飛翔(1)
「井沢! おまえさ、週末何か予定ある?」
そう言って、来生が部室に飛び込んできた時から、いやな予感はしていたのだ。
「……別にないけど、なんで?」
「ないんだな。よし、じゃあさ、良い計画があるんだけど、もちろん乗るよな?」
「……はいぃ?」
もちろんって、おいおい、お前、はなっからオレが断る訳ないとか思いこんでないかい?
と、心の中で無駄な抵抗をしつつも、オレは話したくてうずうずしている様子の来生を、呆れ顔で見上げて言った。
「…………何の計画…………?」
一生懸命、ぶすっとした顔をして、オレは乗り気じゃないんだぞ光線を投げかけていたにも関わらず、来生は何も気付かない様子で、オレの目の前に一枚の紙を差し出した。
「これ、見てみろよ」
「……?」
来生の手から紙を受け取り覗き込むと、それは人の名前や、学校名等が記載してある一覧表だった。
よく見ると、オレや来生の名前も載っている。他には翼の名前や……あれ?……日向に若島津、松山……?
「何だよ、これ、この間片桐さんが言ってた選抜メンバー表じゃないか」
「ピンポーン!」
人差し指をたてて明るく来生が言う。
全日本少年サッカー大会が終わった後、選抜メンバーを組んで強化合宿を行い、後日、韓国との親善試合の計画があるのだとサッカー協会の片桐さんに聞いた。
オレ達南葛FCからは翼はもちろん、オレや来生、滝、それに若林さんなどが選ばれていたはずだ。
「……で、これが何?」
「妙だと思わないか? これ」
「…………?」
真面目な顔で来生に言われ、オレは再びメンバー表を覗き込んだ。
別に名前も学校名もチーム名も間違っていない。
出発日や合宿日程、試合の予定、いくら目を凝らしても、おかしい所等見あたらない。
「……別に。何処が妙なんだ?」
「お前、ホントに観察力が欠落してるな。ちゃんとこのメンバー見て見ろよ。足りない奴が居るだろ。1人」
「足りない奴?」
来生は要領を得ないオレに呆れた顔で大げさにため息をついた。
「あーもう。じれったいな。お前、覚えてないか? 武蔵FCの一ノ瀬明。あいつの名前がないんだよ」
「……え?」
一ノ瀬……? ああ、一ノ瀬ね。
確かにオレの手にしたメンバー表の中に、一ノ瀬の名前はなかった。
「一ノ瀬って今大会で優秀選手に選ばれてただろ。オレ、表彰式の時、隣にいたからよく覚えてるんだけどさ。この間片桐さんに選抜メンバーの事聞いた時は確かに名前があがってたんだよ」
「…………」
来生も一ノ瀬もポジションは同じフォワードだ。奴のプレイをかなり来生が気にしていた事はオレも覚えてる。
抜群のサッカーセンスを持ち合わせた武蔵FCの連中の中で、奴は見事に中心選手として活躍していた。
日向のように力にものをいわせる強引なサッカーと違い、柔らかくボールにタッチ出来る柔軟性と、シュート感覚の良さ。
“あいつ、良いな。”
試合後、来生はオレにぽつりとそう言った。
背もさほど高くなく、力より技で勝負したがる来生にとって、日向より一ノ瀬の方がよりライバルとして、心に残る選手だったのだろう。
「な、妙だろ」
「…………」
オレは部室のベンチに座ったまま、上目遣いに来生を見上げた。
「お前も妙だと思うだろ」
「…………で?」
「……でって?」
「妙だと思って……で、どうしようって言うわけ?」
「んなの決まってるじゃないか。確かめに行くんだよ。東京へ」
「…………」
やっぱり。
そんなこったろうと思った。
「ちょうど週末、翼が三杉の見舞いと出発の報告に東京へ行くって言うからさ。それに便乗させてもらわないか?」
「オレと……お前だけ?」
「ああ。何で?」
「滝はどうした。滝は」
「あいつ、なんか用事があるんだってさ。用件言う前に断られちゃった」
……逃げたな。滝の奴。
まったく。話を聞いたが最後、断れないと思って先手をうった滝のずる賢さに少々腹をたてながら、オレはもう一度、期待を込めてオレを見つめる来生の顔を見上げた。
ホントに、もう。
週末は合宿の用意の為、買い物にでも行こうかと思ってたのに。
解ったよ。解りましたよ。
そんな目で見るなよ。
お前ってば、オレがお前のその目に弱いことを重々承知で、わざとやってるだろう。
どうせ、いつもそうなんだから。
しぶしぶながら承知したオレは、すぐさま来生に引っ張られて、翼の元へと走らされた。
