天晴れ (2)
「いい加減にしろ! テツ!! 真面目にやる気あんのか!?」
怒鳴り声と共に紙で作られた灰皿がぶんっと来生の顔面めがけて投げつけられた。
ひょいっと飛んできた灰皿を避け、来生がじろりと滝を睨む。
「これでも精一杯やってんだ。ムチャ言うな。大体、何でこんなもんわざわざ作ってんだよ」
避けた後ろに転がっていた紙製灰皿を拾い上げて、来生はポンッと滝の手に投げて返す。
「投げるためだけに灰皿わざわざ用意するなんて性格悪いぞ。しかも、なんで紙のお手製灰皿なんだよ」
「いいじゃねえか。紙にしたのは、ちゃんと怪我しないようにって気遣い以外の何物でもない。そういうオレの優しい心遣いをくみ取ってほしいな」
「くみ取れるか。んなもん」
「一回やってみたかったんだよ。怒って灰皿投げる演出家」
「はぁぁぁ?」
「ほら、昔芸能ニュースとかで見たことあんだよ。そういう怖い演出家。そうやってビシビシしごいて最高の作品を創り出す。なんか格好良いじゃないか」
「だから、そんな自己満足の実験台にオレを使うなって言ってんだ。まったく」
「だったら、もっと女の子らしくちゃんとジュリエットになってみろよ。そうしたら灰皿投げるのやめてやるよ」
「オレは男だ。んな器用なことできるかってんだ」
「まあまあ、そう言わずに。ビジュアルは申し分ないんだからさあ」
不機嫌そうに口を尖らせる来生の肩をポンポンと叩き、滝はくるりと井沢を振り返った。
「ほら、井沢もさぼってんなよ。次、ロミオとティボルトの決闘シーンやるからな」
「へいへい」
井沢も肩をすくめてやれやれと台本を手に立ち上がる。
ほんの数日前まで大喧嘩していた相手と、芝居の上とはいえ、恋を語らなくてはならない。
余計なことを考える間もなく時間が過ぎていき、気がつくと自然に相手と話をしている事に気付かされる。
もしかして、このことも計算にいれて滝は今回の計画を提案したのだろうか。
だとしたら、なんだかんだ言って、まんまと滝の計略にはめられた感がなきにしもあらずだったが、何故か井沢は嫌な気はしなかった。
芝居をすることに乗り気なわけではないのだが、相手が来生なら、それでもいいかなあ等と考えている自分がいる。
ロミオとジュリエット。
有名な恋物語。死んでしまう愛しい恋人。
いつも見慣れていた来生の顔がやけに可愛らしく思えるのは、役柄のせいだろうか。
それとも。
「冗談抜きで、これベストキャスティングかもな」
滝の横に立ち、森崎が周りに聞こえないようにと小さな声でポツリともらした。
「男同士ってだけで、ギャグにしかならないと思ってたのに。なんか面白いね。このバランス」
「だろう」
ニヤリと笑って滝が答えた。
「実際、充分ギャグなんだけどさ。たまーに井沢が真剣な目をするところが絶妙なんだよな。面白い面白い」
長年の付き合いというものは、やはりそうそう簡単に壊れない。
滝の狙いは見事に成功しそうな予感だった。
――――――「あれ? 来生君は?」
稽古場として使用している視聴覚室からいつの間にか姿を消していた来生の存在に気付き、翼が井沢のそばに駆け寄った。
「さぼりだろ。どうせ。鬼の居ぬ間になんとやら」
「なるほどね」
ここ最近、文化祭へむけて張り切っている自称スパルタ演出家である滝は、今、生徒会に呼ばれて席を外している。
生徒会副会長を務める姉へ、現在の進行状況の報告と本番の段取りの打ち合わせが必要だと言われたらしい。
オレがいなくてもちゃんと稽古しておけよと、きつく言われてはいたが、そんなもの忠実に守ろうという意志のある者は此処にはいない。
