眠れぬ夜
ワールドジュニアユース大会選抜メンバーの合宿が始まってちょうど2週間が過ぎた。
さすがに全国の強豪がそろっているだけあって、練習メニューのきつさも、技術レベルの高さも半端ではない。
他校に比べれば、自分の学校のサッカー部の練習量はかなり多めだと自負していたにも関わらず、それがたいしたものではなかったのかもと考えを改めなければならなくなった事も事実。
夕食も終わり、早い者はすでに就寝しているだろう時間帯、外を散歩しながら松山は誰にともなくぽつりとつぶやいた。
「っつーか、三杉んとこの武藏中はいつもあんなメニューこなしてんのかなあ? だったら化け物集団だぞ、マジで」
それぞれの選手に合った練習メニュー。
苦手な部分の克服をメインに検討に検討を重ねたと思われるそのメニューのおかげで、確かに自分達は強くなった気がする。
自分でも気付かなかった些細な癖や、バランスの微妙なズレ、得意なパスコースや苦手な技。
実業団のコーチスタッフだって、あそこまで見事に的確なアドバイスをくれるだろうか。
「やっぱ、天才ってああいうのをいうのかなあ?」
サッカー自体の技術レベルで言えば、翼もすごい。というかあいつが一番だろう。
でも、一瞬のひらめきと勘で動いているように見える翼と、確たる意志に裏付けられて動いている三杉では、実際問題、同じ天才肌だといっても受ける印象が全く違う。
翼とは大会で戦ったことがあるが、三杉とは結局一度も対戦経験がない。
今回の選抜も、三杉はコーチとしての招集なので、紅白試合にさえ出てくることはない。
仕方がないといえば仕方がないことなのだが、なんとなく納得がいかない。
「……ってあれ? オレは何を悶々としてるんだ?」
いつの間にか思考が妙な方向へ向かっている。
松山は大きく深呼吸をして、くるりと方向転換をした。
「こういう時はグランドへ行こう」
そう。色々と悩んで考え込むなんて自分らしくない。
こういうときは気分転換。きっとボールを蹴ってさえいれば気分は浮上する。
「…………!?」
そう思ったのに、グランドへ着いた松山は、そこに思いがけない先客の姿を見て息を呑んだ。
「……三杉……?」
壁へボールを打ち込み、跳ね返って来たところをボレーシュートの要領で蹴り上げる。
再び戻ってきたボールを胸でワントラップしてドリブルを開始する。グランドにたてた赤いコーンの間を見事な体さばきで通過する。ひょいっと身体を180度反転させ、そのまま軸足の後ろにボールを通す。あれは、確かクライフターンだ。
片足でボールを真後ろから上へ蹴り上げ、そのままダッシュ。測ったように足下に戻ってきたボールをトラップ無しで再び蹴りあげる。流れるような一連の動作。息もつかせぬ連続技。
普段の柔らかな笑顔からは想像もつかないシャープな表情。緊迫した空気。
本当に、本当に、この少年は天才なんだ。
動くたびにふわりと揺れる栗色の髪を見ながら、知らずフェンスを握りしめた松山の手に力が籠もっていった。
やはり納得がいかない。
自分などより、この少年が出場したほうが勝利の確率は格段に上がるだろう。
この三杉淳という天才を前に、自分達がどれだけ無力か。情けないほどに力が及ばないか、何故監督達はわからないのだろう。
何故、彼ではないのだろう。
「……三杉!?」
突然、三杉が胸を押さえてグランドにしゃがみ込んだ。
一瞬のうちに思考を遮断し、松山はフェンスを開け、グランドの中へと飛び込んだ。
「三杉! 大丈夫か!?」
「……松…山……?」
何故、こんなところに松山が、といった疑問が三杉の表情に一瞬浮かんだが、それはすぐに苦しさに取って代わる。松山はどうしていいか分からずにオロオロしながらも、荒い呼吸を繰り返す三杉の身体に腕を伸ばし抱え込んだ。
「だ……大丈夫か? どうすればいい? 薬か何かあるのか?」
「……あそこの……鞄のポケットに……」
見ると、三杉のものだろうスポーツバッグがグランド隅のベンチに置いてある。
「あれか。分かった。取ってくるから少しだけ我慢してろ」
そのまま地面に三杉の身体を横たえ、松山はダッシュでベンチまで走ると、乱暴にバッグを掴み三杉の元に駆け戻った。
「ポケット……何処だ。あ、あった!」
バッグの横の小さなポケットに白いピルケースがあるのを見つけ、松山はそれを取り出した。
「ほら、薬」
「すまない……」
松山から薬を受け取ると、三杉は慣れた手つきで、錠剤を舌下に含んだ。
