悪夢 (2)

二階の奥から3つめの部屋。地獄の三丁目。
朱雀は悲鳴の聞こえた部屋の前で立ち止まり、ギリッと唇を噛んだ。
部屋の中からは未だに断続的な悲鳴が洩れている。
客の男が少年の衣服をはぎ取っているのか、布の裂ける音が耳障りに聞こえ、それに併せて届く少年の途切れ途切れの悲鳴とすすり泣き。
「必要なのは心じゃない。穴だけってか」
フッと笑いながら、朱雀はドアの横の壁に背をもたせかけた。
あの少年はもう二度ともとの自分には戻れない。
暖かな愛情は今この瞬間に切り裂かれて埃と一緒に宙を舞っているだろう。
衣服を裂かれ、血を流して、少年は何を思っているのだろう。
「………!!」
ふいに立て続けに起こっていた悲鳴が途切れる。相手の男が口をふさいだか少年が失神したかしたのだろうか。
くぐもった声と微かに聞こえる衣擦れの音。
再び聞こえ出す引きつったような少年の悲鳴。
「……チッ…」
無意識に指に歯をたて、朱雀は歯ぎしりをした。
ギシ…ギシ…ギシ…
やがて部屋の中からベッドの軋む音が聞こえだす。そして、それにあわせて少年の苦しげな呻き声が洩れてきた。
声がこもって聞こえるということはやはり布か何かで口を塞がれているのだろう。
途切れ途切れの声すら、だんだん小さく弱くなっていく。
もう、抵抗する気力も力もなく、きっと少年は虚ろな目をして天井を見あげているのだろう。あまりのショックと痛みで、まともな思考すら残っていないまま。
「…痛っ…!」
無意識のまま指の皮膚を噛みちぎってしまったようで、つーっと朱雀の人差し指から赤い血が滴り落ちた。
吐き気がする。
口の中に広がった血の味も、部屋の中から聞こえる喘ぎ声や呻き声も、空気に混じって微かに漂ってくる青臭い匂いも、何もかも。
吐き気がする。
あまりの気分の悪さに思わず朱雀が床へしゃがみ込んだとき、ことを終えた客がバンっとドアを蹴り開けて廊下へと姿を現した。
「………!?」
廊下にうずくまっている朱雀に気付き、客の男が意外そうに眉をひそめる。
「なんだ、お前。こんな所で何してるんだ」
「………………」
朱雀は何も答えずちらりと男の顔を見あげた。
かなりガタイのいい男だ。確かに、親父が言ったように男前の部類に入るだろう。
隆々とした筋肉は肉体労働者か。全身から男の匂いを充満させている所を見ると、体力も精力もかなりのものだろう。ということはアソコもかなりデカイと見た。
初めてでこんなデカブツを相手にしたとは運の悪い奴だ。
「なんだ、お前……そうか…」
ニヤリと男が笑った。
「こんな所で盗み聞きしてるとは、かなりの好き者だなお前」
男の言葉に心底軽蔑したような視線を返して朱雀は低く笑った。
「てめえみたいな変態野郎にそんなこと言われる筋合いはないね。何も知らないガキを手込めにして面白いのかよ」
「何だと?」
カッとなった男の平手打ちが朱雀の頬に飛んだ。
とっさに避けることも出来ず、朱雀の身体は軽々と吹っ飛び、壁に激突する。あまりの衝撃に呼吸困難に陥った朱雀の前髪をすかさず掴みあげ、男は更に2…3発朱雀の頬を張り倒した。
「…くっ…」
