となりの芝生

「先日のテストの答案を返す。名前を呼ばれた者は順に取りに来るように。まず三杉淳」
「はい」
澄んだ高い声で返事を返すと、三杉はカタンと席を立ち教壇にいる先生の元へ歩み寄った。
「出題範囲が広かったにも関わらずよく頑張ったな。これは、君の努力の成果だよ」
そう言って手渡された答案用紙に書かれていた点数は98点。
三杉は嬉しそうに答案用紙を受け取り深々とお辞儀をした。
「他のみんなも三杉を見習って頑張るように。学校というものは出席していればそれでいいというものじゃない。如何に限られた時間内できちんと勉強をするかということが大事なんだ。わかったな」
先生の言う、出席率だけで考えれば間違いなく三杉より良いであろう生徒達面々は、ほんの少し罰の悪そうな顔をして舌を出した。
確かに学校に来る来ないだけで見れば、三杉の出席率は最悪だろう。
心臓の所為で、しょっちゅう病院通いをし、発作でも起こそうものなら、数日から数週間は学校に出て来れなくなるのだから。
「にしてもすごいな、三杉って。ここなんか完全に休んでた時期の問題なのに。お前家庭教師とか雇ってるんだっけ?」
三杉の答案用紙を覗き込みながら羨ましそうにつぶやいたのは、去年皆勤賞をとった山口という生徒である。
三杉は照れたように笑いながら山口の問いに首を振った。
「いくらなんでも病院に家庭教師は呼べないよ。そんなことしたら先生に怒られちゃう」
「そっかー。そうだよな」
「じゃあ、特に誰にも教わらずに教科書だけ見て勉強してるのか?」
三杉の次に点数のよかった眼鏡の学級委員が山口の後ろから身を乗り出すようにして顔をだした。
三杉は笑いながら首を振り、机からノートの束を取り出す。
「厳密に言うと、教科書だけじゃないよ。ほら、真田がよくノート届けてくれるし」
「おいおい。真田のノート見て何がわかるんだよ。あいつの字は解読不可能な象形文字だぞ」
「何か言ったか? 山口」
言われた本人である真田が、ゴンっと後ろから山口の頭を叩いた。
「オレだって三杉さんに届ける分は、ちゃんと読めるように丁寧に書いてるぞ」
「ホントだ。見ろよ、このノート」
三杉が開いてみせたノートには、苦労して何度も消しゴムで消しながらも、一生懸命に書き綴ったととれる、真田の字があった。
「病院にいる間って結構時間あるからね。こうやって届けてもらったノートとか教科書、あと参考書読んでたら、授業に出てなくてもだいたい理解できる。暗記科目なんてそんなものじゃないかな」
「……お前、それ先生の前で絶対言うなよ」
呆れた顔で肩をすくめ、山口が苦笑した。
三杉は山口の言葉にきょとんと首をかしげる。
「何でっていう顔だな。それ」
可笑しそうに笑って、山口はそっと三杉の耳元に口を寄せると声をひそめて囁いた。
「生徒がみんな、読んでるだけで理解出来てたら、先生なんて全員失業しちまうじゃないか」
「…………」
その突飛な意見に三杉は思わず吹き出した。
「まっさかー」
つられて山口も笑い声をあげる。
こんな何でもない会話がとてもとても楽しくて、三杉はしばらくの間肩をふるわせて笑い続けていた。

 

