CROSSING (2)

「告知ポスター? それって新聞部が毎年作ってるんですか?」
実行委員の仕事用にと借りている生徒会室で、伸は書類の束から顔をあげると、そう言って実行委員会長を務める3年の先輩を見あげた。
「うん、その年によっては美術部や漫研部にも協力頼んだりするんだけど、大元の構成とかデザインとかは、当日のパンフレットとも連動させるんで、基本は新聞部に頼んでるんだ」
「へえ、そうなんですか」
新聞部、ということは遼もポスターやパンフレット作りに参加するのだろうか。
だとしたら楽しみだなあ、という考えが伸の頭をよぎる。
「ということでさ、悪いんだけど、毛利、この資料を新聞部まで届けてくれないかな」
そう言って、委員長は伸に大きな茶色い封筒を手渡した。
「これは?」
「当日のスケジュールとか、その他の決定事項、競技リストなどなど。まあ、言ってみればパンフレット作成の為の資料だよ。いつもこれを見て、おおまかな案を練ってもらって、それを見て再度僕等と最終打ち合わせをすることになるんだけど」
「なるほど」
「新聞部の部長は3年生の斉藤って奴で、そいつに渡してくれれば大丈夫。眼鏡をかけたインテリ風の男だから…」
「大丈夫、わかりますから」
くすくすと笑いながら伸がそう答えたので、委員長は意外そうに目を丸くした。
「わかる? 新聞部の部長と知り合いなのか?」
「実は新聞部に知り合いがいるんで、彼から噂を聞いたことがあるんですよ。写真も見せてもらったし」
「そういうことか」
納得してにこりと笑うと、委員長は、じゃあよろしくと言って伸を生徒会室から送り出した。
新聞部は校舎の2階にある現在は使用されていない資料室である。遼に話を聞いてはいたが、伸も実際に行くのは初めての場所だ。
部室の前に到着した伸は、少しだけ緊張しながらコンコンと軽くノックをして、扉を開けた。
「すいません。斉藤部長いらっしゃいますか?」
「あれ? 伸?」
ちょうど入り口付近にいた遼が、驚いて顔をあげた。
「どうしたんだ? こんなとこに」
「あ、遼」
にこりと遼に笑いかけ、伸は部室の中へ足を踏み入れた。
「ちょっと実行委員長から頼まれてね。資料を届けに来たんだけど、部長さんは?」
「ごめんなさい。部長、今ちょっと席を外してまして」
遼の隣にいた快活そうな少女が慌てて伸の元へ走り寄った。
「戻るまで時間かかるかも知れないんで、資料はお預かりしておきます」
「あ、じゃあ、頼んでもいいですか? これ、今度の体育祭のポスターとパンフレット用の資料なんですけど、これでおおまかな原案を考えて欲しいって」
「わかりました。伝えておきます」
そう言って資料を受け取ろうと手をのばした少女を見て、伸があっと小さく声をあげた。
「もしかして、如月さん?」
「え?」
少女が驚いて伸を見る。
「如月さん、だよね」
「え、ええ、そうですけど」
「ああ、ごめんね突然。あまりにも想像してたとおりだったんで、ビックリして」
「……伸!」
慌てて遼が二人の間に割って入った。
「何言い出すんだよ、急に」
「ごめんごめん。だって、遼がいつも可愛い可愛いって言ってたから、どれくらい可愛いのかなって思ってて。遼ったら、もったいぶって如月さんの写真だけ見せてくれないんだもん」
「伸!」
真っ赤になって遼は伸の言葉を遮った。
伸に悪気がないのはわかっているが、だからといって本人を目の前にしてそんな事を言われたら、後でどんな顔をして聖香と話せばいいのかわからなくなる。
「……遼君って、どんなふうに私のこと話してたんですか?」
慌てる遼とは正反対に、少しも物怖じしない様子で聖香は伸にそう聞いた。
「どんなって、うん、そうだね。とても素敵な人だって言ってたよ。写真のセンスも良いし、いつも的確なアドバイスをくれるからとても感謝してるって」
「へえ」
「伸っ、もういいから!」
ますます真っ赤になって遼は伸の口をふさいだ。
「本人目の前にして、恥ずかしいじゃないかっ」
「まあまあ。そんな照れないで」
余裕の笑みを見せて遼の手を引き剥がし、伸は小さく聖香に会釈した。
「そういえば、自己紹介もしてなかったね。はじめまして。僕は……」
「毛利先輩ですよね。知ってます。それにはじめましてじゃないですよ」
くすりと笑って聖香は肩をすくめた。