「お前こそ男がいなきゃ飯も食えねえくせして偉そうな事ぬかしてんじゃねえよ、公衆便所」
ぐいっと髪を引っ張り上げて朱雀の顔をまじまじと見つめたとたん、ふいに男がすっと目を細めた。
「ほう…これはなかなか」
「………!?」
「お前、かなりの上玉だな。男にしておくには惜しいぜ、ホント。このまま成長すりゃ、みんなが振り返る美人になるのによ」
「………!!」
ペッと男の顔に唾を吐きかけ朱雀が掴まれていた男の手を振り払った。
緊張感に背筋が寒くなる。
「………………」
すっと男の腕が朱雀の方へ伸ばされた時、ギシギシと床が軋む音と共に、宿の親父が二階へと姿を現した。
「困りますな、お客さん。あまり乱暴なことをされたら売り物にならなくなる。営業妨害ですよ」
「チッ…」
のばした手を引っ込めて、男は立ち上がった。
「こいつを買いたいんなら前もって言ってください。なんせ人気者だから予約が一杯つまってんですよ」
「わかった。また寄らせてもらう」
「お待ちしてます」
ぺこりと頭を下げた親父をチラリと見て、男はゆっくりと階段を降りていった。
親父は朱雀をじろりと睨みつけて靴の踵で朱雀の脇腹を蹴り上げる。
「まったく、自分の客でもない相手にまで色目使うな、このガキ!」
「………!!」
身体を九の字に折り曲げて廊下へ倒れ込んだ朱雀に冷たい視線を投げて、親父もさっさと階段を降りていった。
ひとり残された朱雀は、痛む腹を抱えてゆっくりと起きあがると、部屋のドアノブを回し、気付かれないように静かにドアを開けて部屋の中に身を潜り込ませる。
パタンっとドアを閉じて、やっと朱雀は詰めていた息を吐き出した。
「…………!?」
部屋の中はさっきまでの行為の所為でムッとするほどの熱気が残っており、朱雀は思わず顔をしかめた。
どれだけ時間がすぎても、何度同じ行為を繰り返しても、一向に慣れない嫌な空気。
荒い呼吸と汗の匂い。
バンっと手近にあった窓を全開にして空気を入れ換えると、朱雀は壁際に設えてあるベッドを見下ろした。
「………………」
少年はやはり呆然とした表情のままぼんやりとベッドに仰向けになったまま天井を見あげていた。
目の焦点が合っていないところを見ると、茫然自失の状態といったところだろう。
口に噛ませてあったシーツの切れ端をはずしてやり、朱雀は少年の細い身体を頭の先から足の先までゆっくりと目で追うように眺め回した。
朱雀に比べると少し浅黒い肌の色に赤みがかった金髪が妙に似合っている。
笑うときっと可愛いだろうに、うっすらと涙の滲んだ少年の目は何も映しておらず、口元は決して笑みを作ろうとはしていなかった。
シーツのあちこちには血が滲んでおり、少年が正気を保っていた間、どれだけ抵抗したかが窺い知れた。そして、その行為がどれだけ少年の心と身体をズタズタに引き裂いたかも容易に想像できた。
すっと手をのばし、朱雀は少年の太股に流れていた血を拭った。
赤い血に混じっていた白濁した精液が、指からつーっと糸を引いてシーツへと垂れて落ちる。
ぺろりと指についた血と精液を舐めると、やはり吐き気がこみあげてきた。
最悪な気分だった。

