風の手紙(1)
「えっと……これが松木宛で、こっちが高島……と」
東邦学園高等部学生寮のメールボックスの中から、片手いっぱいの手紙の束を取り出し、小池は郵便配達人よろしく、各部屋のドアポケットの中に手紙を放り込んでいった。
普段は各自で取りに行くのが決まりのメールボックスなのだが、女の子からの手紙など、面白そうな噂のネタを見つける為、いつの頃からか、暗黙の了解のもと、誰かがまとめて取りに行き、各自に配って歩くのが、最近のサッカー部の密かな習わしになっていたのだ。
従って、他人に見られたくない手紙の来る予定の者は、誰よりも早く自分宛の手紙を回収せねばならず、たまにメールボックス付近で挙動不審の者が出没することもままあったのだが、そんな時は何故か、その本人より先に、松木が手紙を見つけ、尾鰭背鰭を山程つけて、アッという間に寮中に知れ渡ることが多かった。
「…………あれ?」
宛名を確かめながら、ひとつひとつ手紙を確認していた小池の手が、ある白い封筒をみつけ、ふと止まった。
「オレ宛?……誰だろ」
差出人を確認しようと、封筒をひっくり返したが、何も書いていない。
最近、手紙がくる予定もないし……
小池は頭をひねりながら、くしゃりと制服のポケットに手紙を突っ込むと、残りの手紙を届ける為に、廊下を歩きだした。
「ふぁ〜疲れた」
すべての手紙を届け終え、部屋に戻ってきた小池は、そのままベッドに倒れ込んだ。
「ああ、こんな事なら、メールボックスなんか覗かなきゃよかった……」
思いの外、手紙の量は多く、結局寮中を歩き回る羽目になってしまった小池は、ぶつぶつ文句を言いながら、隣のカラのベッドに気付き、身体を起こした。
「反町の奴、まだ戻ってきてないのか」
今週の日曜日は、インターハイの予選第1試合の日である。
小池達1年生にとって高等部にあがって初の公式戦。
東邦学園というサッカー有名校ともなれば、部員もかなりの数になり、レギュラー争奪戦も熾烈を極める。
特待生として中等部の頃から活躍していた日向と、やはり常人とは違う若島津だけは、早々とレギュラー入りを決めていたが、その他の者達は、反町がなんとかベンチ入りを獲得できたくらいで、やはり世の中そう上手くいかないものだと、残りのメンバーが集まって屋上で管を巻いたのはつい最近の事。
練習熱心な反町に付き合わされて、小池もよく居残り練習に参加していたのだが、さすがにメンバー発表のショックからか、最近はそれもさぼりがちである。
「あいつ、まだ練習してんだろうな」
負けず嫌いの反町は、誰かが呼びに行くまで、時間も忘れてボールを蹴っているだろう。
「そろそろ呼びにいってやるか」
このままだと、夕食も食いっぱぐれそうな反町の為に、小池がよっと勢いをつけてベッドから飛び降りた時、ポケットの中で先程の手紙がカサッと音をたてた。
「おっと、忘れるところだった。手紙手紙……と」
少ししわになってしまった手紙をポケットから取り出し、小池は机の引き出しの中から、鋏を手に取った。
「…………」
封を開ける前に、もう一度手紙をしげしげと眺める。
なんだか見た事のあるような筆跡。
誰だったっけ……?
