漂流者 (1)

その日は、潮風がやけにベタベタと身体にまとわりつく朝だった。
それもそのはず、その日はかなり大型の台風が通り過ぎた翌朝であったのだ。
朱雀は、早朝ようやく日が昇りだした時間、独りで海岸へと足を向けた。
嵐のあった翌日は案外色々な物が浜辺へ打ち上げられているものだ。何かめぼしい物はないかと、朱雀はぐるりと広い海岸を見回した。
目に付く物は船の残骸らしき木の破片。海草の絡まった網。肺の破裂した深海魚等。あまり見目の良いものは見あたらない。
近くで船が難破でもしたのだったら、船倉に置いてあった穀物の一袋でも流れてくれば良いのに、どうやらそういった類の物は此処へ流れつく前に海の底へ沈んでしまったらしい。
だが、流れついている船体の破片を見る限り、近くで船が難破したのは間違いなさそうだ。
もとの部分は何処だったのか解らない大量の木片を拾い上げ、朱雀は吐き捨てるようにつぶやいた。
「まったく、いらねえもんがこんなに大量に流れてきたってどうしようもないじゃないか」
言いながら海に向かって拾い上げた木片を放り投げる。
ザンっと水しぶきをあげた木片は、そのままズブズブと海の中へ沈んでいった。
「完全に腐ってやがる」
コキコキと首を鳴らし、朱雀は諦めたように海の彼方を見つめた。
「しゃあねえな。午後にでもちょっと遠出して潜ってみるか」
この島で食料を調達するのは生半可な事では出来ない。
赤道直下にある島。デスクィーン島というこの島は、皆が別名地獄島と呼ぶにふさわしい最悪の島だった。立っているだけで日射病になりそうな、きつい日差しの為、活動できるのは朝と夕方以降のみ。
滅多に降らない雨の為、近くに川など流れておらず、島の中央にある山の頂上近くの小さな泉でなんとか水を汲んでは、自分たちの寝床にしている洞窟へと運ぶ。
山の向こう側には多少の畑があるが、そこで栽培されるものなどたかが知れている。
自給自足が当たり前の生活。
約半年前、亜門と共にこの島へやってきた当初、朱雀はあまりの酷い環境にあきれ果てたものだ。
それでも、この島を出ようと思わなかったのは、朱雀にとって煩わしい人間がいないというこの島はそれだけで心休まるものだったのだろうか。
唯一、この島で知り合った双子の兄弟、蒼龍や珠龍と一緒に山の中腹にある洞窟で生活するようになってからも、朱雀は決して亜門に此処を出ようとは言わなかった。
「…………?……何だ、あれ」
足下の砂を蹴散らしながら、波打ち際を歩いていた朱雀が、突然眉をひそめて立ち止まった。
何か黒っぽい物が波間に見え隠れしている。死んだ魚にしては大きすぎるが、いったい何だろう。
「………!!」
はっとなって朱雀は駆けだした。
と、その時、右手の崖の上からひょいっと顔を出した亜門が朱雀を見下ろして声をかけてきた。
「朱雀!どうだ、収穫は?」
「…亜門!ちょうどよかった!兄者を呼んできてくれ!!」
「はっ?」
海岸沿いの岩場に辿り着き、朱雀はもう一度崖の上の亜門を振り仰いだ。
「さっさと呼んで来いよ!!」
「何だよ、どうかしたのか!?」
「何でもいいから早く!!」
亜門を怒鳴りつけ、朱雀はすぐさま足下の岩場を見下ろし、ぺっと唾を吐いた。
「ったく…何で……」
「……何があったんだ?」
ふいに耳元で亜門の声が聞こえ、朱雀が驚いてふり返ると、先程確かに崖の上にいたはずの亜門が不思議そうな顔をして朱雀の肩越しに海を眺めていた。
