CROSSING (3)

「フレー! フレー! 赤組!!」
三三七拍子のリズムに乗って元気いっぱいの声が響き渡る。
体育館の隣の剣道場で竹刀を振っていた征士は、中に混じっている聞き覚えのある声にふと耳を傾けた。
人一倍よく通る大きな声。満面の笑みを浮かべて両手を振り上げている姿が、見えなくても容易に想像できて、おもわず征士はくすりと笑いを洩らした。
「よし、10分休憩。汗を拭いたら2人ひと組で打ち込みやるぞ」
「はいっ!」
剣道部主将の声に力強く返事を返し、征士はガラリと剣道場の側面の中庭へ通じる扉を開けた。
とたんにさあっと気持ちの良い風が道場内を吹き抜ける。
手にしたタオルで額の汗を拭い、征士は扉にもたれて中庭の方を窺った。
「あそこか」
思った通り、中庭の中央に腰まである長いはちまきを襷がけにした応援団の集団が見えた。
言うまでもなく、秀の参加している赤組応援団だ。
ドンっと腹の底に響くような大太鼓の響き。
後ろ手を組んで空を見あげる一際背の高い団長らしき少年が第一声を張り上げる。
「赤組のぉー勝利をー祈ってぇー!」
「フレー!フレー!赤組!」
耳に心地いい唱和。重なる声の中に聞こえる秀の元気な声。
「……今年はかなり活きのいいのが集まったみたいだな」
征士と同様に外の風に当たりに来た剣道部の先輩である鷹取が、にこにこと笑いながらそう言って征士のそばに腰を降ろした。
「そうですね」
鷹取の言葉に頷きながらも、征士の視線は相変わらず真っ直ぐに応援団の中のひとりの姿に注がれている。
しばらくじっとそんな征士を見あげていた鷹取は、少し意外そうな顔をしてくすりと笑った。
やがて、応援団のほうも一段落ついたのか、休憩時間に入ったらしく、皆が一斉に並んでいた列から離れ、思い思いの場所に腰を降ろしだした。
秀もそんな皆にまじって列から離れると、うーんと伸びをして気持ちよさそうに深呼吸する。
と、征士の視線に気付いたのか、ふと顔をあげて秀が剣道場を振り返った。
「あれ、征士!」
とたんに嬉しそうに秀の顔に笑顔が広がる。そして、そのまま秀はタタッと征士のもとへ駆け寄って来た。
「そっか、ここって剣道場だったんだよな。何、今休憩中か?」
「ああ」
征士がポンッと投げてよこしたタオルで額の汗を拭き、秀がニッと笑った。
「サンキュー。そうだ、征士、今日は何時まで稽古?」
「6時の予定だが」
「んじゃ、一緒に帰ろう。今日の夕食当番オレなんだけど、買いだしつき合ってくれよ」
「わかった」
嬉しそうに笑いながら秀は征士にタオルを返すと、軽く手を握ってガッツポーズをした。
「おっしゃ。じゃあ、あとちょっと頑張るか」
軽く手を振って秀は中庭に向かって駆け出す。
太陽のような明るい笑顔と、元気な声。
何処にいても、どんな時でも、秀の周りは空気が明るい気がする。
自然と表情をほころばせて中庭を見つめている征士を見て、鷹取が感心したように小さく口笛を吹いた。
「へえ……初めて見たよ。お前のそんな顔」
「……?」
「いやあ、お前でもそんな表情するんだな。意外というか、可愛いというか」
「……は?」
にやりと笑って立ち上がり、鷹取は征士の真っ正面に回り込むと、まじまじと顔を覗き込んだ。
「ほら、伊達っていつも無表情っていうか、感情の起伏が少ないっていうか、すましてるってわけじゃないんだろうけど、めったに笑わないじゃないか」
「そ、そうですか?」
「笑うとそんな表情になるんだな。初めて知った」
「せ、先輩……」
「さっきの奴、まるで太陽みたいな奴だな。いいもの見せてくれたこと、感謝しなきゃ」
なんと答えていいか解らず、征士は唖然として自分を見下ろす背の高い先輩の浅黒い顔を見あげた。
「他の奴らはどうか知らねえけど、オレは今のお前の方が好きだな。いつもそんな顔してろよ」
「……!?」
くしゃりと征士の髪を掻き回し、鷹取はそのまま剣道場の中へと戻っていった。
そろそろ10分間の休憩時間が終わる頃だ。
もう一度ふっと中庭にいる応援団の一団に目を向けた後、征士はゆっくりと扉を閉じた。

 