真夏の蝉の声が、やけに大きくオレの耳に届いた。
――――――「言っとくが、行きたいと言ったのはお前だからな、来生」
「うるさい。そんなこと言われなくてもわかってる」
真っ青な顔をして病院のベンチに倒れ込んだ来生を見下ろして、オレは大きくため息をついた。
本当に3人だけで大丈夫なの? と心配気に言った両親達をあの手この手で丸め込み、なんとか子供3人の小さな冒険旅行としゃれ込んだオレ達は、朝早く、翼と待ち合わせて、いそいそと新幹線に乗り込んだ。
大会や、修学旅行なんかで乗ったことはあるにしても、自分達だけで切符を買い、自分達だけで計画を立てて乗る新幹線は、いつもと全く違う感じがして、最初は乗り気でなかったはずのオレも、いつしか心がうきうきと沸き立ってくるのをおさえられなかった。
静岡から東京。
大人にとっては大した距離ではないだろうが、オレ達にとってはそれは未知への冒険の旅だった。
窓の外に見えた見慣れた富士山まで、いつもより高く見える。
来生もそんなオレに負けないほど、はしゃいでいたはずなのに、気が付くと、奴は妙に口数少なく、じっと窓の外を眺めていた。
ようやく東京駅のホームに降り立った時、よろよろと柱にもたれかかったまま、動けなくなった来生に、翼が心配気に言った。
「来生君、もしかして新幹線に酔った?」
「…………」
そのままずるずるとホームの柱のそばにしゃがみ込んだ来生の為に、オレは急いでエヴィアンを買いに売店まで走った。
そういえば、あいつ、乗り物に弱かったんだ。すっかり忘れてた。
新幹線は窓とか開けることが出来ない分、更に苦しかったのだろう。
なんとか水を飲ませて人心地ついた来生がもう大丈夫だというので、とりあえずオレ達は目的の三杉の入院している病院へと向かうバスに乗った。
心臓の検査のため、今、三杉は大きな大学病院に入院している。
その為、今回の合宿にも参加できず、きっととても残念がっているだろう。なんとか励ましてやりたいんだと言う翼の言葉を聞いて、オレはあの試合後、チームメイトに支えられながら、グランドを去っていった三杉の背中を思いだした。
あれ程、試合の最中堂々としていた三杉の、どろどろに汚れたユニフォームと、苦しげに寄せられた眉が、やけに痛々しくて、周りを取り囲むチームメイトの奴らの青ざめた顔が辛そうで、とうとう表彰式にも姿を見せることのなかった三杉の事を思い、さすがのオレもあの時、一ノ瀬達の前で、はしゃぐことをためらった。かなりでかい病院の門をくぐり、外来患者の待つ控え室へたどり着くと、オレは翼に先に病室へ行っていてくれるよう頼み、先程のバスで更に様態の悪化した来生をとりあえずベンチに座らせた。
「ほら、水飲めよ。ちっとはましになる」
「……ん」
のろのろと水を受け取る来生の顔色は、ほとんど紙のように白かった。
手持ちぶたさのまま、隣りに腰掛け、オレは横目で来生の様子を伺った。
いつも元気な分、こういう時は、本当にどうしていいか解らなくなる。
もうすっかり温くなってしまったであろう水を飲み干すと、来生は無理に笑顔を作ってオレに有り難うと言った。
「あれ? お前ら……もしかして……」
その時、聞き覚えのある声がオレ達の名前を呼んだ。
「……あ!!」
驚いて顔をあげたオレ達の方へ駆け寄ってきたのは、なんと、オレ達の目的の人物、一ノ瀬その人だった。
「え……と、来生に井沢だろ。南葛の。どうしたんだ? こんな所で」
「ああ、ちょっと……」
「もしかして三杉さんの見舞いに来てくれたのか?」
「まあ、そんなとこ。翼が今、三杉の病室へ行ってるよ」
「そうなんだ。じゃあ、後で顔だしとかなきゃ。ありがとな、わざわざ」
やけに嬉しそうに一ノ瀬は言った。
「三杉さん、昨日でひととおりの検査が終わったから、今日はわりと自由な時間が多いはずなんだ。良いときに来てくれたな」
「…………」
やけに三杉の事情に詳しそうな一ノ瀬の態度に、おもわずオレ達は顔を見合わせた。
「お前、しょっちゅう此処来てるのか?」
来生が訊くと、一ノ瀬は少し照れたように笑って答えた。
「まあ、しょっちゅうって言うか、一応毎日、顔出してるけど」
「毎日!?」
オレ達はそろって声をあげた。
おいおい、いくら三杉のことが心配でも、それはあんまり、心配性すぎやしないか?
