光の欠片 (1)

「危ない! 征士!!」
ぐらりと突き上げるような揺れの中放たれた遼の叫びに反応して天井を振り仰いだ征士の目に映ったものは、キラキラと日差しに反射して七色に光った降るような光の欠片だった。
「征士!!」
綺麗だな。
やけに冷静にそんな言葉を心の中でつぶやいた征士の周りに、その光の欠片がゆっくりとスローモーションのように舞い降りる。
なんだか現実感のない、その雰囲気の中、遼の叫びだけが遠く征士の耳にこだました。

 

――――――「伸!! 伸はいるか!?」
ガヤガヤと騒がしい教室のドアを壊れそうな程の勢いで押し開けながら、秀が一学年上の伸の教室へ駆け込んできた。
「伸!!」
教室の隅にいる伸をめざとく見つけた秀は、周りの視線などものともしない様子で大きく伸を手招きする。
「秀!? どうしたんだよ。今、教室で待機してろって放送流れたばかりじゃないか!?」
慌てて秀の元へ駆け寄った伸は、秀のあまりに青ざめた顔に、ふと顔を強ばらせた。
「秀?」
嫌な予感がする。
そんな伸の不安を読みとったように、秀は邪魔な机や椅子を蹴飛ばして伸の腕を掴み引き寄せた。
「大変なんだ。伸。すぐ東門の所へ行ってくれ」
「東門?」
「緊急事態だ。さっきの地震で征士が怪我をした」
「……えっ……!?」
伸がゴクリと唾を飲み込んだ。
「……征士が……怪我……?」
「ああ、オレも当麻を探してすぐ向かうから、先に行っててくれるか? 遼がかなりパニクってるからなだめておいてくれ」
「…………わかった」
多くを訊くこともせずに、伸は急いで教室を飛び出した。
さすがに長年のつきあいというのは便利なもので、表情を見ただけで相手が何を言わんとしているのか手に取るようにわかる。
秀も、駆け去っていく伸を見送ることもなく、そのまま反対の方向に走り出した。
教室や廊下に備え付けてある古ぼけたスピーカーが、途切れ途切れに先生方が順次見回りに行くから皆教室で待機するようにとわめき立てているのを聞き、秀が小さく舌打ちをする。
「んな悠長にしてられるかってんだ」
誰にともなくつぶやいて、秀はこの昼休みに当麻が行きそうな場所、図書室や屋上を探す為、学校中を走りまわった。

