悪しき者達 (2)![]()
いくつか路地を曲がった所で、とうとう少年が足をもつれさせて派手に地面に倒れ込んだ。
「おい! 何やってんだ!」
「うるせえな。ちょっと足がすべっただけだよ」
やはり先程殴られ続けた後遺症なのだろう、苦しげな息をもらして少年は起きあがろうと身体を起こしかけたが、再びがくりと崩れ落ちる。
「……くそっ……」
唇を噛みしめ、少年は荒い息を吐いた。
「だらしねえな。ったく。もう、追手は来ねえみたいだからいいけどよ」
「……………」
先程の喧噪からかなり遠くまで走ってきたのか、男達が追ってくる足音は聞こえない。
まあ、あれだけ鞭で痛めつけたのだから、あの後立ち上がって追いかけてこれる奴がいたとは考えがたいが。
あたりの気配を探り、誰もいないのを確認して少年の方を振り返った亜門は、ギョッとして息を呑んだ。
少年のボロボロのズボンの先から赤い血が滴り落ちている。
「お前…怪我してんのか?どっか切ったのか?」
「……!!」
伸ばされた亜門の手をとっさに振り払い、少年が顔をあげた。
心なしか表情が引きつっている。
「……なんでもねえよ」
「なんでもねえって…血が……」
「なんでもねえって言ってんだろ。触んなよ、バカ」
「…………」
苦しげな息をもらしながら、少年が亜門から逃げるように壁ぎわに身体をずらした。
「…………?」
少年の動きと、青ざめた顔に不審気な目を向け、亜門はじっと血に染まったズボンを見つめた。
痛みに耐えるためか、少年はギリっと唇を噛んでいる。
「…………!」
「………?」
「なるほどね」
亜門がようやく納得したというようににやりと笑った。
「そう言うことか。やっとわかったよ」
「……何が…」
「公衆便所の意味」
「………!!!」
少年の頬がかっと赤くなった。
「さっき、お前を殴りつけてた奴らが言ってたろう、お前の事、公衆便所ってさ。何かと思ったけど、やっぱりそういうことなんだろ」
「……………」
唇を噛みしめて少年はうつむき、亜門と目をあわせようとしなかった。
「まさか、そういうお仕事してるとはな。女に間違えられても文句言えた義理はねえんじゃねえか?」
「…………!!」
怒りに肩を震わせ、少年が鋭い目つきで亜門を睨み付けた。春を売る仕事。
男の身で、この少年はいったいいつからそんな事をしていたのだろう。
自分の身体を売って日々の糧を得る者。
そういう者がいることは知ってはいたが、実際に会うのは初めてだった。
小さくため息をつき、少年がくしゃりと前髪を掻き上げた。
何気ない仕草が、やけに艶っぽく見えるのは、やはりそういう仕事をしている所為だろうか。
「何見てんだよ。見せ物じゃねえぞ」
亜門の視線に気づき、少年が顔をあげた。
「……なあ、その血って……」
「まだ治りきってねえところに突っ込んだから、傷口が裂けたんだよ。いつもの事さ」
「さっきの連中は…」
「てめえに関係ねえだろ。人のことなんかほっとけよ」
壁に手をつき、少年がふらつく足取りで立ち上がった。
「何処行くんだ?そんな身体で」
「別に、どこでもいいだろ」
「………」
背を向けた少年の華奢な腕を掴み、ふいに亜門が少年を自分のほうへ抱き寄せた。
「なっ…何すんだてめえ…!!離せよ!」
亜門の腕の中で少年が身をよじった。
「離せって言ってんだろ、このげす野郎!」
暴れる身体を押さえつけ、亜門が小さく舌打ちした。
「お前、以前言ったよな。見返りもなしで助けてもらったなんて思うなって」
「………!?」
「せっかく助けてやったんだから、ちょっとくらい良い思いさせてくれよ」
「………!!」
一瞬、少年の目に恐怖の光が宿った。
「男相手っての、興味があるんだ。経験ないもんでね、そういうの」
「………!!!」
にやりと唇の端に冷笑を浮かべ、亜門は少年の腕を掴んだまま地面へと引きずり倒した。
「……痛っ……」
