いつか変わりゆくもの

「あら……?」
昼休み、学食へ行こうと教室を出た聖香は、そこで見慣れない人影を見つけて足を止めた。
三年生である彼が、一学年下である自分たちの教室のある階に来ることは珍しい。いったいどうしたというのだろう。
そう言えば、確か以前きた時は……。
そこまで考えた時点で、聖香はその人物が進む道をふさぐように立ちはだかり、声をかけた。
「どうしたんですか? 毛利先輩」
「あ、如月さん。ちょうどよかった。当麻はまだ教室にいるかな?」
柔らかそうな栗色の髪をふわりと揺らし、伸は困ったような仕草で肩をすくめた。
「羽柴くんですか? あ、もしかしてまたお弁当?」
伸の手には、前にも見たことのあるモスグリーンのランチバッグがあった。
「そうなんだ。また忘れて行っちゃって…」
「あ、じゃあ私が渡しときます。彼、ちょっと先生に用事頼まれて今いないから」
「そうなんだ。じゃあ、ごめん。頼んでいいかな?」
「もちろん。ちゃんと渡します。すいませんわざわざ来ていただいて」
「別に如月さんが謝ることじゃないよ」
「ホントですね」
思わずクスリとお互い笑みを浮かべ、伸は聖香にお弁当を渡すと、さっさと三年生の教室へと戻って行ってしまった。
伸の背中が角を曲がり、完全に見えなくなるまで見送った聖香は、ほうっとひとつ息を吐いた。
「……さてと」
そして、くるりと踵を返すと、教室の中へと入って行く。
「羽柴くん、ちょっと」
「……?」
教室の窓際にある自分の席に座っていた当麻は視線を向け、僅かに首をかしげた。
「なんだ?」
「ちょっと来て」
「……分かった」
手招きして当麻を廊下まで誘い出した聖香は、そのまま人通りの少ない階段の付近まで連れ出した。当麻は、若干不審気な視線を向けつつも特に抵抗なく、聖香の後に大人しく付いてきてくれている。
「どうしたんだ?」
「ちょっとクラスの中で渡せないもの、預かっちゃったんで」
「……?」
「はい。これ。毛利先輩から」
周りに誰もいないことを確認して、ようやく聖香はくるりと当麻に向き直り、手に提げていたランチバッグを当麻の目の前に持ち上げた。
「……伸…から? これ、弁当?」
「そ。また忘れて出てきちゃったんだって? 駄目じゃない。私が途中で阻止しなきゃ、先輩、また教室まで来て渡してたわよ」
「……それはまた……気遣い有難う」
「いいえ、どういたしまして」
クスリと聖香はいたずらっ子のような笑顔を向けた。
「本当はちょっと見たかったんだけどね。衆目の的の中で、あの人が貴方にお弁当渡すところ」
「……やめてくれ。考えただけでゾッとする」
「…で、どうする? それ」
聖香はそう言って当麻の手にあるランチバッグを指差した。
「出来るだけ人目に付かないように気はつけたけど、何人かは見てたと思うわ。そのまま戻ったらまた大騒ぎかも」
「……屋上…行って食うよ」
「言うと思った」
肩を震わせて笑いをこらえる聖香を見下ろし当麻は苦虫を噛み潰したみたいに表情を歪ませた。
「お前、随分面白がってないか?」
「ごめんなさい。この間のこと思い出して。だって、お弁当ひとつであんな大騒ぎになるなんて…」
「当人が一番考えてなかったろうな。ってか、今もきっと無自覚なんだ。あいつは」
「……苦労するわね」
「…………」
当麻は片方の唇を僅かにあげるだけの微妙な表情で聖香の言葉に反応した。
もともと伸の人気は、本人の知らないところでとはいえかなりのものだった。それが今、先日の人魚姫の撮影の影響で更にものすごいことになっている。
映研部には、夏休みの終わりに行った試写会を観ることが出来なかった生徒たちからの再上映の希望が殺到していると言うし、伸の写真を求めて、こっそり遼に相談を持ちかけてくる輩もいるらしい。
それなのに、当の本人の無自覚ぶりときたら、呆れるのを通り越していっそ腹立たしい程である。
「そうだ羽柴くん。今の時間帯、屋上はかなり暑いかもよ。よかったらうちに来る?」
ランチバッグを手にそのまま屋上への階段を上りだした当麻に聖香が声をかけた。
「……家?」
「違う違う。新聞部の部室ってこと。部員同伴なら昼休み勝手に使ってかまわないって言われてるのよ」
にっこり笑ってそう言った聖香の言葉で、当麻は若干困惑気味に足を止めた。
「お前はいいのか?」
「何が?」
「部員同伴ってことは、お前も昼、部室で一緒に食うことになるじゃねえか」
「あ、別にそれはいいわよ。羽柴くんが気にしないなら。私、しょっちゅう部室で食べてるし」
そういえば、聖香は、昼休み教室にいないことが多かった気がする。
「学食かどっかで食べてるのかと思ってた」
「そういう日もあるけどね。あ、友達少ない奴とか思ってる?」
「まさか」
頭の回転も速く、顔も性格も標準値を遥かに上回っている聖香のことだ。それなりに友人も多かったはず。
クラス内で浮いているとはいわないが、生来のマイペースもあって、あまり特定の人間と親しい友人付き合いをしない当麻にとっても、聖香は珍しいほどよく話しをするクラスメイトの一人である。
恐らく、女子に限定すれば一番会話が多いと言っても過言ではないだろう。
「いろいろ忙しいのよ。部活やってると。文科系の中じゃ、演劇部の次にハードな部って言われてるんだから」
「すいませんねえ、帰宅部で」
「別に嫌味じゃないから。新聞部は好きでやってるんだし」
そう言いながら聖香はくるりと背を向けスタスタと歩き出した。方向は新聞部の部室だ。
ランチバッグを手に、当麻も何も言わず大人しく聖香の後を付いて行った。

