天晴れ (6)

日頃のみんなの行いが良かったのか、文化祭当日は気持ちの良い秋晴れの一日となった。
各教室で行われていた展示会も、視聴覚室で行われていた天文部のプラネタリウム等も大盛況だったが、やはり一番派手なのは体育館での出し物である。
そして、その中でも一番の注目株は、何と言っても井沢達サッカー部有志による「ロミオとジュリエット」の上演だった。
上演開始時間は、午後一番の13時半。昼食後の一番良い時間帯。
こんな時間帯がとれたのは、もちろん滝の姉である生徒会副会長の手腕によるものであろう。
早めに昼食を終え、体育館に集まってきたサッカー部員達は、みんなして、こそこそと舞台袖から顔をのぞかせ、客席の様子を窺っていた。
体育館中にぎっしりと並べられたパイプ椅子が埋まりだしたのは、開演30分前くらいから。
最初は誰も来ないのではないかというほど、人影はまばらだったが、なんと10分前になる頃には補助椅子を出してこなければならないほどの超満員となっていた。
「なかなかの入り具合だぞ。頑張れよ2人とも」
滝が舞台袖でにんまりと満足気に笑みを浮かべた。
「任せとけって」
一足先に衣装に着換え終えた井沢も、滝の隣からこそっと幕をめくって客席を見回す。
「よくもまあ、こんだけ集まったもんだな」
「まあな。前評判高かったし」
「……それってオレの写真のおかげか?」
客席を覗き込んでいた滝と井沢の後ろから、淡いピンクのドレスを着た来生が、井沢にのしかかるようにして客席を覗き込んだ。
「……来生!」
突然背中にかかった体重の重さより何より、鼻先をふわりとかすめた甘い匂いに驚いて井沢が振り返る。
「…………!?」
これは香水か何かだろうか。いや、そうじゃない。これは化粧のおしろいの匂いだ。
来生は、先日の衣装合わせの時より更に綺麗に着飾った姿でにっこりと笑っていた。
「おー!ベリービューティフル!テツ!」
滝がど下手な英語で歓声を上げ、来生に抱きついた。
「こんなに綺麗になって。お兄さんは嬉しいぞ!」
「誰がお兄さんだ。オレの方が3ヶ月年上だっての」
滝の抱擁を受け止めながら来生は呆れたように肩をすくめた。
「にしても、この間より更に手が込んでないか?」
井沢がまじまじと来生のドレス姿を眺めながら感心したようにつぶやいた。
わかっていた姿のはずなのに、それでもやはり息を呑んでしまう。
色白の来生の肌によく似合った淡い色のドレス。
決して派手すぎず、質素すぎず、袖口や裾を飾るレースも上品な印象を醸し出している。
薄くぬられた口紅と、長い睫毛を更に際立たせているマスカラ。
ふわりとウェーブがかかった栗色のウィッグは腰のあたりでくるくると巻き毛になっており、黙って立っていれば、来生は本当に何処か別世界のお嬢様か妖精のようだった。
「本当に女の子みたいだよな」
そばにいた高杉までも、普段と違う来生の姿に少々戸惑っているようだ。
「女子連中がさ、この際だからって、凝りに凝ってくれたようで。抵抗する間もなくって感じ?」
首をかしげる仕草まで、なんだか可愛らしく見える。
衣装と化粧の魔力ってのは恐ろしいものだ。などと感心しつつ、井沢は眩しそうに目を細めた。
「ん。まあまあってとこだな。なんとか貴族のお嬢様には見えるよ」
「何がまあまあだ。素直に綺麗すぎて驚いたって言ってみろ」
「誰が言うか、んなこと」
綺麗で可愛らしくて。
初めて逢った時は、きっと恋をしていた。
悔しいけれど、翼が言った「初恋」は間違いではなかったらしい。
でも。今は。
恋とは少し違う感情が自分の中で芽生えている。
それは友情なのか、どうなのか。
ただ、井沢の中で来生を表現するのに一番近い言葉は、ただひとつ。
「行くぞ。相棒」
「了解」
井沢と来生がお互い顔を見合わせて親指を突き出した時、開演を知らせるブザーの音が体育館中に鳴り響いた。

 

