天晴れ (4)

「あ、井沢君、ちょうど良いところに来たわね。ちょっとこっちに来てよ」
廊下でいきなり腕を掴まれ、井沢は演劇部の部室へと引っ張り込まれた。
「ちょ……ちょっと待てよ。オレ、今日は用事ないだろ」
「いいからいいから」
井沢達が文化祭で芝居を上演することに決定してから、演劇部と裁縫部の有志が衣装を作成してくれるということになり、井沢も何度か演劇部の部室に顔を出していたのだった。
だが、井沢の衣装は前年演劇部が使用したハムレットの衣装を手直しするだけだというので、さほど焦る必要もなく、井沢も彼女達にすっかりお任せ状態だったので、今日は特に用事はないはずであったのだ。
「何だよ、突然。オレの衣装はそんなに手直ししないから、まだ手をつけてないって言ってなかったか?」
「違う違う。見て欲しいのは、井沢君の衣装じゃなくって、こっちよ」
「…………?」
腕を掴まれたままズンズンと部室の奥の衣装スペースまで連れてこられ、井沢は不審気に周りを見回した。
かなり年代物なのではないかと思われるコートやドレスなどのかさばる衣装が壁際につるされ、現代劇をやる際に使用しているのだろう、スカートやズボン、小物やアクセサリーなどの入った衣装箱が脇に積み上げられている。
こうやって見ると、この学校の演劇部はなかなかしっかりした活動をしているのだろうということが感じられる。
文化系のクラブなどほとんど関わり合いのなかった井沢にしてみれば、こういった女子の多いクラブというだけで未知の領域であり、しかも演劇部の衣装スペースとなると、何だか女の子の匂いが充満しているようで、知らず井沢の頬が熱くなった。
「ねえ、どう? 出来たー?」
奥の扉に向かって演劇部員の女子が声をかけた。
「もうちょっと。今行くから」
扉の奥から返事が聞こえる。どうやら誰かの衣装合わせをやっているようだ。
「どんな感じ?」
「見てのお楽しみ。もう、すっごいから」
「…………すごい?」
意味が解らず井沢は首をかしげた。
たかだか衣装合わせの何がすごいんだろう。というか、誰の衣装を合わせているのか。
次の瞬間、そんな井沢の思考がぶっ飛んだ。
「じゃーん! 見てみて!」
「…………!?」
勢いよく開けられた扉の向こうに立っていた信じられないほどの美少女の姿に井沢が絶句した。
睫毛の長い大きな瞳。柔らかそうな栗色の髪。くるくると長い巻き毛が腰の辺りまで伸びているということはウィッグをつけているのだろう。色白の肌に淡い色のドレスがとても良く映えていて、何だか人間ですらないように見える。
これはいったい何処から紛れ込んだ妖精だろうか。
「ほら、やっぱり私の見立ては最高でしょ。井沢君が見とれて声も出ないんだもんね」
「…………!!」
女子部員の声にはっと我に返って井沢はもう一度まじまじと、その美少女、来生を見つめた。
「な……何言ってんだよ。今更来生が何着ようが見とれるわけないじゃないか。あんまり派手だったんで猿回しの猿かと思ってビックリしただけだよ」
「まあ」
なんということを言うのだと、目を丸くする女子部員達を尻目に井沢は部室を出ると、バタンと力一杯ドアを閉じた。
「……なんなんだ。いったい」
何故だろう。心臓がバクバクいってる。
遥か昔、10年前に感じたのとおなじ衝撃が井沢の身体を突き抜ける。
本当に、冗談抜きで女の子に見えた。あの来生が。
冗談抜きで、とてもとても可愛く見えた。
本当に。なんだと言うんだ。いったい。

 