それとも武蔵の連中にとっては、それが当たり前なんだろうか?
オレ達の呆れたような顔を見て、一ノ瀬が声をたてて笑った。
「あ、勘違いすんなよ。オレが此処に来るのは他にも理由があるからなんだ」
「何? お前も具合悪いの?」
もしかして通院しなくちゃいけないほど、何処か悪いのだろうか、と心配して訊いてみると、一ノ瀬は少しだけ眉間に皺を寄せて言った。
「実は、妹も此処に入院してるんだ」
「……妹さん?」
「ああ、喘息持ちでね。この間、酷い発作起こしちまって」
「ごめん……悪いこと訊いた?」
「いや、別に」
申し訳なさそうに言った来生に、一ノ瀬は笑顔で首を振った。
「それより、来生、なんか顔色悪くないか? オレ、てっきり此処の患者かと思ったぞ、最初」
「あ、大丈夫。ちょっと此処まで来る途中、乗り物酔いしただけだから」
未だに真っ白な顔色のまま、来生が答えると、一ノ瀬は少しの間腕組みをし、考え込んだあとぽつりと言った。
「……じゃあ、良い所案内してやるよ。三杉さんの所へは後で顔だせばいいんだろ」
「まあ、そりゃそうだけど」
実はオレ達の目的は、三杉ではなくお前だったんだけど……
なんて事はさすがに言わなかったが、オレ達は結局、一ノ瀬の誘いに乗って病院の外へと出ていくことに決めた。
――――――かなり大きな大学病院の入院患者用の玄関を出ると、右手に小さな小道があった。
一ノ瀬は勝手知ったる様子で、どんどん脇道に入って行く。
「さすが、毎日通ってるだけのことはあるよ」
広い広い病院の敷地内は、もう一ノ瀬にとって庭のようなものなのだろうか。
5分ほど歩いた先の小さな公園に着き、ようやく一ノ瀬は立ち止まってオレ達を振り返った。
「ここさ、患者さん達もよく来る散歩コースのひとつなんだけど、良い所だろ」
そう言ってにこりと笑った一ノ瀬の後ろに大きな木がそびえ立っていた。
見事に生い茂った緑の葉。何の木だろう。桜かな? 桜だったら、きっと此処は春は絶好の花見の場所になるだろう。
綺麗に植樹された木々。手作りの暖かな雰囲気を醸し出しているベンチ。奥には小さな噴水まである。
「ここ、空気が美味しい」
大きく深呼吸して来生が言った。
心なしか顔色が元に戻ってきている。
「乗り物酔いなんか、空気の良いところでちょっと休んでればすぐ治るよ」
「ホント」
オレ達は、そばのベンチに腰掛け、一ノ瀬が買ってきてくれたジュースを飲んだ。
冷たいジュースが喉をとおって、胃に染みていく。
ふと、一ノ瀬が、何かを探るように顔をあげた。
「……? 何見てんだ?」
「…………」
無言で一ノ瀬が指さした方角に、オレ達が出てきた大学病院の窓が見えた。
「あそこ」
「…………?」
「あそこが明日香の病室なんだ」
「明日香……って、妹さん?」
「うん。オレ、よく此処に来るからさ、明日香に何かあったら窓から知らせてくれるように、看護婦さんに頼んであるんだ」
「…………」
ちょうどこのベンチからよく見える位置に窓がある。
一ノ瀬は、だからいつも此処に来る時はこのベンチに座るのだと言った。
眩しそうに手をかざして病室の窓を見上げる一ノ瀬は、以前グランドで見た時より、数段大人っぽく見えた。
「妹さん、そんなに具合悪いのか?」
遠慮がちに来生が訊いた。
「ん……今回の発作が今までで一番大きかったから。やっぱり何かあった時、真っ先に駆けつけてやりたいじゃないか」
オレも妹の麻衣子が病気になったりしたら、この一ノ瀬みたいに毎日病院に通ったりするのかなあ。
なんだか、そんな自分自身が想像出来なくて、オレは小さく頭を振った。
「だから、今回の選抜、断ったのか?」
