緋色 (1)
トリックタワーでの試験をなんとか終えたオレ達は、一路飛行船で次の会場へ向けて飛び立った。
あんな塔なんかすぐに降りられると思ってたのに、色々面倒くさいことが立て続けに起こった所為で、結局、トリックタワーを攻略出来たのは制限時間ギリギリ。
次の試験会場には明日朝に到着予定っつーことで、みんなこの飛行船の中、好き勝手な場所を陣取って休んでいるようだった。
オレは、ゴンと一緒に一番大きな部屋で雑魚寝。
床に敷物が敷いてある大部屋だったから、ここを寝場所に決めた奴らは結構多かったんだけど、両手両足を広げて大の字になって寝転んでも充分余る広さなのが気に入った。
そして今は深夜。
トリックタワー内で随分体力も精神力も消耗したのか、周りにいる奴らはどいつもこいつも泥のように眠っている。
オレはというと、最後の壁破りはちょっと体力使ったけど、それ以外は別にたいしたことしてないからか、そんなに疲れたっていう感じはなかった。
ってか、こんなふうに大勢と一緒に雑魚寝っていうのが初めての体験なんで、別の意味で興奮してるのかもしれない。
だってさ、まるでピクニックみたいじゃないか。
オレは隣で気持ちよさそうな寝息をたてているゴンに目を向けた。
特定の誰か、しかも同じ年の奴とこんなに長い間、ずっと一緒にいたのも初めてだったし、試験内容は半分遊びみたいなものだったし。
やっぱオレ、この状況をかなり楽しんでるのかも知れない。
「…………!?」
その時、一瞬、何か殺気のような感覚がオレの背中を襲った。
誰だ?
オレは視線だけで周囲を伺ってみる。
けど、誰かが動いている気配はないみたいだった。
受験者の中にはヒソカみたいに危ない奴もいるから、完全に油断するのは危険だとは思ってたけど。
でも、ヒソカは飛行船に乗ったとたん、どっかへ消えちまった。今も近くにいる気配はない。
だから、この気はヒソカじゃない。
でも、だったら誰だ?
こんな真夜中に、こんな気を発するなんて。何かあったのだろうか。
オレはゆっくりと身を起こした。
背中がビリビリするような感覚は、まだ少しだけ残ってる。
誰の気配だろう。ってか、何だったんだろう。
最初は殺気だと思った。
でも、よくよく考えてみると、ちょっと違ったような気がする。
殺気っていうより、狂気。どっちかっていうと叫びに近いような。
そんなことを考えていると部屋の一番隅の方で誰かが扉を開けたのが見えた。
一瞬だけ差し込んできた月明かりに金糸の髪が映える。
クラピカだった。
そして、クラピカの姿が扉の向こうに消えたとたん、さっきまでのビリビリするような感覚がなくなった。
ってことは、今のはクラピカ? 単純に考えてそういうことなんだろう。
でも、なんで? とりあえず、相手がクラピカだっていうことで、やっぱり殺気じゃなかったっていう確信は持てたんだけど。
でも、逆に疑問がわく。
オレならともかく、この受験者の中にクラピカを殺しに潜り込んできたような奴はいないはずなのに。
オレはここへ来るまでの間、仕事と称して随分と人の命を手にかけた。
恨みを買っても不思議はない。
でも、クラピカは違う。少なくともクラピカは、今まで殺しはしていない。
ま、これからはどうなるかは分からないんだけど。
でも、今はまだ。まだのはずだ。
だから、クラピカがあんなふうに張り詰めた気を放つ必要はないはずなのに。
いや、ちょっと待て。
あれは、気を放つというよりは、なんだろう。殺気に似た悲鳴。
そうだ。
悲鳴みたいに感じたんだ。
もしかして、あれはクラピカ自身があげた、それこそ悲鳴だったんだろうか。
なんとなく気になってあとを追おうと立ち上がりかけた時、オレよりちょっとだけ早く立ち上がった影があった。
細身の背の高い影。レオリオだ。
レオリオはオレにまったく気付かない様子で、そのままクラピカを追って部屋を出て行った。
なんだか先を越されたような気がして、オレは一瞬戸惑う。
「………ったく」
そのまま放っておいてもいいんだろうし、というか、放っておいたほうがいいのは分かってるんだけど、やっぱり気になって、オレは二人の後を追うように扉を開けた。
――――――二人の姿は部屋を出てすぐに見つかった。
ひときわ大きな窓のある廊下にクラピカが座り込んでて、レオリオはそのそばで片膝を立てた姿勢でいつも手に持っているスーツケースを開けようとしているところだった。
オレはなんとなく壁際に隠れるように蹲って、見つからないように様子を伺った。
「……大丈夫だ。別に必要ない」
クラピカがそう言ったのが聞こえた。
「でも、お前、あんま寝てねえだろ? オレだって不眠の度に薬を処方するような医者にはなりたくねえけどさ……」
どうやらレオリオがスーツケースから取り出そうとしているのは、睡眠薬の類らしい。
「別に問題ない。必要な時は眠っている」
「嘘つけ」
「嘘じゃない」
「いいや、嘘だね」
断言するようにレオリオは言い切った。
