願い事ひとつ

何気なく差しだした手の中にポタリと雨の粒が落ちてきた。
「あ……雨……?」
そう思って空を見上げると、うっすらと雨雲が頭上の空を覆い隠しているのが見えた。それを見てようやくオレは、そういえば、今日は雨が降りそうだから傘を持っていった方がいいよと朝方伸が言っていたことを思い出す。
朝の空は青空が見えていて、まさか本当に降るなんて思ってなくて。
そりゃ、伸の言葉を信用しなかったわけではないんだけど、今日は荷物が多くて重かったから、まあいいやって。そんなふうに思って、ついつい傘を持たずに家を飛び出してしまっていた。
本当に、伸は水滸なんだなあと、こんな時は実感する。
こと天気に関しては、そこんじょそこらの天気予報士なんかより的中率は高いだろう。
オレはそんなことを思いながらもう一度、手のひらに落ちてきた雨粒を見つめた。
これってもしかして、雨の最初の一粒なんじゃないだろうか。
いつだったか聞いたことがある。
『雨の最初の一粒には、願いを叶えてくれる妖精が住んでるんだ』
子供相手のおとぎ話。
それは分かっているんだけど。もし、本当に妖精が住んでいるのなら。
もし、願いを叶えてくれるのなら。
「ほら、やっぱり雨降ったろう」
「…………!?」
突然の声と同時に頭の上に掲げられた雨傘にオレは驚いて振り返った。
「人の忠告はちゃんと聞かなきゃ。遼」
「……伸……?」
一瞬、雨の妖精かと思った。
伸は、いつも持っている内側に星座の絵が描かれた黒い雨傘を差してオレににこりと微笑みかけていた。
「……遼?」
反応のないオレに、伸が不思議そうに小首をかしげる。
「どうかした?」
「あ……いや……雨の……」
「…………?」
「……雨の妖精かと思った」
無意識に出てしまったオレの言葉に伸は一瞬きょとんとした顔をして、次いで弾けるように笑った。
「雨の妖精? それって、降り出した雨の最初の一粒に住んでるっていう、あの妖精? へえ、遼って案外ロマンチストなんだ」
くすくす笑いを引きずりながら、伸は可笑しそうにそう言った。
「そっか。妖精か……じゃあ、妖精らしく、願いを叶えてあげるよ。君の」
冗談めかして、伸は更にそう続ける。
「何か欲しいものとか、して欲しいこととかある? たいした力もない妖精だけど、願い事を叶えさせていただきますよ。ご主人様」
オレの願い……?
オレはどう答えていいか分からず、目を見開いて伸を見つめ返した。
優しい伸。暖かい伸。
伸は、本当に解っているんだろうか。オレが何を望んでいるのか。
オレが本当に欲しいものは何なのか。
オレが……。
「……遼? 顔、真っ赤だよ。大丈夫?」
「…………!?」
何を考えてるんだ。オレは。
オレは、バッと伸に背を向けてバス停に向かって駆け出した。
「り……遼!?」
「ほ、ほら、バスがきた。乗ろう! 伸」
ちょうどタイミングよくやってきたバスを指差してオレは叫んだ。伸は何の疑いもなく、ああそうかと一緒になって走り出す。タタタッとバスに乗り込み定期を見せ、オレ達はいつもの最後列の椅子に身体を投げ出すようにして座った。
何だか心臓がバクバクいってる。
走って息があがった為ではないことは明白。本当にオレは何を考えているんだろう。
何を。
ちらりと横目で伸をみると、伸は小さく欠伸をして疲れたように目を閉じていた。
「何、伸、寝不足?」
オレが覗き込むと、伸は小さく頷いた。
「うん、ちょっとね。課題の提出期限が迫っててさ。昨日あんまり寝てないんだよね」
そう言って再び小さなあくび。
「大変だなあ、3年生は。色々と課題も増えて」
「そうだね」
「じゃあ、肩貸してやるから寝て良いよ」
「えっ?」
オレの申し出に伸は驚いたように目を開けた。
「着いたら起こしてやるから、ほら」
「……え……でも……」
伸の表情が遠慮に変わる。
伸の眠りは浅い。しかも、こんなバスの中で、オレの肩にもたれて眠るなんてこと、もしかしてあり得ないことかも知れない。それでも、オレは思わず言ってしまった事とはいえ、引っ込みがつかなくなり、ぐいっと伸の方に自分の肩を突きだした。
「いいから。じゃあ、それがオレの願い事。オレの肩にもたれて寝なさい」
「ね…願い事……?」
「そう。さっきお前言っただろう。妖精らしく願い事叶えてやるって」
「そりゃ言ったけど……それが願い事なの?」
「そうだよ。悪いか」
オレは口をへの字に曲げて、憮然とした表情をした。
「変な願い事」
「いいだろ。どんな願いでも。何でもいいって言ったのそっちだぞ」
伸はついに吹き出すように笑い声をあげ、そのままの勢いでオレの肩にコトンと頭をもたせかけた。
「はいはい。では、お言葉に甘えて。願いを叶えさせていただきます」
ドキンと心臓が飛び上がった。
「あ……ああ」
声がひっくり返らないようにするのに必死になってしまった。
肩口に触れる伸の重さ。鼻先をくすぐる栗色の髪。シャンプーの匂い。いや、これはまるで海の匂いだ。
暖かくて爽やかで優しい、伸の海の匂いだ。
再び心臓が跳ね上がる。
オレはそっと向側の伸の肩に手を添えた。伸が可笑しそうに目を閉じたままくすりと笑う。
「別にそんな壊れ物扱うように触らなくても大丈夫だよ」
「あ……う、うん」
肩を抱く。
心臓が早鐘を打つ。
この音が聞こえるんじゃないかとドキドキして、それが更に拍車をかける。
本当に眠っているのかどうかは定かじゃなかったけど、やがて、伸が安心したような表情で、ふうっと小さく息を洩らした。すると、肩にかかる重みが少しだけ増す。
本当に寝不足で疲れてたんだなあ。そう思いながら、オレは伸の身体を支えたまま、そっと伸の顔を見下ろした。
閉じられた伸の目。普段はあまり見ることのない少し幼いような表情。
思わずオレは目を細める。
何だか眩しくて。何だか嬉しくて。何だか切なくて。
そばにいる。触れている。
それだけで、どうしてこんなにドキドキするんだろう。
こんなに毎日顔をあわせているのに、どうして、こんなことで自分は心臓が飛び上がるくらい緊張しているんだろう。
どうして、こんなに。
こんなに好きなんだろう。
こんなに、こんなにまで、好きなんだろう。

