天晴れ (1)

「お前等なー。いい加減にしないと、マジ怒るぞ」
サッカー部部室の端と端に背を向けて座り、お互いに口をきこうとしない幼なじみの親友達を睨みつけ、滝は大きな大きなため息をついた。
「まったく、もー。だいたい何が原因で喧嘩してんだよ、お前等」
「忘れた」
「知るか。そんなもの」
滝の質問に2人同時に口を開く。
まったくいい加減にしてほしい。そう思いながら、滝はとりあえず手近にいた井沢の方の頭を片手で小突いた。
「原因忘れたなら、喧嘩してる理由はないんじゃないのか? え?」
「…………」
ムスッとした表情で井沢はちらりと滝を見あげる。
どうやら原因は何であれ、仲直りするのにこちらから折れてやることが嫌らしい。
小さく舌打ちをして井沢が足を組み替えると同時に、部室の端で来生も足を組み替えた。
背を向けあっているのだから、お互いの動きなど見えないはずなのに、まるで示し合わせたような動きである。
喧嘩しているわりには、こういう所でシンクロするという所がこの2人がこの2人である所以なんだろうなあ、等と不毛な事を思いながら、滝は再び大きなため息をついて天井を振り仰いだ。
「で、滝、とりあえず今日のミーティングはお終いなんだろ。なら、オレ帰るから」
ふくれっ面をしたままそう言って、来生は鞄を肩にかけて立ち上がった。
「おい、来生」
「じゃあな」
バタンとドアを開け、来生は滝の止めるのも聞かずに部室を出ていく。
そんな来生の背中をちらりと見送って、井沢もこれ見よがしに大きな音をたててロッカーの扉を閉じ、立ち上がった。
「オレも帰る」
「井沢〜」
「練習は終わったんだし、今日の反省ミーティングも終わった。用事はもうないだろ。ならいいじゃないか」
「そりゃそうだけどさ」
ブツブツと口の中で文句を言う滝を尻目に井沢もさっさと帰り支度をすませて部室を出ていった。
「いったどうしたんだよ。あいつ等」
緊迫した空気の原因が2人とも去ってくれたおかげで多少安堵の吐息をもらしながら森崎が滝に聞いた。
「知らねえ。いつものことだろ。どうせ明日になればころっと忘れて2人仲良く登校してくるのが落ちなんだよ。なんか毎度毎度仲裁するのがバカバカしくなってきたぜ」
井沢と滝と来生。
幼稚園の頃からの知り合いで、親同士も仲が良くって、ご近所さんで。
いわゆる腐れ縁という名の幼なじみ同士。
仲がいい分、喧嘩もする。大抵2人が喧嘩すると、残った1人が仲裁にはいる仕組みにはなっていたが、最近の傾向はいつも井沢と来生が喧嘩をして、滝が仲裁に入るのが常となっていたのだ。
「でさ、マジで滝も喧嘩の原因知らないのか?」
心配気に森崎が聞くと、滝は大げさに首を振ってみせた。
原因など、どうせ聞くだけ無駄な、取るに足りないことであるのは予想がつく。
小さく肩をすくめて、自分も帰り支度を始めようとロッカーに手をかけた滝の後ろから、突然翼がにっこりと微笑みかけた。
「オレ、知ってるよ。原因」
「…………?」
滝の動きが止まった。
「なんか、井沢君が楽しみに取って置いた焼きそばパン、来生君が知らずに食べちゃったんだって」
「…………はぁ?」
「あ、そういうのならオレも聞いた」
翼に触発されたのか、今度は高杉がユニフォームをたたみながら振り返った。
「来生ん所のお母さんが弁当のおかず作り忘れてて日の丸弁当しか持って来れなかった時、井沢がおかず分けてやるの嫌がったって。だから、焼きそばパンはその時のお返しだとか何だとか」
「そういえば、その所為で今日のパス練習の時、わざと顔狙ったとか怒ってた」
「だから背中に水ぶっかけたんだって」
「あれはスプリンクラーが壊れてたからだろ」
「いや、狙ってやったって聞いたぜ、オレ」