小池は不審そうな顔をしながら、ゆっくりと封を開け、便せんを取り出した。
「…………!」
小池の顔が中の文字を見たとたん引きつった。
「…………えっ……?」
おもわず手紙を取り落とし、真っ青になってその場に立ちつくす。
「…………そ……んな……」
日はもうすっかり翳り、夕闇が星の瞬きに変わる。
反町を呼びに行くことも忘れ、小池は呆然としたまま、のろのろと床に散らばった手紙を拾い上げた。
不意に涙がこぼれた。
――――――「……ゼィ……」
いつの間にかすっかりあたりが暗くなっていることに気付き、ようやく反町はボールを蹴る足を止めた。
周りを見渡しても、もう反町以外誰もいない。
他の部の連中も、ずいぶん前にあがってしまったのか、やけにだだっ広いグラウンドを眺め、反町は大きくのびをした。
「なんか、こんだけ広いと自分が小人みたいに思えてくるじゃないか。やだな……」
中等部の頃はそれなりに活躍していた反町だが、本来、彼はサッカー選手としては小柄な方だ。
高等部にあがってまず最初に言われた事は、あたり負けしない身体をつくる事。
体重を増やし、筋肉をつける。
基礎訓練をしながら、反町は恨めしそうに、筋肉質な日向や背の高い若島津を見上げた。
「あと、10cmいや、5cm背が高ければ世界は変わっていたろうに……」
嘆く反町のそばを、背だけは反町より高い島野や松木がからかうような目で通り過ぎる。
いつか、奴ら(特に若島津)を見下ろすほどでかくなってやる、と密かに牛乳を飲み続けている反町だったが、まるでその思いに逆らうように、いっこうに反町の背は伸びなかった。
「あー腹減った」
お腹の虫が暴れだす予感を感じ、器用に足でボールをグラウンドの隅の籠の中に蹴りこむと、反町はようやく帰り支度を済ませ、寮の窓を見上げた。「あれ? 小池の奴、部屋にいないのかな?」
学生寮、自分と小池の部屋の明かりがついていない。
「あいつ、身体の調子が悪いとか言ってバックれたくせに、やっぱり嘘だったのか?」
あと少しで、ベンチ入りを逃した小池の気持ちも解らなくはない。
反町は小さくため息をついて、寮へと走った。
――――――「あ、若島津! 小池何処行ったか知らないか?」
着替えを終え、寮に戻った反町が、廊下で若島津に声をかけた。
「小池? 先に練習あがってたじゃないか。部屋にいないのか?」
「いや、戻ってるならいいんだけど、明かりがついてなかったから」
「変だな、オレ、あいつが部屋に入ってくの見たぞ」
横から日向も口をだす。
「いつ頃? それ」
「1時間くらい前だな。直子からの手紙、届けてくれたんだ」
「また、郵便配達人してたのかよ、あいつ。」
「とりあえず部屋に戻ってみろよ。もしかしたら寝てるのかも知れないし。」
若島津の言葉に頷き、反町は食堂の席をとっといて貰うよう、2人に頼むと、急ぎ部屋へ向かった。
寝てるって事は、ホントに具合が悪かったんだろうか、小池。
もし、そうなら食堂のおばちゃんに言ってお粥でも作ってもらおうか、などと考えながら、部屋のドアノブにかけた反町の手が止まった。
「…………?」
何か、嫌な予感がした。
「……何だ?」
ドアの前で一瞬ためらった後、よし!と気合いを入れて、反町は勢いよくドアを開けた。
「小池? ……いないのか……?」
明かりのついていない真っ暗な部屋の中を、反町はぐるりと見回した。
「……小池……秀人…くん? ……寝てるんですか……?」
やけにひんやりとした空気の漂う部屋の中で、わずかに人の動く気配がした。
「…………?」
急ぎ、部屋の明かりをつけると、小池は自分のベッドの端に腰掛けたままうつむいていた。
「……なんだ、寝てたんじゃないのか。……どうしたんだ? 明かりもつけずに」
反町の声に反応して、ゆっくりと小池が顔をあげた。
「……反町……?」
酷く青ざめた顔。
ようやく反町は小池の様子が尋常でない事に気付いた。
――――――「一体どうしたんだよ」
反町の問いかけに曖昧な態度で答え、小池は何も言おうとしなかった。
しばらく続いた押し問答の末、夕食を報せる音楽が流れてきたのをきっかけに、反町は立ち上がり、食堂へ行こうと誘った。
このまま、ここで言い合っていても始まらない。いらつくのはきっと腹が減っている所為だ。
そう思って誘ったのに、小池は今日は食欲がないからと言って、どうしても動こうとしなかった。
体調が悪いなら、お粥でも頼んでやろうか、との反町の提案もやんわりと断り、やはり曖昧な笑顔で、小池は何も言わなかった。
「……わかった。もういいよ」
ぶっきらぼうに言い放ち、反町は派手な音をたてて、ドアを閉め、独りで食堂へ向かった。なんなんだ。なんなんだ。なんなんだ。
