光と影 −2−

お母さん、征一って誰?
征士が母にそう聞いたのは、彼が小学校に上がって3回目の誕生日を迎えた時だった。
征士の誕生日。
つまりそれは、彼の兄となるはずだった少年が生まれた日であり亡くなった日なのだ。
6月9日、彼の家では、毎年ささやかな祝いの席を設けている。
いつもより少し趣向をこらした食事と、手作りのケーキ。
普段は滅多に手作りお菓子、しかも洋風のケーキなど用意しないこの家でも、さすがに一人息子の誕生日くらいは何かしら子供の喜ぶことをしてやりたいという想いなのだろうか。
切り分けたケーキの一番大きな一欠片は征士へ。そして、その次の一欠片はいつも征士の父が座る場所の後ろにある仏壇へ。毎年、征士の母はそれを欠かすことなく行っていた。
そして、今日。
やはりいつものように仏壇にケーキを供える母の背中に向かって、初めて征士はずっと心に抱いていた疑問の言葉を投げかけたのだ。
「お母さん、それ……そのケーキ、誰に供えているの? 曾祖母様ってケーキがお好きだったの?」
征士の指さした先にある仏壇に立てかけてある写真は征士が生まれる前に亡くなった征士の曾祖母のものだ。
「え? まさか。いくらなんでもお祖母様が生きていらした頃はケーキなんかなかったわよ」
母は小さく笑って首を振った。
「……じゃあ……」
誰に。この写真の中の人宛でないのだとしたら、一体誰にこのケーキをあげているのだろうか。
しかも毎年自分の誕生日に。
「これはね」
母は、とうとう投げかけられたその言葉を、静かな笑みをたたえて受け止めた。
「これはね、征一にあげているのよ。だって今日はあの子の誕生日なのだから」
「……え?」
キン……っと胸が痛んだのが分かった。
征一。
それは征士にとって初めて聞く名前だったはずなのに、何故か知っている名前だった。
「征一って……」
「貴方のお兄さんになるはずだった子の名前よ」
「あ……兄……?」
征士は口の中で小さく母の言葉を繰り返した。
「そうね……そろそろ貴方にきちんと話しておいても良い頃合いかしらね」
そう言って、母は征士に自分のそばへ来るようにと手招きをした。
征士は素直に頷き、母の真正面にちょこんと座る。
あどけない表情の中にほんの僅かに見える真摯な瞳の色。光の加減で淡い紫にも見える不思議な色で、征士は真っ直ぐに母を見る。母は穏やかな表情のままでそっと征士の髪をなでた。
「貴方達がお母さんのお腹の中にいた時、お母さんとお父さんはもう貴方達の名前を決めていたのよ」
「達……って」
母は征士にあえて複数形の言葉を使った。
「そう。貴方達。だって貴方は双子だったんですもの」
そう言った母の顔は少し寂しげだった。
あの頃を懐かしむように母は僅かに瞳を伏せ、小さく息を吐くと、改めて征士に向かって微笑みかけた。
「ちょうど3ヶ月の頃だったかしら。お医者様がね、お母さんのお腹の中にいるのは双子だって教えてくださったの。貴方のお父さんは慌てて嬉しそうに双子の名前の候補を考えてくれたわ。まだまだ生まれるのは先よって言ったのに全然きかないで」
「……父さんが?」
いつも厳しい表情しか見せない厳格な父の嬉しそうな顔。あまり想像出来なくて征士は少し不思議そうな顔をした。母は可笑しそうにそんな征士を見下ろし再び征士の髪をなでる。
「あの人だって、いつもいつも小難しい顔ばかりしているわけではないのよ、征士。それにあの人は本当に貴方達が生まれてくるのを楽しみにしていらしたの」
自分達が生まれてくるのを。楽しみに。
「そして名前が決定したのは、6ヶ月目に入った頃。お兄さんのほうが征一で、貴方が征二。征という字にはね、戦いに赴くという意味が込められているの。貴方達が自分の信念を信じ、それに向かってちゃんと真っ正面から挑んでいけるよう願いを込めたのね。そして、一と二はそのまま貴方達自身を現す数字として」
征士はじっと瞬きをすることも忘れたように母の顔を見上げていた。
「でもね、征一はこの世界の空気を吸う前に行ってしまったの」
「行くって、何処へ?」
「貴方の中へ……よ」
征士はそこでようやく思い出したように大きく瞬きをした。
「そう。今の貴方の名前の漢字は二じゃなくて武士の士よね。これは、貴方につけるはずだった数字の二に征一の一を縦に足したもの。つまり貴方の中に征一が居るって言う意味なのよ」
「僕の……中に……征一兄さんが……」
征士は無意識のうちに胸の前でぎゅっと拳を握りしめた。
「そう、そこに居るの」
「此処に……居る」
「だから、貴方の誕生日はそのまま征一の誕生日でもあるの。私達家族は、毎年二人分の誕生日をお祝いしてあげる義務があるわ。権利も」
「………………」
「でも、だからって二人分のケーキを貴方に食べさせるわけにはいかないでしょ。だから征一の分はお仏壇に供えてあげることにしているのよ」
少しおどけた口調で母はそう言った。まるで征一を失った哀しみを振り払うかのように。
「そうか……そうだったんだ……」
小さく征士が呟いた。母はえっと言った顔で首をかしげる。
「何? 征士」
「やっと分かった。そういうことだったんだ」
征士の言葉の意味が分からず、やはり母は首をかしげたままだった。

