CROSSING (1)

「伸、伸、来月の体育祭、よろしくな♪ 頑張ろうぜ!」
口からご飯粒を飛ばしながら秀がそう言ってにっこりと伸に笑いかけた。
「体育祭? あ、そうか秀もC組だったんだよね」
ご飯のお代わりをよそってあげながら伸もにこりと微笑み返す。
「そうそう。オレ、応援団やることになったから、C組は気合い入れて応援してやるよ」
「それは嬉しいな。赤いはちまき襷がけにして長ラン着るの?」
「おうっ、その通り!」
胸をそらせて椅子の上に足をかけた秀を見あげ、征士が苦笑した。
「秀、お前はC組だけ応援する気なのか? 赤組はC組だけじゃないぞ。私と遼のA組は応援してくれないのか?」
「そうだよ、秀。オレ達も応援してくれよ。赤組仲間なんだから」
「もちろん応援するに決まってんだろ。安心しろよ。だがな、一番気合い入れるのはC組連合なの。なー♪」
「ねー♪」
声を合わせる秀と伸をみて、遼がチェッとすねた顔をする。
と、そんな4人の姿を睨みつけながら、当麻がぼそりとつぶやいた。
「なんか、オレだけ損してる気がするのは気のせいか?」
「へ?」
一瞬きょとんとした顔で当麻を見た後、遼がああそうかとポンっと手を打った。
「そっか、当麻ってD組だ」
「あ、そういえば……」
「何がそういえばだ。知っててわざと苛めてねえか、お前等」
更に不機嫌そうに口を尖らせ、当麻は椅子の背もたれにもたれかかって足を投げ出した。
「仕方ないだろ、当麻。君だけ白組になったのは何も僕等の所為じゃないんだから」
「そうそう。恨むのだったら入学した時にクラス分けをした先生方を恨むべきだぞ」
伸の言葉に乗って、征士までもが冷たい言葉を当麻に浴びせかける。
当麻はムスッと口を尖らせた。
「ちぇっ」
来月半ばに当麻達の通う高校で体育祭が催される。
そして、今年はA・C・E組が赤組チーム。B・D・F組が白組チームとなって争うということが先日の全校集会で発表された。
つまり、A組、C組にいる遼、征士、秀、伸は赤組。D組である当麻だけが白組という結果になってしまったのだ。
まあ、これはただの学校行事。文句を言っても仕方ない。腹を立てるなどどうかしている。
そんなことは当たり前なはずなのだが。
それでも、面白くないものは面白くないのだ。
すねた顔をしている当麻の前の皿に肉じゃがをよそってやりながら伸は宥めるように言った。
「そんなすねた顔しないの、当麻。だいたいいつもは僕だけ学年が違うからって独りになることが多かったんだから、たまにはその気分味わってみても罰は当たらないと思うぞ」
「んなもの味わいたくないよ。それにお前等が本気出したら赤組の勝利は決まったも同然じゃないか。やっぱ、オレだけ損してる」
「そんなことないってば。たしかD組って陸上部員多いんじゃなかったっけ? ほら、この間インターハイ行った陸上部の鬼部長って2年D組だよ」
「それは強敵じゃないか」
素直に伸に賛同して遼が頷いた。
「ってことは、最後のスウェーデンリレーはそいつがアンカーなのかな?」
「どうだろう。まだ決まってはいないみたいだけど」
全学年参加のスウェーデンリレー。それは毎年の体育祭の最後を飾る一番華やかな競技である。
1年生がトップ走者として100m走り、次いで2年生が200m、3年生が300m、アンカーは400m走ることになっており、アンカー走者は全学年の中のどの学年が走ってもかまわない。
しかも、これだけは他の競技と違って、赤組白組の対抗とは別の得点形式で、クラス対抗の競技となり、優勝クラスには豪華賞品のおまけつきという代物である。
「あのリレーの人選はホント毎年慎重に選出されるからね。去年も決まるまで相当時間がかかったはずだよ」
「とか言って、去年お前、アンカー走ってたじゃねえか」
「秀、箸で人を指すものではない。行儀がなっていないぞ」
食べかけの肉をつまんだまま秀が伸に向かって箸を突きだしたので、すかさず征士が隣から秀の頭を小突いた。
「痛ってえ。悪い悪い。でも、そうだろ、伸」
一応謝りながら、秀は悪びれもせずポイッと肉を口の中に放り込む。
「うん。去年は何度かみんなでタイム測定したんだけど、結局僕が一番平均して良いタイムだったみたいで、決まっちゃったんだよ。あの時は特に足の速い陸上部員とかいなかったし。だから結果は散々だったろう」
「どこが散々だよ。ビリでスタートしたくせに、伸、敵チームの奴3人ごぼう抜きしたろ。その所為でしばらく運動部からの勧誘がすごかったって先輩から訊いたぞ。オレ」
遼がジャガイモを頬張りながらそう言った。
「あの時は陸上部はもちろん、バスケ部やサッカー部まで毛利伸獲得に乗り出したって」
「あ、それ、オレも訊いた」
秀もうんうんと大きく頷く。
「今年も出るならかなり注目の的になるだろうってさ。陸上部にもひけを取らない毛利伸の華麗な走り、一見の価値有りって」
「何くだらないこと言ってるんだよ。それに僕、今年は走らないから」
「そうなのか?」
酷く残念そうに遼が表情を曇らせた。
「さすがに2年連続出場はないよ。それに僕、今年は実行委員になっちゃったから雑用が多くて必要最低限の競技にしか出ないつもり」
