天晴れ (5)
ずっと稽古で使用していた視聴覚室は、明日の準備があるからと天文学部に追い出され、井沢達は最後の仕上げとして、本日、通し稽古を体育館の舞台を使って行っていた。
リハーサルを兼ねた稽古であったが、来生のたっての頼みで衣装はつけず終い。
なんでも本番で驚かせたいので、衣装を着た所は絶対見せたくないということらしい。ただし動きが解らないからと、代わりに薄布で作った巻きスカートをはいているのでやはり来生の姿は遠目には女の子のように見える。
大道具の出し入れをしながら、森崎が隣に居た石崎にこそっと耳打ちした。
「なんか最近の来生、とうとう吹っ切れたのかな? やけに積極的に見える」
「というか、自棄になってるだけじゃねえのか?」
ゲラゲラと笑いながら、そう言って石崎は森崎を肘で小突いた。
「ところでさ、森崎、お前あいつの衣装合わせん時の写真見たか?」
「ああ、見た見た。ビックリしたよ。本番まで隠しておきたい気持ちもわかるって」
「だよな。黙って立ってりゃ可愛い顔してんだな、あいつも」
「ごちゃごちゃうるさいぞ、黙って立ってても可愛くない石崎」
舞台中央から、来生は石崎に向かって手に持っていたボールペンを投げつけた。
「人が聞いてないと思ってくだらねえこと言ってんじゃねえ。ちゃんと聞こえてんだからな」
「こらこら、通し稽古してんだから途中で止めるな、テツ。最初からもっかいやらすぞ」
「げっ!」
滝に怒鳴られ、来生は慌てて定位置へと戻って行く。
本番を間近に控えて滝のスパルタ演出熱も更に加熱してきたようだが、当初に比べれば来生もそれに充分ついていけるだけ余裕が出てきたように見える。
軽口を叩きながらもなんとなく様になってきているように見えるのは気のせいではないだろう。
「最初はあんなに嫌がってたのに、今じゃ随分楽しそうだね、来生君」
脇で出番待ちをしていた井沢の元に翼がにこにこと笑いながら寄ってきた。
「結構気に入ってるのかな? あの役」
「役や女装はともかく、あいつは滝と一緒でお祭り少年だからな。みんなで騒ぐのとか大好きだし。いってみれば文化祭なんて学校を挙げての祭りだろ。そう考えたら気が楽になったんじゃないか?」
「ふーん」
やけに嬉しそうに翼が頷いた。
「いい感じ。いい感じ」
「これで部費の取り分増えるとか考えてんだろ、どうせお前は」
井沢が呆れて小さくため息をつくと、恐らくわざとだろうが、翼がきょとんと首をかしげた。
「部費?」
「オレはお前が破ったネットの修理代の為にやってるんじゃないからな。そこんとこ忘れるなよ」
「やだなあ、そんなこと思ってないってば」
ブンブンと首を振って翼が大袈裟に否定する。
「成功報酬として、2人には最高級のお好み焼きを奢ってあげようって相談までしてるんだよ。オレ達」
「……お好み焼きに最高級もくそもあるかってんだ」
ブスっと不機嫌そうに言い放ち、井沢は出番の為、立ちあがった。
「あ、でもさ、井沢君」
「ん?」
「きっかけはどうであれ、誰にもその役渡したくはないだろ、今では」
「……!?」
「頑張ってね。」
井沢は思わず立ち止まってまじまじと翼を見下ろした。
「翼……?」
「やっぱ、いいよね、幼なじみって。ずーっと一緒にいただけある。息もぴったりだし、他のコンビなんか想像つかないくらいはまってるし」
「…………」
そういえば、翼はこの南葛市に来るまではあまり友人もいなかったのだと言っていた。
だから、幼なじみと呼べる人間も存在しないのだと。
自分達が幼稚園児の頃からの付合いなのだとこの間話した時、やけに羨ましそうな表情をしていたのもそのせいだったのだろうか。
井沢は曖昧な笑みもらしながら、翼に言った。
「ま、今のところ、この腐れ縁を解消する気はないからな。オレもあいつも」
「うん。10年前の約束は未だに継続中ってわけだよね」
「……そうだな」
翼に言われるまでもない。
運命を信じるといったのは本心なのだから。
まるで兄弟のように育ってきたこの10年間はとても楽しかった。
そして、これからもきっと楽しいだろう。
あいつが隣にいる限り。ずっとずっと楽しいだろう。
井沢はふいに翼の目の前にしゃがみ込んでニッと笑いかけた。
「なあ、翼。オレにとっての幼なじみはあいつだけど、お前にだってちゃんと居るんだから、それはそれで、オレもお前を羨ましいって思ってんだぜ」
「オレの……?」
翼は今度は本気できょとんと首をかしげた。
「オレに幼なじみなんていないよ」
「幼なじみじゃないけど、ちゃんといるじゃないか。立派なパートナーが。ゴールデンコンビって呼ばれる」