――――――「ったくよー。助け船もださずに見捨てていくなよ。薄情者」
あの後、さんざん演劇部の女子部員達にもみくちゃにされたらしき来生は、ひどく疲れた顔をして視聴覚室に顔をだした。
「まったく不意打ちにも程がある。いきなり、衣装出来たから合わせてみてーって部室に連れ込まれて、おもちゃにされたんだぞ。オレは」
「おもちゃにねえ……。確かに、かなり凝ってたよな、あの衣装」
「だろ」
不満そうに口を尖らせ、来生は井沢の目の前の椅子に腰を降ろして頬杖をついた。
「胸と腰の辺りは苦しいわ、それにくらべて足下はすーすーするわで、気持ち悪いったらないよな。よく女ってあんなもの着て歩き回れると思うよ」
「……そうだな」
「…………」
あまり会話に乗ってこない井沢の態度に不審気な目を向けて来生が眉をひそめた。
「どした? 井沢」
「……ん?」
「なんか、ボーっとしてないか。お前。どした?」
「…………」
「……おい」
「……なっ、何でもないよ」
顔を覗き込んできた来生を避けるように立ち上がり、井沢がブンブンと首を振った。
「なんなんだ、いったい」
「……なんでもないって言ってんだろ。」
「わかったよ。変な奴」
井沢の態度をたいして気にしていないのか、来生はそのまま鼻歌を歌いながらパラパラと台本をめくりだした。
「にしても、すげえよな、こいつら」
「何が?」
台本の自分の台詞を指で辿りながら、そう来生がつぶやいたので、井沢は何のことかと首をかしげた。
「何がって、こいつら。この二人だよ」
「何、ロミオとジュリエットのことか?」
「そうそう。知ってるか?こいつらオレ達と同い年なんだぜ」
「えっ!?」
同い年。ということは中学2年。いや、あの時代のヨーロッパでの学校制度に中学はないだろうから中2という表現はおかしいかもしれないが。
それにしても、そんなに若かったのか。あの二人は。
井沢が驚いてあんぐりと口を開けていると、来生はそんな井沢の様子をおかしそうに笑いながら見ていた後、ふと真面目な顔になってぽつりともらした。
「なあ、井沢」
「ん?」
「オレ、死にたくないなあ」
「はぁ?」
何をまた突然わけのわからない事を口走るのだこいつはと思い、井沢が絶句していると、来生は真面目な顔のままそっと台本をめくり、ラストシーンの部分を指差した。
「ほら、ここ。オレさ、心中する奴とかの気が知れない。なんでそんなことしたいと思うんだろう」
「そ……そりゃ、好きな奴がいない世界で自分だけ生き残るのが嫌だとか、今生で結ばれないなら、来世に期待をかけてみようとか」
「お前、来世って信じるの?」
「いや……そう言われると……」
正直、井沢は来世も前世も信じてはいない。
信じてはいないのだが。
それでも。
「来世とかは信じないけど、運命なら信じるかな?」
おもわずそうつぶやいた井沢の言葉に来生は驚いて目を見開いた。
「運命? 何、それって、どういう意味だよ」
「あ、いや……それは……」
曖昧に頷いて、井沢は来生から台本をひったくった。
「たいした意味はないよ。別に……ただ……」
「ただ……?」
前世も来世も信じてない。
でも運命は信じたい。
二人が出会ったこの事実は偶然でもなんでもない、必然だと感じたい。
守ってやる。
そう思ったあの瞬間から、この出会いは必然であったのだと、そう思っていたかったのだ。
ただ、それだけ。
「ちょっと、あんたたちいつまで残ってる気なの? さっさと帰りなさいよ」
その時、ガラリと視聴覚室の扉を開けて、早苗が顔をだした。
「あ、あねご!?」
「まったく、下校時間過ぎてんのよ。何考え……あら、なんだ貴方達だったの?」
台本を広げて真面目な顔で向かい合っている井沢と来生を見て、早苗は驚いて入り口で足を止めた。
「何、やけに熱心ね。今日は衣装合わせで時間とることになったから、早めに切り上げたんじゃなかったの? いつからそんな積極的になったのよ。二人とも」
「いや、積極的ってほどでは……」
笑って誤魔化しながら、井沢は広げていた台本をパタリと閉じた。
「なんにしても本番は頑張ってね、二人とも。うちのクラスの女の子達、とっても楽しみにしてるらしいから」
「……は?」
思わず顔を見合わせて、二人は同時に首をかしげた。
「楽しみにって、何でまた」
はっきりいって、冗談でしかないであろうサッカー部有志による男だらけのシェークスピア劇。ちゃんとした演劇部の連中がやるならともかく、演出してる滝自身でさえ、笑いがとれれば文句は言わないとまで言いきった作品である。
そんな楽しみにしてもらうほどの出来になるわけはないだろうに。
「女の子ってビジュアル的に綺麗だと大歓迎らしいわ。さっき衣装合わせした時の来生君の写真、演劇部がばら撒いたら、かなり好評だったって」
「……写真を……ばら撒いた……?」
来生が真っ青になって頬を引きつらせた。
「意外に可愛いんだってすごい前評判。女の子ってそういうの好きなのよね、何故か。私はよくわからないんだけど」
「そういうの……?」
「ええ。来生君があんなに可愛いいんなら井沢君相手でもOKとかって言ってた」
「ちょっと待て。何がOKなんだ。意味がわらん」
「私もよくわからないんだけど、なんかそう言ってたのよ」
段々この先を聞くのが恐ろしくなって、井沢は大きくため息をついて口を閉じた。
井沢の態度をどう受け取ったのか、早苗はにっこりと笑って先を続ける。
「とにかく、そういうことだから頑張ってファンサービスしてよね。お2人さん。でないと写真の売れ行きに影響がでるからって」
「写真?」
何のことか解らずに、井沢と来生は再び同時に首をかしげた。
「なに、写真?今日の衣装合わせの写真って売りにだしてるのか?」
「いいえ、今日のは無料配布。本番の舞台写真なんかを売りに出すんだって、写真部が」
「…………」
「売上の30%もらえるように交渉したんだって、さっき滝君と翼君が言ってた」
「……って、おい」
「これで新しいボールが買えるねって喜んでたわよ。そうそう、余裕があったらゴールネットも補強したいらしいし」
「って、それ全部翼が自分でやったことじゃねえかっ!」
ゴールネットを突き破るようなシュート練習をしたのも、ボールをパンクさせたのもすべて翼の仕業であったはずだ。
あれだけ酷使していてよくボールは友達だなんて言えるもんだとからかったのはつい、先月あたりのことだったような。
「なんか、オレ達、滝だけじゃなく翼にまでいいように使われてるだけって気がしてきた」
「オレも」
がっくりと肩を落とし、2人は力なく頷きあった。

 

前へ  次へ