「あれ? いつ会ったっけ?」
「会ったってほどじゃないですけど。この前、先輩うちのクラスに来たでしょ。羽柴君にお弁当渡しに」
「……あっ!」
伸がポンッと手を打った。
「そっか、あの時、当麻の席どこかって聞いたの、あれ、如月さんだったんだ」
「ええ、そうです」
「まいったなあ。まったく何処で誰に会ってるかわかったもんじゃないね」
恥ずかしそうに頭を掻いて伸が笑った。
つられて、聖香も微笑み返す。
伸は改めて聖香に体育祭用の資料を手渡し、じゃあ、お願いしますと言って新聞部の部室を出ていった。
「……毛利先輩こそ、想像してたとおりの人じゃない」
伸が去っていった扉を見つめながら、聖香がほつりと言った。
チラリと聖香を見た後、遼も伸がさっきまで居た場所に目を移す。
毎日家で会っているはずなのに、こうやって学校で会う伸はいつもと少し違う雰囲気がする。
それは、聖香達が伸のことを先輩と呼ぶせいなのだろうか。
「あ、そうだ、遼君。こっちの作業、先に手伝ってくれる?」
伸から受け取った資料を作業台の上に置き、聖香は奥の棚から大きな四角い箱を持ってくると、遼の目の前にトンと置いた。
「いいけど、何?」
「これ、去年の体育祭の時の写真なんだけど、ついでだから毛利先輩が持ってきた資料と一緒に部長に渡したほうがいいかなあって思って。写真をたくさん入れてパンフレット作りたいって、この間、部長が言ってたから、使えそうなの仕分けしておいたら助かるでしょ」
「なるほどね」
細かいところによく気がつくというか、機転が利くというか、やはり女の子っていうのは尊敬に値するんだなあ等と、感心しながら、遼は聖香が置いた箱に入っていた大量の写真を取りだした。
写真は、開会式の挨拶風景から、選手宣誓。各競技のゴールの瞬間。応援合戦等々。
「結構あるね」
「これ、今年は私達が撮るんだよね。頑張らなきゃ」
「ホントだ」
まず、多少ぶれてしまっていたり、明らかにミスショットとわかるものを除外し、次いで、同じような連続ショットがあれば、中で一番写りのいいものを抜き出す。
目を引くアングルのものや、ゴールした瞬間の良い表情を捉えたものは、もちろん採用候補として、別に分けておく。
遼は1枚1枚丁寧に写真を見くらべながら、仕分けしていった。
100m走。障害物リレー。鼓笛隊の行進。組み体操。
たくさんの写真の中には、いつも見慣れていた先輩達の1年前の幼い顔が写っている。
「あれ? これ、部長かしら」
眼鏡をかけた細身の少年が写っている写真を聖香が遼に手渡した。
「そう…かな? たぶん。でも、なんか印象が全然違う」
「本当」
今の部長はかなり背も高くインテリ風なのに対して、写真の中の少年は、ずいぶんと小柄で可愛らしくさえ見えた。
「可愛いなあ。よしっ、部長に渡す資料の一番上にこれ置いておこうか」
悪戯っぽく笑って、聖香は資料の入った封筒の上を指差した。
遼もうんうんと頷き、その写真を封筒の上に置く。
そして、写真の仕分けの続きをしようと作業台の上に目を落とした遼は、ふと無意識に一枚の写真を手に取っていた。
「……これ」
「何?」
遼が手に取った写真は、去年のスウェーデンリレーの写真だった。
「…毛利……先輩?」
「……うん」
写真の中には1年前の伸がいた。
1年前の伸は、今より少しだけ幼い顔で真っ直ぐ前を見つめている。
風になびく額のはちまき。バトンをもつ形のいい手。キリッと結んだ唇。大きくスライドさせた足。そして、今も変わらない澄んだ緑の瞳。
新緑の若葉を思い起こさせる緑の瞳。
「……それ、欲しかったら持って帰っていいわよ」
こそりと聖香が言った。
「え、でも……」
「その写真、去年一番売れたやつらしいんだけど、確かに綺麗に撮れてるわよね。ネガは残ってるんだし、1枚くらい持って帰っても問題ないんじゃない?」
「…………」
本当にいいんだろうかという表情をしながらも、遼は再び伸の写真に目を移し、そっと風になびく伸の髪を撫でた。
「本当、遼君って、思ってる事がすぐ顔にでるのね。見てて飽きない」
「……えっ?」
慌てて遼は写真から顔をあげ、聖香を見た。
聖香はもうそれ以上何も言わないまま、小さく肩をすくめると、再び写真の仕分け作業に没頭しだした。
少しだけ、胸が痛んだ。