「どうせ公衆便所なんだろ、お前」
言いながら、亜門はすかさず少年の身体を組み敷いたまま上にのしかかった。
「ほら、股開けよ。お嬢ちゃん」
「………!!!」
暴れないよう、両手を捻りあげ、亜門は少年の首筋に軽く歯をたてる。
器用に服の中へ手をすべりこませると、少年の身体がビクンと反り返った。
「反応いいね。さすが」
亜門がにやりと笑うと少年の顔がさっと朱に染まる。
目尻に滲んだ涙がやけに淫猥で、亜門は無意識に舌で少年の涙を舐めた。
間近で見る少年の顔は、やはり少女のようで、亜門はそのまま、すっと顔を近づけ、少年の唇をふさいだ。
「………んっ…」
少年が小さく声をあげる。
柔らかい唇とまとわりつくような舌の感触。
ゆっくりと歯列をなぞり、きつく吸い上げると、少年の唇の端から唾液が銀の糸を引いた。
「……やっ…」
僅かに唇を離すと、少年の口から吐息が洩れる。
「柔らかいな、お前の舌」
「…………」
ちらりと亜門を見上げて、少年がふっと腕の力を抜いた。
「解ったよ。勝手に何でもしろ、げす野郎」
蔑むような目つきで、少年は吐き捨てるように亜門にそう言った。
「……………」
先程殴られ続けた後遺症と、ずっと続いている出血のため、もう、抵抗する気も失せたのか、少年は静かに瞳を閉じて深く息を吸い込んだ。
目を閉じると、少年の顔はぐっと幼く見える。
ふせられた長い睫毛の先に僅かに涙の滴が滲んでいた。
「……おい……?」
ふと、心配になって亜門は少しだけ少年の腕を握っていた力を緩めた。
「おい、気を失ってんのか?目、開けろよ」
亜門が軽く少年の頬を叩くと、少年はようやくうっすらと目を開けた。
「……………」
少年の蔑んだような視線が再び亜門へ向けられる。
とたんに亜門の胸がズキンと痛んだ。
「どうした、続きは?何もしねえで怖じ気づいたのか?」
低く少年が笑った。
痛みの為か、少年の額にうっすらと汗が滲んでいる。
亜門は掴んでいた腕を離し、少年の身体の上にのしかかった体勢のまま、じっと少年の瞳を覗き込んだ。
「な……何だよ……」
少年がとまどったように視線をそらせる。
細い腕。本気で握りしめたら折れてしまうのではないかと思うほどの細い腕に、赤い指の跡がくっきりと残っている。
それほどきつく握っていたのだろうか。自分は。
ふいに亜門は少年の身体の上から退くと、少年の腕をつかみ、抱き寄せた。
「……なっ!?」
ふわりと亜門の腕の中に倒れ込んだ少年の身体は思った通り軽くて柔らかくて、一瞬ぎゅっと抱きしめた後、亜門はすぐに少年を解放した。
「やめた」
「………?」
「半病人みたいな奴を犯っても面白くねえからな。次までの貸しにしとくよ」
「………!!」
唖然とした表情で少年が亜門を見上げた。
「続きは怪我が治ってからって言うことで」
「つ…続きなんかあるか!!バカ野郎!!!」
真っ赤になって少年が叫んだ。
「ほら、あんま怒鳴ると貧血でぶっ倒れるぜ」
言った先から少年の身体がぐらりと揺れる。
慌てて少年の身体を抱きかかえ、亜門は建物の壁にもたれて、地面に座り直した。
「ほらみろ。バカ」
「うるせえ。ちょっとよろけただけで、いちいちうざいんだよ」
そういいながら、少年はおとなしく亜門の肩に体重を預けてきた。
心身共に疲れ果てているのだろう。ぐったりとなった少年の身体を抱きかかえて亜門は小さくため息をついた。吐き気がする。
自分の身体を売ることでしか生きる術をもたない少年の生活も、それをいいように利用している奴らも。
ゴミ溜めのようなこの街も、何もかも。「……なあ……」
亜門の腕の中で、少年が顔をあげた。
「お前、なんでオレの名前、知ってたんだ?」
「………?」
「名前、呼んだろう。さっき、朱雀って」
「……………」
先程、確かに亜門は男達に囲まれている少年に向かって叫んだ。
“朱雀!!お前の鞭だ!受け取れ!!!”
