悪夢 (3)

うっすらと目を開けると、亜門の肩越しに眩しい太陽が見えた。
この位置に太陽があるということは、今は正午の時間帯だろうか。どうりで暑いはずだ。
そんな事を思いながら、朱雀は不快そうに顔を歪めてようやく身体を起こした。
背中がじっとりと濡れているのがわかる。かなり汗をかいていたのだろう。力無く頭を振ると、髪の毛の先からもポタリと雫が飛んだ。
「オレ、なんでこんな汗かいてんだ?」
「そりゃ暑い中日よけもなして眠り込んでたら汗くらいかくだろう。日射病で死にてえのか、てめえは」
「そっか…」
頭を抱えて朱雀はふーっとため息をついた。
頭がガンガンと痛む。暑さと太陽の熱にやられたのだろう。日に焼けた肌が熱をもって火ぶくれ寸前になっているようだ。
「お前は色が白い分、他の奴より熱に弱いんだ。自覚しろバカ」
「オレに説教すんな、偉そうに」
言いながら朱雀はじろりと亜門を睨みつけた。
「だいたい人の安眠を妨害する権利がお前にあるのか?勝手に叩き起こしやがって」
「何が安眠だ。すんげえ顔してうなされてたくせして」
「……………」
ムスッとなって朱雀は口を閉じた。
確かにどう贔屓目に見ても安眠とは呼べない代物だった。思い出したくもない昔のことを、あんなにはっきり夢に見るなんて。ただでさえ胸くその悪くなる記憶だというのに。
「くそっ…それもこれもあの名無しの所為だ」
先日、疾風の夢に触発されて、話す必要もない話を延々と蒼龍にしてしまった。
蒼龍は何も言わず、ただ黙って朱雀の語る昔話を聞いてくれた。
疾風に似ていたという、あの少年の話を。
だからといって、自分がまだあの頃の事を引きずっているなんて良い気分じゃない。
まったく。バカなことをしたもんだ。
自分の行動のあまりの滑稽さに朱雀は肩をすくめて低く笑いだした。
「どうした」
「何でもない。自分のバカさ加減に呆れてるだけだ」
忘れてしまえばどうってことのないはずなのに。どうしても忘れられない。
吐き気がするほどに鮮明に覚えている数々の出来事。
「あんなもの。忘れちまえばただの夢だ」
「朱雀。あれは夢じゃない。現実だろ」
朱雀のつぶやきにぽつりと亜門が答えた。
「亜門…?」
「あれは誰だ。あのガキ。名無しに似てた」
「………!」
羞恥の為か朱雀の頬がカッと熱くなった。
「………見た…のか?」
「少しだけな」
苦々しげに亜門はそう言って朱雀から視線をそらせた。
「お前はまるで赤ん坊だな」
独り言のように亜門が言う。
「言葉を知らない赤ん坊だ。苦しいのに苦しいという言葉を知らなくてそれを伝える術がわからない。哀しいのに、哀しいという言葉を知らなくて涙もでない。心が飢えて渇いているのに、水を飲む方法がわからないんだ」
「……………」
「朱雀、ちょっと歩けるか?」
突然亜門がそう言って立ち上がった。
「……?」
「ちょっと来いよ」
「何処へ行くんだよ」
「ついてくりゃわかる」
さっさと歩きだす亜門を見て、諦めたようにひとつため息をつくと、朱雀もようやく腰を上げた。
亜門は後をついてくる朱雀を気にするふうもなく、どんどん山の方へと歩き続ける。
いつも水を汲みに来る泉のそばを通り過ぎ、島の中央にある休火山のひとつが目前に迫った。
「おい、何処までいく気だよ。これでくだらねえとこ連れてったら、殴るぞ」
「ごちゃごちゃ言ってねえで黙ってついてこい。もう少しだから」
山の麓をぐるりと回り込み、ゴツゴツした岩場を抜けてようやくふたりが辿り着いたのは小さな鍾乳洞の入り口だった。
「何だ?此処は…」
朱雀はぽかんと口を開けて真っ暗な鍾乳洞の入り口を覗き込んだ。
「ほら、早く来いよ」
当たり前のようにスタスタと中へ入って行きながら亜門が振り返って手招きする。
慌てて亜門のそばへ走り寄った朱雀は、あまりの空気の違いに再び絶句した。
「ひんやりしてて気持ちいいだろ」
亜門がにやりと笑った。
「どんなに暑い日が続いても、此処だけはどうやら一定の温度を保っていて気温に変化がない空間みたいなんだ。しかももう少し奥へ行くと地下水脈が流れてるところがあるから、水も飲める。さすがに量が量なだけに、持ち帰って皆の飲み水にするほどにはできないけどな」
確かに奥からツンッと水の匂いが感じられる。しかも、鍾乳洞の中など真っ暗で何も見えないのだと思っていたのに、何処かから光が差し込んできているのか、うすぼんやりと明るく見える。
目が慣れてくると、周りの岩肌も難なく見える程だ。
「ほら、飲めよ」
地下水を汲んだ器を亜門が朱雀の目の前につきだした。
朱雀は黙ってそれを受け取り、一口飲む。思った以上に冷たくて澄んだ水だった。
「美味いだろ」
「よく来るのか?此処」
「まあな」
「どうりで最近戻ってこないと思った。こんな場所独り占めしてやがったとはな」
此処は一年中火山の噴火に見舞われ、灼熱の太陽に曝されるこの島の起こした一種の奇蹟なのだろうか。
ふっと笑みを浮かべて朱雀は、地面に僅かに生えている苔の上に寝転がった。
「いいねえ、此処は。オレも今度から此処へ寝にこようかな」
「悪夢にうなされたくなきゃ来い」
亜門がポツリとそう言って朱雀の隣に腰を降ろした。
「空気の所為だろうが、此処なら不思議なくらい静かに眠れるはずだ」
「……………」
肘をついて上半身を起こし、朱雀が不思議そうに亜門を見あげた。
「やけに親切だな。珍しい」
ちらりと朱雀を見下ろして亜門が小さくため息をつく。
「別に親切心でも何でもない。これ以上うるさくされては堪らないからだ」
「うるさく?オレがいつ」
「呼んだろう。さっきも」
「………!」
どうりで誰にも場所を告げずに一人で寝ていたはずの所に亜門がいたわけだ。
バツの悪そうな顔をして朱雀が顔をそらせた。
「それに、近くにいたほうがまだ掴みやすい」
「掴む…?」
「お前が助けを呼ぶのはいつも一瞬なんだ。光が通り過ぎるほどのほんの一瞬。掴み損ねたら消えちまう」
「………………」
「消えちまったら、二度と掴めない」
ギュッと拳を握りしめて亜門はそうつぶやいた。
「そう…だな。消えちまったら…何も掴めない」
亜門の言葉に応えるように朱雀も小さくそうつぶやいた。

