不在という名の存在 (1)

「それでは、無事全員の進級を祝して」
「かんぱーい!」
伸のかけ声を合図にカチンっとグラスを合わせあった後、秀は美味しそうにコーラを一気飲みした。
「ぷは〜」
「ビール飲んだあとの親父みたいな態度だな」
隣で遼が腹を抱えて笑い転げる。
「いいじゃねーか。気分だけでも酒飲んでる気分になりたいんだよ。まったく伸もケチだよな。オレ、キッチンにワインと日本酒が残ってるの知ってるぞ」
「あれは料理用。勝手に飲んだらお仕置きだからね」
こんがりと焼き上げたチキンを切り分けながら、伸がたしなめるように秀を睨みつけた。
「それじゃなくても、今回の試験で君はまわりにどれくらい迷惑かけたかわかってるの?」
「追試の際はお世話になりました」
大袈裟に頭を下げながら、秀がバツの悪そうな笑顔を浮かべた。
季節は春。
3学期の期末試験を終え、あとは終業式を待つだけの状態となった5人は、全員無事に進級できたことを祝ってささやかなお祝いをしていた。
無事にとはいっても、成績に関して、当麻や伸、征士には何の問題もなく、遼もなんとか人並みに平均点は取っている。秀もそこそこ大丈夫だったはずが、数学の試験でポカをやらかしたおかげで追試をうける羽目になっていたのだ。
普段の授業態度と出席率は良かったので、さほど心配はなかったのだが、赤点を取るなど言語道断だとばかりに征士から雷が落ち、結局全員で秀の追試のための勉強につき合うこととなったのだ。
結果、追試試験は無事赤点を免れ、征士の機嫌も戻り、本日晴れてお祝いの席を設けることと相成った。
「そういえば、春休みってさあ、みんなどうするんだ?」
口いっぱいに肉を頬張りながら遼がぐるっと周りを見回した。
なんだかんだと勉強に明け暮れていたここ数日、せっかくの長期休暇の具体的な案は誰の口からも話題として上ってきていなかったのだ。
「春休みねえ……特に予定は考えてないけど、暇だったらバイトでも探そうかな、と」
と思案顔で言ったのは伸。
「私は、春休みは剣道部の合宿がある」
と言ったのは征士。向かいで秀が羨ましそうにヒューっと口笛を吹いた。
「合宿かあ、いいなあ。面白そう」
「別に合宿は楽しむためのものではないぞ。己の鍛錬のため……」
「わあってるって。でも征士だって楽しみではあるだろうがっ」
「それは、そうだが……」
「そういう秀は、どっかの部の合宿に潜り込む予定はないの?」
くすくす笑いながら伸が口を挟んだ。
秀はあいかわらず、何処の部にも所属しない状態で、あらゆる部活をはしごしている生活を続けている。
「ああ、オレは……野球部の春の選抜が……」
「うちの野球部、甲子園なんかに行ってたか?」
秀の言葉に遼が驚いて目を丸くした。お世辞にもこの学校の野球部は強いとは言いがたいレベルのはずだ。
甲子園のこの字も聞いた覚えはない。
「出るんじゃなくて観に行きてえなあって話してたんだよ」
「あ、そういうこと」
どうやら、先日、練習試合で秀が野球部に助っ人に行った先でそういう話が持ち上がっていたらしい。
秀は無頼の野球ファンというか阪神ファンであるはずの当麻を振り返り、ニッと笑った。
「甲子園って言ったら、当麻の地元じゃんか。帰省兼ねて連れてってくれりゃあなあ……って」
「お前なあ、甲子園は大阪じゃなく兵庫にあるんだぞ。知らないのか?」
「にしたって此処から行くより全然近いじゃねえか。帰省予定はないのか?」
「それは……」
珍しく当麻が言葉を濁した。
いつもなら即座に帰省予定などないと断言していたはずなのに。
ほんの一瞬だけ、肉を切り分ける伸の手が止まる。
征士もそんな当麻をちらりと見た後、遼に視線を戻した。
「そう言う遼は、何か予定があるのか?」
征士が訊くと、遼は僅かに頬を上気させて頷いた。
「オレ、この休みの間に南アルプス連峰をぐるっとまわって来ようかなと考えてるんだ」
「南アルプス? 山?」
伸が驚いて顔をあげる。
「ああ。山の写真を撮ってこようかなって思ってさ。だから登山って言うわけじゃないんだけど。暇だったらみんなで旅行がてら行けたら楽しいかなって思ってるんだけど……」
「そうか。合宿の日程と照らし合わせてずらせるようなら参加出来なくもないが」
征士が思案顔でカレンダーに目を向けた。
「あ、でも疲れてるところを無理に引っ張り回すなんて出来ないから、無理なら構わない。本当に暇で暇でしょうがないって場合だけ一緒してくれればいいから」
「無理をするつもりは毛頭ない。日程が合えばの話だ。まあ、個人的には皆で旅行というのは興味があるが」
「確かに面白そうだよな〜。ついでに観光名所とか寄ってもいいし」
秀も身を乗り出して、遼の計画に参加の意志を示した。
「僕も暇っちゃあ暇だけどね……そっかー。南アルプスかぁ。まだ雪とか残ってる所もあるのかな? 景色も綺麗だろうなあ……」
伸も秀達と同様、楽しそうにふふっと笑った。
「オレ、ちょっとパス」
と、その時、間髪を入れずカチャンと箸を置き、当麻が言った。
秀が意外そうな顔で当麻を覗き込む。
「い、良いのか? 当麻」
「良いも何も、オレはパス。悪いな、遼」
「あ、ああ」
戸惑いつつ頷いた遼の隣で、秀がどういうことだと言いたげな視線を伸へ向けた。
伸もちらりと当麻を見た後、小さく首を振り、征士の方へ顔を向ける。
対する征士も事情は知らないらしく、仕方ない奴だとでも言いたげに、伸に向かって小さく肩をすくめてみせた。

