天の河越えて(2)

「当麻、遅かったな。何してたんだよ。もう半分食っちまったぜ」
「じゃ、残りのクッキーはすべてオレの胃袋に入れていいってことだな、秀」
「なんだよそれ。どういう意味だ」
「半分はオレの分だから残しておけって伸に伝言頼んだろ。聞いてないなんていうなよ」
そう言いながら、当麻は頬いっぱいにクッキーを頬張っている秀の手からクッキーの乗った大皿を取り上げた。
まだ充分に残っている伸のお手製クッキーは、チョコにアーモンドにセサミ。どれもこれも当麻の好物だ。
アーモンドクッキーを口の中に放り込み、当麻はにんまりと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ん。美味」
「こら、お行儀悪いなあ。ちゃんと座って食べなよ。だいたい、手はちゃんと洗ってきたの?」
「大丈夫。毒系統のものは何も触ってないから、害はないはず」
「そういう問題か、貴様」
征士が伸の隣で呆れた表情をする。遼はその隣からひょいっと手を伸ばし、新たなクッキーをひとつつまんだ。
言い訳を並べ立てながらも、食べることを止めようとしない当麻の態度に、伸は諦めたように立ち上がり、ゆっくりとポットから当麻の為の紅茶を注ぎだした。とたんに甘い紅茶の香りがふんわりと室内に充満しだす。
暖かくて、倖せで。
ふと、当麻が何気ないふうを装って、伸の方に身体を向けた。
「そうだ、伸、今さっきお前宛にメールが届いてたぞ。見に行ってこいよ」
「メール?」
伸が本気でキョトンとした顔をした。同時に遼が不思議そうに伸に尋ねる。
「伸、お前、誰かとメール交換なんてしてたっけ?」
「いや……別に……」
言いかけて、伸の表情がはっとなった。
「え? あ、もしかして、そうなの?」
「…………」
当麻は何も答えなかったが、伸は全てを察したようで、慌てて注ぎ終えた紅茶を当麻に手渡し、そのままの勢いで書斎へと消えていった。
「……今の……何?」
遼が今度は当麻の方に顔を向ける。明らかに不審気な目つきだ。
「メールって誰から?」
「誰からも何も、伸がメールアドレスを教える必要があった奴なんて、一人だけだ」
「…………!」
一番勘の鋭い秀がポンッと手を打った。
「ああ、そうか!!」
「え? 誰? 分かったのか? 秀!!」
「ああ、分かったよ。あいつだろ、当麻」
にやっと秀が笑って当麻を見た。当麻は嫌そうな顔で、秀を睨みつける。
「珍しいな、メールとは。電話とか手紙はたまに来るの見てたけど、最近はぱったり途絶えてたんじゃなかったっけ」
「……メールは初めてのはずだ」
「ふーん」
ここまでの流れで、ようやく当麻の言わんとしている人物が誰か分かった遼と征士は、複雑な表情でお互い顔を見合わせた。
「なあ、それって……」
「もしかして」
「もしかしなくても、正人だよ」
苦虫を噛み潰したような表情で当麻が答えた。
正人。伸の幼馴染み。今はイギリスに留学中。自分達の知らない昔の伸を知っている男。正人。
「……中身は見たのか?」
遠慮がちに征士が訊くと、当麻は小さく首を振った。
「人宛のメール盗み見るほど、暇じゃねえ……っつっても、たった一言だったんで、見えちまったのも事実だけどな」
「……そうか」
たとえそれがどんな言葉だとしても、読みたいはずはないだろう。
正人から伸に宛てた言葉など。当麻の心境から言って、見て、心穏やかでいられるはずもない。
「逢いたい……」
遼の言葉に、当麻がギクリと顔を強ばらせた。
「逢いたい……のかな」
「……え?」
秀が小さく首をかしげる。
「どういう事だ? 遼」
「いや、正人は伸に逢いたいのかなって……だから……」
だから。
そう言いながら遼は言葉を濁した。
『逢いたい』
まさに、その一言だけだったあの言葉は、逢いたくても逢えない正人の心情を表しているようで。
もう二度と逢えない、烈火の心を表しているようで。
当麻の脳裏を、正人の印象的な黒曜石の瞳がかすめて消えた。

 