「…………えっ?」
一瞬嫌な予感に襲われて全員が顔をしかめた。
「……実行……委員?」
「そう」
「何やるんだ?」
「まだ正式決定じゃないけど出場選手の先導だよ。入場門に集合させて点呼とったり、各出場選手の管理全般」
几帳面な伸には似合いの仕事かもしれない。
だが、ということは、もしかして。
「あ、あのさ、伸」
「そうそう、だから、これから1ヶ月は打ち合わせとかで遅くなる日が多くなると思うんだ。そういう時は自分達で食事なんとかしてよね」
「………………」
やはりそうきたか。
なんとも言えない顔で伸を除いた4人はお互い顔を見合わせた。
「その、遅くなる確率ってどのくらい?」
恐る恐る遼が訊く。
「それはわからないよ。まだこの間最初の顔合わせがあったばかりだし。でもまあ、当日が近づいてきたらほとんど毎日時間取られるんじゃないかなあ。やることはいっぱいあるらしいから」
「それって死活問題だぞ、伸!」
おもわずテーブルをドンッと叩いて秀が叫んだ。
「何? 死活問題? 何が?」
「何がじゃない! これから1ヶ月もまともな食事が取れないなんて最悪だ。オレの神経ボロボロになっちまう」
「ボロボロになるような繊細な神経持ち合わせていないくせに何を言ってる」
ぴしゃりと秀に言い返して、伸は立ち上がった。
「だいたい僕はこの家のハウスキーパーじゃないんだから僕が食事の管理をしなきゃならないいわれはない。自分の事くらい自分で責任とれよ」
「んな事言ったってさー。お前以外の誰がまともに飯作れるって言うんだ。オレだって毎日中華ばっか作れねえぞ」
「だから普段から当番制にしようってずっと言ってたんじゃないか。良い機会だからこの1ヶ月の間に各自ある程度の料理くらいマスターしろ。でないと金輪際僕は君らの為に食事は作らないからね」
叩きつけるようにそう言って、伸は自分のお皿を脇にどけると、空いたスペースに数冊の本を積み上げた。
「じゃ、そういう事でよろしく。ごちそうさま」
脇にどけた自分の皿をトレイに乗せ、伸は洗い物を片づけようと、スタスタと居間を出ていった。
バタンと扉が閉じたと同時に皆が秀を睨みつける。
「怒らせてどうするんだよ、秀」
「まったくだ。あのような言い方をすれば、我々が伸に頼り切っているのだと、伸が負担に思って当たり前ではないか」
「負担も何も頼ってんのは事実だろうが、征士も」
当麻に痛いところをつつかれ、征士がぐっと言葉に詰まった。
「あーあ。にしてもこりゃマジで1ヶ月伸の手料理食えねえんだなあ」
秀が大袈裟に嘆いている横で、遼が先程伸がテーブルの上に積み上げていった本を手に取った。
「誰でも出来る簡単レシピ」
本のタイトルである。
「30分で食卓がレストランに」
積み上げられた本はどれも初心者向けの手軽に出来る料理のガイドブックだった。
普段の伸はこんなもの必要としないはずなので、これはわざわざ買ってきたのだろうか。自分達の為に。
「あ、これ見ろよ」
本をパラパラとめくっていた遼が、みんなの前にページを開いて見せた。
「すっげえ、何だよこれは」
中には細い緑の文字で伸のものらしいメモが大量に書き込まれている。
内容は計量スプーンの場所から粉の正しい量り方。材料の切り方の説明。注意点。料理用語の解説。
どれもこれも伸には必要のないもの。
自分達が料理をする際、少しでも困らないようにとの配慮であろう。
「これ、こんなにたくさん。めちゃくちゃ時間かかったろうに、あいつ」
「それだけ我々が伸に心配をかけていたという事か」
本を覗き込みながら秀と征士が同時につぶやく。
「…………伸!!」
バサリと本をテーブルに置き、遼が居間を飛び出した。
出ていく遼の背中を見送った残りの3人は、お互いに顔を見合わせて小さく頷きあった。
遼が廊下へ飛び出すと、ちょうど伸は洗い物を済ませてキッチンから出てきた所だったようで、息を切らせて駆け寄ってきた遼に、どうしたのかと驚いた顔を向けた。
「ど、どうしたの? 遼」
「伸、あの、オレ、ちゃんとやるから」
「……?」
「伸が安心して自分の仕事に打ち込めるよう頑張るから。伸の帰りが遅いときは夕食作って待ってる。片づけもする。迷惑かけたりしない。だから……」
「…………」
「だから、ごめんな」
必死で謝る遼を見て、伸は思わず表情をほころばせた。
実際、実行委員に決まった時点で、皆の反応など想像がついていた。だからこそ、料理本も用意したのだし、別に怒ってなどいなかったというのに。
「遼」
ふっと微笑んで伸は遼に歩み寄った。
「1ヶ月迷惑かけちゃうけど、こっちこそごめんね。遼も新聞部の活動で忙しい時は無理しちゃ駄目だよ。今度、遼が撮るんだろ、写真」
「あ、うん」
「じゃあ、遼も頑張んなきゃ」
「…………」
ふわりと微笑む伸が好きだ。
本当に、好きになる理由などいくらでもある。
例えば、ふとした仕草や表情にドキリと心臓が高鳴った時。
例えば、さりげない心遣いに胸が熱くなった時。
例えば……。
やはり自分はどうしようもなく伸が好きなんだと、そんな事を思いながら、遼は伸に向かって大きく頷き返した。