「目をつぶってるからって本当に寝てるかどうかくらい分かるぜ」
「…………」
クラピカが沈黙した。たぶん驚いてるんだろうなあ。オレもちょっとビックリしたもん。
もしかしてこのおっさん、思ってたより案外鋭いのかもしれない。
ただ、まあ、思い返してみると、確かに塔の中でもクラピカが寝ている姿ってあんまり見た記憶がないような気はする。
なんだかんだ言って、レオリオは一番クラピカと一緒にいる時間が長かったから、気付いたんだろう。
「お前、もしかして枕が替わると眠れない性質なのか? ブルジョアだなあ」
「何をバカなことを。そんなことはない」
「じゃあ、なんで眠れないんだよ」
「それは……」
クラピカが言いよどむ。
「ん?」
ちらりと見ると、対するレオリオは軽い仕草で首を傾げていた。
「そんなたいしたことではない。ちょっと夢見が悪くて起きてしまっているだけだ」
「夢? 夢って、どんな……?」
「…………」
クラピカは何も答えず、ただうつむいた。
クラピカの見ている夢。どんな夢だろう。恐らく悪夢だろうってことは分かるんだけど。
「あ、分かった!」
「……?」
突然、レオリオが突拍子もない大声を上げた。
「お前、実はホラー映画見たら、夜中にトイレ行けなくなるクチだろう?」
「……はぁ?」
クラピカが怪訝そうに眉をひそめるのを感じて、オレもついつい頭を抱える。
「そうか、そうか、お化けが怖いのか。なーんだ」
「……おい」
「ったく…お化けや幽霊が恐いなんて、まだまだ子供だなあ、クラピカも」
「なっ…!? 別に幽霊が恐いなどと言った覚えはないぞ。私は」
「まあまあまあ。図星指されたからって、そんな憤るなよ」
本気なのかなんなのか、レオリオは笑いながらガシガシと大きな手でクラピカの髪の毛を掻き回した。
「こ…子供扱いはよせ」
予想通り、パシっと小気味のいい音をたてて、クラピカがレオリオの手を叩き落とした。
やっぱねー。そうなるよな。
子供扱いされて、馬鹿にされて、そうとう怒ってるだろうクラピカの顔をちゃんと見たくなって、オレはヒョイっと壁際から顔を出した。
「……あれ?」
とたんにオレは思わず目を見張ってしまった。
なんでって。
クラピカの表情が予想と違っていたからだ。
ガキ扱いされて、普通に怒ってるもんだとばっかり思ってたのに、クラピカの頬がほんの少し赤くなっているみたいに見えたんだ。
なんだか、照れてるみたいに見える。
なんでだろう。
そう思ったとたん、なんでかわからないんだけど、胸の中心がズキンと疼いた。
クラピカはそんな表情を覆い隠すかのように慌てて声を張り上げる。
「私は幽霊など恐くない。むしろ会えるものなら会ってみたいくらいだ」
「へ〜? 無理するなよ。怖いなら怖いって素直に認めちまえ。笑ったりしねえからさ〜」
「その表情がすでに笑っているだろう。馬鹿にするな。それに幽霊というのは死んでしまった者なんだろう? 会いたいに決まっているじゃないか」
「…………」
すっとレオリオの表情が引き締まった。
ああ、そうか。
幽霊と言われてクラピカが思い出したのは、死んでしまったクルタ族の同胞のことだったんだ。
目の前で死んでしまった同胞。
なんだか変な感じだ。
死んでいようがいまいが、オレにはもう一度会いたいなんて思える奴はいない。
だからオレにはクラピカの気持ちは分からない。
でも、レオリオは。
「そうだな……そりゃ会いたいよな。オレだって会えるもんなら会いたいからな」
「………!」
今度はクラピカの方が息を呑む。
オレには分からないクラピカの気持ちも、レオリオには分かるんだ。
確か、レオリオにももう一度会いたい奴、親友だかがいるんだよな。
なんか悔しいな。
「……すまない」
消え入りそうな声で呟いて、クラピカが俯いた。
さらりと流れた金糸の髪から僅かに見える項と、細い肩。
それがなんだかやけに儚げに見えた。
オレは無意識に目をこする。
なんだか変な感じがしたからなんだけど。
だってさ。クラピカってこんなに華奢だったっけ。オレより年上のはずなのに。
なんてことを思ったんだよ。
「なに謝ってんだよ」
レオリオが低く囁くように言った。
クラピカの肩がピクンと跳ねる。
「……それ…は……」
たぶんクラピカもなんで謝ったのかよくわからないんだろう。
ただ。
お互い、忘れたくても忘れられない過去をほじくり返したって救われないんだってことが、苦しかったのかもしれない。
なんだか今にもクラピカが消えてしまいそうで、オレは届くはずもないのにふと手を伸ばしていた。
すると、まるでオレに同調したかのようにレオリオの腕がクラピカの背に沿うように伸びた。
「………!?」
そしてレオリオの腕が、そのままクラピカの身体を抱きしめる体勢にはいる。
とたんに、胸の中心がズキンと疼いた。
なんだ、今の。
感じたことのない胸のざわつきをオレは少しだけ持て余して、それでもその場を動くことが出来ないでいた。