ナイモノネダリ (1) -亜門-

「…………!」
真っ暗な闇の中から目を覚まし、亜門は疲れたように大きくため息をついた。
どうも具合がよくない。
嫌なことばかり思い出す。
といってもこれまでの人生の中で楽しかったことなんか数えるほどしかないのだから、過去の出来事を思いだして気分が良くなったためしなどないのは当たり前のことなのだ。
それでも。
「そんな気にするくらいだったら、見捨てたりしないで助けてやればよかったんじゃないか?」
突然そう言ってきた疾風をじろりと睨み返し、亜門は再びごろりと草むらの上に寝転がった。
「何、妙な勘繰りしてんだよ。そんなんじゃねえよ」
「じゃあ何でそんなにいつまでも機嫌悪いんだよ」
「別に何でもねえよ。あっち行ってろ。名無し」
「亜門……」
「行けって言ってんだろ!」
「ちぇっ……」
舌打ちをしながら走り去っていく疾風を見送りながら、朱雀が小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「なーにガキ相手に、苛立ってピリピリしてんだよ」
「うるせえ」
鋭く言い放ち、亜門は目を閉じた。
おせっかいのクソ餓鬼。
オレは、お前が考えてるようなお人好しじゃない。
少なくとも、見も知らない女に同情出来るほど、人間出来てない。
もう一度大きくため息をついて、亜門は雲の切れ間から覗いた太陽を見あげた。
いちおう晴れてはいるが、空にはなんだか無気味な暗雲が立ちこめていて、しかも、やけに雲の動きが早い。
「………ひと雨…くるのか?」
眉根を寄せて亜門が訊くと、朱雀もすっと空を見あげてつぶやいた。
「かも知れないな」
「最近多いな。雨。こんな赤道直下なのに」
「まあ、どこでも雨くらいたまには降るさ」
「……なんか、嫌なことがある時は、いつも雨が降ってる気がする」
「そっかー?」
「てめえが死にかけた時だって雨が降ってただろうが」
「忘れたよ。んな前のこと」
口ではそう言いながら、朱雀の表情がすっと翳った。
どしゃぶりの雨の中。ボロボロになって路地裏に倒れていた朱雀と、それを見下ろす亜門。
確か、あの時だ。
その後行った、使われなくなった地下鉄の構内で、何処かへ行こうと決心した。
何処かへ。
何処でもいいから、せめて、もう少しだけ楽に呼吸できる何処かへ。
「……どんなに望んだって、結局、オレ達に与えられたのはこんなものだったけどな」
「そうだな」
「で、この前雨が降った時も嫌な事があったのか?」
からかうような口調で朱雀が聞いた。
「……知ってるくせにベタな聞き方すんじゃねえよ」
「ははっっ」
数日前、亜門は偶然ひとりの女と出会った。
その時も珍しく雨が降った日だった。
その女は、山向こうの集落から逃げてきたのだと言っていた。
青白い肌の、見るからに栄養の足りていなさそうな酷い顔色をした女だった。
女は亜門を見て安心したようにほっと息をついて言った。
匿ってほしいと。
自分は、この島に売られてきたのだと。
僅かな金と引き替えにこの島に送られてきてから、ずっと何年もただ働き同然にこき使われてきたのだと。
そして、そんな自分を哀れと思ってくれるのなら、なんとかこの島を逃げ出す手助けをして欲しいと。
此処、デスクィーン島では、公にはされていないものの、公然と人身売買が行われている。
亜門達の暮らす山間とは反対側にある、僅かばかりの盆地。
食べ物に関しては、そこでのみ何とか穀物の栽培が可能な土地となっているようだが、そこには、貧しくて生活出来なくなって家族に売られてきた出稼ぎの少女達が住んでいた。
出稼ぎとは言っても、この気象条件の悪い島で生きて国に帰ることの出来る者など皆無に等しく、だから、それはどう贔屓目に見ても、ただの厄介者払いでしかなかった。
中には犯罪を犯して、流刑地代わりに置き去りにされた者もいるらしい。
秩序も、法律も、何もない島。
自分自身の力で生き延びるしか術がない。誰も助けてはくれない。
ここはそんな土地。
だから、亜門も島の人間と関わり合いなど持ちたくなかったし、面倒に巻き込まれるのもごめんだった。
もちろん、助けを求めてきた女にも興味はなかった。
明らかに嫌そうな表情で顔をしかめた亜門を見て、その時、女は何を思ったのか突然媚びた態度を示しだした。
助けてくれたら、良い思いをさせてやるから、と。
こんな島の、しかも人里離れた山の中腹に住んでいるということは、女を知らないのだろう。色々教えてあげるから、その代償に舟を一隻何とかできないかと。
吐き気がした。
初めてあった男。しかも自分よりかなり年下だろう少年に対してまで、媚びた態度で身体を与えようとする女という生き物。
最低最悪の気分だった。
おぞましいものを見るような目つきで自分を見た亜門に、女は手のひらを返したように罵声を浴びせかけた。
くだらない。
そう思った。
別に同情する気もなければ、軽蔑する気もない。
本当に、まったく興味がなかったのだ。
その女がどうなろうと、何の感慨も湧かないだろうと思っていた。
だから、亜門は、その女を追って男達がやって来た時も、何も手出しをしなかった。
追いつめられた女が崖から足を滑らせて落ちる瞬間でさえ、手を差し伸べようとしなかった。
ただ、終始冷たい目で全ての出来事を眺めていた。
それなのに、その時から何故か吐き気が止まらない。
助けなかったことを後悔しているわけでもないはずなのに、胸がムカムカして治まらない。
「やっぱ、気にしてんのか?」
「してない。第一、オレは女は嫌いだ」
「なんだそれ」
「…………」
女は嫌いだ。反吐が出る。
女の事を考えると嫌な夢を見る。
首に何かが絡みついているような妙な感覚を覚える。
これは何だ。この感覚は何だ。
そう考えてようやく思い出す。
これは手だ。
女の手だ。
まだ5歳の子供だった頃の亜門の首を絞めようと伸ばされてきた女の手だ。
ガサガサしてて脂気のない。
化粧ばかり派手で、周りの目ばかり気にする、あの女の手だ。
あの女の。
「なあ、首、なんかあるのか?」
しばらく黙って亜門を見下ろしていた朱雀が、突然そう言って、自分の首の付け根あたりを指で指し示した。
「首? なんで?」
「赤くなってる。痣みたいに。ほら、そこ……」
「……!!」
すっと無意識に伸ばされた朱雀の手を亜門は思いっきりはね除け、飛び起きた。
何故か背筋がぞっと寒くなった。
朱雀は不快そうに眉を寄せ、亜門を見据える。
光を反射してキラリと光ったエメラルドグリーンの瞳を正視できず、亜門は視線を逸らした。
「悪い……今、ちょっと……駄目だ」
「…………」
朱雀は何も答えず、それでも立ち去ることなく亜門のそばに座っていた。
ひとつ息を吐き、亜門は再びゴロリと地面に寝転がった。

 

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