「……えっ?」
驚いた顔で、一ノ瀬が振り返ってオレを見た。
「お前の所にも、片桐さんから連絡いったろ。強化合宿の」
「……ああ、あれね」
一ノ瀬が残念そうに、くしゃりと顔をゆがめた。
「連絡もらった時、ちょうど明日香が倒れた日だったんだ。もうそれどころじゃなくて、オレ、絶対何処へも行かないって言っちまって」
「…………」
「おかげで、あとで明日香にすげえ怒られちまった。私の事なんかいいから、行きなさいよお兄ちゃんって。……オレ、それ聞いてやっぱり行きたくなくなっちまった」
「…………」
「明日香は自分の為にって言うけど、それ、ちょっと違うよな。だって、オレが嫌なんだ。明日香に何かあったらって、遠くでずっと心配してなきゃいけないのが。だったら、目の届く所にいた方が何倍もいい。何倍も安心出来る」
「一ノ瀬」
「あ、でも別に今回は断っちまったけど、次の機会があったら行きたいと思ってる。明日香の調子が良くなって、オレが離れてても安心出来るくらいに回復したら、そん時はきっと。……それに、いつか、三杉さんと一緒に、またグランドに立つの、オレの夢だから」
「三杉と?」
三杉の心臓病は、良くなるんだろうか。ふと思った。
あれ程のテクニックと、冷静な判断力。心臓病さえなければ、もしかして翼以上の力を持ったかもしれない三杉。
「いいよな、お前ら」
ぽつりと一ノ瀬が言った。
「……?」
「ずっと一緒にサッカーやってきたんだろ」
オレ達はおもわず顔を見合わせた。
「まあ、オレ達の場合、腐れ縁ってやつだよ。家も近所だし、親同士も仲良いから」
「羨ましいよ。一緒に喜べる仲間がいて。これからだってずっと続けていく気なんだろ」
「何言ってんだよ。お前だって」
「三杉さんは、もうフル出場するのは無理かもしれないんだ」
「…………」
「今までだって、毎試合10分くらいしか出てなかったけどさ。今回の入院で、担当医にかなり絞られたらしいよ、三杉さん。こんな無茶して、命を粗末にするなって」
「…………」
「命だぜ。なんか信じられないよ。あの人は本当に命がけでサッカーをしてたんだよな。今更ながらに思った」
たかがサッカー。されどサッカー。
確かにサッカーはオレ達の夢かもしれない。でも、オレはサッカーに命はきっとかけていない。
サッカーをして命の事を考えたことなどない。
「あの人は、いつも身体に爆弾抱えてサッカーをしてる。オレ、ずっと三杉さんと40分間ずっと一緒にプレイできたらいいなあって思ってた。でも、その願いがこの間叶って。叶ったとたん、オレすごく後悔した。真っ青な顔で担架に乗せられた三杉さん見て、こんな事になるんなら、もういいからって」
「三杉の病気って生まれつきなんだろ。よくずっと一緒にやってこれたな。恐くなかったのか?」
来生が訊いた。
「恐い?」
「いつ隣で倒れるかしれない奴と一緒に走るって、結構しんどいだろ。対戦してたって、オレ恐かったもん。あの翼が普段通りに動けなかったくらいなんだぜ。それを」
「……オレさ、実は、三杉さんの心臓の事、知らなかった頃、あんまり三杉さんの事、好きじゃなかったんだ」
「……え?」
「だってさ、あの人、練習だってたまにしか出てこないし、出てきても10分も走ったら、すぐあがっちまうし、何だこいつはって。おぼっちゃまの道楽かよって、ずっと、そう思ってた」
「…………」
トンっと勢いをつけて立ち上がった一ノ瀬は、そうして少し照れたように笑った。
「オレ、バカだよな。あの人の事なんにも知らないで、そんなこと思ってたなんて……」
そう言って一ノ瀬は、初めて三杉の心臓のことを知った日の事を、オレ達に話してくれた。