空砲

「わあ−反町! これ、どうしたんだ?」
「何? 何? 何?…お!!すごいじゃないか!!」
その日、東邦学園中等部のサッカー部部室は異常な程、盛りに盛り上がっていた。
原因は、反町が持ってきた一挺のモデルガン。
かなり精巧に造られたそれは、本物と区別がつかない程で(まあ、この中に本物の拳銃を見たことがある人間がいるとは思えないが)かなり、使い込まれた感じの黒光りする鉄の具合といい、ずしりと手に残る重い感触といい、この年頃の少年達が一度は手にしてみたくなるのも道理といえよう。
「おまっ、こんなすごいの何処で手に入れたんだ?」
「本物みたいだな。かっこいいー!」
あれよあれよという間に反町のまわりに人だかりが出来る。
「へへっ、すごいだろ。知り合いにテレビ局の小道具班にいる人がいてさ、ドラマや映画や舞台なんかに貸し出してたやつなんだけど、使わなくなったからって、無理矢理もらってきたんだ。苦労したんだぜ」
「じゃあ、じゃあ、実際に俳優が使ってたんだ」
「おうよ」
「すっげー!!」
目を丸くして、小池が言うと、反町は得意気に鼻をならし、これ見よがしに銃を頭の上に掲げた。
「なあ、ちょっと貸してくれよ」
「ダメ!!」
横から伸びてきた松木の手を思いっ切り叩きおとし、反町は大げさにあかんべをした。
「けち」
「ちょっとくらいいいじゃないか。反町先生」
「やだね、これはオレの宝物なんだから」
「そりまち〜」
「けちくさいこと言うなよ。オレとお前の仲じゃないか」
「いつからオレとお前の仲になったんだよ」
四方八方からのびてくる手から必死で逃れ、反町が銃を懐に抱えたまま、なんとか皆の足下から這い出したその時、一連の様子を面白そうに見ていた1人の少年が、声をたてて笑いだした。
「何やってんだ?おまえら」
「……あ!!」
「キャプテン! いつからそこに?」
「さっきからいたぞ。オレは」
楽しそうに笑い声をあげるこの少年の名は、西荻劉。
現東邦学園中等部のサッカー部主将で、生徒会長も務めるこの少年は、皆の信頼厚き先輩である。
「騒ぎの原因はこれか? 反町」
そう言って、西荻は反町の手の中の銃をしげしげと見つめた。
「……あ、はい」
「すごいな。ちょっと見せてくれよ」
まるで条件反射のように、反町の手から、西荻に銃が渡される。
「へえ、結構重いんだ」
「ええ、重厚感を出せるようにって、本物と同じに造ってあるそうなんです。型も少し古い物だし。最近のは軽くて、一見ちゃちく見えるから、昔のがいいって言ったら、それをくれたんです」
「良い知り合いじゃないか。持つべきものは…ってやつだな」
「はい」
慣れた手つきで、銃を持つ西荻の様子は、普段の厳しい先輩の姿と違い、やけに幼く見え、反町は新しい発見をしたように、なんだか嬉しくなって、にやにや笑いながら、そんな西荻を見ていた。
サッカーに関しては決して妥協を許さず、他人に厳しい以上に自分に厳しくあろうとする西荻も、本来は普通の少年である。
いたずらもすれば、みんなと騒ぎもする。
抜群のサッカーセンスと、その瞬時の判断力の良さ。バランスのとれた身体に、優しげな顔。その中で一際鮮やかな、強い意志を秘めた瞳。反町達一年生にとって、彼は憧れの的であった。
「いいものもらったな。大事にしろよ」
「はい!」
ずしりと重い銃を、両手で大事そうに抱え、反町が大きく頷いた。
「……あっ、もし良ければ、又これお貸しします」
「サンキュー」
軽く手を振りながら、部室を出ていく西荻の後ろ姿を、にやけた顔で見送る反町の背後に、不気味な影が音もなく忍び寄った。
「そ〜り〜ま〜ち〜」
「…………」
恐る恐る振り向いた反町をいきなり、数人の腕が羽交い締めにした。
「ずるいぞ!反町! なんで西荻キャプテンにだけ!」
「何がずるいだ! 当たり前だろう!」
「差別反対!!」
「お前らなー!!」
先程の騒ぎなど、まだ可愛いものだったと思える程の、更なる大騒ぎの喧噪の中、最初に反町の手から銃をもぎ取ったのは、意外にも若島津であった。
「……あっ!若島津!」
「お前等、いい加減にしろよ銃の一つくらいで」
「返せよ!」
「反町も反町だ。わざと焦らせて騒ぎを大きくするな」
「…………」
同い年とはいえ、やはり若島津のひと睨みはかなり効果があるようで、反町はぶつぶつと文句を言いながら、それでも、銃を弄ぶ若島津を見過ごした。
悔しいけど、かなり様になっているその姿は、やはり黙っていても人目を引いてしまう若島津の美貌(?)と相まって、非常に目を惹く。
なんだか本物の銃を持たせてみたい気がする。そんな事を考えるのは、自分だけだろうかと、ひとり反町が苦笑した時、若島津が不意に、真剣な口調で言った。
「一発、撃たせてくれるか?」
「へ?」
もちろん若島津の持っている銃はモデルガンである。
軽い音ぐらいはでるが、弾など入っていない空砲だ。
「……撃つって…それ……」
若島津が黙って銃を構えたその瞬間、まるで計ったようなタイミングで、部室のドアが開き、浅黒い顔が覗いた。
「……!?」
「日向さん……?」
「……えっ?」
反町の声に顔をあげた日向は、次いで自分に向けられた銃口と、あまりに真剣な若島津の表情におもわず絶句した。
「……なっ……!!」
「……動かないでくれますか?……狙いが定まりませんから」
押し殺した声で、若島津が言った。
「…………な…に……言ってんだ……冗談……」
「本気ですよ」
「……」
「言っときますが、これ本物の拳銃ですよ。なんでも反町の知り合いに元やくざがいるそうで、実弾も既に装着済みです」
おいおいそれはいくらなんでも、と心の中でつっこみをいれつつも、反町は若島津の真剣な表情と、否が応でも緊迫したムードになってきた部室の空気に、そのまま黙って成り行きを見守った。
「冗談だろ……?」
一歩後ずさりしながら日向が言った。
「心外ですね。これが冗談を言ってるように見えますか?」
そう言って若島津は、ゆっくりと撃鉄を起こした。
“ガチャリ”と、やけに重く、その音が部室に響く。
「…………」
日向の頬に冷や汗が一筋流れた。
「……日向さん、知ってましたか? オレの一番欲しい物」
「…………」
「あんたの命ですよ」
「…………」
「オレ、ずっとあんたをこの手で殺したいと思ってました」
しんとした部室の中で誰かがゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
「本当に……ずっと、その事だけ考えてました」
「……わか…」
「本当に……」
ついに若島津の指が、引き金を引いた。
「……!!」
耳を劈くような銃声が轟き、日向が真っ赤な血を吹き出しながらその場に倒れ……こむはずはなかった。
「なっ※★△♀§¥⇔£!!」
「これ、モデルガンですよ。気付きませんでした? そんな本物なんか持ってるわけないじゃないですか中学生が。常識でしょう?」
「……お…おまっ……」
「あんたをからかうと面白いんですよね、ホント。すぐ引っかかるんだから」
「……バカ島津……!!」
「あ、反町、これサンキューな」
「……あ、あぁ」
反町の手に銃を返すと、若島津は笑いながら、日向の脇をすり抜け、ドアに手をかけた。
「待て! 若島津!!」
日向が真っ赤になって呼び止めると、若島津は振り向きもせず、ぽつりと言った。
「でも、知ってましたか? 日向さん」
「何をだ!」
「オレがいつもあんたに向かって空砲を撃ち続けてるって事」
「……えっ?」
はっとして反町が若島津の背中を見つめた。
「…………」
そのまま、そっとドアを開け、部室を出ていく若島津の姿を、反町は何とも言えない表情で見送った。
「……若島津の奴、なんであんな……」
「ホント、たちが悪いよな。あんな冗談」
「……違う」
小池の言葉に反町は小さく首を振った。
「何が違うんだ? 反町。」
「今の……あいつの目見ただろう。本気だったよ」
「……え?」
小池が小さな目を丸くして、反町を見つめた。