――――――ウィリアム・シェイクスピア原作の有名作品。
『ロミオとジュリエット』
宿敵同士と呼ばれるほど仲の悪い名家の息子と娘であったロミオとジュリエットは、ふとしたことがきっかけで知り合い、一目で恋に落ちてしまう。
2人は、親に内緒で教会へ行き、神父様に頼んでひっそりと結婚式をあげる。
愛し愛され倖せの絶頂だった2人。
しかし、倖せだったのはほんの数日間。
ロミオはジュリエットの従兄弟であるティボルトを誤って殺してしまい、街を追放される身となってしまう。
残されたジュリエットには親の決めた結婚話がもちあがり、嫌がるジュリエットは毒薬を飲んで自害してしまう。
しかし、そのジュリエットの自殺は実は巧妙な作戦であり、毒薬を飲んだと見せかけて仮死状態になったジュリエットは、数日後に目覚めることとなっていた。
そして駆けつけてきたロミオと共に街を後にするという算段。
ところが、どういった神様のいたずらなのか、ロミオはジュリエットが本当に亡くなってしまったのだという噂を信じ、仮死状態のジュリエットの前で自害して果ててしまう。
目覚めたジュリエットは目の前に横たわるロミオの死体を見て、そのまま剣を胸に突き立て、自害する。
愛し合う2人の哀しい哀しい恋の物語。
それがこの「ロミオとジュリエット」の話である。

 

――――――大きなミスもなく、舞台は滞りなく進んでいった。
滝の姉の希望通り、凝りに凝った井沢の王子様スタイルもなかなか板についており、相対する来生と並ぶと、美しい外国人形のようである。
出逢い。結婚式。ティボルトとの決闘。ロミオの追放。ジュリエットの狂言自殺。
順調に芝居は進み、残るはラストシーンのみとなった。
ジュリエットの死の知らせを聞いて、モンタギュー家の納骨堂へとやってきた井沢扮するロミオは、息を切らせて、眠るジュリエットの棺のもとへと駆け寄った。
青白い照明の中で目を閉じている来生は、本当に死んでしまっているかのように儚げに見える。
愛しいジュリエット。
いつもの笑顔は欠片もない死顔。
これは芝居だというのに、なんだか井沢は本当に哀しくなった。
「……愛しいジュリエット。本当に貴女は死んでしまっているのか?」
口からでる台詞が微かに震えているのがわかる。
目を開けて欲しい。
何故だろう。切実にそう思った。
服の中には毒薬の小瓶。あとは、この毒薬を口に含み、倒れれば自分の芝居が終わる。
それなのに井沢は小瓶を取り出そうとせず、じっと眠る来生を見下ろしていた。
あまりにも長い間動き出そうとしない井沢の様子に、舞台脇で滝が不審気な目を向けた。
「…………どうしたんだ? 井沢の奴」
滝の隣で、翼も食い入るように舞台を見つめている。
「……オレは信じない。お前が死んだなんて」
やがて、ようやくぽつりと井沢がつぶやいた。
とたんに、滝の眉が寄せられる。
それもそのはず。井沢が言った台詞は台本にない台詞だったのだ。
「冗談もほどほどにしろよ。お前がこんな事で自殺するわけないだろう」
「…………」
眠っているはずの来生の眉がピクリと動いた。
「お前はいつも太陽のように明るくて、元気で。そんなお前がこんな暗い墓地にいるなんて似合わない」
「…………」
「此処はお前の居るべき場所じゃない。そうだろ」
「…………」
「ほら、目を覚ませよ。相棒」
「…………」
「忘れたのか? 初めて逢った時オレが言った言葉」
ゆっくりと来生が目を開いて井沢を見あげた。
「忘れるかよ。バーカ」
ザワリと体育館中にざわめきが走る。
さすがに有名なこの悲劇のラストシーンがどうなるのか知っている生徒も多かったのだろう。
いきなりの展開の違いに見ているみんなの表情に戸惑いが浮かんだ。
「オレの記憶力をなめるなってんだ」
「……テツ……」
「ずっと、守ってくれるんだろう。お前は、オレを」
言いながらガバッと棺の中から起きあがり、来生が井沢に抱きついた。
抱きとめた来生の身体からはふわりと良い匂いがする。優しくて甘い香りだ。
なんだか本物の女の子を抱きしめている気分になって、井沢はおもわずギュッと力を込めて来生の身体を抱きしめた。
とたんに体育館の一部から黄色い歓声があがる。
「…………!?」
一瞬身体を硬直させ、来生が井沢を見あげた。
「……なんだ? 今の」
「…………あれ、あねごのクラスの女子がかたまってる辺りだぞ」
井沢が小さな声でささやき返すと、来生は呆れたようにため息をついた。
「何か、やーなこと思い出した」
「オレも」
「つまり、これは何か? 妄想好きな女子連中に、いいネタを提供してやってるってことなのか?」
「かもしれない」
井沢の腕の中から来生がちらっと客席の方を盗み見る。
「あ、あっちには、オレ達のクラスの男連中がいるぞ」
「奴らも見に来たのか?」
「うん。オレの女装を笑ってやるって最初は言ってたんだけどさ」
「笑うどころか感心してんじゃねえか。今は」
「どうだか」
くすくすと笑う来生は冗談抜きで可愛かった。
ふと、出来心を起こして、井沢は来生の顎に手をかけて上を向かせた。
「…………?」
かなり至近距離で見つめ合う形になった2人の様子に、再び女子達の間から小さな嬌声がもれる。
「面白いなあ。みんなの反応」
小さな声で井沢がささやくと、来生は少し不機嫌そうに唇を尖らせた。
「何言ってる。これじゃ見せ物小屋のパンダじゃねえか」
「パンダねえ。じゃあ、パンダはパンダらしくもうちっと観客を楽しませてやるか」
「……?……何する気……・」
来生の言葉を遮るように、井沢がすっと顔を近づけた。
「………………!!」
突然の事に反応できなくて硬直しかけた来生の唇に井沢の唇が触れかける。
瞬間。
思った通り、今までとは比べ物にならないほどの大きな悲鳴が体育館中に響いた。
「…………!」
と、そのとたん、バッと示し合わせたように井沢と来生は同時に正面を向き、そろって客席に向かって特大のアカンベーをした。
「男相手にキスなんかできるかってんだ。バーカ!」
見事に2人同時に同じ台詞を吐くと、井沢と来生は手に手を取って舞台から客席へと飛び降り、そのまま体育館の中央を突っ切って外へと飛び出した。
「じゃ、あとはよろしく!」
ゲラゲラと腹を抱えて笑いだす男子生徒や、まだキャーキャーと嬌声をあげている女子生徒。おもわず席を立つ先生方でごった返す体育館。
そんな騒ぎをものともせず、2人は風のように体育館から走り去って行った。