 

――――――「〜次の停車は、南公園前〜」
バスの降車案内の電光掲示板に流れたテロップを見てオレは叫び声をあげた。
「うわぁ! ごめんっっ伸!」
「……えっ?」
眠っていた伸が目を覚まし、驚いて顔をあげる。
「何?」
「悪い。乗り越した」
「……へ?」
慌てて窓の外を見ると、遥か後方へ見覚えのある柳生邸の屋根が段々小さくなっていくのが見えた。
「……あ」
「ご……ごめんっっ」
言ってる間に、柳生邸は雨の煙に霞んで消えていった。
バスに乗り込んだ頃より更に雨も激しくなっているようだ。
肩を落とし、伸は困ったようにオレを見た。
「どうする? 次で降りて歩く?」
「あ、うん……その……ごめん」
もう、他の言葉が出てこない。
まさか、伸の寝顔に見とれてて降りるのを忘れてたなんて、言い訳にもならない。
伸は呆れているのか、怒っているのか、ちょっと考え込むように腕を組んだ。
「ねえ、遼。ひとつ提案」
「……何?」
「ついでだから終点まで行って戻ってくる?」
「……えっ?」
「雨も強くなってきたし、傘もひとつしかないのに、この雨の中一駅歩くのもなんだし。だったら、終点のセンター街入口まで行って、買い出しして帰ってこようよ」
「え……その……いいのか?」
「いい、いい。というか、そのほうが僕も都合いいし。ちょうど味噌が切れてたの今思い出した」
「……なんか、すんげえ主婦の会話みたいだ」
「何か言った?」
「いや、何も」
思わず顔を見合わせて吹き出すように笑いあう。
「じゃあ。そういうことで」
そう言って、伸は再びコトンとオレの肩口に頭を乗せた。
「伸?」
「終点まではあと30分。今度は起こしてよね」
にっこり笑って伸は肩越しにオレを見あげた。
ようやく収まっていたはずの心臓が再びドキンと鳴る。
「あ、ああ。今度はちゃんと起こすよ」
「約束だよ」
伸はそっと目を閉じる。長い睫毛がふわりと揺れた。
オレはさっきと同じ姿勢で、伸の肩を抱く。
やはり心臓はドキドキと高鳴っていたが、不思議と緊張はなくなっていた。
ただ、その代わり。
倖せだと思った。
今、此処に、こうやっていることが。
あと少し、こうしていられる時間が延びたことが。
とてもとても倖せだと思った。
今、腕の中にいるこの人が好きで好きでたまらなくて。
好きすぎて。
倖せだと思った。

FIN.     

 

 

後記

お疲れさまです。如何でしたでしょうか。
131313HITキリ番リクエスト。第2弾。今回のお題は「倖せな遼」ということでした。
その所為で邪魔者は一切排除させていただきました。
当麻も正人も烈火でさえも、誰もいません。ええ、いませんとも(笑)。
遼には、伸と2人きりでの楽しい倖せな時間を過ごしていただきたいと思います。
遼の願い事は、本当にささやかです。というか、まあ、色々妄想(失礼)はあるんだろうけど、遼にとっては、これも充分倖せなのだと。そう思います。

どうだったでしょうか。こんな感じでご満足頂けましたでしょうか。pyonさん。
遼の倖せを感じていただけましたでしょうか(笑)。
楽しんでいただけると幸いなのですが。リクエスト有り難うございました。

これからも宜しくお願いします。

2005.07.16 記   

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