 

――――――ギィーっと建付の悪い扉がゆっくりと開かれる。
少年が朱雀のいる売春宿に連れてこられて2週間程たった時だった。
朱雀は具も入ってない水っぽいスープを手に、ゆっくりと少年のほうへ近づいたが、少年は顔も上げずにじっと膝を抱えて俯いていた。
「おい。せめてスープくらい食えよ」
少年は朱雀の言葉に僅かな反応も返さない。
少年は心を放棄したのだ。あの日からずっと。
あの日、無理矢理客を取らされて、散々に嬲られたあの時から、少年は物も食べずにじっと部屋の隅にうずくまったままだった。
「なあ、死んじまうぞ。お前。それとも、死にたいからそうやって何も食べずにいるのか?」
「………………」
やはり、少年は何も答えようとしない。
薄暗い部屋にはカビくさい臭いが充満していて、それだけで気分が悪くなってくる。
「ったく、とんだポンコツになっちまったもんだな」
いつの間に入ってきたのか、朱雀の後ろから顔を出して、宿の親父が少年をじろりと見下ろした。
「もうちょっとは稼がせてくれる玉だと思ったのに、とんだ見当違いだ」
「…………!!」
ピクリと朱雀の眉が跳ね上がった。
「これじゃ、大損だぜ、まったく」
「てめえ…!」
振り返って、朱雀は親父を睨みつけた。
「……誰の所為でこうなったと思ってるんだ!!」
「誰の所為だ?そんなものこいつ自身の所為に決まってるじゃないか。何、寝ぼけたこと言ってんだ、朱雀」
「……………!!」
「お前だって同じ目に遭ってる。他の奴だってそうだ。これに耐えられるか耐えられないかは、そいつ自身の問題だ。違うか?生きたいなら、どんな目にあっても這い上がってくるのが、本物の人間だ。なあ、弱虫さんよ」
そう言いながら、親父は足を振り上げ、ガッっと少年の顔を蹴飛ばした。
「………!!」
朱雀の手からスープの入った椀が滑り落ちる。
「いつまでも寝てられると思ったら大間違いなんだよ。ただ飯食わせてやれるほど、うちは優しい所じゃない。客が取れねえんだったら、この場で死んじまえ!」
「止めろ!!」
朱雀の止めるのも聞かず、親父は少年の胸ぐらを掴み、床へ引きずり倒した。
「何やってんだ!止めろよ!!」
したたかに床に叩きつけられながらも少年は、声を出そうとしない。
親父はチッと舌打ちを洩らして、少年の服に手をかけビリビリと引き裂いた。
「止めろって言ってんだろ!!」
必死の形相で朱雀は親父の腕にしがみついた。
「………!?」
意外そうに親父が朱雀を見下ろす。
同じように親父に拾われてここへ来た朱雀の境遇を考えると、朱雀がこの少年に同情しても確かにおかしくはないはずだったが、此処へ来てから、朱雀は特に特定の誰かと親しくなることも、誰か他の人間を気にかけるようなこともなかったはずだ。
どうして、よりによってこの少年にだけ、朱雀は反応を示すのだろう。
「なんだ、朱雀。お前、そんなにこいつを助けたいのか?」
「………!?」
ニヤリと笑って親父は朱雀のほうを振り返り、ものすごい力で朱雀の腕を掴んだ。
「だったら、お前がこいつの分も代わりに客を取るんだな」
「………!?」
そう言って親父は完全に少年には興味を失ったかのように朱雀に向き直り、今度は朱雀の腕を掴んだまま床へ引きずり倒した。
冷たい床に背中を打ち付けられ、朱雀が息を詰まらせる。親父は、すかさず片手で朱雀の唇を塞ぎ、もう一方の手で掴んだ腕を捻り上げた。
「………!!」
息が出来ない苦しさと、捻り上げられた腕の痛みに、朱雀の顔から血の気が引いた。
必死で身をよじると床から突き出た釘に服の裾が引っかかり、派手な音をたてて裂けた。すると、親父は満足そうな笑みを浮かべて、残りの朱雀の服を引きちぎり、ズボンを引きずり下ろした。
恐怖の為、朱雀の身体が竦み上がる。
親父は、舌なめずりをしながら、舐めるようにそんな朱雀の身体を眺め回した。
「相変わらずそそる身体してやがんな。ガキのくせに」
「…………!!」
露わにされた胸の突起に目をやり、親父が下卑た笑いを浮かべる。
「…や…やめ…」
片手で口を塞ぎ、あいたもう一方の手で腕を捻り上げ、朱雀の身体の上に馬乗りになると、親父は朱雀の首筋に顔を埋めた。
ビクンと朱雀の身体が跳ね返る。
少年は目の前で繰り広げられている光景を、目を見開いたまま、瞬きすることもできずに見つめていた。

 

――――――「おい、朱雀!」
名前を呼ばれて朱雀は条件反射のように亜門の首にしがみついた。
「お…おいっちょっと…!?」
ぎゅっと力を込めて朱雀は亜門の首に腕を絡ませる。その身体が僅かに震えていることに気付き、亜門はすっと眉をひそめた。
「おい、どうした。朱雀。珍しいな。何怯えてんだよ、お前」
「やめ…ろ…」
微かに朱雀はそう言っていた。
「……えっ?」
「もう…やめろよ…なんで…なんで……いつもいつも…」
「朱雀?」
「なんでそっとしておいてくれない……何で見せようとするんだ…」
「…………」
「見たくないのに……見せたくないのに……こんな世の中も…こんなオレも…」
「朱雀!……しっかりしろ!」
焦点の合わない目をしてガタガタと震え続ける朱雀を見て、亜門はおもむろにしがみついている朱雀の腕を引きはがし、パンッと朱雀の頬を打った。
「…………!!」
「らしくないぞ!……正気に戻れ!」
亜門はそう叫んで朱雀の肩を両手で掴んで激しく揺さぶった。何の抵抗もなく揺れる朱雀の顎を掴み、今度はさっきより強く頬を殴ってみる。
「さっさと正気になれ! 悪夢に連れていかれるぞ!」
「…………!!」
何度目かの衝撃で、ようやく朱雀の目にいつもの光が戻ってきた。
「…あ…亜門…?」
「よう」
ほっと息をついて亜門はようやく掴んでいた朱雀の身体を離した。
ゆっくりとあたりを見回し、額に滲んだ汗を拭いながら、朱雀が疲れたように大きく息を吐く。
真上に灼熱の太陽が覗いていた。

 

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