遥かなる場所−出逢い−

ボロボロの着物を着て、頭に白い布を巻き付けた少年が1人、木の根元にうずくまって膝を抱えていた。
「鬼!」
1人の子供が石を投げる。
「あっち行け! ……鬼っ子!!」
隣の子供も石を投げる。
立ち上がる事も、顔をあげる事も、腕を振り上げる事すらなく、その少年はじっと嵐が去るのを待つようにうずくまっていた。
石がかすめた腕や足からは、血が流れ、うつむいた顔は泥だらけで。それでもその少年は、きつくきつく自分の膝を抱えたまま、ピクリとも動こうとしなかった。

「何やってんだ!? お前ら!!」
その時、突然、茂みから浅黒い顔が覗いた。
年齢的には、石を投げていた子供達とさほど変わらないだろうに、その浅黒い顔に光る瞳には、年齢不相応な程の力強さが宿っていた。
「……大勢で1人をいじめてんのか? てめえら」
その少年がひと睨みすると、石を投げていた子供達は全員ビクッと肩をすくめ、バツの悪そうな顔で、お互いに目配せをし、そのまま駆け去って行った。
「鬼っ子を庇ったって、言いつけてやる!」
「何が鬼っ子だ。ばーか!」
子供達の捨て台詞にあかんべをして返すと、その浅黒い顔の少年、禅は、まだ木の根元にうずくまったままの小さな身体を見下ろした。
「…………大丈夫か? お前」
「………………」
「おい、耳聞こえんだろ。大丈夫かって訊いたら、大丈夫だ、とか、ここが痛い、とか……何とか言えよ」
いくら禅が話しかけても、その少年は禅の言葉に一切反応を見せなかった。
「……しゃあねえな……まったく……」
しゃがみ込み、うつむいたままの少年の顔を禅は覗き込んだ。
パッと見には解らなかったが、きめ細かな肌と、細い腕。少年というにはあまりにも華奢なその身体を見て、禅は目を丸くした。
「……あれ? ……お前、もしかして女の子か?」
初めて禅の言葉に反応して顔をあげた少年は、きつい眼差しで禅を睨み返した。
「失礼な。オレは男だ」
顔をあげた少年のその瞳が、白い肌の中、やけに涼しげな光を放っていた。
淡い薄紫の瞳。
禅はまるで吸い込まれるように、その少年の瞳を見つめた。
「……なんか、目の中にスミレの花が咲いてるみたいだ。綺麗な目だな、お前」
「…………?」
少年は、驚いて禅を見た。
「……き……れい?」
「ああ、知らないのか? お前の瞳、すんげえ綺麗だぜ。そんな綺麗な目して、ちゃんと見えてんのか? ……オレ達と違うものが見えてるんじゃないのか?」
「別に、ちゃんと見えてる。変な奴だな。気味悪くないのか?」
「なんでさ。綺麗だから綺麗だって言っただけだぜ、オレ」
屈託のない笑顔を向け、禅はそう言った。
「……皆、気持ち悪いと言うぞ。変な色の瞳も、白い肌も、何もかも」
「……だから、鬼っ子か……」
全体的に色素が薄いのか、淡いのは瞳の色だけでなく、泥で汚れてはいたが、その少年の肌は抜けるように白く、頭に巻いた布から少しだけ見える後れ毛も、光の加減でか金色に見えていた。
「……名前、何ていうんだ? お前」
薄紫の瞳を覗き込んで禅が訊いた。
「…………」
「名前だよ。な・ま・え。まさか名無しじゃないだろ。オレは禅ってんだけどさ」
禅の邪気のない笑顔に、少しだけ警戒心を解いて、少年はようやく重い口を開いた。
「オレの名は、紅」
「くれない……か。お袋さんがつけてくれたのか?」
「母親はいない」
「…………えっ?」
「オレには父も母もいない」
淡々と、何の感情も表さない口調で、紅が言った。
「…………そっか…………」
ちょっとバツの悪そうな顔をして頭を掻くと、禅は紅に向かい手を差しだした。
「よかったら、家に来ないか? 家っつってもただのおんぼろ小屋だけど、雨露くらいはしのげる。それに傷に良く効くじっちゃん秘伝の薬草もあるし……な」
「………………」
紅は無言で禅を見上げたが、きつく膝を抱えたまま、動こうとはしなかった。
「……なあ、いつまでもこんなとこ居たって仕方ないだろ。来いよ」
禅が、動こうとしない紅の態度にしびれをきらせて手を伸ばし、その腕を掴もうとしたとたん、紅は信じられないほどの力でその腕を引き剥がした。
「…………!!」
きつい眼差しで睨みつける紅の顔は、少し青ざめている。
「…………」
禅はゆっくりと立ち上がると、静かに紅のそばから一歩退いた。
「…………悪かった。もう、触らないから」
「…………」
「なあ、来いよ。オレん家にはお前に危害を加える者なんか誰もいないからさ」
青ざめた顔のまま、紅はじっと禅を見上げた。
「…………大人は……嫌いだ」
「……?」
「…………お前の家には……大人がいるんだろ」
禅は小さく息を呑んだ。
父も母もいないと言った紅。
紅の父親は、どんな人間だったのだろう。もしかして日本人ではなかったのか……?
それとも母親は、誰の子供か解らない紅を産んで、そのまま捨てたのだろうか。このスミレ色の瞳の子供を。
大人は嫌い。子供だって嫌いだろう。
紅は、人間すべてを憎んで、今まで生きてきたのだろうか。