――――――「三杉、さっきからお客さんが待ってるぞ」
教室の入り口付近にいたクラスメイトから声をかけられ、三杉がようやく笑いを納めて振り返ると、一ノ瀬が教室の入口で様子を窺っていた。
「あれ? 一ノ瀬」
慌てて立ち上がり、三杉は急いで一ノ瀬のそばへと駆け寄る。
「何?」
「あ、これ、頼まれてたもの。いちおう書きだしてきたんですけど……」
そう言って、一ノ瀬は三杉に抱えていたファイルを差しだした。
「ああ、そっか。有り難う。ゆっくり見たいし、此処じゃなんだからちょっと静かな所行こうか」
「あ、はい」
静かな所と言っても学校内にそうそう生徒が自由になる所などない。
結局、校舎脇の非常階段に腰を降ろし、三杉は一ノ瀬から改めてファイルを受け取った。
「にしても、いつからあそこにいたんだい? すぐ声かけてくれればいいのに」
「いや、なんかお邪魔みたいだったんで……」
言葉を濁して一ノ瀬は上目遣いに三杉を見た。
「なんだよお邪魔って」
一ノ瀬の言葉に三杉が可笑しそうに笑い声をあげた。柔らかそうな栗色の髪がふわりと揺れる。
「別にたいした話してたわけじゃないよ」
「うん。だろうとは思ったんだけど、なんかすごく倖せそうだったし」
「倖せ……?」
クラスメイトとのたわいのないおしゃべりをしていただけで倖せ不幸せを感じる程、何か特別な態度でもしていたのだろうか。不思議に思って三杉は首をかしげた。
「別に特別なことって何も……」
「そうなんだけど……やっぱりなあ、って思ったもんで」
「何がやっぱり?」
「うん。やっぱり三杉さんは学校が好きなんだろうなあって思ってさ」
「…………」
ほんの僅か三杉が目を丸く見開いた。
「オレ、病院での貴方と、学校での貴方を交互に見てるけど、やっぱり此処に居るとき、一番倖せそうなんだ。最近では学校なんか来たくないとか考える奴もいっぱいいて、登校拒否とか問題になってる学校も多いのに、この人は何でこんなに倖せそうに学校に来るのかなあって、そう思ったら、貴方が倖せそうに笑ってるの見るだけで、邪魔しちゃいけない気になって……」
それはきっと些細な表情の違い。
毎日学校に来て、当然のように授業を受けて、当然のようにクラスメイトと騒いで、当然のように時間を過ごす。
そんな当たり前のことに自分がどれほど、憧れているか。
学校に来るたび、このまま時間が止まればいいのにと願った。
この、何でもない時間を当然のように過ごしていたいと。
「やはり、君には隠し事は出来なさそうだね。何をやっても見破られそうな気がする」
くすりと笑って三杉は受け取っていたファイルをはらりと開いた。
「これで全員分?」
「そうです。全部で17名が今年の新入部員。うち経験者が10名。オレ達と同じ武藏FC出身者は6名っていうところです」
「了解」
一ノ瀬が渡したファイルは、今年のサッカー部員の個人データ集だった。
「生徒手帳のコピーなんで画像はちょっと悪いですが、これが写真。あと希望ポジションと、最初にやった体力測定の結果一覧……」
「これは? 君の印象ってやつ?」
三杉が指差した先には、各個人個人のデータに添えられた簡単な説明と、プレイスタイルの癖などがメモとして書き込まれていた。
「あ、はい。これはオレの独断なんで何なら無視しちゃってくれて結構です」
「とんでもない。助かるよ。有り難う」
「…………」
熱心に個人データを眺めている三杉を見て、一ノ瀬は感心したように息を吐いて頬杖をついた。
「……にしても、こんなの見てどうするんです?」
「どうって……覚えるんだよ」
「覚える?」
「うん」
当然のように三杉は言った。
「ただでさえ、なかなか部活に出られないんだから、出たときはそれぞれのこと覚えてなくちゃ練習もしにくいだろうし、周りにも迷惑かけるじゃないか。1年生だって立派な僕たちのチームメイトになるんだから、知らないじゃすまされないと思ってるんだ」
三杉は決して天才ではない。
こんな時、一ノ瀬はいつもそう思った。
周りの人間は、三杉のことを、家も立派で成績も良くて、サッカーも天才的に上手くて、きっと天が二物も三物も与えたんだと噂しているが、きっとそうではないのだろうと。
確かに家が良いのは三杉にとっては倖せなことだろう。
でも、三杉には心臓病という重い病がある。
そして、三杉の成績がいいのは間違いなく努力した結果だ。サッカーに関してもそうだ。
心臓病の為、三杉は普通の少年に比べて体力がない。激しい運動もできない。持久力など皆無となる。
サッカー選手としては致命的だろう。
では、何故彼は此処まで天才と呼ばれるのか。
それは、三杉のプレイスタイル故だ。
無駄なものを一切省いた理想的な型がそこにあるのだ。パワーにも体力にも頼らず、純粋に技術だけを磨いた結果が、あのスタイルを産んだ。
だからこそ産まれた奇跡。
「すいません」
突然、一ノ瀬が謝ったので三杉は何事かと目を丸くした。
「何? どうかした?」