「おまっ…兄者に知らせろって言ったのに、何で…」
「連絡はしといたよ。別にいくら兄者が盲目だからって手ひいて連れてこなきゃいけないってわけじゃねえだろ」
「あ……そうか。忘れてたよ。お前が化け物だって事を」
「今更お前にそんなこと言われたくないね」
朱雀以外の者の口から化け物などという言葉がでれば、亜門は間違いなく相手を半殺しの目に遭わせただろう。
亜門の不思議な能力のひとつ。
テレパシーと言えばいのだろうか。
はっきりと言葉にならなくても相手の意志を読みとったり伝えたり出来る。
亜門は苦笑しながら、朱雀が見ていた岩場の向こうを覗き込んだ。
「……何? あれ、人間?」
波間に見え隠れしながらゆらゆらと浮かんでいるのは、どう見ても人間の腕だ。
「土左衛門か?」
「わからない」
「どうする気だ?あれ」
「わからない」
「わからないなら、何で蒼龍を呼んだんだよ」
「いいだろ、別に」
「……………」
すねたように口をとがらせている朱雀を見て、亜門がやれやれと空を仰いだ。
「しゃーねーな」
「…………?」
すうっと息を吸い込み、亜門はいきなり海の中へ飛び込んだ。
「亜門!?」
ひと泳ぎで目標物に辿り着き、亜門は海の中から突き出た細い腕を掴むと、そのまま朱雀の待つ岩場へと引き返してきた。
「ほらよ」
「………」
「何だ。ガキじゃねえか」
亜門が岩場の上に引き上げたのは、まだ10歳になるかならないか位の小さな少年だった。
褐色の肌に赤い髪。まだあどけなさの残る幼い顔。
「夕べの嵐で難破した船にでも乗ってたのかな」
少年の身体を抱え上げ、亜門が言った。
「そいつ……」
「大丈夫。まだ息はあるよ」
朱雀に向かってにやりと亜門が笑った。
「結構しぶといぜ、このガキ。案外こういうガキの方が大人より運がいいんだ」
そう言って亜門は、どさっと抱え上げた少年を砂浜に放り投げた。
ザッと砂煙があがったが、ぐったりとした少年は意識を戻すこともなく砂浜に倒れたままである。
朱雀は無言で、少年の頬を軽く叩いた。
やはり意識は戻らない。
と、その時ようやく長い髪をなびかせて双子の兄弟が朱雀と亜門の元へ駆けつけた。
「いきなり何呼び出しかけてんだよ」
不満気な珠龍の視線が砂浜に転がっている少年の身体の上で止まる。
「何?死んでんのか、こいつ」
「いや、死んではいないようだ」
蒼龍は珠龍の後ろから顔を出し、少年のそばにしゃがみ込むと、少年の首筋に手を当てた。
「大丈夫。微かだけど脈はまだあるよ」
「………」
朱雀の心配を見て取ったように蒼龍が朱雀に向かって言った。
「だが、このまま此処に居ては、そのうち衰弱して死ぬことは間違いない」
「………」
「助けたいか?朱雀」
「…何で、オレに訊くんだよ。兄者」
「お前が一番、この子を助けたがっていると思ったんでね」
実に悪びれない口調で蒼龍はそう言った。
「なっ…何言ってんだよ兄者…!! …そんなわけねえだろ!!」
朱雀は真っ赤になって蒼龍の言葉を否定し、脱兎のごとくその場を離れていった。
「素直じゃねえなあ、まったく」
珠龍が呆れた表情で走り去っていく朱雀を見る。
「そこが、彼の良いところだよ」
くすりと笑い、蒼龍は再び少年の様子を見るため、そっと少年の額に手を当てた。
「早めになんとかしないと、本当に死ぬかもしれない。洞窟へ連れて行こう」
「了解」
亜門が蒼龍の指示に従って、少年を抱え上げ、自分たちの住処となっている洞窟へと連れて行った。

