櫻花 (1)

好きということ。誰かを好きになるということ。
他の誰でもない、そのたった1人を好きだということ。
暖かくて優しくて、そして、ほんの少し寂しい。
胸が痛くなって、切なくなって、そして、ほんの少し倖せを感じる。
好きということ。
他の誰でもない、そのたった1人を好きだということ。

 

「伸、今日学校の掲示板に貼り出してあった遼の写真見たか?」
夕食の手伝いという名のつまみ食いをしながら、秀がにこにこと伸に笑いかけた。
「見たよもちろん。知らせを訊いて、真っ先に駆けつけちゃった。スゴイよね」
顔はにっこり笑い返しながら、それでもすかさず小鉢にのばされた秀の手を叩き落として伸が答えると、秀は叩かれた掌をさすりながらジロリと伸を睨みつけ、それでも渋々とトレイの上にお椀や箸を並べだした。
「でも、マジな話、すげえよな」
「うん」
「だからさ、オレ言ったんだよ遼に。今度はもっとでかい雑誌かなんかのコンクールに応募してみたらどうだって」
「へえ。で、遼はなんて?」
「考えてみるって。結構乗り気みたいだぜ」
「いいなあ」
今日、皆が通う高校で行われた校内写真コンクールの発表があった。
それは、新聞部が主催した小さなコンクールであったが、みんなに薦められ応募した遼の写真が、そのコンクールの特賞をとったのだ。
審査員は美術の講師や新聞部の顧問。部長等の十数名で行われ、どうやら文句なしの全員一致で遼の入選は決まったらしい。
入賞者には立派な賞状と記念品の写真たてが贈られ、校内の掲示板にその写真が貼りだされる。
特賞をとった遼の写真は、学校の正面玄関を入ったところにある掲示板の一番目立つ所にでかでかと飾られていた。
タイトルは『生命(いのち)』。
二枚ひと組で対となっているその作品は、一枚が大空を見事に舞う鳶の写真で、もう一枚はひな鳥に餌を与えるツバメの写真だった。。
腹の底から力が沸き上がってくるような生命力に溢れた鳶の大きく広げた羽と、大いなる母の愛を感じさせる暖かなツバメの親子。
遼の中にある大切な生命を表したこの作品は、確かに誰が見ても納得できる素晴らしい作品だった。
秀はまるで自分が賞をとったかのように嬉しそうに遼の写真を褒め称え、征士も手放しで遼の入賞を喜んでいた。せっかくだから盛大にお祝いしてやろうという当麻の助言に乗って、伸もいつもより少し豪華な夕食を作り、その日の柳生邸は、いつもにもまして明るい雰囲気であった。
「遼、どう? 美味しい?」
特製のたれを絡めた鶏の手羽先を皿により分けながら伸が訊くと、遼はにっこり笑ってそれをひとつ口の中に放り込んだ。
「うん。めちゃくちゃ美味しい」
「よかった」
遼の笑顔に伸もほっと安心したようにふわりと微笑む。と、秀が隣からさっと手を伸ばして一番大きな肉をつかみとった。
「いや、でもマジ美味いよ、これ。やっぱ気合いの入れ方が違うのかねえ。遼の為だと」
「何言ってんだよ」
「こんな豪勢な夕食になるなら、遼、これからもどんどん入賞でも何でもしてくれよ」
言いながらガツガツと食べ物を口へ運んでいる秀を見て伸が大げさにため息をついた。
「ちょっと待ってよ、秀。それじゃまるで僕が普段は手抜きしているみたいじゃないか。聞き捨てならないね」
「いやいや、決してそういうわけではないと思うぞ」
「いつも美味いけど、今日は更に美味いって言ってるんだよ」
横から征士がすかさずフォローに入ると、当麻もそうそうと大きく頷いた。
こういう所のチームワークは誠に見事なものである。
「お前といると、嫁いらずだよなホント。他の奴の料理なんか食えなくなるもんな」
嬉しそうにご飯を掻き込みながら、更にそう言う当麻を、チラリと伸が見た。
「こんなふうに一生伸の手料理食えたら、倖せだよなぁ」
「ちょっと待て。一生ってなんだよ当麻。僕は別に君専属のコックになるつもりはさらさらないからね」
「そんなつれないこと言うなよ。こっちはこんな真剣に……」
「うるさい。黙れ」
「伸〜」
ふと、箸を動かす遼の手が止まった。
いつもどおりの夕食。楽しげに笑う大切な仲間達。
とてもとても倖せなはずのこの光景に何故か遼の胸がズキンと痛んだ。
「……どうかしたのか?遼」
急にぼんやりと黙り込んだ遼に気付き、征士が声をかける。
「あ、ううん。何でもない。伸、おかわり」
「はい」
差し出された遼のお茶碗を受け取り、伸が横に置いてある炊飯器の蓋を開けた。
「あ、オレも。オレもおかわり!」
すかさず秀が茶碗を差し出すと、伸は呆れた表情で差し出された秀の茶碗を見下ろした。
「秀、それ何杯目だと思ってるの?いくら何でも食べ過ぎだよ。お代わりが欲しかったら自分でよそいな」
「ちぇっ、ケチ」
「文句があるなら来月からみんなより多めに食費徴収するよ」
「おまっ、それは卑怯だぞ」
「何処が卑怯なんだよ。公平の間違いだろ」
「確かにそれは伸の言うとおりだ」
「征士まで伸の味方すんなよー!!」
不満気に口をとがらす秀を見て、皆が声をたてて笑った。
とてもとても平和な時間。
そんな中、その事件は起こったのだった。

