二分の一の幸せ (1)
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双子には、通常二通りのパターンがある。
はじめから卵子が二つあったものと、途中までは一つだったはずなのに、何かの拍子で二つに分裂してしまったもの。
いわゆる一卵性双生児と二卵性双生児のことだ。
何故、分裂などということが起こるのか。それは神様の悪戯なのか偶然なのか。オレには解らない。でも、オレ達兄弟の不幸は、母の身体の中で必要もないのに卵子が分裂してしまったその瞬間から始まったのだと思っている。
一卵性双生児だったオレ達は、本来一人だったはずなのだ。
それなのに二人に分かれてしまった。
だからオレ達の身体の半分は、生まれる必要のないもので出来ている。
オレ達ははじめから、半分ずつしか生を与えられない子供だったのだ。
オレの兄、蒼龍は生まれた時から目が見えなかった。
つまり、光を知らないまま一生を生きることを、生まれ落ちたその瞬間に義務づけられていたということだ。
そしてオレ達は二人とも未熟児だった。それもかなり危険な。
オレ達をとりあげた医者は、恐らく二人ともこのまま成長することは不可能だと言い切ったという。特に兄者の方はまともに泣き声をあげる事も出来なくて、数週間もてばいいほうだとさえ言われていたため、父さんはとうとう兄者の分の出生届を出すことすらしなかった。
父さんにとっては、オレ達は必要ない存在だったのだ。
その証拠に、オレ達が少し大きくなった頃、父さんが忌々しそうに言った事がある。
「お前も蒼龍も、本当なら生まない予定だったんだ。俺は何度も反対したんだ。あいつの身体で子供を産むなど無理だと。何度も諦めろと言ったんだ。なのに……」
低い声でそんなことをつぶやきながら、父さんはいつもひどく疲れた顔をして、不味そうに酒を飲んでいた。
そして、その酒の量は、母様の具合が悪くなるにつれて、徐々に増えていった。母様はオレ達が生まれてから一度も家の外へ出たことがない。
父さんが言っていたとおり、もともと身体の弱かった母様に双子の出産など無理だったのだ。
何時間もの苦しみの後、なんとか一命は取り留めたものの、オレ達二人が初めて外の空気を吸い込んだ時には、母様の肉体も精神も、もう手の施しようがないくらいボロボロになっていた。
息があるのが不思議なくらい焦燥した母様は、もう、まともな精神でいることすら出来なくなっていたのだ。
自分の夫の顔すら見分けのつかなくなった母様は、それでも兄者を抱き上げ、私の息子だと言って涙を流したのだと言う。
その時の母様は、聖母マリアのようだったと、ずっと後になって父さんがポツリとオレに洩らした事があった。
あの頃、父さんはオレ達が死ぬことを願っていた。母様の精神を狂わせた元凶であるオレ達を、父さんはどう扱っていいのか解らなかったのだ。
父さんは、自分の血を分けた息子を愛さない父親だった。
いや、愛せない父親だったのだ。
それでも、オレ達は生き延びた。何度も死の淵を彷徨いながら、それでもオレ達は死ぬことはなかった。
たとえ、半分しか生きている実感がなかったのだとしても。兄者は結局父さんが出生届を出さないままにしてしまった為、周りの人たちにお披露目をすることもなく、母様と共にずっと家の中で過ごしていた。
精神を病んだ妻と、盲目の息子。父さんは世間からそんな二人を隠そうとしたのだ。
父さんは疲れていた。
世間から母様や兄者を隠す事も、父さんにとっては自己防衛の一端にすぎない。
オレ達が生まれる前には持っていただろう愛情も、母様の病状が悪化するに従って、どんどん薄れていくのが端で見ていてもよく解った。
オレも、外では決して兄者の事を話すなと言われ、周りには一人っ子で通っていた。だから近所の誰も、兄者の存在を知るものはいなかった。
でも、その代わり、というのだろうか。
母様にとって兄者は世界のすべてだった。母様は兄者の為にだけ生きていて、兄者もそのお返しだと言わんばかりに母様の為にのみ生き、母様の為だけに存在しているみたいだった。