 

――――――食後、恒例のように書斎に向かった当麻を追いかける形で、遼は書斎の扉をノックした。
「当麻? オレだ。はいるぞ」
ガチャリと扉を開けると、当麻は書斎に新しく設えた大型ソファに寝転んだままぼうっと天井を見上げていた。
「当麻、ちょっといいか?」
「ああ、何の用だ?」
ソファから身体を起こし、当麻は遼の方に向き直る。
向かいのデスクの椅子に腰を降ろし、遼は改まった表情で当麻を見下ろした。
「あのさ……実は、オレ、お前に謝りたくて…………」
「謝りたくて? 何を?」
当麻は首をかしげた。遼が自分に謝らなければならない理由が見付からない。
「その……お前等の予定とか考えずに自分の都合だけで計画話しちゃって、なんか気まずい思いさせちまったかなあって」
「馬鹿かお前は」
呆れ顔で当麻は頭を抱えた。
「計画を話すのはお前の自由だろうが。それに乗るか反るかはオレ達側で決めることだ。それともお前の計画は全員参加でなければ、計画立てたことまで悪いことにすり替えられちまうのか?」
「そうじゃないけど」
「だったら妙な罪悪感なんか感じるんじゃないよ。オレの方こそ逆に断っちまって悪いなって思ってるんだから」
「そっか……悪いって思ってるんだ」
「……?」
いつもの遼と違う物言いに、おやっと当麻が首をかしげた。
「遼……?」
「悪いって思ってんなら、ちょうどいい。オレも遠慮なく聞けるってもんだ」
「聞く? 何を?」
椅子の背もたれに頬杖をつく格好で、遼はにこっと笑った。
「ああ、実は、さっきみんなに、絶対当麻に聞いてこいって言われてさ」
「……何を」
「お前がオレの誘いを断った理由」
ズバリ言ってきた遼に、一瞬たじろいで、当麻は誤魔化すように視線をさまよわせた。
「り……理由?」
「だって、あんな即答するなんて珍しいじゃないか。しかも伸も征士も秀も、みんな事情を何も聞いてないみたいで、いったいどういう事なんだって話になってさ……」
「もしかしてお前等、オレがいなくなったとたん、誰が書斎へ行くかで揉めたりしてたんだじゃないだろうな」
「揉めてないよ。ちゃんとじゃんけんで決め……」
しまったといった顔で遼が口を閉じた。くるりとデスクの椅子が一回転する。
当麻はやれやれと呆れた表情で天井を仰ぎ見た。
「だってさ、みんな気にしてたんだぜ。何かあったんじゃないのかって」
「別に何かってわけじゃねえよ」
「でも、何か理由があるんだろう。それとも用事なんかないけどオレと行くのが嫌だったのか?」
「嫌なわけないじゃねえか!」
思わずそう言い返してしまい、当麻はしまったと口をつぐんだ。
遼は聞きたかった答えがそのまま返ってきたことに満足して、無言で当麻に続きを促す。
今回に関しては当麻の負けだ。
当麻は諦めたように、ひとつため息をついて立ち上がり、遼の目の前でデスクの引き出しを開けた。
引き出しの中にあったのは、白い封筒が一通。
なんだろうと覗き込んだ遼の前に当麻はその封筒を差しだした。
「これが断った理由。昨日届いたんだけどさ。なんつーか……やっぱ、いくら何でも無視するわけにはいかないだろうなあ……とか、これでもオレなりに悩んでたんだよ。みんなには、もうちょっと自分の中で整理がついたらちゃんと話すつもりだったし」
「……何……手紙?」
「手紙と言うより、赤紙だな。オレにとっては」
「えっ……」
思わず遼は眉を寄せた。
「どういう意味だよ。誰からの手紙なんだ?」
「クソ親父様」
「……えっ!?」
遼は驚いて当麻から手紙を受け取り、手紙の差出人を見るため、封筒を裏返した。
そこには、確かに羽柴ゲンイチローの名前が書いてあった。

 

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