一体何のつもりなんだ。小池の野郎。
人がせっかく心配してやっているのに、無下にしやがって。結局、随分と夕食時間に遅れてしまった為、食堂にはほとんど人も残っておらず、日向達もしばらくは反町を待っていてくれたのだが、しびれを切らせて先に食事を終えてしまっていた。
「悪いな、反町」
「いいですよ、別に。オレが遅れたんだから」
「小池は、どうしたんだ?」
若島津の問いに、反町は急に不機嫌な顔をした。
「知るかよ、あんな奴」
「何? 喧嘩でもしたのか?」
からかうような口調で日向が訊いてくる。
「喧嘩できるなら、オレもここまで煮詰まらないよ」
ドンッと食事の乗ったトレーをテーブルに置き、反町は不味そうな顔をして、食事を口に運んだ。
「……ま、元気出せよ」
慰めなのか何なのかよく解らない励ましの言葉を残して出ていく2人の後ろ姿を、恨めしそうに見送って、再び反町は食事を開始する。
いいよな、あいつらは。いつも平和で。
実は、思い返せば、あの2人程、平和という言葉と縁遠い者達もいないだろうに、自分が不幸だと思うと、まわりみんなが幸せに見えてくるのは、ただのひがみ以外の何物でもない。
「…………」
頬杖をつきながら、反町は今日のおかずのジャガイモの煮付けを箸でつついた。
「もうちょっと、何とかならんのか、この味付けは……」
なんだか、いつも以上に不味く感じるのは、気分が落ち込んでる所為か。反町はもう誰も残っていない食堂で、独り愚痴った。
――――――「反町……!おまえ、何呑気に飯食ってるんだよ!」
突然、島野が食堂に飛び込んできた。
「……へ? ……どうかしたのか?」
反町がびっくりして聞き返すと、島野は普段からは考えられない程の剣幕で反町に食ってかかってきた。
「おまっ……おまえ、なんで小池を止めないんだよ!」
「……えっ?」
小池……?
「小池だよ。まさか訊いてないのか?」
はっとして、島野が口を閉じた。
反町の手から箸が滑り落ちる。
「何の事だ。島野」
「いや……だから……」
「何の事だ!? 島野!!」
おもわず島野の胸ぐらを掴んで、反町は立ち上がった。先程の小池の尋常でない態度。
何を訊いても曖昧に笑って首を振っていた。「小池……さ」
「…………」
島野を掴んでいた手を離し、反町はうつむいた。
「さっき、事務室にいたそうなんだけど……」
「…………」
「なんか、東邦やめるらしいって……」
「…………!!」
反町が信じられないといった顔をして島野を見上げた。
――――――「小池!!どういう事なんだ!?」
「……何が……?」
小池は目を丸くして、ドアをぶち破らんばかりの勢いで、部屋に駆け込んできた反町を見た。
「い……今……お前……事務所にいたって……その……」
「ああ、その事。悪かったな、事後報告になっちまったけど、さっき手続きしてきたから」
「……お…おまっ……そんな……」
あまりの事に、床に座り込んで反町は小池を見上げた。
小池は別に気にもとめない様子で、スポーツバックに着替えを詰め込んでいる。
「……何で……?…何で、そんな急なんだよ……」
「…………」
「オレに相談も何もなしで、お前、そんな大事な事、決めちまうのかよ。おい!」
言いながら、反町の目頭が熱くなる。
親友だと思ってた。
小学校時代からの幼なじみで、東邦に来ることも2人で相談して決めた。親の説得も2人でやった。
なのに……今更……何で……?「……あのさ…」
少しバツが悪そうに振り向き、床に座り込んでいる反町を見た小池の動きが止まった。
「反町……お前、何泣いてんだよ」
呆れた声で小池が言った。
「うるさい!これが泣かずにいられるか! ……お前がそんな奴だったなんて、オレ、ちっとも知らなかったよ。お前はオレの事、友達だなんて思ってなかったんだ」
「何言ってんだよ。理由わかんないな。」
「わかんないのはそっちだろう!何で、オレに何も言わずに東邦やめるなんて大事な事、決めちまうんだよ。お前は!!」
「…………」
小池の手から、ドサリとスポーツバックが落ちた。
「…………何……?」
「……えっ?」
「お前、今なんて?」
「いや……だから…大事な事、相談なしで……」
「その前」
「だから……」
「オレが……何? ……東邦やめるって?」
「…………」2人の間に少しの沈黙が流れた。
小池はかなり妙な表情をしてじーっと反町を見つめている。
どうも、何か違うようだ。
ようやく反町はおそるおそる伺うように口を開いた。
「……何? 違うの?」
はーっと大げさにため息をついて小池は頭を抱えた。
「さっき、事務所に行ったのは、外出許可取りに行ったんだよ。一週間程、実家に帰るんだ」
「……実家……?」
実家に……? 一週間……?