 

――――――身体中がギシギシと痛む。
抵抗したときに腕や足を色々な所にぶつけてしまったらしい。親父が捻り上げた手首にはしっかりと指の跡が残っており、唇には血が滲んでいる。目がうまく開かないのは、きっと殴られた所為で瞼が腫れているのだろう。
ゆっくりと床に手をついて身を起こすと、ズキンと腰のあたりに鈍い痛みが走った。
「くっ……!」
思わず苦痛に顔を歪めると目の端に床に飛び散った血の跡が映った。
「…………」
どれくらいのびていたのだろう。気を失うほど犯られたのはさすがに久々のことかも知れない。
歯を食いしばってなんとか体勢を整えると、目の前に例の少年が倒れているのが見えた。
「おい…」
はぎ取られた衣服。骨と皮ばかりのやせ細った身体のあちこちに見える痣。
その痣の中にかなり新しいものがあることに気付き、朱雀は驚いて少年の元に痛む身体を引きずって近寄った。
「お前……まさか…」
少年の血の滲んだ下肢を見て、思わず朱雀は顔を背けた。
まさか。そんな。いくらなんでも。
生々しい傷痕は、ついさっき犯された証拠だ。
朱雀が気絶したのをいいことに、この少年にまで手を出したのか。あの親父は。
これでは何のために、自分が。
何のために。
いいようのない怒りと虚しさが全身を駆けめぐる。
もう、涙なんか出ないと思っていたのに、あまりの悔しさに目頭が熱くなる。ポタリと床に落ちた涙を見て、朱雀がきつく唇を噛みしめた。
その時。
「す……すざ…」
ほとんど聞き取れない程の声で少年が朱雀を呼んだ。
「………?」
「すざ…く…逃げ…」
「……………」
「逃げ……」
最後の力を振り絞って少年が朱雀の方に手を伸ばした。
「逃げ…て…す…ざ…」
最後まで言葉を綴らないまま、少年の手が糸の切れたマリオネットのようにトンッと床に落ちた。
「……おい…」
「………………」
「お前…おい…おい!!」
朱雀の呼びかけに、少年はもう永遠に答えることはなかった。
あまりにもあっけない最期。
朱雀は血の臭いのむせかえる暗い部屋の中で低く引きつったような笑い声を洩らした。
もう、涙はでてこなかった。