まだ三杉の呼吸は荒いままだ。
まあ、そんなすぐに薬が効き出すとも思えないが。
松山は三杉の身体を抱きおこし抱え込むと、地面に倒れた時についた砂を払ってやった。
少しずつ、少しずつだが、三杉の呼吸が楽になってきた気がする。
気休めにもならないだろうが、背中をさすってやると、三杉の表情がほんの僅か穏やかになった。
「…………」
ほっと息をついて、松山は三杉の耳元にささやきかけた。
「大丈夫か? 大丈夫だったら声出さなくていいから、頷いてくれ」
「…………」
微かに三杉が頷いた。
「よかった」
ようやく安心して、松山は抱きかかえていた三杉の身体を離した。
三杉はまだ青白い顔色のままだったが、それでも随分と状態は安定したのか、いつもの見慣れた表情に戻っていた。
「すまないね。びっくりさせたろう」
「あ、ああ、まあな」
照れたように松山が頭を掻く。そういえばとっさのこととはいえ、さっきまでずっと自分の腕の中に三杉を抱えていたのだ。
思ったより小柄だった三杉の身体。なんだか女の子を抱きしめてるような気がした。といっても、自分は実際女の子をきちんと抱きしめたことなんか一度しかないのだが。
あれだけのスピードとテクニックを持ちながら、決して筋肉質ではないその三杉の体つきの理由は、やはり持って生まれた心臓病の所為で、きちんと筋肉をつける運動が出来なかったためなのだろうか。
だとしたら、こいつが心臓病でなかったら、どうなっていたのだろう。
もしかしたら、自分達の想像もつかない遙かな高みに最初に辿り着くのは、この少年だったのかも知れない。
そう考えると運命というものは本当に皮肉なものだ。
「その薬って、心臓病の薬なのか?」
三杉の手の中にまだ握り込まれていたピルケースを見て松山が聞いた。
「これはニトログリセリン錠だよ」
「ニ……?」
なんだかとてもとても危険な薬のような。
松山が妙な顔をしたので、三杉はおもわずくすりと笑みをこぼした。
「健康な人が服用なんかしたら大変な薬だけどね。劇薬だから」
「へえ……」
そんなものを常備しなければいけないのだ。三杉は。
なんだか自分は本当に三杉のことを知らないのだなあと、松山は改めて三杉の顔を覗き込んだ。
三杉が心臓病だというのは、小学生大会の時に岬から聞いた。
あの時の南葛対武藏戦はとても大変だったのだと。
苦しい戦いだったということもそうなのだが、精神的にとてもきつかったのだと。珍しく岬が愚痴をこぼしていた。
確かに、こんなふうに命をかけている相手との戦いは、精神的にきついだろう。
「いつもこんなふうに発作っておこるのか?」
「いつもってわけじゃないけどね」
そんなしょっちゅう発作ばかり起こしてたら病院に連れ戻されちゃうよ、と三杉は笑った。
とたんに松山は、自分が如何に不用意な質問をしてしまったかに気付き、慌てて頭を下げた。
「悪い。ごめん。嫌なこと聞いちまったな」
「いいや」
三杉にとっては、いつものことらしく、気にしなくていいよと軽くかわされてしまった。
その態度が、松山にとって余計に罪悪感を感じさせる。
「なあ、三杉ってよく夜に一人で練習してるのか?」
「……そうだね。夜くらいしか自分の練習できないし」
「…………」
昼間は自分達のコーチをするので大変なのだ。
「っていうのは嘘。今日は特に。ちょっと眠れなくて」
「……?」
「悔しくてね。自分の部屋にいると嫌なことばかり考えそうで、だから出てきたんだ」
「嫌な事って……なんで今日に限って……」
「今日、レギュラーメンバーが発表されただろう」
「……あっ……!」
おもわず松山は息を呑んだ。
「別に期待なんかしてない。最初から僕は選手として此処に来たわけじゃない。そんなことはわかってる。なのに、どうしても眠れなくて。一人で部屋にいると、どんどん自分が嫌いになっていくような気がして……」
「……三杉……」
「まったく……こんな無茶するから怒られるんだよね……」
「怒る? 誰が?」
「……一ノ瀬」
「…………?」
一ノ瀬っていうと確か武藏中の選手。小学校時代から三杉のそばにいた奴だ。
「本当は電話でもしようかと思った。でも、そんなことしたら、今の僕じゃ何を口走るか分からないと思って止めた。どうにかして心を落ち着けなくちゃって思って。グランドへ来た」
「…………」
「でも大失敗。無茶して倒れて、君に迷惑かけて。ごめんね。松山も自主練するために来たんだろう。邪魔しちゃったね」
