な法則が出来あがっちまってる」
「わ……私は別に……」
「そんなつもりはないっていうんだろう。その自覚のなさが、お前が月たる所以だよ。月は気づいてないからな。太陽の光があるおかげで自分の存在が確立してるなんてこと」
「…………」
まるで、心の奥底にある何かをわしづかみにされたようで、征士はゴクリと唾を飲み込んでしばらくの間じっと鷹取の浅黒い顔を見上げていた。

 

――――――夕方、本来だったら現れるはずのない訪問者の姿に秀は驚いてベッドから身体を起こした。
「あれ? 征士?」
「……声はでるようになったようだな」
ふっと微笑んで征士はベッド脇に立ち、秀を見おろした。
「どうしたんだよ征士。いつも6時まで稽古だって言ってたのに、まだ5時半だぞ」
「集中力が切れていては怪我をする原因になるからと無理やり帰された」
「……へ?」
きょとんとした顔で秀は目を瞬いた。
「私はそんな自覚はなかったのだが、一人、何が何でも今日は帰れと言ってくれる先輩がいてな。言葉に甘えさせてもらった」
「……珍しいな。剣道大好きのお前が」
「まったくだ。私も驚いている」
「…………」
まじまじと征士を見つめた後、秀はついに吹き出して笑い出した。
「何か今日のお前、変」
「失敬な。お前には言われたくない」
「どういう意味だよ」
「今日、学校でお前が風邪で休みだと報告した時の先生方の顔、傑作だったぞ。あいつでも風邪をひくなんてことがあるんだなと感心していた」
「ひっでー!」
大げさに顔をしかめて、それでも何だかとても嬉しそうに秀は征士を見上げて笑い声をあげた。
「風邪はすっかりいいのか?」
征士がベッドに腰を下ろして秀の顔を覗き込んだ。
「あ、ああ。熱は下がった。声も出るようになったし。普段薬とか飲まないから逆に効きやすいんだなって伸が言ってたけど」
「そうか」
「当麻がさ、喉が痛いときは首にタオル巻いて暖かくしておけって言っててさ。半信半疑だったんだけど、実行してみたらこれが案外良くって」
首に巻いたタオルを指差して秀がにっと笑った。
「それに今、伸と遼が栄養あるもん食わしてやるってキッチンにこもってるし、こんだけ色々してもらっちゃあ、元気にならないわけないぜ」
「まったくだ」
くすりと笑い、征士が熱を計るため秀の額に手を当てた。
「……!」
一瞬秀の表情が強張る。
「本当だ。熱は下がったようだな」
「……あ…ああ」
すっと身をひき秀が頷いた。ほんの僅かではあるが引きつったような秀の態度に征士が微かに眉を寄せる。
と、その時、階下から二人を呼ぶ伸の声が響いてきた。
「二人とも降りて来れる? ちょっと早いけど夕飯できたから食べよう」
「あ…ああ」
「わかった。今行く」
同時に答え、征士が立ちあがる。秀もシーツを跳ね除けベッドから降りようとしたが、さすがに1日横になっていた所為で平衡感覚がずれていたのか、トンと床に足をついた時点で一瞬ぐらりとよろけてしまった。
「うわっと」
「大丈夫か」
傾いた秀の身体を思わず征士が抱きとめる。
「……!!」
「ごめんっ!!」
とたんにものすごい勢いで征士の腕を引き剥がし、秀がダンッと壁際に飛び去った。
「…………?」
「あ……」
何となく気まずい沈黙が流れる。
秀は誤魔化すような笑顔を向けたかと思うと、慌ててくるりと征士に背を向けた。
「秀!」
そのまま部屋を出ていこうとした秀の背中に征士が鋭い声をあげる。ビクリと肩をすくませ、秀がゆっくりと振り返った。
「……何?」
「どういう事だ。秀」
「何が」
「何がじゃない」
「…………」
取り繕いようもない沈黙が再び流れる。
「秀ー、征士ー、大丈夫? まだ具合悪い?」
階下から2人を呼ぶ伸の声が聞こえる。
「悪い。今行くから」
慌てて伸に応え、秀がドアノブに手をかけた。
「秀」
「行こうぜ、征士」
「秀!」
「…………」
「秀、私はもう、あの頃の紅ではない。何故それほどこだわるんだ」
「…………!!」
秀の背中がビクリと反応した。さあっと顔が青ざめてくのまで解る。
征士はまるで睨みつけるように秀をじっと凝視していた。
「…………」
ゆっくりゆっくりと秀が振り返る。
「秀……」
「…………」
一歩、征士が秀に近づと、秀は何だか泣きそうな顔をして征士を見あげた。
「……ごめん……」
「何故あやまるのだ」
「…わかんねえ……」
「…………」
やはり泣きそうな顔をして、征士を見ていた秀は、やがてすっと征士の方に腕をのばした。
征士はじっと立ったまま秀を見つめている。
おずおずとのばされた秀の手が、遠慮がちに征士の髪の毛に触れた。
淡い黄金色ともいえる征士の髪の毛を一房握りしめ、秀はくしゃりと顔を歪める。
「…征士……」
握りしめた一房をそっと離し、秀の手が征士の頬に触れる寸前で止まった。
触れそうで触れない微妙な位置で止まった秀の手は、結局それ以上征士に近づくことはなかった。

 

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