「安心しろ。オレん家には、大人は誰もいない。大人どころか子供だっていない。オレ、独りで暮らしてるんだ」
「……さっき、じいさんがいるって……」
「じっちゃんは死んだよ」
「…………え?」
「オレ、ずっとじっちゃんと2人で暮らしてたんだけど、そのじっちゃんが死んでからは、オレ独りで生きてきた。」
「……いつ?」
「えっ?」
「いつから…………独りで……?」
「この間、じっちゃんが死んで、初めての冬を越した」
「…………」
「だから、安心しろ。誰もいないよ。大人も、お前に石を投げるような奴も」
「…………」
ようやく紅が立ち上がった。

 

――――――禅の家は、家と言うにはあまりにもあまりな小さな掘っ建て小屋だった。
雨さえしのげればいいという程のその家は、人が2人はいればもうそれでいっぱいな程の、狭い土間に藁を敷き詰め、唯一贅沢なものといえば、かなり痛んだ巨大な熊の毛皮が一枚、家の中央に敷いてあるだけだった。
「…………」
「良い家だろ」
にっと笑って禅が言うと、紅もつられて小さく頷いた。

家の隅に仕訳されて置いてある薬草の束の中から何種類かの葉っぱや実を取り出すと、禅は慣れた手つきで連木ですりつぶしだした。
「器用だな」
「へへっ、まあね。これを傷口に塗れば、擦り傷も切り傷も一発で治っちまうよ」
「それは、おじいさんが教えてくれたのか?」
「ああ、オレのじっちゃん、すんげえ物知りだったんだぜ」
「…………」
「じっちゃんさ、亡くなる少し前から、急にオレに色々教えてくれるようになった。これから独りになるオレに自分の知識をすべて教え込もうって腹だったのかな」
「…………随分、愛されていたのだな、お前は」
「………………」
そう言った紅は、とても寂しそうで、禅は黙って頷くと作り終えた傷薬を手渡した。
「ちょっと痛いかもしれないけど、よく傷に擦り込めば、明日には治ってるよ」
禅の言葉に紅は黙って薬を受け取った。
細い腕。細い足。
先程ついた傷だけじゃなく、紅の全身には無数の切り傷や打ち身があった。
泥で汚れた顔。頭に巻いた布。
背中のみみず腫れを見た時、おもわず手を伸ばしかけた禅は、先程の強烈な拒絶反応を思いだして、伸ばした手を引っ込めた。
反撃をせず、じっと膝を抱えていた紅。
それしか自分を護る術を知らないのだ。
禅の目頭が熱くなった。

その夜、2人は壁の隙間からもれる月明かりを眺めながら、床についた。
以前、おじいさんが使っていたという、古い筵を引っぱり出し、紅に与えると、禅は嬉しそうに隣りに寝転がった。
「なんか、嬉しいな、こういうのって」
心底嬉しそうに、禅は笑う。
「何が嬉しいんだ?」
不思議そうに紅が訊ねると、禅は更に嬉しそうに笑って言った。
「だって、オレ、じっちゃんが死んでから、こんなふうに誰かと一緒に寝るの初めてなんだ。そばに誰かがいるって嬉しいことじゃないか」
禅はそう言ってまた笑った。
「……そうだな。オレもこんなふうに誰かと寝るのは初めてだ」
「…………」
紅の瞳は何処か遠くを見ているようだった。
「…………あの……さ……紅」
ぽつりと禅が言った。
「オレ、お前が今までどうしてたのかとか、訊かないから。お前が思いだしたくない程、辛い事があったんなら、それを思いだしたくないなら、オレ、絶対無理矢理訊いたりしないから……でも……もし……もしもだよ、お前がそれを誰かに話すことで少しでも気が楽になるなら、話してくれよ。いつでもいいから、お前が誰かに聞いて欲しいって思った時は、いつでもオレに話してくれよ」
「…………」
紅はじっと禅を見つめた。
頷くこともせず、ただ、無言で禅を見つめていた。

