勿忘草 [後記]
お疲れさまです。如何でしたでしょうか。
岬独り言シリーズ第2弾でございます。このエピソード。実は半分実話でございます。
数年前、私が仕事で京都の方へ行ったとき、目の前で猫の交通事故を目撃しました。小次郎のように石を投げることさえ出来ず、走り去っていく車を見送ったあと、私と、あとその時一緒に居た仲間1人とで慌てて道路へ飛び出し猫を抱えて戻ってきました。
ちょうど泊まっていた旅館の前での出来事だったので事情を話し、旅館の人にスコップを借りて近くの花壇というかちょっとした広場に埋めてやりました。
石で周りを囲んで、お墓のようにして。
それから数ヶ月後、もう一度その旅館に泊まることがあったので、その時は独りで猫のお墓にお参りに行きました。
その時には、積んだ石もバラバラになってて、お墓なんていえた物じゃなくなってましたが、間違いなく此処に猫は居たんだなって思った事を憶えてます。飼い猫とかだったらご主人様が手厚く葬ってくれたりもするのでしょうが、野良猫ってやはり可哀相だなと思いました。
岬君は決して野良猫ではないですが、どの街にいっても異邦人であるということは一種野良と通じるものがあるような気がします。っていうか、岬君は勝手にそう思いこんでいそうだなと。
自分の事を不幸だと思ってひがんでばかりいるのは辛いですから、そんな風にはなって欲しくないのですが、やはりいつも何かしら羨ましいなって思ったり、定住できる生活に憧れてたりはするんじゃないかな。
転校を好きな子供って、あんまり聞いたことないですから。余談ですが、この話の時期の小次郎は、ちょうどお父さんを亡くしたばかりの頃です。
それもあって、猫の死とお父さんの死を重ねて忘れないよって言ったのです。
まあ、それはあの時点で岬君が知ってるわけない事実なのであえて何も触れずにおきましたが、そうなんだあって思いながらもう一度読むと、小次郎側の心理も解ってくるのではないかと。
でも小次郎って、顔や態度にあんまりださないですね。哀しいっていうのを。
怒りとかは単純な程前面にだしてくるのに、そういう所は表情を読まれないようにしている。自分でコントロールしてるわけじゃないですがね。
そういう所が日向さんが皆に好かれる原因だったりします。
弱みをみせたくないっていうより、誰よりも強くあろうと努力している。そんな人です。小次郎は。小次郎と岬のコンビって私かなり好きなんですが、あんまり原作やアニメでは触れてもらえなくて悔しいですね。
そりゃ岬と若島津とどっちを取るかっていったら日向さんには若島津をとってもらいたいですが(←こらこら)
でもでもっ、岬君は日向さんのことを唯一小次郎って呼んでんですよ。ここは重要だと私は密かに思っております。人を呼ぶ呼び方って不思議だなって思います。
たとえば、大人になって知り合った友人って、少しくらい年が離れてたって、全然関係なくタメ語で話すじゃないですか。なのに高校時代の先輩って考えてみれば1つしか年が離れてないのに、いまだに敬語を使ってしまう。
この間、久し振りに帰省して高校時代の先輩に会ったのですが、まさしく私は先輩に敬語を使ってしゃべってました。で、後から考えて、私は先輩よりもずっと年上の人に対してタメ語でしゃべってるのに、先輩には敬語を使ってるんだなあ。妙だなあって。最初に会った時の状況で相手に対しての言葉使いや呼び方が変わってしまう。
岬君も、小次郎に会う前に沢木君達に会ってたら、彼らが小次郎の事を日向さんって呼んでるのを聞いて同じように日向さん、或いは日向君って呼んだかも知れない。
だからきっと岬君て初め小次郎がどういう少年なのか知らないで会ってたんじゃないかなあって思いました。
逆に若島津は、実際の本人に会う前にある程度噂とか聞いてたんじゃないかなあって。
まあこれは私のこだわりなのですが。
周りが敬語使って、さんづけで呼んでる小次郎に対して臆することなく話をする岬君が好きです。こんな奴らですが、
今後とも、彼らを宜しくお願いします。FARADON 記