 

しばらく後、反町は日向の怒りが収まるのを待ち、そっと部室を抜けだした。
向かったのはグラウンドの隅の大きな桜の木。
思った通り、木の幹にもたれかかって、空を見上げている若島津がいた。
「よっ!」
片手をあげて、駆け寄った反町の姿を見つけ、若島津も手を振る。
「日向さん、どうなった?」
からかうような口調で若島津が訊ねる。
「今、島野がなだめてる」
「あ、ホント」
風が若島津の髪を揺らす。
反町は静かに若島津の隣に腰を降ろすと、横目でそっとその端正な横顔を伺いながら、言った。
「おまえさ……」
「……ん?」
「あン時、真剣だったろ。」
「えっ……?」
驚いた顔で、若島津が反町を見た。
「お前、日向さんに向かって空砲を撃ち続けてるって言ったけど、あれ……」
「……反町?」
「あれ、どういう意味だ。」
反町が探るように若島津を見ると、若島津はくしゃりと前髪を掻き上げて、微かに笑った。
「空しいと思わないか?空砲って。いくら撃っても相手にダメージもショックも与えられないんだ」
「…………」
「なんか、自分ひとりで空回りしてるみたいで嫌だな」
「…………」
空しい空砲。誰にも届かない弾。届かないもの。
何を…?
若島津は何を日向に届けたいのだろうか。
“オレもお前と同じかもな”
ふと、反町は思った。
“オレも、お前に向かって空砲を撃ってるのかな……”
うーんとのびをして、反町は若島津の隣に寝転がった。
もうじき、下校時刻を告げるアナウンスが流れ出すだろう。
どんなに願っても届かない弾。届かない想い。
目の中に飛び込んでくる夕日の色がやけに眩しくて、反町はそっと目を閉じた。

FIN.     

1987.脱稿 ・ 2000.3.19 改訂    

 

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