「オレ、お前に名前教えてなかったよな」
「ああ。お前、本当に朱雀っていうんだ」
「………?」
にやりと亜門が笑った。
「勘だよ。なんかそう呼んだら気付いてくれそうな気がしたから」
「………は?」
目を丸くして朱雀が亜門を見上げた。
「オレ…さ。異端児なんだ」
「……………」
「普通にはない能力っていうのを持ってる。ほら、そういうやつ」
そう言って、亜門は朱雀の腰の鞭を指さした。
「瞬間移動っていうのかな。頭で念じるだけで、物を動かせるんだ。こう、ある場所からある場所へぱっと」
「……………」
信じられないといった顔で、朱雀は自分の腰の鞭をしげしげと眺めた。
「手を使わないで物持ち上げたり、相手の考えてることがなんとなく解ったり。まあ、心の中が読めるってほど器用じゃないし、力を使うとめちゃくちゃ疲れるんで滅多にやんないけどな」
「………すげえな……」
「すごい?」
「ああ、そんな力持ってたら、気に入らねえ奴らも楽に叩きのめせるじゃねえか」
亜門の腕から身体を離し、壁にもたれて朱雀がくすくすと笑った。
「気持ちいいだろうな。さっきの奴らの驚いた顔、傑作だったもんな。あれが自分の力でできたら気分いいよ」
「お前、変わってんな」
おもわず亜門がそう言った。
「普通は気味悪がるぞ。化け物って言って」
「…………」
ちらりと朱雀が亜門を見た。
「気味悪がってほしいのか?」
「……いや、そうじゃねえけど……」
「オレにとっちゃ、客として部屋に来るブタ共のほうが、数倍化け物に見える」
「……………」
「…痛っ……」
笑った所為でまた痛みがぶり返したのか、脂汗を浮かべながら、朱雀はそのまま地面に倒れ込んだ。
「おい……!」
「触るな。オレに」
おもわず手を伸ばした亜門に鋭い制止の声をかけ、朱雀はそのまま地面に仰向けに寝転がった。
「……………」
うすく瞳を閉じた朱雀は、貧血のためか酷い顔色をしている。
亜門はしばらくの間、伏せられた朱雀の長い睫毛を見つめていた。
「……オレの名前、亜門っていうんだ」
ぽつりと亜門が言うと、朱雀が目を開けてちらりと亜門を見上げた。
「亜門…?」
「正統ではない、悪しき門から産まれ出た子供っていう意味」
「……………」
「だから、オレはこの能力は、悪魔がオレに授けてくれた力なんだって思ってる」
「……………」
「オレにとっては母親も父親もオレを殺そうとした敵でしかない」
「…………?」
「オレ、実の母親をこの手で殺したんだ」
「……!?」
「5歳くらいの時かな…オレは産まれてきてはいけない子供だったから…母親がオレの首を絞めて殺そうとしたんだ。オレ、無我夢中で抵抗して、気が付いたら代わりに母親の方が死んでた」
「……なんで…オレにそんな話するんだ……?」
「……………」
「大体、なんでお前、オレを助けたんだよ」
「なんでだろうな……オレにも解らない」
「……………」
「ただ……」
「ただ?」
「……お前の名前を呼びたかった。頭ん中真っ白になるくらい、気を集中させて、お前のことを考えた。名前を呼んで、お前を……」
「………?」お前を救いたかった。
言葉にするとあまりにも陳腐なような気がして、亜門はそのまま口を閉じた。
――――――「やっぱりね……」
じめじめとかびの臭いのする薄汚いビルの一室を見回し、亜門は小さくため息をついた。
随分前に廃屋になったまま野ざらし状態だったこの建物は、ここ最近の亜門の寝床である。
割れた窓硝子がギシギシと耳障りな音を立てているのを聞きながら、亜門はそっと部屋の隅に丸められたままの毛布を手に取った。
昨日、結局そのまま気を失ってしまった朱雀を放っておくわけにもいかず、この部屋に運び込んだ亜門は、1枚しかない毛布で朱雀の身体を包み、寝かせてやった。
一度も目を覚まさないまま朝になっても朱雀は昏々と眠り続けていたので、亜門はちょっと水を汲みに部屋をでた。
帰ってくるまではほんの10分足らずだったろうに、帰ってきた時、部屋はもぬけのからだった。
「…………」
目は覚めていたのに、眠ったふりをしていたのか。
本当に自分が出ていった間に目を覚ましたのか。
見慣れていたはずのこの部屋が、なんだかガランといつにも増して冷たく感じ、亜門は苛ついた手つきで乱暴にくしゃくしゃになった毛布を抱え込んだ。
「………?」
毛布に微かな温もりが残っている。
「……暖かい……?」
小さな声で亜門がつぶやいた。
今まで、毛布が暖かいと感じたことなどなかった。
汚れきったガサガサの肌触りなんか最悪の毛布。
誰かが捨てていったのを拾って持ち帰った冬の日からずっと、いくらきつく毛布で身体をくるんでも寒さがなくなることはなかった。
少しも暖かくなどならなかった。
「……なんで……」
その時、何か柔らかな香りが亜門の鼻孔をくすぐった。
「……朱雀…?」
朱雀の残り香だった。
とたんに亜門の脳裏を夕べの朱雀の面影がよぎる。
痩せぎすの細い身体。折れそうな細い腕と、くせのある淡い髪の毛。少女めいた顔立ちに不似合いなほどのきつい眼差し。
気を張って、まわりすべてを敵と見なして、ボロボロになって生きている朱雀。
微かに朱雀の残り香が香るその毛布をきつく抱きしめて亜門は床に座り込んだ。
何故かズキンと胸が痛んだ。亜門の中に現れた小さな感情の波に、亜門はまだ気付いていなかった。