「…………!」
翼が大きな目を更に大きく見開いた。
「い……井沢君?」
「全日本でもコンビ組むんだろ。いいなあ」
「…………」
「井沢! 何やってる。出番だぞ!」
出番を知らせる滝の声が聞こえ、井沢は慌てて再び立ちあがった。
「悪い! 今行く!」
小走りに来生の元へ駆け寄っていく井沢の背中を見ながら、翼は小さくため息をついた。
なるべく考えないようにしようと思っていたのに。
やっぱり忘れることは出来ない。
もう2年も会ってないのに、それでも向こうは自分を今でもパートナーだと思ってくれているのだろうか。
便りのないのは元気な証拠。そう言うにはあまりにも時間が経ち過ぎている。
「岬君……」
誰にも聞こえないくらい小さな声で翼はポツリとつぶやき、楽しそうに稽古を続けている仲間たちを見上げた。
――――――「いよいよ明日だな。本番」
文化祭前日。家への帰り道を歩きながら、滝がやけに感慨深そうに言った。
「色々大変だったろうが、明日で終わりだと思うと、寂しくないか?」
「ぜんっぜんそんな事ないね」
滝が言った言葉に井沢と来生は声をそろえてそう反撃しつつも楽しそうに笑い声をあげた。
「なんてね。結構面白かったとは思うけどな」
「まあな。化粧も女言葉も、最初は絶対ヤダって思ってたけどさ……」
「何? 今は女装が趣味になりそう?」
「そうじゃねえ!!」
ゴンっと力任せに滝の頭を殴りつけながら来生はわざと不機嫌そうに口を尖らせた。
「だいたい、てめえには一回言っておかなきゃと思ってたんだよ。人の写真を使って荒稼ぎしようなんざ恥ずかしいと思わないのか?」
「何を言ってる。見事な計画だと思ってるぞ。オレは」
「どこが見事な計画なんだよ」
「見事じゃねえか。お前等も仲直りして、部費も上乗せしてもらえて、小遣い稼ぎもできて、みんなにも喜んでもらえて。ほら、何が不満だ」
「……言いたい放題言いやがって……」
再びふるふると拳を震えさせだした来生を慌てて押さえ、井沢は誤魔化すように苦笑いを浮かべた。
「まあまあまあ。女装なんてバカ出来るのも今年が最後かも知れないんだから、そこんところはご愛嬌ってやつで」
「へっ、自分が格好良い王子様スタイルだからって、無責任な事言うなよ」
「格好良いって言っても、あんな派手な衣装、恥ずかしいのはお互い様」
「男役と女役では恥ずかしさの度合が違うんだよっ!」
「よく言うよ。結構気に入ってるくせに」
「なんだとー!」
相変わらず三人三様に憎まれ口の叩きあいであることに変わりはないのだが、それでも何故か3人はとても楽しそうだった。
そう。なんだかんだ言って、3人で色々と羽目をはずしたバカ騒ぎをするのはとても楽しいことなのだ。
サッカーから離れてここまでふざけたことを真剣にやったのも随分久しぶりだったような気がする。
満足気な笑みを浮かべて、滝は十字路を右へと曲がりながら二人に手を振った。
「んじゃあ、明日はよろしくな」
「おうっ!」
去っていく滝を見送って、二人は再び歩き出す。
「明日の本番、みんなを驚かせてやろうぜ」
来生がガッツポーズをしながらそう言ってにこりと笑みを浮かべる。
「ホント、お祭り少年だよなあ、お前って」
井沢が呆れて言うと、来生は肩をすくめて更にクスクスと笑った。
「やると決めたらとことんまでやる。それがオレの信条。お前だってそうだろ」
「オレは基本的に根が真面目だからな」
「よく言うぜ」
楽しそうに笑う来生の笑顔はやはりひまわりが咲いたような笑顔である。
一瞬眩しそうに顔をくしゃりと歪めて井沢はふと立ち止まった。
「なあ、テツ」
「ん?」
「今でも死にたくないって思ってるか?」
「……へ?」
きょとんとした目で来生が振りかえった。
「ほら、この間お前言ってたじゃないか。ラストシーンが気にいらねえって」
「あ、ああ。確かに言った」
「今でも同じように思ってるのか?」
「…………」
しばらくじっと井沢を見つめ返したあと、来生がほつりと言った。
「……だとしたら? 何か良い案でもあるのか?」
「案つーか。オレも自殺はしたくないなあと思って。ちょっと」
「…………」
「どうだ。乗るか? そるか?」
一瞬目を見開いて井沢を見た後、来生はニッと満面の笑みを浮かべた。
「……野暮なこと聞くんじゃねーよ」
「…………」
「どんな作戦だろうと、オレが乗らなかった事があったかってんだ」
「……確かに、ないな」
「だろう」
夕日の中に立つ来生は生命力に満ち溢れ、どう考えても釜を振り上げた死神に手渡すには惜しいように思える。
文化祭本番は、あと十数時間後に迫ってきていた。