反町は惚けた顔をして、小池を見た。
「お前、いい加減に早とちりの癖、治せよ。はずかしい。誰に訊いたんだ、そんな事」
「……島野……だけど……」
小池が大げさにため息をついた。
「やっぱり、あいつか……」
「へっ……?」
「さっき、事務所で手続きしてるの、松木に見られたんだよ。オレ、やばいなとは思ったんだけど、何処をどうしたら、一週間の帰省が退学に変わるんだ?」
松木と島野は同室である。
真っ先に、しかもわけのわからない尾鰭をつけて、松木が島野に話したことは容易に想像がつく。
がっくりと肩を落とした2人は、次いでどちらともなく笑い出した。
あんなに心配した事が杞憂だったことが、こんなに嬉しいことはない。
反町が安心して笑っている様子を見て、ふと小池の表情が沈んだ。楽しい学園生活。
こんなふうに笑える時は、もっとずっと続くのだと思っていたのに……
自分達の少年時代は、もしかしたら、もうすぐ終わるのかも知れない。
彼の思い出と共に……
小池は反町に気付かれないように、そっと後ろを向いた。
――――――「じゃ……な」
「うん、気をつけてな。おばさん達に宜しく言っといてくれ」
「わかった」
次の日の朝早く、小池は校門で反町に別れを告げた。
「……なあ……」
「ん?」
「何で、急に帰るんだ?」
「…………」
結局、小池は帰る理由を反町に教えなかった。
ちょっとした用事だと、それだけを繰り返し言って、笑った。
「一樹」
「……何?」
「明日の試合、頑張れよ」
「…………」
反町の質問に答える代わりに、小池はそう言って背中を向けた。
なんだか、小池が自分のことを一樹と呼ぶのを久しぶりに聞いた気がした。
いつ頃からだろう、小池も反町もお互いのことを名前で呼ばなくなっていたのだ。確か、小学校の頃は名前で呼びあっていたはずなのに……
「……か…帰ってくるんだろ、すぐ」
なんだか、そのまま小池が消えてしまうような気がして、おもわず反町は小池の背中に向かって叫んだ。
「ああ。……帰ってくるよ」
振り返りもせず、小池が言う。
「……いつ? …いつ戻ってくる?」
「…………」
「秀人!」
「……平気な顔で、昔話が出来るようになったらな」
「……えっ…?」
そのまま、小池の姿は角を曲がって消えてしまった。
「……なんだよ、それ……意味わかんねえじゃねえか……」
結局何も言わずにいってしまった小池を、心の中で罵りながら、反町がくるりと振り返ると、校門の脇に若島津が立っていた。
「若島津……」
「……行ったのか? 小池」
「……うん」
いつも隣にいる日向の姿が見えない。
独りの若島津はなんだか、いつもより大人びて見えた。
「どうした? 反町。元気ないぞ」
「…………」
風がザーッと吹いて、若島津の髪をなびかせる。
「……らしくないな。何落ち込んでるんだよ。小池がいなくて寂しいのか?」
「……そんな…ことは……」
「いい加減、独りにもなれとかなきゃ。いつまでもお手手つないで生きていく気じゃないだろう」
「解ってるよ」
「お前も、オレも、いつか独りで歩いて行くんだから……」
そう言って笑う若島津の顔は、それでも少し寂しそうだった。
この間、日向にヨーロッパから練習生としてこちらのユースに来ないかというオファーがあったことは知ってる。
結局、まだ時期尚早だとの学園の判断で、無くなってしまったが、恐らく高校を卒業したら、日向は何処かへ行ってしまう。
もう、追いかけて行けない程、遠くへ。自分達とは違う世界へ。
「……なあ、平気で昔話ができるようになるのっていつの事だと思う?」
「……昔話……?」
「そう。」