母様と兄者は、オレには行けない別の空間で呼吸をし、オレには見えない別のものを見て、オレには解らない別の言葉を話しているようだった。そう、母様の目は兄者しか映していなかった。
母様は決してオレを見ようとしない。母様の視線はいつもオレを通り越す。すぐそばに立っていても母様の目にオレは映っておらず、家の中ですれ違っても、母様の目がオレを捉えることはなかった。
同じように母様のお腹の中で十ヶ月過ごし、同じだけの血を受け継いだはずなのに、いったいオレと兄者の何が違うのか。
顔も、声も、体つきも、オレ達はお互い不思議なほど似ていた。
まるで写し鏡を見ているかのようにそっくりだった。なのに。
母様の目に映るのは兄者だけ。
母様にとっての息子は兄者一人だけ。
オレはいない。
母様にとって、オレは存在しない子供だったのだ。
――――――ある時、兄者が酷い風邪をひいて、しばらく母様から離れて寝ていた事があった。
ただでさえ身体の弱い母様に兄者の風邪がうつったら大変だということで隔離されたのだ。
そばに兄者がいない母様。
部屋の中で一人で編み物をしている母様。
オレにとって、そんな母様の姿を見るのは初めてで。そしてそれはオレにとっての最初で最後のチャンスだと思えた。
母様がオレを見ないのは、きっといつもそばに兄者がいるからだ。いくら母様だって、兄者そっくりのオレがひとりでそばにいたら、オレの存在に気付いてくれるんじゃないか。
そんな期待を込めてオレは母様に声をかけたんだ。
「母様……?」
兄者がそばにいない今。オレが兄者のかわりに母様のそばにいて何が悪い。
オレは今までずっと兄者に遠慮して、そばへよる事も叶わなかった。甘えることも。声をかけてもらうことも。頭を撫でてもらうことも。
なにひとつ叶わなかったそんな願いが今日叶うかもしれない。初めて兄者ではなく、オレが母様のそばにいる特権を与えてもらえるかもしれない。
そう思って声をかけたのに。
母様はオレの声に振り返り不思議そうに首をかしげた。
「あなたはだあれ?」
「…………!」
心が凍っていくのが解った。
「……な……何言ってんだよ。珠龍だよ。母様」
「ギョク……?いいえ、私あなたのこと知らないわ」
オレが一歩部屋へ足を踏み入れると、母様は怯えたように後ずさりした。
その目は、オレのことをまったく知らない他人だと思っている目だった。
「あなたはどうして此処に居るの?此処はあなたの家じゃないでしょ」
家に突然入って来た闖入者。母様にとってのオレはまさしくそれだった。
「オレの家だよ、此処は」
「…………?」
何を言ってるの?
そんな感じで母様は首をかしげてオレを見た。
どうして。
どうしてなんだ。
オレと兄者は本当によく似ていた。父さんでさえ間違えるほど。輪郭も鼻も口も髪もそっくり同じ。違いといえば目が見えるか見えないかだけ。
それなのに、母様にとってオレと兄者は似ても似つかない子供に見えるのだろうか。
「なんで知らない振りをするんだよ。オレも兄者と同じ母様の子じゃないか」
「何言ってるの?私の息子は蒼龍一人よ。変な事言わないで」
突然、母様の目が責めるような光を帯びた。
「……解ったわ。あなたね、蒼龍を隠したのは」
「……え?」
すっと母様が立ち上がってオレを睨みつけた。
「昨日から姿が見えなくて……やっとわかったわ。あなたが私から蒼龍を取り上げようと何処かに隠したんでしょう!」
母様の剣幕にオレは恐怖さえ覚えた。
「な…何言ってんだよ、母様。兄者は風邪をひいて自分の部屋で寝てるよ」
「嘘おっしゃい!そんな言葉で私をだまそうとしても無駄よ。蒼龍を返して!!早く返してよ!!」
家中に響き渡る程の大声で母様は兄者の名を叫び、オレを責め続けた。
「蒼龍を返して!!」
オレは叫び続ける母様の声を聞きたくなくて、部屋を飛び出した。でも、扉を閉めてもまだ叫ぶ母様の声はオレを追いかけてくる。
耳をふさいでも消えない。頭の中でずっとずっとこだまする。
母様がオレを否定する言葉が。
わからない。
わからないよ。
どうして?
