旅は道連れ
月明かりだけが僅かに届く暗い草原の中を、静かに列車は目的地への走行を続けていた。
ゾルディック家のあるククルーマウンテンまでは、飛行船で3日。更に列車に乗り継いで2日。
最初はかなりの長旅だと思ったのに、思いの外あっという間に過ぎてしまったような気がするのは、この小旅行がとても楽しかったからなのだろうか。
そうなのだ。
此処には試験期間中の張りつめた空気は何処にもない。
飛行船の中も、列車の中も、不思議なほど穏やかに時間が流れているような気がするのだ。
もちろんこれからしなくてはいけないことは山積みであることは確かだし、ぼんやりと過ごすなどあってはならないはずなのに。
それでも、
それでも、今しばらくの間だけは、何も考えずに過ごしても罰は当たらないのではないだろうか。
せめてこの数日間の間だけは。
ついつい、そんなことを考えている私は、もしかして私自身をかなり甘やかしているのかもしれない。
といっても、それももうあと僅かで終わる。
何故なら、明日の朝には列車は駅へ到着するのだから。
少しだけため息が洩れた。
列車の揺れに身体を任せて横になったのは、もう随分と前なのに、いまだ眠れないのは何故だろう。
閉じていた目を開けると、二段になっているベッドの上から、ゴンのスヤスヤという寝息が聞こえてきた。
そして、カーテンを隔てた隣からはレオリオの。
やはり、目を開けている方が周りの気配を読みやすくなるのだろう。
そっとカーテンを開けてみると、先程よりはっきりとレオリオの気配が感じられた。
規則正しい呼吸音。そして、それに重なって聞こえるゴトンゴトンという列車の響きが、なんだか心臓の鼓動のように耳に届いた。
リズミカルな音。耳に心地良い。
温かくて懐かしい音。
もう聞くことはない音。
駄目だ。やはり眠れそうにない。
二人を起こさないようにそっとベッドを抜け出し部屋を出ると、とたんに列車からの振動が足下に直に伝わってきた。
恐らく、この部屋が列車の連結部分に近い所為だろう。
隣の車両へと続く扉を開けてみると、人がようやく二人立てる程度の狭いデッキがあった。
昼間、ゴンに連れられて列車の中を歩き回った時に気付かなかったのは、この場所が少し奥まった造りになっていたからだろうか。
そうだ。ここで少し風にあたるのもいいかも知れない。
出来るだけ音を立てないように静かに扉を閉めデッキに立つと、少し冷たい風が頬を通り抜けていった。
手すりにつかまり、思いっきり首をそらして上を見あげると、空には満点の星空。
降るような星という表現は、こう言うときに使うのだろう。きっと。
それにしても、こんなふうに星空を見あげたのは何年振りだろうか。
この数年間、私はずっとうつむいて生きていたような気がする。
でも。
ハンター試験が始まり、ゴンやキルア、レオリオと知り合って、私はいつの間にかうつむいて歩くことを忘れていた。
後ろではなく前を、下ではなく上を見て歩くことを、私は彼等に教わったのかも知れない。
「すっげぇ星空。この辺りって結構見えるんだな」
「……?!」
突然扉が開き、背の高い男の影が月明かりを遮った。
「レオリオ……?」
眠っていたと思ったのに。
起こさないようにと細心の注意を払って、静かに出てきたと思ったのに。
どうして。
「そんな驚いた顔すんなよ。オレもちっと寝付けなくてさ。お前が出てった音が聞こえたから追ってきた。邪魔なら戻るが」
「いや……邪魔という…わけではない」
「じゃ、遠慮無く」
そう言ってレオリオはトンッとデッキへと移ってきた。
ただでさえ狭い空間に二人立つと、ほとんど身動きできないほどの至近距離になる。
私は思わず目を逸らせてうつむいた。
「お、けっこう風がくるんだな」
「それはこちら側も動いているからだろう」
「あ、なるほど」
どうしよう。
心臓の音がいつもより早い。
ふと、手すりをつかむレオリオの手に目がいった。
節くれ立った細長い指。意外なほど小さな爪。
顔に似合わず、案外綺麗な指をしているんだ。
などとくだらないことを考えるのは、少しでもこの鼓動を静めようとしている所為なのだろうか。
ちょっと待て。
そもそも何故私は緊張しているのだ。
隣にレオリオがいる状況など、いつものことではないか。
「……クラピカ」
思いの外近くでレオリオの声がしたので、私は思わずビクリと肩をすくめてしまった。
「……な……なんだ」
振り返ると、レオリオはわざと背をかがめ、目線を私の近くに持ってきていた。
どうりで至近距離からの声だったわけだ。
「……お前、もしかして、また眠れないのか?」