 

――――――「夜光、貴方は本当は征一兄さんになるはずだったんですね」
ほんの少し嬉しそうに、ほんの少し得意気に征士はそう言った。
見えない空間へ向かって。
ようやく謎を解いた名探偵の気分だったのだろうか。
「だから、貴方は兄であり、自分自身であり、夜光であり、征一兄さんなんだ」
ほうっと息を吐いて征士はゆっくりと目を閉じる。まるで、目を閉じたら逆にその瞼に見えないはずの兄の姿が見えるのだと信じているかのように。
「……そんな顔しないでください。夜光」
そう言って征士はくすりと笑った。
「ああ、そんな顔っていうのは間違いだ。別に貴方の顔が見えているわけじゃないのだから。でも、分かる。貴方はまた済まなさそうな顔をしているんだ。いつもそうだから」
目を閉じたまま征士は言葉を続ける。
「心配しないで。大丈夫だから。ただ嬉しいだけなんだから、本当に」
嬉しい。征士は確かにそう言った。
「今、自分の中に二人分の命がある。他の人が決して持つことのない命の重さを、この手で感じることが出来る。これが嬉しくなくて何なんだ」
征士は胸の前でぎゅっと拳を握る。
初めて声をかけたあの時と同じ仕草。征士のいつもの癖。大切なものを想うときの無意識の仕草。
「貴方が此処に居てくれて、とても嬉しい。本当に、とても嬉しいんだ」
一言一言、本当に大事そうに征士は言葉を綴る。
自分の中にもう一人居るというのは、本当に征士の負担にはならないのだろうか。
常人と違う意識が混在しているこの状態は、征士にとって本当に負担ではないのだろうか。
信じてもいいのだろうか。征士の言葉を。
嬉しいと言ったその言葉を。
「……大丈夫」
微かに征士がつぶやいた。何だか心の内を見透かされたような気がした。
「…………有り難う。征士」
思わずそう言ったとたん、征士は滅多に見せることのない満面の笑みをたたえて目を開けた。
征士の紫水晶の瞳の中には、私の影が映っていた。

FIN.     

 

 

後記

お疲れさまです。如何でしたでしょうか。
150000HITキリ番リクエスト。今回のお題は「光と影の続編」でした。
「光と影」は出逢いだったので、その後の二人の関係も見てみたい……と。言うことだったのですが、なんか夜光の出番がないですね。これじゃあ征士と夜光の関係じゃなくて、征士と母と征一の関係みたいな。
まあ、でも語りは夜光なんだから、そう言う意味では夜光出ずっぱり? あれ? 違う?
これほどまでにお待たせして、こんな結果となりましたが、こんな感じで宜しかったでしょうか。星蘭さん。
これからもどうか、宜しくお願いします。

2006.09.28 記   

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