――――――「あ、こんな所にいたんだ。伸」
そう言って、就寝前、二階のベランダで涼んでいた伸のもとに遼がやって来た。
「やっぱ、今の時期、夜は外の方が過ごしやすいなあ」
「うん、そうだね」
「何やってたんだ? 伸はこんな所で」
「天体観測」
くすりと笑い、伸は満天の星空を見上げた。
「此処ってやっぱり空気が澄んでるんだね。星が随分綺麗に見える」
「伸って星に詳しいんだっけ?」
「普通だと思うよ。有名なのしか知らないし」
伸の隣に腰を降ろし、遼は伸と同じように降るような星空を見上げた。
「なあ、あれが天の川?」
遼の指差した先には俗に言うミルクをこぼしたような、見事な星の集まっている流れがある。
「うん。ミルキーウェイ。天の川。あそこの中心に一際明るい星があるだろ。あれが白鳥座のデネブ。そこから斜め下に琴座のベガ。鷲座のアルタイルで……」
「知ってる。夏の大三角形」
「そう、それそれ」
顔を見合わせて笑いあい、遼は気持ちよさそうにうーんと伸びをした。
「あの白鳥座って別名ノーザンクロスっていうんだよな」
「そうだね。ちょうど十字架の形をしてるからノーザンクロス。あと、日本じゃ沖縄くらいでしか見られないけど、南半球にはサザンクロスもあるんだよ」
「何か、理科の授業受けてるみたいだ」
「ホントだね」
再び顔を見合わせてクスクス笑いあう。
ほうっとため息を洩らして、伸は眩しそうに天の川を見上げ、手をかざした。
「この調子じゃ今年の七夕は晴れるかな?」
「……そっか、、もうすぐ七夕なんだ」
遼もつられて、天の川を見上げる。天の川は本当に、ミルクをこぼしたようなという例えが見事に合っていると思えるほど、小さな星がたくさんたくさん集まって、白い流れに見えた。
「……晴れたら逢えるんだよね。織姫と彦星は」
感慨深げに伸がつぶやいた。
「あれ? 違う。曇りの方が逢えるんだっけ? 色んな説があるんで分からないや……」
おどけた調子に混じるのは、何故か羨ましそうな響き。
『逢いたい』
同時に2人の頭の中に同じ言葉が浮かんだ。
「なあ……伸」
「……ん?」
「正人……なんて?」
「……え?」
「あ、いや、違う。そうじゃなくて……えっと……幼なじみってどんななんだ?」
少し慌てた様子で、遼は先程の問いをうち消すように話題を変えた。
「オレ、幼なじみってのいないからさ……どんな感じなのかなあって」
「そうだね。どんなって言うのがいいのかなあ……」
懐かしげに伸はすっと目を細めた。
「僕の生まれた街、遼も一度来てるから分かるだろうけど、小さな海辺の街でね。小学校の1学年がだいたい3クラスずつあって、1年生から2年生へ上がるときはクラス替えがないっていう学校だったんだ」
「うん。それで?」
膝を抱え込みながら、遼は興味深げに伸の言葉に耳を傾ける。
「つまり、6年間で2回クラス替えがあったんだけど、僕達、僕と正人はその6年間ずっと同じクラスだったんだ」
「へぇ……」
「中学にあがってからも、さすがに1年生の時は隣のクラスに分かれたけど、2・3年は一緒。9年間の義務教育のうちの8年、僕達は同じ教室で同じ授業を受けてたんだ。なんか、そこまでくると、これは運命なんだよとか言ってみたりして」
くすりと伸が笑った。少しはにかんだようなその笑顔は、なんだかとても倖せそうに見えた。
「その所為でかな。高校も同じ所を受けるのが当たり前のような気がお互いにしていた。クラスも同じで、部活も同じバスケ部に所属してたし、本当に1日中一緒に行動してる時が多くて。だから、あの頃は考えもしなかったんだ。正人と離れる時がくるなんてこと……」
「…………」
「一緒にいるのが当たり前。顔を向けると必ず目が合うのが当たり前。バスケやってる時でも同じ。分かるんだよ。相手が何処にいて、何を待ってるか」
「じゃあ、コンビネーションもばっちりだったんだ」
「うん。誰よりも多くパスが通った。だってサインも合図も何もいらないんだから。僕達には」
サインも合図もいらない。本当の意味で心が通い合ってた相手。
遼は小さく小さく息を吐いた。
「なあ、メール……返事書いたのか?」
「…………」
とうとう遼は一番聞きたかったことを口に出した。
伸は少し驚いた顔をして、言葉を飲み込む。
「なあ……」
「返事は……書かないつもりなんだ」
「なんで!?」
律儀な伸らしくない回答に、遼は抱えていた膝から手を離して思わず伸に向き直った。
「なんで、返事……」
「もっと、逢いたくなるから」
そう言った伸の表情に魅入られたようになって、遼は再び言葉を失った。

 

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