「…………そんなことは……」
ない、とは言えなかった。
眠れないのは事実。
ベッドにもぐって目を閉じても一向に眠くはならなかった。
夜が更けていくにしたがって、反対に目が冴えてきた。
でも。
「大丈夫か?」
でも、きっと。恐らく違う。
今夜眠れない理由は。
それはきっと。
「大丈夫だ。私は」
「本当か?」
レオリオの問いに私は頷きを返す。
大丈夫だろうか。
さり気なさを装えているだろうか。
「そうだ、クラピカ」
突然、弾んだ声でレオリオがパンっと拳を鳴らした。
「……な、なんだ?」
「眠れないってんなら、前みたいに腕枕してやろうか?」
「なっ……!?」
一瞬、自分の顔が熱くなったのが分かった。
「なんだ。それはっっ!」
「あん時、お前、ちゃんと眠れてたろ。赤ん坊みたいに」
ここに明かりがなくて本当に良かった。
「わ……私をバカにしているのか!?」
「バカにって、なんでそうなるんだよ。オレは別に……」
「子供扱いしているだろうが!」
「してねえよ。と言っても、実際お前はオレより年下だし、男の中じゃ背も低いほうだし、まだまだガキの部類に入るんじゃねえの?」
見あげるとレオリオがニヤリと笑って私を見下ろしていた。
チクリと胸が痛んだ。
「こ……断る!」
必要以上にきっぱりと答えると、レオリオはあからさまに残念そうな顔になった。
そうなのだ。
この男は、私のことを男だと思っているんだ。
そんなことくらい分かっているのに。
しかも、そう仕向けたのは私自身だというのに。
それなのに。
どうして私はそんなことで傷ついているのだろう。
傷つく必要など、何処にもないというのに。
「…………」
レオリオがじっとこちらを見ているのが分かったが、私は顔を背けたままレオリオの方を見ようとしなかった。
「クラピカ……」
戸惑ったようなレオリオの声が、今度は上の方から聞こえた。
見ると、レオリオは先程とは異なり、やけに背筋を真っ直ぐに伸ばして私を見下ろしていた。
「…………」
「お前、オレに何か話すこと、ないか?」
「……え?」
いつになくレオリオの目が真剣な光を帯びているように見えた。
話すこと?
何を?
「私が何を話さねばならないというのだ?」
「いや……何もないならいいんだけど……」
不明瞭な言い方でレオリオはそのまま口を閉じた。
チクリと胸が痛む。
出逢ってからずっとついている嘘のことを思って、胸が痛んだ。
「もうじき……だよな」
ぽつりとレオリオが呟いた。
「……もうじき……とは何が?」
「じき……着いちまうじゃねえか」
「…………?」
「ククルーマウンテンに」
「…………!」
レオリオの瞳が真っ直ぐに私を見つめていた。
「明日、ゾルディック家に着いて、もしすんなりキルアを連れ出せたら。いや、相手が相手だから多少の小競り合いは覚悟しなくちゃならねえだろうから時間はかかるかも知れねえが……」
「……何が…言いたい……?」
「たぶん……いや、きっと、こんなふうに過ごせるのは、今日が最後だ」
「…………」
「明日になったら、オレ達はそれどころじゃなくなる。だから」
「……だから……?」
「だから、今のうちに……」
言いながらレオリオは言葉を濁した。
今のうちに。
今のうちに話しておけば。
そうなのだ。
私もレオリオも、もちろんゴンやキルアも、それぞれ目的が違うのだから。
もう、今までのように一緒にいることはなくなる。
当然のことだ。
だから、その前に。
話せるのは、今、この瞬間がもしかしたら最後のチャンスなのかもしれない。
「クラピカ、お前……さ……」
もし。
言ったら。
言ったらどうなるのだろうか。
そうしたら、この男はどんな反応をするだろう。
驚いて。そして。
そして。
「…………」
バカバカしい。
私は何を期待している。
レオリオと私とでは進む道が違いすぎる。
血塗られた私の道を、レオリオが一緒に歩かなければならない義務も義理もない。
一緒になどいられないことは私が一番理解している。
それに。
この男が好きな女性のタイプは、それこそ私とは正反対のタイプだ。
女性らしい柔らかな身体のライン。引き締まった腰と豊かな胸。艶やかな髪。ふくよかな唇。
それは私が否定し続けているものばかり。永遠に手に入らないものばかり。
チクリ。
また胸が痛む。
どうして。
どうして、胸が痛むのだろう。
関係ないじゃないか。
この男は私のことを女として見ることは決してない。
決して。決して。決して。
誰のせいでもない。
これは、最初から私がそう望んだ結果なのだ。
それなのに。
滑稽だ。