 

――――――次の朝、朝日のあまりの眩しさに紅が目を覚ますと、隣りに寝ていたはずの禅の姿がなかった。
急いで飛び起き、外に出ると、眩しい太陽より更に眩しい笑顔で禅が笑いかけた。
「おはよ、紅。魚焼いたけど、食うか?」
串にさした魚を目の前に突きだし、禅が笑う。
「……あ……ありがとう……」
そう言って魚を受け取った紅を、禅がぽかんとした表情で見つめた。
「………………」
「……? どうかしたか……?」
「……笑った……」
「…………?」
「紅、お前、今初めて笑ったろ」
「…………」
言われて紅は気付いた。
笑うことなど、当の昔に忘れていたと思っていた。
誰かに有り難うと言う事も、こんなふうに笑顔を向けられる事も、ずっとずっとなかったのだから。
「笑うと、全然印象が違うな。やっぱ、綺麗だよ、お前」
禅の言葉に、紅は少し照れたように笑った。

 

――――――太陽が真上に位置する頃、2人は山奥の泉の辺にやってきた。
今夜の食料を探す為に、禅が紅を連れてきたのだ。
その泉は、ほとんど獣しか通らない程の山奥にひっそりと静かにあった。
底まで見える程の澄んだ水はとても美しく、僅かに泳いでいる魚の鱗が水面に反射して、幻想的な光を放っている。
「綺麗な所だな」
「だろ」
得意気に禅は答えると、おもむろに着物を脱ぎ、褌姿のまま泉の中へ入っていった。
「魚捕るついでに身体もきれいにしちまおうぜ。お前も来いよ」
屈託のない笑顔で禅は言う。
「…………」
少しだけ躊躇したが、紅も禅の後を追い、泉にその身体を浸した。
澄んだ泉の水は冷たく、心地よかった。
水の中で、紅の身体や顔に付いた泥が洗い流されると、禅は眩しそうに、その白い肌を見つめた。
「ホントに色白なんだ……」
人々の好奇の目に曝されないように、なるべく白い肌が目立たぬよう、紅はわざと泥に汚れた身体をしていたのだろう。
こんな綺麗なのに勿体ない。そう思う度、禅は哀しくなった。
他人に触れられることを嫌うのも、ほとんど笑わなかったその表情も、自分を護る為。
それ程に、紅にとって世界は苦しいものだったのだろうか。
「頭の布も取れば?」
何の気なしに言った禅の言葉に、紅が酷く脅えたような表情をしたのを、その時、禅は気付かなかった。

紅が感心して目を丸くする程、禅は器用に手製の銛で魚を捕った。
屈託なく笑うその笑顔を見ていると、つられて紅の表情もほころんでいく。
昨日までの無表情が嘘のような紅の豊かな表情に、禅は嬉しくてたまらないといったふうに笑った。
やがて、捕まえた数匹の魚を魚籠に入れ、禅と紅が泉からあがった時、大きな太陽が西の方に沈みかけていた。
「日が沈んじまう前に帰ろうぜ」
魚籠を小脇に抱え、禅が言った。
「ああ、わかった」
笑顔で答え、着物を羽織ると、紅は地面に置いた魚籠を取ろうとすっとしゃがみ込んだ。
「……あ……!」
その時、そばの枝に、紅の頭の布の先がひっかかり、きつく結んでいたはずの結び目がはらりと解けた。
「…………!!」
はっとした紅が急いで頭を押さえたが、時すでに遅く、呆然として紅を見つめる禅の目の前で、紅の絹糸のような髪が布からこぼれ落ちていった。
昼間、かなり動き回った為、ゆるくなっていたのだろうが、気づかないままでいた自分の愚かさに激しく後悔しながら、紅は目の端に映る自分の忌まわしい髪の毛を見つめた。
「…………!?」
明らかに日本人とは違う淡い色の髪。
夕暮れの光の中で、これ程淡く見えるのだから、もしこれが日中の太陽の下なら、それこそこの髪は黄金色に輝くだろう。
鮮やかな、あまりにも鮮やかな髪の色とは対照的なほど、蒼白な顔色をして、紅が顔をあげた。
輝く黄金色の髪。
そして、何より異常に見えたのは、その中で一房見え隠れしている燃えるような赤い髪。
紅は凍り付いた表情で、目を丸くしている禅を見ると、そのまますっと背中を向けた。
「…………」
「……何処行くんだよ!!」
とっさに叫んだ禅の声に反応して、紅がゆっくり振り向いた。
「…………紅……」
「オレは人間ではないらしい」
「…………?」
「オレの父親は鬼だと、昔、母が言った。オレは鬼の子供なのだと。……この赤い髪は、オレの父親が殺した多くの村人達の血なのだそうだ。一生消えない呪いだと」
「…………」

“鬼っ子!!”
昨日の子供達の声が蘇る。
“あっち行け! 鬼っ子!!”