つい先程、かなり大きな地震があった。
飾ってあった花瓶が派手な音をたてて割れ、教卓の上の書類がバサバサと床に散らばる。
とっさに床にしゃがみ込む者、慌てて校庭へ飛び出そうとする者等、ちょうど昼休みの時間帯に起こったその地震の為、一瞬のうちに学校中がパニックに陥った。
一瞬、ずんと足下に響く縦揺れがあったかと思うと、続いておこった気分の悪くなりそうな横揺れ。
今はもう揺れはおさまっているが、まだ興奮さめやらぬ状態で、わーわーと騒ぎ立てている生徒達をかきわけ、伸は三段飛びに階段を駆け下りると、真っ直ぐに秀の言った東門を目指した。
教室や保健室ではないと言うことは、最悪、病院へ行くという可能性が考えられる。あの反射神経を誇る征士が病院へ行く程の怪我をするなんて事がありえるのだろうか。
遼がパニックを起こしていると秀は言ったが、遼は昼休み征士と共にいたのだろうか。
征士と遼は同じクラスなので、一緒に居たとしても不思議はない。では、遼の方に怪我はなかったのだろうか。
ありとあらゆる嫌な想像が頭の中を駆けめぐるのを苦々しく思いながら、伸はようやく東門の所にいる征士と遼の元へ駆けつけた。
「征士!!」
伸の叫びに遼がはっとして顔をあげる。
2人のそばに立っていた保健医の浩子先生も伸に気付き、慌てて振り返った。
「毛利君?」
「征士の様子は? どうなんですか? 先生。」
学年こそ違え、彼らが現在5人で共同生活をしているという事情を知っている浩子先生は、伸の言葉に小さく頷き、手短に状況を説明しだした。
「伊達君と真田君、さっきの昼休み、学年主任の安在先生に頼まれて化学実験室の隣の倉庫で標本の整理をしていたの。そこにあの地震でしょ。棚の上の標本箱なんかが振動で落ちてきたらしくって……その中の一つ、ガラスケースが運悪く伊達君の頭の上に落ちてきたらしいんだけど」
「ガラスケースが……?」
避けられなかったのだろうか。征士ともあろう男が。
「オレの所為なんだ」
ギリっと唇を噛みしめながら遼がポツリと言った。
「遼……?」
「オレを庇ったから、征士、避けられなかったんだ」
噛みしめた遼の口元から微かな嗚咽がもれ、大粒の涙が両目に盛り上がってくる。
慌てて伸は遼のそばにしゃがみ込んだ。
「遼……」
征士は遼の腕に抱えられたまま顔をあげようともしない。意識がないのだろうか。
「伊達君、もろに頭からガラスの破片をかぶったらしいの。細かな切り傷がひどいでしょ」
「…………」
「救急車を呼んだから、もうすぐ来るとは思うんだけど。」
説明する浩子先生の顔色もさすがに青い。
伸がそっと征士の額にかかった長い前髪を掻き分けると、切れた瞼から一筋の赤い血が滴り落ちてきた。
「…………!!」
おもわず伸が息を呑む。
浩子先生の言ったとおり、征士の額や腕には無数の赤い血の跡が走っていた。
「なんて……こと……」
伸は遼の腕からそっと征士の身体を離し、代わりに支えてやりながら小声で征士に呼びかけた。
「征士……征士……」
ピクリと僅かに征士が反応を返した。まだ意識はかろうじて残っているようだ。
「征士、聞こえる? もうすぐ救急車がくるからね」
「……伸……」
かすれた声で征士は伸を呼んだ。
「伸……私は大丈夫だから……この程度の怪我で心配することなどないと……遼に……泣かないでくれと……言って……欲しい……」
「征士……」
征士の顔をのぞき込んでいた遼の両目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ごめ……ん……征士……征士……」
必死で唇を噛みしめても、遼の涙は止まらない。そっと遼の黒髪を指で梳き、伸が苦しげに瞳を伏せた。
浩子先生も腕時計をちらりと見ながら小さくため息をつく。
「遅いわね……救急車」
校舎の方からは、まだ騒がしい声がひっきりなしに聞こえている。
廊下をバタバタと走り回る先生方の姿も見えた。いつも廊下を走るなと眉間に皺を寄せて怒鳴っている先生方もさすがに今はそれどころではないようだ。
「浩子先生ー!!」
その時、保健室の方角から浩子先生を呼ぶ生徒の声が聞こえた。
「…………!」
はっとして浩子先生が保健室の方に顔を向ける。
「ちょっと来てください!! 先生!!」
自分を呼ぶ声に一瞬躊躇したような表情をして浩子先生が伸を振り返った。
「…………」
「行ってください」
伸がすかさず浩子先生にそう言った。
「征士は僕達が看てますから。行ってください。救急車が到着したら事情を話しておきます」
「でも、大丈夫なの?」
まだ多少心配そうに、征士を見下ろす浩子先生に向かって、伸は安心させるように頷いた。
「大丈夫。その代わり救急車が来たら僕等も一緒に征士についていっていいでしょうか」
「え……ええ、それは構わないけど。じゃあ、あっちの様子見てすぐ戻ってくるから、しばらくの間伊達君の事、お願いね」
「はい」
白衣を翻して駆けていく浩子先生の小柄な身体を見送って、伸は再びぐったりとなっている征士に視線を落とした。
遼が心配気に覗き込んでくる。
「大丈夫だよ」
「…………」
「征士は大丈夫。大丈夫だから」
「……うん……」
繰り返し大丈夫だと言い聞かせる伸に、遼が小さく頷いた。

 