みんなの口から次々と出てくるくだらないエピソードの数々に滝はあんぐりと口を開けて目を剥いた。
「あいつら……本当に馬鹿か……?」
ふざけている。あまりにもふざけすぎてる。
いくら何でもそんなくだらない理由で部内の空気をかき乱すなど言語道断。
本当にいつもいつもいつもいつも、あの馬鹿者共は。
「……もう、怒った」
ふるふると拳を握りしめて滝がつぶやく。
「どうした? 滝」
「オレは、完全に怒ったぞー!!」
拳を震わせ、滝が絶叫した。
「絶対にあいつら2人、ぎゃふんと言わせてやる。覚えてろよ。こんちくしょう!」
「おい、滝?」
そのまま腕を組んでうろうろと部室内を歩き回っていた滝は、ふと何かを思いついたように立ち止まり窓の外を見た。
「…………」
ちょうどサッカー部部室の窓の外は校舎の渡り廊下が見える位置となっており、そこには全学年が見られるようにと色々な告知ポスターの類が貼ってある掲示板がある。
しばらくの間、じーっとその告知ポスターを見ていた滝は、やがてにやりと不敵な笑みを唇の端に浮かべた。
「…………滝?」
「そうだよ。それがいい」
「…………?」
「そうだそうだ。そうしたら一石二鳥じゃないか」
滝の独り言のようなつぶやきに部室に残っていたみんなが一斉に首をかしげた。
「何? どうしたんだ、滝?」
みんなを代表して高杉が滝の肩に手をかけると、滝はその手を振り払うようにくるりとみんなの方を向き直り、パンッと自分の拳を合わせ、力強い声で言い放った。
「いいこと思いついた。協力してくれ。みんな」
「いいよ」
どんな案か聞く前に、翼が先頭きって全開の笑顔を滝に向け、頷いた。

 

――――――「文化祭の出し物?」
次の日開かれたサッカー部の緊急ミーティンで井沢は思わず素っ頓狂な声を張り上げた。
「何で今更変更なんかするんだよ。この間、それは過去の試合のビデオを視聴覚室で流すってのに決まったばかりじゃないか。それにもうその案は生徒会に提出して許可もおりてるんだし」
「いいか、井沢」
議長を務める滝が鋭い声で井沢の言葉を制止した。
「お前さ、この学校に何人の生徒がいると思ってる?」
「……は?」
「そして、その中の何%がサッカーに興味を持ってると思ってる?」
「興味って……」
「まさに今、全国大会に行くんだー!! って時期なら学校側も色々応援してくれるだろうけど、あんなものはただの一過性のブームに過ぎない。今更過去の試合ビデオ流して誰が喜ぶんだ。オレ達はもっとエンターテイメントに徹するべきだと思わないか?」
「あのな、滝」
「運動部は体力勝負しかしないつまらない部だなんて思われたくないだろ。もっと他の部分で自分達をアピールしようぜっ」
「それが何の意味を持つっていうんだ」
「意味はあるさ。事実、先月の体育祭の仮装競争のおかげで、お前目当ての入部希望者が増えたじゃんか」
「………………」
なんというか。思い出したくない過去の汚点を見せられた感じで、井沢は言葉をなくして自信満々に演説をぶちかます滝を睨みつけた。
そう。先月行われた体育祭。
今年の生徒会はお祭り好きの者がそろっていた所為かどうか知らないが、それはかなり派手な体育祭となったのだ。
その中でも、一番みんなが面白がったのは、仮装競争。
ただ走るだけじゃつまらない。ということで、なんとその競技は名前の通り、仮装をしつつ走るという競技であった。
トラック1周走る間の各中継地点に置かれている衣装を次々と身につけながら走り続ける。
中にはどう考えても走るに適さない衣装があったり、着ぐるみを着せられたり。何を着せられるかは走るコースを選んだ者の運ひとつ。
その競技に出場して見事1位に輝いた井沢は、金ぴかの派手な鎧にマントを羽織ったまま、壇上で優勝者インタビューに答えさせられたのだ。