 

――――――「どうだい、様子は」
やはり気になるのか、朱雀は皆が居ないことを確認して、蒼龍のいる洞窟の一番奥へと顔を出した。
「まだ意識は戻らない。ただ、呼吸は随分としっかりしてきた」
「ホントに?」
「海に落ちてすぐ意識を失ったのか、水もほとんど飲んでいない状態だ。運が良かったんだな」
「そっか……」
素直に安心した吐息をもらし、朱雀は蒼龍の隣へとストンと腰を落とすと、手に持っていた果物を蒼龍の手に握らせた。。
「そいつの目が覚めたら、これやってくれよ」
「何? 果物か?」
「そこの山から取ってきた。果汁がなるべく多そうなのを選んできたから」
「…………」
くすりと蒼龍が笑った。
「何?」
「いや、随分殊勝だなと思って。お前が他人の為に何かをするなどと知ったら、ギョクあたりは随分驚くだろうな。まあ、予想はしていたが」
「けっ、弟龍になんか勝手に言わせておけばいいんだよ。別にオレはこいつがどうなろうと知ったこっちゃないよ。たまたま多めに取ってきたんで持ってきてやっただけだ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
すねた口調でそう言うと、朱雀は洞窟の床に横になっている少年を見下ろした。
海水が乾いて塩が吹き出した汚れた顔。ボロボロになった衣服。
発見したとき、死んでいるのかと思った。
こんな少年が、たった1人で誰にも助けて貰えず、死んでしまったのかと思った。
「…なんかさ」
ぽつりと朱雀が言った。
「こういう奴が弱ってそのまま死んでいくのって、あんま気分良くないよな」
「……まあな」
「……昔さ、オレがいた売春宿にさ、オレより小さな新人が来たことがあった。店の親父が路地で倒れてたのを良いことに無理矢理引っ張ってきたらしいんだけど。なかなか綺麗な子でさ。親父はその日のうちに奴に客を取らせやがった」
「……………」
「そいつ、あまりのショックでおかしくなっちまってさ。そのまんま、ものも食えなくなって弱って死んじまった。ガリガリに痩せた手をして、最後にオレに逃げろって、それだけ言って動かなくなった。オレは、そいつの死体を親父に見つからないように土に埋めて、その足で街を飛び出した」
「……………」
「ちょっと…似てる」
そう言って、朱雀はそっと眠っている少年の額にかかった赤い髪を撫でた。
「そいつも、こいつと同じ赤い髪をしていた」
「……………」
「結局、街を逃げ出したってオレの行き着く先は同じような所ばかりだったけど。でも……それでも……」
「…朱雀……」
「いつだって、バカを見るのは弱い奴で。どうしようもなくそれが悔しくて仕方なかった」
「……………」
まだ充分に護られるべき側にいるはずの幼い少年。
自分の身を自分で護ることすら出来ずにどんどん衰弱していって。
「……………」
「兄者…!!」
突然、朱雀がはっと息を吸い込み、蒼龍の腕を取った。
「こいつ、目を覚ますぞ」
「………!」
朱雀と蒼龍が見守る中、少年がゆっくりと目を開けた。
「………?」
「おい……大丈夫か?」
「…………」
薄暗い洞窟の中で目を覚ました少年は、朱雀を見、蒼龍を見、ぐるりと洞窟内を見回したかと思うと、声にならないかすれた叫びをあげ、後ろの壁へと飛び去った。
まるで怯えた獣のような目をして、少年は蒼龍と朱雀の顔を交互に見比べ、何か言おうとしてか、喉に手を当てる。
「…………!!」
歯の根が合わないほど、ガタガタと震えたまま少年はピタリと壁に背をくっつけていた。
パクパクと動く口からは、かすれた息だけがもれ続ける。
「おい、そんな怯えなくても、とって食ったりしねえよ」
「…………!!」
「おい、どうしたんだよ」
朱雀が話しかけても、少年はただ怯えた表情のまま、苦しげに喉に手を当てている。
必死で開けた口からヒューというかすれた音がもれた。
「兄者…こいつ…何か変だ」
「………声が…?」
少年の様子が少しおかしいことに気付き、朱雀がすっと少年に向けて腕を伸ばすと、少年は再び声にならない悲鳴をあげ、地面へとうずくまった。

 

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