――――――「征士、秀ってもう起きてる?」
トントンと階段を降りてきた征士に気付き、伸がキッチンから顔を出した。
「秀の奴、今日から朝練があるとか言ってたくせに、まだ起きてこないんだよ。よかったらちょっと叩き起こしてくれない?」
「わかった。すぐ呼んでこよう」
柳生邸の中で、いつも一番に起きるのは、征士か伸である。
征士は剣道部の朝練の為、他の皆より一足先に家を出ることが多く、朝練がない日は素振りを欠かしたことがない。
伸は、皆の朝食作りの為、少し早めに起きていつもキッチンにこもっている。
体育祭が近づいてきて、色々と忙しくなりつつある日々ではあったが、それでも結局朝食作りを欠かさないのは、伸の真面目な性格の所以であろう。
「秀、起きろ。自分で選んだ応援団の早朝練習に遅れるなど言語道断だぞ」
申し訳程度に軽くノックをして、征士はガチャリと部屋の扉を開けた。
「……!!」
「おや、起きてはいたのか」
部屋に入ると、秀はちゃんと起きていて、何故かベッドの上で真っ青な顔をしてパクパクと口を開けたり閉じたりしていた。
「どう……したのだ。秀」
必死で何かを訴えようとしているのか、秀はすがるような目で征士を見あげている。
「おい、どうしたのだ。ちゃんとしゃべってくれないと解らないではないか」
「…………!!」
秀の口から掠れた呻き声がもれ、秀はついに手近にあったメモ帳をとりあげると、マジックペンで何かを走り書きした。
「…………?」
秀の手元を覗き込む征士の目が驚きに見開かれる。
「何? 声が、でない?」
ぶんぶんと大きく頷き、秀が自分の喉を指差した。
『昨日張り切りすぎて喉を痛めちまったみたいで、声が全然でないんだ』
「……あのなあ」
あまりのことに呆れて、征士は頭を抱えた。
『んでさ、喉もめちゃくちゃ痛いんだけど、背中と腰も痛くてさ。寒気もするんだ。なんでだろ』
「……寒気?」
頭を抱えていた手を離し、征士はじっと秀の顔を覗き込んだ。
少し顔が赤い気がする。目も充血しているようだ。
「お前、それは喉を痛めたのではなく、風邪をひいたのではないか?」
「……!?」
そんな事は考えてもみなかったと、秀は驚いて目を見開いた。
確かに歩く健康優良児である秀が風邪をひくなど、あまり考えられない事ではある。
だが、事実。目の前にいる秀は、確かに体調の悪そうな顔色をしていた。
『なあ、征士』
メモ帳に走り書きをして、秀が征士を見あげた。
『風邪ってことは、今日の朝練……』
「行けるわけがないだろう。常識で考えろ。お前だけならともかく、他の応援団の者達に風邪をうつしたら大変な事になるではないか」
有無を言わさず征士はそう言った。
「……ちょっと待ってろ。今体温計を取ってくる」
かなり不機嫌そうな態度でそうつぶやき、征士は部屋を出ていった。
やがて、征士から事情を聞いて伸が二階へ上がってくる足音が聞こえる。
秀は小さくため息をついて、ベッドに寝転がったまま天井を見上げた。

 

――――――「37.6度。まあ、微熱だけど大事をとって今日は一日寝てな」
サイドテーブルの上にドンッと特製のはちみつジュースを置き、伸は秀から受け取った体温計のスイッチを切った。
「猪突猛進にも限度があるっていうか、体調壊すほど無理してどうするんだよ。君が体力あるのは認めるけど、自分の体調管理も出来ないっていうのは、心配を通り越して呆れるだけだね」
『…………』
ただでさえ伸の毒舌に対抗など出来るわけないのだが、声が出ないと言うのは、反論も何一つ出来ないということになる。
バツの悪そうな顔をして、秀は口をへの字に曲げた。
「まったく……」
呆れた表情のまま、伸は肩をすくめてみせる。
「じゃあ、僕は学校に行ってくるけど、本当、ちゃんと寝てるんだよ。風邪は引きはじめにちゃんと休んでおけば酷くなったりしないんだから。自分の体力を過信しないこと。いいね」
「…………」
大人しく秀は頷いた。
「よし」
満足そうに頷き返し、伸がにこりと笑う。
「喉に効く風邪薬、まだ残ってたんで置いておくね。あと、キッチンにご飯と味噌汁があるから食べられそうだったら食べて。いちおう今日の夜は消化にいいものがいいだろうから、うどんか何か作ってあげるよ」
「……!」
秀の顔に笑顔が広がった。
『何?久々に伸が夕飯作ってくれるのか?』
秀がメモ用紙に走り書きする。
「今日は特別。明日からはまた当番制に戻してよね」
呆れ顔でコツンと秀の額を指ではじき、伸は鞄を手に持った。
「伸、そろそろ行かなきゃ遅刻しちまうぞ」
頃合を見計らってか、当麻がひょこりと顔を出す。
「わかった。今行く」
「秀、今日はおとなしく寝てろよ。帰りに何か美味いもん買って帰ってきてやるよ。何か欲しいものあるか?」
当麻の言葉に秀がにこりと笑ってメモ用紙にマジックペンを走らせる。
『桃缶』
「了解。桃缶ね」
力強く頷いて、当麻は伸を促し、部屋を出ていった。
パタパタと階段を駆け下りる二人の足音を聞きながら秀は、伸が作ってくれたはちみつジュースを飲み、ほっと息をついた。

 

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