 

――――――次の日。
放課後、鞄を小脇に抱えて靴箱をあけた遼は、自分の靴の上にちょこんと置かれていた見慣れない封筒に一瞬戸惑ったように目を瞬いた。
薄い桃色。桜色といえばいいのだろうか。
柔らかそうな紙の四角い封筒は、申し訳なさげに、そろえた靴の上に乗っている。
「…………?」
間違えて他人の靴箱を開けてしまったのだろうかと、パタンと、とっさに靴箱を閉じたが、ネームプレートには「真田」の文字がある。やはり間違いなく自分の靴箱のようだ。
「…………」
では、何かの見間違いだろうかと、恐る恐るもう一度靴箱を開けてみるが、何度見ても靴の上に置かれている封筒は消えてなくならない。
「……これって……」
そうなのだろうか。
おもわず顔をあげて視線を巡らすが、もちろん周りには誰の姿も見えない。
どうしようかと戸惑いながらも、遼はそっと靴箱の中から封筒を取りだした。
淡い桜色の封筒の宛名のところには可愛らしい筆跡で書かれた『真田君へ』の文字。
どう考えてもこれは、やはり、あれだろうか。
封筒を開き、便せんを取り出す遼の手が震えていたとしても、誰がそれを笑えるだろう。
「……………」
封筒とおそろいの桜色の便せんを開いてまず目に映ったのは、右隅に描かれている小さな桜の花びらの押し花ふうの模様。そして、そのまま目線を上に移動させると、細い緑のペンで書かれた一つの言葉が遼の目に飛び込んできた。
『好きです。』
何の修飾語もないたったひとつの言葉。
ポッと頬を染め、遼はもう一度顔をあげて辺りを見回した。
と、タイミングの悪いことにその時、ちょうど秀が鞄を肩にこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
「……!」
「おんやあ、遼。今帰りか? ちょうど良かった。一緒に帰ろうぜ……って、お前、何持ってんだ?」
「………!?」
どうしてこういう時ばっかり目ざといんだこいつは。などと思いながら、遼が慌てて背中に手紙を隠そうとすると、秀はここぞとばかりに走りより、さっと手をのばした。
「何隠してんだよ。見せろよ」
「別に隠してないよ」
「嘘言うなよ。今後ろに何か隠したろう」
「別にたいしたものじゃないよ」
「たいしたものじゃないんなら、見せてくれたっていいじゃんか。そんなふうに隠されると気になる」
「いいだろう、そんなの…」
「見せろってば」
段々とお互い引くに引けなくなってしまう。こうなるとほとんど意地の張り合いだ。
靴箱の前で手紙の取り合い合戦を繰り広げていた二人の間に、その時、別の手がすっと割り込んできた。
「何騒いでんだ、お前等。って、何これ、手紙?」
「と…当麻!!」
いつの間にすり取ったのか、遼の手の中にあったはずの手紙を広げ持ち、当麻が目を丸くした。
「おいおい、これラブレターじゃないか。どうしたんだよ」
「か…返せよ!!」
真っ赤になって遼は当麻の手から手紙をむしり取った。
「誰に貰ったんだ? こんなの」
「直接じゃないよ。靴箱に入ってたんだ。誰からかなんて知らない」
ギッと秀と当麻を睨みつけ、遼は乱暴な仕草で鞄の中に手紙をしまうと、靴を履き替えて靴箱の蓋を閉じた。
「で、どうすんだ。それ」
当麻が訊くと、遼は不機嫌そうな表情のまま頭を振った。
「どうするも何も差出人の名前もないんだ。誰が書いたかも解らないのに、どうしようもないよ」
「なんだ、名無しの手紙なんだ」
秀が驚いて目を丸くする。
「名を名乗らないなんて、からかわれてんのかなあ。名無しの手紙じゃ信用出来ないぜ」
「いや、そうとは一概に言えんと思うぞ」
「じゃあ、本気かなあ」
「結構、便せんも可愛いやつ使ってるし、かなり真剣じゃないか?」
「あ、やっぱそう思う?」
当の本人を無視して会話を続ける当麻と秀を再びじろりと睨みつけ、遼はムスッとしたままその場を歩き去った。こんなふうに会話のネタにされるのは、あまりいい気持ちのするものではない。
大股で校舎を出ていく遼をそのまま見送って、二人は小さく肩をすくめた。
ふと、秀が隣の当麻を見上げる。
「……にしても、遼にラブレターかあ。誰だろうな。どう思う? 当麻」
「さあ、誰だろうな」
なんとなく複雑な顔をして、当麻が前髪を掻き上げた。
「でも、まあ良いんじゃないか、青春してて。遼がこれをきっかけに女の子とつき合ってでもくれると気苦労がひとつ減るんだけどなあ」
「減るのは気苦労じゃなくて、ライバルだろ」
「………!!」
にやりと当麻を見上げる秀を見返し、当麻は心底嫌そうに眉間に皺を寄せた。