「そういえばあの時、なんでか知らないけど、やたらサッカー部の宣伝させられたんだよな。確か」
「あれは、大事な弟へのささやかな姉貴からのお礼だってさ。なんか、一回でいいからお前にああいう格好させてみたかったんだって」
「………………」
滝の姉は生徒会副会長である。で、その権限を生かして体育祭の出場競技を決定し、弟の協力によって井沢をその仮装競技へ駆り出したらしいのである。
「……で、つまり何? またあのハッスル姉ちゃんがお前に何か言ってきたのか?」
「ご名答」
うんうんと頷きながら、滝は壇上から井沢を見下ろした。
「今回の文化祭の実行委員も生徒会が兼任してるらしいんだけどさ。ちょっと問題が持ち上がっちまったみたいで」
「問題? どんな?」
「実はさ、体育館がまるまる1時間空いちまったって言うんだ」
「……へ?」
意味がわからず井沢がきょとんと目を丸くした。
「ほら、文化祭の時ってさ、毎年体育館の舞台使って演劇部とか、ブラスバンド部とかが発表するじゃない」
翼が横から割り込んできてにっこりと井沢に笑いかけた。
「今年は参加する部が少なくて舞台に空きが出来たんだって」
「へえ」
「しかも、文化祭の目玉である演劇部の発表が県大会と重なっちゃって上演不可能になっちゃったって」
「え、そうなのか?」
「うん。学校側も今更日程組み直すわけにいかなくて、かなり困ったみたいなんだけど」
「…………そ……それで?」
「おかげで、体育館での発表はコーラス部とブラスバンド部、英語研究会が寸劇をやるって言ってるけどどうなるか微妙だし。つまり、長時間時間をとれる文化祭の目玉がなくなっちゃったんだ」
「…………」
なんとなく話の方向が見えてきつつあるような気がして、井沢は警戒気味に滝の方に向き直った。
「でも、演劇部の不参加と、オレ達サッカー部と何の関係があるんだよ」
「そこなんだよ、井沢」
ビシッと指を差し、滝が言った。
「実はさ、うちの姉貴が、お前のあの鎧マント姿をえらく気に入っちまっててさ。お前なら舞台映えするし、何か出来ないかなあって演劇部に相談持ちかけたら、演劇部の部長が、それなら去年の衣装とか貸せるし、やる気あるなら台本も用意してくれるって」
「……へ?」
「井沢主役ならいいのがあるよって言って前にお蔵入りになてった台本出してきてくれたんだけどさ。ちょっと難しい作品だから文芸部に言って手直ししてもらうつもりなんだけど。一応話ししたら快く承諾してくれたし」
「ちょっと……待て」
「だからさ」
井沢の制止をものともせず、翼が滝の説明を引き継いだ形で更に言葉を続けた。
「井沢君と来生君は先に帰っちゃったから仕方ないなってことで、他のみんなで話し合った結果、全面的に協力しようってことになったんだ」
「……おい」
「で、急遽ビデオ上映会は中止にしてサッカー部有志による舞台公演に決定。題材はロミオとジュリエット」
「なっ……!?」
「去年演劇部が上演したハムレットの衣装がそのまま残ってるから、それを使い回し出来るし、ちょうどいいねって事で」
「去年の衣装って……あの白タイツ!?」
ハムレットもロミオも舞台は中世のヨーロッパ。豪華なドレスと真っ白タイツの世界である。
「他に放送部の人達や裁縫部の人達も協力してくれるっていうから、かなり大がかりな事が出来そうなんだ。ねっ、面白そうでしょ」
「お……面白そうって……翼、お前……」
「井沢君がロミオやるって言ったら、副会長さん飛び上がって喜んでくれたよ。それなら文句なしって。サッカー部の部費の件も善処してくれるって」
「部費って……それ、立派な裏取引じゃ……」
「ビデオ上映の為に取ってた視聴覚室の時間は、そのまま天文部がもらってくれて、今頃プラネタリウムの準備してるはずだよ」
「…………」