「いや、オレ、今とても貴方に対して失礼なこと考えたかも……」
「…………?」
「オレ……」
「……何?」
優しく三杉は一ノ瀬に先を促した。
「オレ……貴方が心臓病で良かったのかもって……今、一瞬考えた」
「……えっ?」
さすがに三杉の顔が一瞬強ばった。
「それは……どういう……」
「だから……その、すみません」
「一ノ瀬」
「ホント、ちょっとだけなんですけど、思っちゃったんです。もし、貴方が他の奴らと同じ健康優良児だったら、今の貴方の天才的なプレイは出てこなかったんじゃないかって……だから……」
「……だから……」
一ノ瀬の言葉を反復して、三杉はゴクリと唾を飲み込んだ。
「心臓病があったから……今の僕がある……」
「あの……だから、すみません」
「謝ることないよ」
一ノ瀬の言葉を遮って三杉ははっきりと言った。
「謝ることじゃ……ない。むしろ感謝したい気分だ」
「三杉さん?」
「そんなふうに考えるなら、僕は自分の運命をそんなに呪わなくてもいいんだって気がする」
「…………」
「いいんだよね。ね、一ノ瀬」
どう答えていいかわからず、それでも一ノ瀬はコクリと頷いた。
「僕はね。思うんだ。きっとみんな無いものねだりなんだって」
「……?」
「隣の芝生は青く見える……っていうのはちょっと例えが違うんだろうけど。みんな、いろんな事に対して、自分にないもの、自分では出来ないもの、手の届かないものに憧れるっていうのあるじゃないか」
手にしていたファイルをパタンと閉じ、三杉は一ノ瀬に顔を向けた。
「僕だって健康で、毎日学校に来れてたら学校を好きだって思わなかったかもしれない。自由にサッカーができればここまでサッカーをやりたいと思わなかったかもしれない。できないから、手が届かないからこそ、憧れて憧れて……」
「…………」
「それが僕の実力の向上の助けになっているんだったら、この気持ちは無駄なものじゃないね」
「三杉さん」
「何もかもが無駄じゃない。すべてがあるべき所へ向かっていく為の必要な布石なんだ。そう考えたら、少し心が軽くなったよ」
「…………」
「軽くなった」
そう言いながら笑顔を浮かべた三杉を見て、一ノ瀬の心がズキンと痛んだ。
「すいません。オレ……あの……」
「…………」
「あ……あの…ごめんなさい」
「どうして謝るんだい。僕は謝る必要ないって……」
「すいません!」
三杉の言葉を遮って一ノ瀬は半ば叫ぶように声を荒げた。
「すいません……すいません」
うつむき、声を震わせて、一ノ瀬は三杉に謝り続けた。
三杉は困ったように肩をすくめ、くしゃりと一ノ瀬の髪を掻き回した。
「……まったく、本当に君には嘘がつけなくて困る」
「…………」
「有り難う」
小さな声で三杉がそうつぶやいたとき、昼休み終了を告げるチャイムの音が鳴り響いた。
「あ、教室に戻らなきゃ」
一ノ瀬を促して立ち上がると、三杉は手にしたファイルを目の前に掲げもう一度言った。
「有り難う」
「…………」
「じゃ、また放課後」
自分の教室に戻っていく三杉を、一ノ瀬は時間ギリギリまでずっと見送っていた。
有り難う。
あの言葉の意味はどうとればいいのだろう。
ただ単に一ノ瀬が用意したファイルに対しての感謝の気持ちなのか。
それとも。
憧れて憧れて。
無い物ねだりだと言われても、それでも想うことを止められなくて。
叶わない願いであればあるほど、焦がれて。
他の人間にとっては、気にもならないほどの当然の権利。当然の時間。
「…………」
一ノ瀬は誰もいない廊下に向かって、深々と頭を下げた。
悔しくて不甲斐なくて、涙がこぼれそうだった。

FIN.     

 

 

後記

お疲れさまです。如何でしたでしょうか。
100000HITキリ番リクエスト。お題は「三杉さんの学校生活」でした。
とか言いながら、後半一ノ瀬君ばっかりで、、あまり学校って感じがしなくてすみません。
しかも、何か後味悪いし。
最初考えてた時は三杉さんも素直に↑の台詞をしゃべってらしたはずなのですが、何故か、こんな結末(?)になってしまいました。
どうも、一ノ瀬君はスポーツドクターになるより心理カウンセラーになったほうが似合ってるのではないのかと思うほど、彼は表情に隠された真意を汲み取るのが上手いです。但し三杉さんに対してだけ。(←それじゃあ、不特定多数のカウンセラーには絶対なれんわな)
今回に関しては、一ノ瀬君が本当に勝手に動いてくれたので、ラストは正直言って私が考えたんじゃない気がします。冗談抜きで。じっくり考える間もなく怒濤のように手がキーボード叩いてました。一ノ瀬君の霊が乗り移ったのではないかと思うほど(←こら)
愛嘉さん。リク使って何書いてるんだって話になってしまいましたが、こんな話でよろしかったでしょうか。
ではでは、今後とも宜しくお願いします。

2004.05.15 記   

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