 

――――――「どうした、如月。お前がこんな所にいるなんて珍しいんじゃないか?」
学校の屋上の隅に、普段は居ないはずの先客の姿を見つけ、当麻は驚いて足を止めた。
「ここんとこ昼休みはいつも新聞部の部室へ行ってるんじゃなかったのか?」
「今日はいいの。特に用事ないし。羽柴君こそ、どうしたのよ」
「オレはいつもここで昼食後の昼寝タイムとるんだよ」
そう言って当麻はストンと聖香の隣に腰を降ろした。
秋晴れの青い空。澄んだ空の中に点々と白い雲が浮かんでいる。
当麻がちらりと聖香を見ると、聖香は、そんな青空を見ようともせず、膝を抱えてうつむいていた。
一瞬どうしたものかと思案顔をした当麻は、さっと聖香の目の前に珈琲の紙パックを差しだした。
「飲むか?」
「いい。ありがと」
「もしかして、何かあった?」
「…………」
聖香はギュッと膝を抱える腕を引き寄せた。
「別に、何でもない。やっぱりそうなのかなあって思っただけだから。」
「そうなのかなあって何が……?」
「……なんでもない」
「…………」
じっとうつむく聖香を見て、当麻がぽつりと言った。
「もしかして、伸に会ったのか? 如月」
「……!?」
「いや、正確には伸に会ってる遼を見たって言った方がいいか」
「羽柴君?」
何とも言えない顔をして聖香はまじまじと当麻を見上げた。
「やっぱ、わかるよな。そうだよな。あいつすぐ顔に出るから。誰が見たってバレバレだよな」
ふーっとため息をついて、当麻がくしゃりと前髪を掻きあげた。
「素直なんだよな、ホント。自分の気持ちを隠す方法すら知らない程」
「知ってたの……?」
驚いたように聖香が聞いた。
「……あ、そうか。一緒に共同生活してるんだもんね。知っててもおかしくないか」
「まあな」
「…………」
「そう、知ってたさ。とっくの昔から」
「…………?」
「本人達が気付く前から、あいつらに出逢うずっと前から知ってたよ」
「えっ?」
「悪いな、如月」
くしゃりと顔を歪めて当麻は聖香に向き直った。
「オレ、本音言うと、あんたと遼の事聞いた時、ほっとしたんだ。もしかしたら、これで何かが変わるんじゃないかって。上手くいくんじゃないかって。でも、そう考えてるオレは、ものすごく卑怯者で、最悪に汚い奴なんだ」
よく意味が解らないと言った顔で、聖香は首をかしげた。
「ホント、悪いな。今のオレにはあんたを慰めてやることも、応援してやることも出来ない。オレにはそんな資格はないから」
「羽柴君?」
なんだか酷く苦しげに眉をひそめ、当麻は立ち上がった。
「たださ、オレはそんなふうに落ち込んでる如月は見たくないから、慰めを期待しないでいてくれるなら愚痴の聞き係くらいにはなれるよ。それがオレの精一杯」
そう言って、当麻はようやくふっと笑みを見せた。
「遼はさ、純粋なんだ。真っ直ぐで、誠実で、オレみたいな奴からしたら羨ましいと思うことすらおこがましいほど、真っ白な命を持ってる」
「…………」
「だから、これからも遼を頼むよ」
「……それって、友達として遼君と仲良くしろってこと?」
聖香の問いかけに当麻はおどけた様子で肩をすくめた。
「そう棘のあるツッコミすんなよ」
「そんなつもりじゃ……」
言いながらくすりと聖香は笑った。
「変なの。男の子同士の友情ってみんなそうなの? それとも貴方達が特別なの?」
「えっ?」
「まったく、そんなこと言われたら私、毛利先輩だけじゃなく、羽柴君にまでやきもち妬いちゃいそうよ」
その時、ちょうど昼休み終了のチャイムが聞こえ、聖香は立ち上がってスカートの埃をパンパンっと叩き落とした。
「とりあえず、何かあったら慰めてくれなくていいから愚痴聞いてね」
「あ、ああ」
「約束したからね」
そう言って聖香は校舎へ降りる扉を開けて、もう一度当麻を振り返った。
「ほら、行こう。授業始まっちゃうよ」
「ああ」
ふっと唇の端に笑みを浮かべ、当麻は聖香と並んで階段を駆け下りていった。

 

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