――――――「別にいいじゃんか。どうせこの後しばらく授業なんかやんねーんだろ」
「そういう問題じゃないだろ、秀麗黄」
大きく肩を落として、安在先生はふてくされた顔をしている秀と当麻の顔を交互に見比べた。
先程、やっとのことで当麻を見つけた秀が急いで東門へ向かった時、すでに征士達の姿はなく、救急車は走り去って行った後だった。
仕方なしにそのまま門を乗り越えようと足をかけた所で、2人は学年主任の安在先生に見つかった。
襟首をつかみ引きずられるように職員室へ連れ込まれた秀は、もろに不満気な態度を隠そうともせずに憮然とした表情で腕を組んだ。
「お前等、校内放送聞いたろう。全員教室で待機。それでなくてもこの騒ぎで生徒の安全確認が遅れているんだ。それに伊達は浩子先生がついていってるから心配はない」
「何言ってんだよ。伸と遼もついてったじゃないか。何でオレ達だけ連れ戻されなきゃならないんだよ」
「真田は現場にいた本人だし、毛利だってきちんと先生に許可を取ってる。お前等のように無断で門を乗り越えた訳じゃない」
「ちぇっ」
秀が小さく舌打ちした。
「とにかく、お前達は各自の教室に戻れ。いいな」
「でも」
「伊達の事が心配なのはわかるが、お前達だけ特別扱いには出来ないんだ。それくらいわからんのか」
「でも……!!」
「もうよせ、秀」
まだ何か言い足りない様子の秀を手で制し、当麻が一歩前へ出た。
「先生のおっしゃることはもっともだと思います。申し訳ありませんでした。オレも秀もおとなしく教室へ戻りますので、せめて伊達が運び込まれた病院名と場所だけ教えてもらえますか。まさか、あとで見舞いに行くことまで禁じてるわけではないですよね」
「そ……そりゃあ……」
「じゃあお願いします。教えてください」
丁寧な言葉遣いとは裏腹にかなり不機嫌そうな当麻の表情に多少気圧されながら、安在先生はメモ用紙に短く走り書きした住所と病院名を書いた紙を当麻へ手渡した。
「有り難うございます。では、失礼します。ご迷惑をおかけしました」
これでもかというほど丁寧に頭を下げ、当麻は秀の手を引っ張るように職員室を出ていった。
ピシャンときつい音を立てて扉が閉まると、先生はやれやれといった顔で天井を仰いだ。
「どうも扱いにくいな。あいつは」

 

――――――「当麻。本気でおとなしく教室へ戻るつもりなのか?」
職員室をでたとたん、秀が不満そうに当麻を見た。
「不服なのか?」
「不服も何も当たり前だろ。お前は征士が心配じゃないのか?」
「…………」
憤る秀の様子を、当麻は無言で見返した。
「何か、嫌な感じがするんだ。首筋がちりちりするような。こんな感じがする時はろくな事が起こらない」
当麻が考え込むように廊下の壁にもたれて腕を組んだ。
「お前は実際見てないから平気なのかもしれないけどな。征士の奴、かなり出血してて大変だったんだぞ。それを……」
「…………」
「オレ、絶対放課後までおとなしく待ってられる自信なんかないぞ」
「別にオレはおとなしく戻ると言ったが、ずっと教室にいるなどどは一言も言ってないぞ」
「……へっ?」
秀がまん丸く目を見開いた。
「秀、いったん教室に戻って誰かに代返頼んだらすぐ戻ってこい。先生に見つからずに抜け出せる場所くらい山程ある」
「…………」
秀が呆れたように当麻を見た。
「前から思ってたけど、お前ってホントに性格悪いよな」
「誉め言葉と受け取っておこう」
「ははっ」
にやりと笑みをこぼして秀は自分の教室へ向かって駆け出した。
秀の姿が廊下の角を曲がったとたん、当麻も自分の教室へ向かうため、くるりと踵を返した。
「あ、そうだ」
ふと、気づき、先程安在先生に書いて貰った病院の場所を確認しようとメモ用紙を取り出した当麻は、中に書かれてあった住所をみて小さく声をあげた。
「なんだ、あそこに行ったんだ」
見覚えのある病院名と住所。
それは、以前当麻と伸が交通事故に遭ったとき、連れ込まれた病院だったのだ。
当麻の頭に苦い記憶がよみがえる。
降り続いた雨の日々。まるで永遠に止まないかと思えるほどの。
「大丈夫だよ……な。征……」
つぶやいた当麻の首筋がちりちりと痛んだ。
なんだろう。
当麻はじっと窓の外の曇り空を見あげた。

 

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