「じゃ……邪魔なんかじゃねえよ。オレはいつだって、それこそ何処でだって練習なんか出来る。オレなんかより……」
言いかけて、松山は言葉に詰まった。
何を言ってもどうしようもない。
三杉が自分達のチームに選手としてではなくコーチとして招集されたのは事実。三杉が心臓病なのも事実。
海外へ行って連日の戦いが出来る体力が今ないことも事実なのだ。
でも。
「オレも悔しい」
ぽつりと松山は言った。
「オレ、今日、なんかずーっとイライラしてて。納得いかねえなあって思ってて。なんでなのかわかんなかったけど、お前のことばかり考えてた。ずっと考えてた」
「…………」
「やっと分かった。あの時、レギュラー発表の時のお前の目がオレの中に焼き付いてたんだ」
「……僕の……?」
チクリと胸が痛かったのだ。
普段と変わらない表情で、監督の隣に立っていた三杉の目を見た途端、微かに胸が痛かったのだ。
何もかも納得した表情で、怒りも嘆きも絶望も、そんなもの欠片も見せなかった三杉の目にほんの一瞬見えた感情。
泣き出したいほどの叶わぬ願い。
「……お前、すげえよ。オレだったらきっと耐えられない。悔しくて悔しくて、絶対叫んでる」
「……松山……」
「しかもお前ってば、オレなんかよりずっと才能あって、上手くて、サッカーセンスもあって、努力家で。オレがお前だったら納得いかねえって叫んでる」
努力して努力して。ようやく掴める夢。
でも、努力しても叶わない願いがあった時、人はどうすればいいのだろう。
昔は、頑張ればどんなことでもなんとかなると思ってた。実際、自分のことだったらなんとかなってきた。
サッカーもそれなりに上達した。もっと頑張ればもう少し上を目指せるだろう。
全国大会にも出場できた。仲間も一緒についてきてくれた。
夢が現実になって一つずつ叶ってきた。
でも、こいつは違う。
どんなに願っても身体は治らない。
頑張りたくても無茶が出来ない身体なんだ。努力したくても、やればやるほど心臓に負担がかかって、へたすると倒れてしまう。周りに迷惑をかけるから、やりたいことも出来ない。
「……悔しいよ。三杉……」
「…………」
困ったように三杉は松山を見た。
「君が気に病む必要なんかないよ。君は、今君に出来ることを、君自身の為にやってくれればいいんだ。僕はそれをちゃんと見てるから」
「…………」
なんだかどっちが慰めているのか分からない状態になってきたなあと思い、松山はブンッと大きく頭を振って顔を上げた。
「いつか一緒にプレイしような。三杉。敵でも味方でも、この際贅沢はいわねえから」
「……松山?」
「本当言うと、敵に回したら勝てる気がしないんで、味方になって一緒に日向あたりをやっつけられたら一番理想なんだけどさ」
ニカッと笑いながら松山はそう言った。
「オレ、医学のことはよく知らないんだけど、ああいうのっていうのも日進月歩だっけ? だんだん色んなことが出来るようになってきてんだろ」
「あ……ああ」
「だったら、大丈夫。いつか心臓のことなんかまったく気にしないでフルタイム出場出来るようになる日がくる。絶対」
「…………」
「絶対くる」
はっきり言って何の根拠もない言葉だった。
でも、言いたかった。
そんなもの救いにもなんにもならないかも知れないけど、それでも言いたかった。
「だって、そうでも考えねえと悔しくて仕方ないじゃないか」
「…………」
「なっ」
「……君って奴は」
他になんとも言いようがなく、やはり三杉は困ったように松山を見つめていた。
それでも、何故か、先程より心は穏やかになったような気がした。FIN.
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後記
お疲れさまです。如何でしたでしょうか。
113388HITキリ番リクエスト。お題は「三杉さんと松山君」でした。
もう、リク通り、2人しか出てこない話です。自分としても珍しい(笑)。
というか、この2人の組み合わせ、初めて書きました。いや〜新鮮新鮮♪と、いいつつ僅かな抵抗が、作品中に出てきた他数名の名前でしょうか(笑)。やはりそれぞれの背景に彼等の存在があってこその彼等ですし(←おい)
でも合宿中の話ってもしかしてとても面白いかも、なんて今回書いてて思いました。
愛嘉さん。こんな感じでよろしかったでしょうか。
ではでは、今後とも宜しくお願いします。2004.11.13 記