 

――――――ドレスの裾をまくり上げ、あられもない格好のまま校舎内を走り抜け、井沢と来生はそのまま中庭へと駆け込んだ。
生徒のほとんどは体育館や視聴覚室等に集まっているためか、中庭には人っ子一人おらず、2人は安心したように顔をほころばせると、中庭の中央の芝生へと座り込んだ。
「あー、面白かった」
ドレスが汚れることなどおかまいなしに芝生の上に寝転がり、来生が笑い声をあげた。
「これでオレ達、かなり有名人になっちまったんじゃねえか?」
来生の隣に腰を降ろしながら、井沢も笑顔を浮かべる。
「ま、先生方にも目つけられちまっただろうけどな」
「げっ、次の風紀検査で何言われるかわかったもんじゃねえな。明日、速攻髪切ってこようっと」
「おや、勿体ない。女の子みたいで可愛いのに」
頬のあたりでくるくるとカールしている来生の巻き毛をつかみ、井沢がにやっと笑った。
「てめえ、いい加減にしねえと殴るぞ」
ムスッとして来生が井沢の手を叩き落とす。
「だいたいさっきのは何だ。一瞬マジかと思って硬直しちまったじゃねえか」
「マジなわけないだろ。オレだって大事なファーストキスをお前なんかにやる気はねえよ」
「それはこっちの台詞だ。オレは女装なんぞ趣味じゃねえんだし、ちゃんと女の子が好きなんだよ」
「オレだってそうだよ。第一、オレの好みは可愛くっておしとやかな子なんだ。まかり間違ってお前が女の子だったとしても、オレの守備範囲じゃないね」
「だから、それはこっちの台詞だって言ってんだろっっ!」
真っ赤になって怒っている来生は可愛い。これはドレスと化粧の所為だけではないだろう。
一瞬本気でキスしてやろうか等と考えたことを悟られないようにと、井沢はわざと憎まれ口をたたき続けた。
「あー、こんな所にいたんだ。2人とも」
ようやく翼達サッカー部の面々が中庭に駆けつけてきた。
「あっちの様子はどうだ?」
来生が身を乗りだして尋ねると、翼はいたずらっ子のように笑いながらグッと指を突きだした。
「最高に賑わってる。もう次の演目始めなきゃならないのにみんな静かにならなくてさ」
「やったね。大成功じゃん」
「そ、大成功!」
「まったく上手くやってくれたよな、お前等」
翼の後ろで呆れた声をあげる滝も、目は笑っている。
空は快晴。雲ひとつ無い真っ青な空を見あげ、井沢は眩しそうに手を太陽にかざした。
今年の文化祭は今までで一番面白いお祭りだった。
来生も同じ事を思っていたのか、井沢の隣で同じように空を見あげ、にっこりと笑った。

FIN.      

2003.2 脱稿 ・ 2003.10.18 改訂     

 

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