 

――――――「遼、ラブレター貰ったんだって?」
夕食後、突然そう聞いてきた伸に、遼は思わず飲みかけのコーヒーを吹き出した。
「…なっ!!」
ぱっと後ろの当麻を振り返ると、当麻がオレじゃねえぞと大きく頭を振る。そのまま隣の秀を睨みつけると、秀は悪びれた様子もなく、にやにやと笑いながら頭を掻いた。
「あ、悪い。つい口がすべってさ」
「秀、お前なあ」
口が軽いにもほどがある。遼は真っ赤になってソファから立ち上がった。
「何? 秘密にしておきたかったの?」
「いや、そうじゃないけど……」
きょとんとする伸に、遼は焦ってもう一度ソファに座り直した。
そうなのだ。別に何が何でも秘密にしたかったわけでもないし、当麻と秀に知られた段階で、家中の全員にこのことが知れ渡ることくらい容易に想像できたはずだ。
今更、何を自分は焦っているのだろう。
「別に隠すつもりはなかったけど…やっぱ恥ずかしいじゃないか。そんなの…」
もごもごと口の中で言い訳をする遼を見て、伸がくすりと笑った。
「まあ、自慢してまわられても困るけど、良い事じゃない、ラブレターもらえるなんて」
そう言って伸はニコニコと素直な感想をもらした。
「どっかでちゃんと遼のこと見てた子がいたんだね。良いなあ」
「良い?」
ぽつりと遼がつぶやいた。
「伸はオレがラブレター貰ったこと、嬉しいんだ」
「………えっ?」
きょとんとした顔で伸が小首をかしげた。
「どういう事?あ、そっか。男としては悔しがったほうが正解なのかな」
「そうじゃなくて……」
「…………?」
「いい。何でもない。ごちそうさま。じゃ」
飲みかけのコーヒーを一気に流し込んで、遼はいきなり立ち上がった。
「ちょっ……遼?」
すたすたと居間を出ていく遼の行動の意味が解らず、伸が慌てて後を追う。
「ちょっと…待ってよ、遼」
「…………」
「遼…!」
二階へあがる階段の途中で立ち止まり、遼は自分を見あげている伸をじっと見つめ返した。
「遼…?」
「…………」
「ごめん。僕、何か気に障ること言った?」
伸が伺うように訊いた。
「いや」
「……でも」
「…………」
「あの…何かあるなら謝るから…その…」
不安気な伸を見つめ、ほんの一瞬遼の目が細められる。
「伸」
「何?」
「…………」
次の言葉が続かない。
自分は何を言いたいのだろう。
遼は口を閉じたままじっと伸を見つめ続けた。
どうして、こんなに胸が苦しく感じるのだろう。伸を見ていると。
当麻や秀にからかわれても、腹がたっただけで胸なんか苦しくならなかったはずなのに。どうして、相手が伸だと、こんなに胸が苦しいのだろう。しかも、伸は決して自分をからかったわけではないのに。
「遼……?」
「ごめん。その…何でもない」
「遼……」
「ホント、何でもないから」
「……遼」
つぶやくようにそれだけ言って遼はそのまま伸に背を向けた。
やはり胸がズキンと痛んだ。

 

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