 

――――――「死んだのか?そいつ」
亜門が訊いた。
「ああ」
短く朱雀が頷く。
「オレは奴の身体を町はずれの墓地の裏手に埋めて、そのまま街を飛び出した。それから一度もあの街には戻ってない」
「そうか」
俯いた朱雀の首元にすっと亜門が腕を差し伸べた。
「………!?」
そして、そのまま朱雀の首を抱え込み、自分の方へと引き寄せる。
「おい、亜門!」
「…………」
「離せよ。触んじゃねえ」
「…………」
「亜門!」
亜門は少しも力を緩めず、朱雀の首を抱え込んだまま、肩を抱き寄せた。
「お前……いい加減にしろよ」
「いいから黙ってじっとしてろ。バカ」
「……ったく…」
言いながら朱雀がふっと笑みを浮かべる。
「お前って奴は……」
「……………」
抱きしめられた腕の温もりが気持ちいい。
今まで何人もの男の腕に抱かれていたはずなのに、こんなふうに思ったことは一度もなかった。
いつだって男の腕の中で思い出すのは、死んでしまった少年の事。吐き気のするような現実。
血の臭い。
それなのに。
「なあ、亜門」
亜門の胸に顔を押しつけたまま、ふいに朱雀が言った。
「お前、オレを抱く気はないか?」
「………!?」
一瞬何を言われたのかわからず、亜門は思わず抱き寄せていた腕を離した。
「………は?」
目を見開いて亜門は朱雀を凝視する。
朱雀はすねたように口を尖らせてぷいっと横を向いた。
「何でもねえ。忘れろ」
「お…おい、朱雀!」
慌てて亜門は朱雀の肩を掴み自分の方へと向き直らせた。
「朱雀!」
「痛ってえなあ、力任せにつかむんじゃねえよ。もういいから」
「朱雀!!」
肩を掴んだまま、亜門はおもむろに朱雀を床へ押し倒した。
背中にあたった地面の冷たさに、朱雀が顔をしかめる。
「……………」
「何がもういいんだ。ちゃんと言ってくれなきゃわからない」
「……………」
「朱雀…?」
「……………」
「どうしたんだ。いったい」
「何でもねえよ。本当に、ちょっと思っただけだ」
「何を?」
「……………」
「何を思ったんだよ」
「……お前なら、オレに教えてくれるんじゃないかなって」
「………?」
亜門に肩を押さえつけられた体勢のまま朱雀がふっと笑った。
「人に抱かれるってことは、そんなに嫌なことじゃないって。そんなこと、わからせてくれるんじゃないかなって」
「……………」
「少しだけ、そう思った」
「朱雀……」
「嫌な思い出ばかりだった。吐き気のするような事ばかりだった。早く終わってくれってそればかり考えてた。だけど、何でだろう。お前とだったら、そんな事以外にも考えられることがあるような気がした」
「……………」
「何でもないよ。ただの戯れ言だ。気にするな」
すっと目を細め、亜門は朱雀の上にのしかかったまま朱雀に唇を寄せた。
「あも…?」
言葉が途切れる。
柔らかな朱雀の唇を吸い上げて、亜門はゆっくりと朱雀の背中に腕を回した。
ずっとずっと頑なだった心が、溶けていく。
そして、触れたくなる。
手に、肩に、頬に、唇に。
ついばむようなキスをして亜門がふっと笑った。
ピチャンっと何処かで水の弾ける音が聞こえたような気がした。

FIN.      

2003.2 脱稿 … 2003.06.21 改訂    

 

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