「……そうだな。過去がただの思い出に変わった時かな。もしかしたら、まだ間に合うんじゃないか、過去へ戻ってやり直せるんじゃないか……なんて、そう思う事がなくなった時」
反町はじっと若島津を見つめた。
過去へ。
ただの思い出にするにはあまりにも鮮やかな、過去。
さっき、どうして小池が消えてしまうような気がしたのか解った。
後ろを向いた背中が、妙に寂しそうだったんだ。やけに寂しそうに見えたんだ。
「…………過去……か……」
若島津に聞こえないように、反町は小さくつぶやいた。
――――――部屋に戻り、自分のベッドに寝っころがって、反町はじっと天井を見上げた。
見ようによっては人の顔にも見える不気味な天井のシミが、やけにいつもより大きくなって自分の所に落ちてくるような気がして、反町はベッドから身体を起こした。
別に部屋に一人でいた事くらい、いっぱいあったはずだ。
以前にも、しばらく小池がいなかったこともある。
なのに、今回に限って、どうしてこんなに平気でいられないんだろう。
ぶんぶんと激しく頭を振り、反町は何かを振り払うように立ち上がると、壁の時計を見上げた。
今日は土曜日。授業は休みだし、部活が始まるまではまだ時間がある。
「しゃーないな。予習でもしよっかな」
特に勉学にいそしむ気にはなれなかったが、このままぼーっとしていると何を考え出すか解らなくなってしまいそうで、反町は、机に向かおうと棚の教科書に手をかけた。
「……あれ?」
隣の小池の机の引き出しから、何かが飛び出していた。
小さな紙切れか、ノートの端っこが引っかかっているのか、白い紙が覗いている。
「なんだろ……?」
悪いと思いつつ、反町はそっと引き出しを開け、その紙を手に取った。
「・・・何だ? ……手紙じゃないか……」
差出人の名前のない、白い封筒。
何処かで見たような筆跡。
「…………」
消印は一昨日。
つまり、この手紙が来た日、小池は急に家に帰る決心をした事になる。
しばらく、手紙を持ったままじっと動かなかった反町は、やがてゴクリと唾を飲み込むと、ゆっくりと中の便せんを取り出した。
『前略 小池秀人様
単刀直入にいう。弘希が死んだ。
弘希が、死んだ。
助けて欲しい。矢野拓巳』
反町の手から、手紙が滑り落ちた。
「……弘希が……? そんな……バカな……」弘希と拓巳。
彼らは反町と小池の小学校時代の友人だった。
都心を少し離れたその小さな街で、彼らは少年時代を過ごした。
サッカー好きの反町に誘われて、市のサッカーチームに入った4人は、それこそ毎日泥まみれになって駆け回った。
弘希……
優しい奴だった。
いつも穏やかに笑っていて、怒ったところ等見たことがなかった。
男にしては色の白い、抜けるような肌の色と、柔らかそうな癖のある髪。
夏が苦手で、すぐ日射病にかかって青い顔をしていたのに、決して苦しいとか言わなくて、平気そうに笑っていた。
反町達が東邦へ進学することを決めた時も、真っ先に喜んで、親たちの説得に協力してくれた。
最後に逢ったのは、去年の正月。
少し体調を崩したとかで、外に出られなかった弘希の為に、家に押し掛けてみんなで大騒ぎした。
あの時、弘希は楽しそうに笑っていた。
こんな事なら、ちゃんと逢いに帰ればよかった。
夏も冬も正月も春休みも、その気になれば帰れなくはなかったはずなのに。反町は色が真っ白になる程、拳を握りしめた。
小池は何故オレに言わなかったんだろう。
明日の試合を気にして言わなかったんだろうか。
小池は、独りで過去に戻りたかったんだろうか。
バカ野郎……!握っていた手紙を、反町は床に投げつけた。