というか、主役の一人である来生が真っ先に姿を消してしまったので、稽古のしようがなかったといえばその通りなのだった。だが、来生に関しては、周りで見てて気の毒になる程しごかれまくっていたので、こういう時に消えたからといって誰も責める気は起こらないであろう。
「何処へ行ったのかな。来生君」
「屋上だよ。決まってる」
当たり前のように言い切った井沢を見て、翼が感心したように目を丸くした。
「さすが。何でもお見通しってわけなんだ」
「こんだけずっと一緒にいりゃ奴の行動パターンくらいわかるさ。何年付き合いがあると思ってるんだ」
「何年あるの?」
そういえば、きちんと聞いたことなかったなあ、などと考えながら翼は興味深そうに井沢の顔を覗き込んだ。
「初めて2人が会ったのって、幼稚園だっけ?どんな感じだったの?」
「どんなって…………」
言いながら一瞬井沢の頬が赤くなった。
『オレが守ってやるよ。ずっと』
あの時、一瞬何を言われたのかわからないといった表情をして来生は目を丸くしたのだ。確か。
もう、10年近く昔の懐かしい思い出。
井沢は懐かしそうに窓の外を流れる雲を見あげた。
――――――春爛漫の花の季節。明日から家のそばの幼稚園に通うことになった井沢は、いつもなら母親の手にひかれて行くはずの団地の中の小さな公園に初めて一人で遊びに行った。
幼稚園に通うということはひとつ大人になったということなのだ。
だから公園にくらい自分一人で遊びにいけるのだというささやかな自己主張。
井沢はお気に入りの砂場かブランコで遊ぼうと急ぎ足で公園の中へと駆け込んだ。
「あれ?」
と、井沢は戸惑った顔で立ち止まった。
目的のブランコの前には、井沢よりひとまわり大きそうな小学校低学年らしき少年と、可愛らしい巻き毛の女の子がいたのだ。
「うわぁ。誰だ、あれ」
井沢は思わず息を呑んでその女の子を見つめた。
透き通った硝子のような大きな茶色い目。髪の毛も淡い栗色で、肌も白い。一瞬外国の人形かと思うほどの可愛らしい容姿のその少女は、どうやら、目の前の少年と喧嘩をしているようだった。
「先に乗ってたのはこっちなのに、なんで譲らなきゃいけないんだよ」
少女は顔に似合わない乱暴な口調で年上の少年に食ってかかっている。
「いいからどけよ。オレもこのブランコで遊びたいんだよ」
「やだっ!」
「どけって言ってんだろ!」
「絶対やだっ!」
ギュッとブランコの鎖を握りしめて女の子は少年を睨みつけている。
「いい加減にどけよ!」
「やだって言ってんだろ!!」
「こいつ!!」
ついに少年が女の子の肩をドンッと突き飛ばした。派手な音をたてて女の子が地面に転ぶ。
「あっ!」
「素直にどいておけば怪我しなくてよかったのに。バカな奴」
ケラケラと笑いながら少年が言ったとたん、井沢は真っ直ぐ少年に向かって走り出し、その勢いのまま少年に体当たりした。
「うわぁ!」
何が起きたのかわからないまま、もつれ合うように少年は井沢と一緒に地面に倒れる。そして、更に運の悪いことに慌てて身を起こした少年の後頭部に、その時グラリと揺れたブランコが直撃した。
「つ……痛ぇ……」
転んだ痛みと頭にぶつかったブランコの板の痛みに少年が頭を抱えうずくまる。
まだ、グラグラと揺れているブランコの板の端をガシッと掴み、井沢は精一杯ドスの利いた声で少年に脅しをかけた。
「痛い思いすんのはそっちの方だ。諦めて大人しく帰れよ」
「なんだと」
「さっさと帰れ! でないとこのブランコでもう一回頭殴るぞ!」
「…………!!」