何がいけなかったんだろう。
オレの何がいけなくて母様はオレを受け入れてくれないのだろう。
どうして母様の頭の中には兄者の姿しかないのだろう。
オレに命を与えた張本人のくせに、どうして母様はオレをそこまで否定するのだろう。
どんどん心が冷たくなって凍えていく。凍えて、手足がしびれて。そして、オレは声にならない言葉を叫び続ける。
どうして。どうして。どうして。
何もいらない。
ただ、優しく頭を撫でて欲しかっただけなのに。
たったそれだけの事も、オレは望んではいけないのだろうか。
「母様?」
騒ぎを聞き付けたのだろう、兄者が自分の部屋から飛び出してきた。そして廊下でうずくまっているオレの脇を通り過ぎて母様の部屋の扉を開ける。
「母様、どうしたの?」
熱のある身体を引きずって兄者が母様の元へ駆け寄ると、母様はまるで怯えた少女のように兄者の小さな身体にしがみついて泣き出した。
「蒼龍……蒼龍……」
「どうしたの?母様。オレは此処にいるよ。ちゃんと居るから」
泣きじゃくる母様をなだめながら、兄者がすっとオレの方を見た。いや、兄者は目が見えないのだから見るという言い方は正確じゃないかもしれない。でも兄者はじっと、まるで見えているかのようにオレの方に顔を向けていた。
しかも哀れむような光を湛えて。
「…………なんだよ。その目は」
知らずにオレの口から言葉がほとばしる。
「なんでそんな目でオレを見るんだよ。もしかしてオレを哀れんでるのか?可哀想だとでも思ってるのか?冗談じゃない。オレは兄者なんかよりずっとずっと倖せなんだよ。目も見えるし、外にも出ていける。来年は学校にだって行くんだ。オレは毎日倖せに過ごしてるんだよ!」
「ギョク」
静かに兄者がオレの言葉を遮った。
「ギョク。本当に倖せな人は決して自分の事をそんなふうに倖せだなんて言わないよ」
「…………!」
ようやく落ち着いた母様をベッドに寝かしつけたあと、兄者はオレの元へと来ると、そっとオレの身体を抱きしめた。
「ごめんね」
ささやくような兄者の声がオレの耳元をかすめる。
そうして、どんどん冷めていくオレの心を温めようとするかのように、兄者はしばらくの間、じっとオレの身体を抱きしめ続けていた。
――――――神様は子供達に平等に愛情を注いでいるんだよ。
初めて行った教会の牧師様が、そんな説教を子供達相手に話していた。オレは聞きながら心の中で舌打ちをする。
子供達みんなが平等に愛される権利があるなんて、そんなの信じてるのは実際愛されている子供達だけでしかない。オレや兄者がよその子供達と同じだけ神様に愛されているなどと、どうやったら信じられるっていうんだ。
家へ戻り、忌々しそうにそう言ったオレの言葉を聞いて、兄者は言った。
「きっと、オレ達は二人で一人分なんだ」
「…………は?」
なんだよ、それは。
「本当は一人で生まれるはずだったのに、何かの拍子で二つに分かれてしまった為、倖せも何もかも全部二分の一しか貰えないんだ」
淡々と、感情のない声で兄者はそう言った。
光という倖せを得たオレと、暗闇の中の兄者。
母様の愛情を一心に受けている兄者と、愛されない子供のオレ。
外の世界を知っているオレと、知らない兄者。
オレ達はお互いが持っている物を何一つ持っていない。
出来損ないの片割れ同士。二つ合わさって初めて人間になれる。
何だか兄者の言葉があまりにも的を射ているような気がして、オレは無性に笑い出したくなった。
何もかも二分の一。半分だけの倖せ。
「じゃあさ、兄者。オレが兄者を殺したら、兄者の分の倖せはオレのものになるのかな」
「…………」
「もともとオレ達のうちのどちらか片方が全部貰えるはずの倖せだったんなら、元の形に戻したって罰は当たらないと思わないか?」
「オレを殺したいのなら、殺していいよ」
顔色一つ変えずに兄者はオレにそう言った。
「お前になら殺されてやる」
「…………」
冗談で言ったつもりでは、確かになかった。でも、まさか兄者がそんなふうに返してくるなどとは予想していなかった。
オレは兄者のことを好きではなかった。
兄者と母様の姿を目の当たりに見せつけられる度、悔しくて仕方なかった。兄者は、冗談めかして言ったオレの、そんな気持ちに気づいていたんだろうか。
ただそれでも。たとえ気付いていたのだとしても、兄者の口調は本当に何でもないことを言っているようで。
そんな口調で、何故兄者は自分の死を望む言葉を発することが出来るのか。
「兄者……死にたいのか?」
オレは思わずそう訊いていた。
「勘違いするな。オレは死にたいわけではない」
だが、兄者はオレの問いにきっぱりとそう答えた。
「じゃあ……?」
「他の誰に殺されるのもごめんだが、お前がオレに手を下してくれるのなら、オレは抵抗はしない」
「…………?」
兄者の言葉の意味がその時のオレには解らなかった。
それからほどなくして、母様がとうとう危篤状態になった。