滑稽すぎて、涙も出ない。
「クラピカ……?」
レオリオが私の顔を覗き込んできた。
視線をそらす。
こんな状態でレオリオの顔を見る勇気は私にはない。
本当に情けないことこの上ない。
「…………!!」
その時、列車がカーブしたのか、ガタンと大きく揺れた。
油断していた為、足下が一瞬ふらつく。
「危な……」
そのまま倒れると思った瞬間、大きな腕が私の身体を支えるように引き寄せた。
「……レ……」
「大丈夫か?」
「すまな……」
思わず体勢を立て直そうとした私の身体は、突然強い力で抱きしめられていた。
「レ……レオリオ……?」
ドクン……っと心臓が大きく音を立てる。
これはいったいどういうことなのだろうか。
抱きしめられた体勢のまま私は身動きも出来ずにいた。
頭の中が混乱している。
声さえ発することが出来ない。
心臓の鼓動だけが、破れそうな程大きく響いている。
「レオ……リオ……」
背中に回された腕の力は緩まない。
そこで私は初めて気づいた。
この鼓動の速さは、私のものだけではないのだということに。
そう。レオリオの鼓動も同じように早鐘を打っていたのだ。
抱きしめられた腕から直にレオリオの熱が伝わってくるような気がした。
暖かい大きな手。レオリオの温もり。レオリオの匂い。
「…………」
今だけ。
今だけ。ほんの少しだけなら、この熱さに身をゆだねてもいいのだろうか。
私の甘えを、許してくれるだろうか。
今、この瞬間だけなら。
私がふっと身体の力を抜くと、レオリオは一瞬戸惑ったように抱きしめていた腕の力を弱めた。
「クラピカ……」
間近で視線が合わさった。
レオリオの眼鏡の奥の瞳が、何かを言いたそうに一瞬揺れた。
と、その時。
列車の壁の向こう。部屋の中から突然大きな声が聞こえてきた。
「うわぁ!」
「……ゴン?」
「どうした?」
パッとお互い離れ、慌ててデッキから降りて部屋に戻ってみると、ゴンが二段ベッドの上から身体半分落ちかけた状態で笑っていた。
「ごめん。落ちそうになっちゃった」
「さっき大きく揺れたからな。上は危ないだろう。下で寝るか?」
「いい。大丈夫」
私の提案に大きく首を振って、ゴンは身軽にベッドの元の位置に戻った。
「あれ? そういえば二人とも外にいたの?」
「え? あ、ああ、ちょっと目が覚めちまったんでな」
「ふーん」
レオリオが若干焦った口調で答えていた。
「じゃ、オレもうちょっと寝るね。おやすみ」
言うが早いか、ゴンはもうカーテンを閉め、速攻眠りに入ったようだ。
「オレ達も寝るか」
「……そうだな」
答えつつ、恐らく私はまだ眠れないだろうと考えていた。
カーテンを閉め、寝床へと横たわるが、相変わらず目は冴えたままだ。
先程抱きしめられた感触が、腕に、肩に、背中に残っている。
振り払うことなど出来そうにない。
この熱が消えるまで、どれくらいの時間を要するのだろう。
そんなことを考えながら、私はゆっくりと目を閉じた。
ククルーマウンテンに到着するまで、あと数時間。気の早い朝日が、すでに地平線に顔を覗かせていた。FIN.
後記
お疲れさまです。如何でしたでしょうか。
レオクラ熱が止まりません。自分。どうしませう。って、どうなるわけでもないんですが(笑)。
ただ、この場を借りて再度宣言させていただきますが、自分の中のクラピカは全部旧アニメのものに統一することに決めました。
顔も目の色も性格も仕草も声も。ついでに言うと性別も(←おい)すべて旧アニメが適用されますので、そこのところよろしくです。
で、旧アニメのほうのこの列車の旅の場面。
ここもオリジナルなのですが、この旅の間って妙にクラピカ、はしゃいでるんですよね。
本当に楽しそう。ゴンに貧乏旅行の講義(?)をしているところも、レオリオとゴンが騒いでるのを見て呆れたように笑っているところも。
なんだか、やけに楽しそうな笑顔のクラピカを見て思ったのは、この5日間って、クラピカにとって一番倖せだった時間なんじゃないのかなあってこと。
あ、もちろん、クルタ族虐殺の後ではってことですが。
この時期って、無事ハンター試験も終了し、しかも、まだ裏ハンター試験の存在も知らなくて、雇い主を捜さなくちゃいけないっていう目的はあるけど、そこまで切羽詰まってはいなくて、つまり、クラピカが一番安心していた時期なんじゃないかと思います。
だからかな。この列車の場面。私、本当に大好きでした。
ずっと、あんなふうに笑っていて欲しかった。
いつまでも。本当にいつまでもずっと。
倖せな。倖せなクラピカを見つめ続けていたいです。2013.04.13 記