両手でブランコの板を抱え上げ井沢が叫ぶと、少年は慌てて後ずさりし、そのまま逃げるように公園を飛び出していった。
「へっ、ざまあみろってんだ」
走り去っていく少年に向かって思いっきりあかんべーをして井沢はようやくホット胸をなで下ろした。
「大丈夫だった?」
改めて見ると、やはり女の子はめちゃくちゃ可愛かった。
大きなくりっとした目をまん丸に見開き、地面に尻餅をついたまま自分を見あげている美少女。
遠目で見てもかなりのものだったが、近くで見ると、さらに少女の肌の白さと目の大きさが際立って見える。
こんな美少女に会ったの初めてだなあと、多少緊張しながら井沢はさっと女の子に向かって手を差しだした。
「ほら、大丈夫? 手つかまって。立てる?」
「あ……うん。大丈夫」
そう言って握り返してきた女の子の手は予想通り小さくて柔らかくて、なんだかとても気持ちよかった。
よっと、小さなかけ声と共に立ち上がり、パンパンと服についた泥を叩き落として女の子がにっこりと笑った。
ひまわりの花が咲いたような笑顔だった。
思わずポッと頬を染めて女の子を見つめていた井沢は、ふと少女の腕に視線を向けて小さく声をあげた。
「あっ! 腕、怪我してる」
「へ? どこ?」
「そこ、そこ」
転んだ拍子にすりむいたのか、肘の辺りが赤く剥けており、血が滲んでいる。
「ああ、大丈夫。こんなの舐めときゃ治るよ」
「駄目だよ!!」
大声で叫んだ井沢に女の子がきょとんとした視線を向けた。
「女の子は跡が残ると大変なんだってお母さんが言ってた。だから大事にしなさいって」
「お……女の子?」
「そうだよ。女の子は小さくって柔らかくって大切に扱わなきゃいけない宝物なんだって、妹の麻衣子が産まれた時、オレ、いっぱい聞かされた。だから……」
何とも言えない顔で少女は目をぱちくりと瞬かせた。
「だから……オレが守ってやるよ。ずっと」
「…………」
まじまじと井沢の事を見ていた少女は、突然呆れたように大きく肩を落とし、はぁーっと握りしめた拳に息をはきかけた。
「オレが……女の子?」
「…………?」
「てめえ、いったい何処に目ぇつけてんだー!!!」
叫びと共に少女のパンチが井沢の顔面に炸裂した。
「!?☆▽◎★△」
すってーんと勢いよく後ろに尻餅をついて井沢は唖然と女の子を見あげた。
何が起こったのか解らなかった。
ただ、頬がじんじんと熱くなってきて、ようやく井沢は自分がおもいっきり殴られたことに気付いた。
「頭おかしいんじゃねえか? オレは来生哲兵。正真正銘の男だよ」
井沢の目の前に仁王立ちになり、やけに偉そうな態度で来生はそう言った。
対する井沢はというと、言われた言葉を理解するのにかなりの時間が必要だったらしく、まだ唖然としたまま来生の女の子のような可愛らしい顔を見あげていた。
「男……?」
来生の顔を無意識に指差し、井沢がつぶやく。
大きな茶色い目。マッチ棒が乗るんじゃないかと思う程、睫毛もめちゃくちゃ長くって、髪の毛なんかパーマでもかけてるみたいにふわふわとウェーブがかかっていて。
そりゃ、着ている服はTシャツに短パンというおよそ可愛らしくない格好ではあったが。だが、それにしても。
「何だよ。信じられねえんなら証拠見せてやろうか?」
昼日中の公園でいきなりズボンのチャックを下ろそうとした来生の手を掴み、井沢が真っ赤になって叫んだ。
「わかった!! 信じるから!! 信じるから、何もするなぁぁぁ!!!」
焦りまくる井沢を見て、来生が声をあげて笑った。
やはりひまわりが咲いたような笑顔だった。