「すごいね。井沢君。舞台の主役だよ」
「ちょっと待て」
まだ話し続けようとする翼を片手で脇へと押し遣り、井沢はものすごい顔で滝を睨みつけた。
「滝、どういうことだ。これは」
「どうって?」
対する滝は余裕の笑みで井沢を壇上から見下ろしている。
これは、考えるに自分のバックには残りのサッカー部員全員の後押しがあると信用しての余裕だろう。
「滝、オレはそんなこと一度も了承した覚えはないぞ。勝手に決めるな。それにオレは芝居なんかした事ないんだから出来るわけないだろう」
「あるじゃん。芝居やったこと」
にやりと意地悪げな笑みを浮かべて来生が横から口を出した。
昨日の喧嘩はまだ解消していなかったらしい。
「いつだっけ? そうだ、幼稚園の時だ。ほらミノ虫のファちゃん役」
「あれはただのお遊戯会だ!! そんな事言うならお前だってこぶとりじいさんのスズメ役やったじゃねえか!」
「覚えてないね。そんなこと」
「なにぃ!?」
「まあまあまあ」
森崎が宥めるように2人の間に割って入った。
「悪いけど、そのスズメ役やった時の事、来生君にも思い出してもらわなくちゃならないんだから、頑張ってね」
「へ?」
いきなり自分に矛先を向けられて、来生は目を丸くした。
「何言ってんだ? 森崎」
「何って、当たり前じゃないか。まさか、ロミオとジュリエットのお芝居を井沢君の一人芝居にする気?」
「いや……そんなことは…………」
考えてませんでした。
何も。
ええ。
まったく。
「言ったろう。サッカー部で全面協力するって」
にっこり笑って翼が言った。
「来生君には麗しのジュリエットをお願いすることにしたから」
「ジュ……?」
「そう」
「ジュリ……エット……?」
「そう」
「ロミオの恋の相手……?」
「よく知ってるね」
「……っていうか、えっ?」
にこりと翼が笑う。
「えっ?」
「………………」
「えー!? $#★%▲◎##○!!!」
もう、言葉にすらならない程驚いて、来生は逃げるように机の上に飛び乗った。
「ちょっと待てちょっと待てちょっと待てー!! なんなんだよそれ! オレ、何にも聞いてないぞ!」
「当たり前だよ。お前と井沢は先に帰っちまったんだからな」
石崎がガハハハと大口を開けて笑った。
「いいじゃんか。全員一致で決まったんだから」
「何が全員一致だ! いない人間に押しつけただけじゃねえか! だいたい何でオレが女装しなくちゃなんねえんだよっ!」
「そんなの決まってる。お前が一番適役だからだ」
滝がビシリと言い放ったので、来生はグッと言葉に詰まって部室の皆を見回した。
「来生、お前、身長いくつだっけ?」
「…………・」
「この部内で一番低いよな」
「何言ってる。滝のほうが1cm低かったはずだろ」
「オレが女装なんかしてもギャグにしかなんねえだろ。もっとビジュアル考えろよ。バーカ」
「……バーカって……」
「背の低さ。色の白さ。目の大きさ。まつげの長さ。髪の柔らかさ。ほら、お前以上の適任者が何処にいるっていうんだ」
有無を言わさない滝の発言に、来生は一瞬助けを求めるような視線を井沢へと向け、はっとして目をそらせた。
「とにかく、これが台本。よく読んで覚えておけよ。ちゃんとやらなかったらサッカー部の存続問題にも関わってくるんだからな」
「なんだよそれ」
「知ってるだろ。各クラブの予算組むの生徒会なんだぜ。オレの姉貴が責任者なんだ。成功した場合の報酬はもちろんだけど、失敗した場合の報復も考えてるに決まってるじゃねえか」
「……お前等姉弟、絶対どっか間違ってるぞ」
「オレもそう思う」
もう、それ以上何を言っていいのか解らないまま、井沢と来生はにっこりと微笑む翼と滝を唖然として見つめていた。
文化祭当日まであと1ヶ月という時期であった。

 

目次へ  次へ