あまりの事に、何も言えないでいる禅に向かって、寂しげな微笑みを浮かべると、紅は再び禅に背を向け、歩き出した。
「……く……紅!!」
「…………」
「紅!! 何処行くんだよ!! ……お前、俺の前から消える気だろ!!」
「…………」
「紅……!!!」
脇に抱えた魚籠を放り出し、禅は紅の後を追った。
「待てよ!!」
禅が呼び止めても、紅の歩調は緩くならなかった。
「紅!! 待てって言ってんだろ!!」
強い力で、禅は後ろから紅の腕を掴んだ。
びくっと反応し、ようやく紅が振り返る。
「勝手に消えるなよ。オレと一緒に居ろよ」
「…………」
「な、オレと一緒に居ろよ。紅」
紅は掴まれている腕に視線を落とし、つぶやくように言った。
「気味悪くないのか? オレが」
「…………」
「オレは母親にさえ疎まれた鬼っ子だ。誰もオレを好きになどならなかった。オレの髪を見る度、鬼だと言って石を投げた」
「……何……言ってんだよ……お前、鬼っ子なんかじゃないよ。」
紅の視線が禅を捉えた。
「なんでお前が鬼なんだ。全然違うよ。お前は鬼なんかじゃない」
「………………」
「だって……こんな……・こんなに綺麗なのに…………スミレ色の目も、白い肌も、赤い髪も、みんなみんな、こんなに綺麗なのに……」
「………………」
「オレ、見つけてやるから。お前の居場所を。お前がお前自身で居られる場所を、必ず見つけてやるから。誰もお前を疎んだりしない、お前の居場所を見つけてやるから…………」
そう言って、禅は紅の腕にしがみつき、泣きだした。
「絶対……絶対見つけてやるから……だから……」
禅はずっと繰り返しそう言い続けた。

 

――――――「ひでえ……誰がこんな……」
2人が戻った時、禅の家は見るも無惨な状態になっていた。
屋根は壊され、壁も叩き潰され、家の中の土器はすべて割れており、薬草が辺り一面に飛び散っていた。
「……・昨日の奴らだ」
恐らく、夕べ紅が此処に来た事を探りだし、昨日の子供達か、その親たちがやったのだろう。
怒りに全身を震わせ、紅が村に向かって駆けだそうとした時、意外にも禅がそれを止めた。
「行かなくていいよ。紅」
「しかし……!!」
「……そろそろかなとは思ってたから。いいきっかけが出来たよ」
「禅……?」
家の残骸の中から小さな珠を探しだし、懐にしまうと禅は言った。
「此処はオレにとって仮の宿なんだ。……じっちゃんが言ってた。オレの居場所は此処じゃないんだって。オレには出逢わなきゃいけない仲間がいるんだって。だから、自分が死んだら、すぐ仲間を捜しに行けって言われてたんだ。でもオレ、じっちゃんと過ごしたこの家を捨てたくなくて、明日立とう、明日立とうって思いながら、ずっと先延ばしにしてた。」
「…………」
「きっと、じっちゃんが今度こそ旅立てって、オレに伝えたかったんだ。一人目の仲間も見つけたことだし」
「…………?」
禅は紅を見てにこりと笑った。
「初めて見た時、ピンときた。オレ、昔から勘だけは良いらしいから」
「…………」
「オレと行こう、紅。オレ達の居場所を見つけに」
「…………」
「きっと他にも仲間がいる。オレ達はそいつらと出逢わなきゃいけないんだ」
「…………」
「一緒に探そう。」
紅が、ゆっくりと頷いた。

まだ、使えそうな薬草の束と、一つだけ無事だった一振りの剣を持ち、禅は紅と共に旅立った。
「とりあえず、どっちの方角に行こうか?」
「……東がいいな」
紅が言った。
「東?」
「日の昇る方角には、何か良いことがある気がしないか?」
「いいね、その案」
2人は夕陽に背を向け、ゆっくり確かな足取りで歩き出した。
彼らが他の仲間達と出逢い、自分達の居場所にたどり着くのは、まだ、先の話である。

FIN.      

2000.4 脱稿 ・ 2000.7.1 改訂    

 

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