 

――――――「はい、珈琲」
いつもの習慣でなんとなくキッチンに顔を出してしまった伸の手にトンっとマグカップを手渡し、当麻がニッと笑った。
「え? 何、君がいれたの?」
「そう」
珍しいこともあるものだと、伸はまじまじと当麻を見上げる。
「せめて珈琲くらい上手くいれられるようにならなきゃ、お前に愛想つかされそうだしな」
「何だよ、それ」
「さっき、多分遼がオレ達の言いたいこと全部代弁してくれただろうからあえて繰り返す気はないけど、つまり、そういうことだよ」
「……ふうん」
全員分の珈琲を注ぎ終えた空の珈琲メーカーを洗いだした当麻の背中を眺めながら、伸はこくりと珈琲を飲む。
するとそれを待っていたように当麻が背中越しに伸の様子を窺った。
「どうだ?」
「なにが?」
「味だよ、味。いつも濃すぎるって言われるから調整してみたんだけどさ」
「ああ、そうだね。濃さはちょうどいいかな?」
「よっしゃ!」
小さくガッツポーズをして当麻がニッと笑った。
「ちょっとは進歩したってわけだ」
「どうかな? でも今日のはちょっと甘過ぎ」
にっこり笑って伸が言ったので、当麻はがっくりと肩を落とした。
「甘い?」
「うん」
「砂糖は、この間お前が入れてたのと同じだけ入れたんだけどな」
「この間は珈琲自体が濃かったんだから、それなりの量が必要だったけど、珈琲をうすくしたんなら砂糖ももう少し少なめが好みかな」
「……!!」
それは思いつかなかったと言わんばかりに当麻は目を見開いてポンッと手を打った。
「そっか…それは考えなかった」
「君さ、ホントにIQ高いの?」
呆れて言った伸の言葉に当麻がぷいっと横を向く。
いつもの偉そうな態度からは想像つかない子供じみた横顔に、伸はついに吹きだした。
こういう当麻は本当に年相応の子供に見える。そう、可愛いとさえ思ってしまう。
もちろんそんな事を口に出して言ったら、当麻が更にすねるだろうからと、伸はそれ以上なにも言わなかったが、ただ、くすくすと肩を震わせて笑い続けた。
なんだか、とても倖せな気分だった。

 

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