 

――――――「あれ? 当麻?」
ガラリと新聞部の部室を開けると、遼が驚いた表情で顔をあげた。
「遼? なんで?」
「なんでって、それはこっちの台詞。ここ新聞部の部室だぞ」
確かに。何故というのであれば、遼よりも当麻が居ることのほうが、間違いなく不自然だろう。
「オレは…ちょっと……」
「私が招待したの。手伝ってもらおうと思って。例のアレ」
「ああ、そっか」
当麻の後ろからひょこりと顔を出して聖香が言うと、遼は納得したように頷き、当麻が座る為のパイプ椅子をひとつ用意してくれた。
「例のアレって?」
「ちょっとね。ま、とりあえず食べてから」
「ふーん」
遼の隣の位置に座り、当麻は弁当を広げながら部室内を見渡した。
少し型の古いプリンターとパソコンが1台。部屋の奥で埃をかぶっているのは、昔使ってたワープロか何かだろうか。
書きかけの原稿や、新聞の束。そして、思いのほか多く目に付く写真たち。征士や伸、あと海野という上級生のものがあるということは、これは人魚姫の時の写真だ。
「何か、新聞部っていうより、写真部みたいだな」
「ああ、今ちょっと崎谷さんに頼まれ事しててさ」
「崎谷って、映研の? 人魚姫の時の写真の整理か何かか?」
「そ。整理っていうか、出品用のパンフレットの製作」
そういえば、先日仕上がった『人魚姫』は、秋の映像コンクールへの出品作だったはずだ。
提出には、PR用の簡単なあらすじや見所等を入れたパンフレットも必要なのだということは聞いた気がする。
「直接審査に影響があるわけじゃないだろうけど、目立つに越したことはないからって、パンフレットもちゃんとした作りにしたいとか何とか」
「なるほど。あの先輩の言いそうなことだな」
「だろ」
にこりと笑って遼が頷いた。
「で、おおまかな原案は向こうに出してもらってるんだけど、最終的なデザインはやっぱり専門に任せるとか言われちまって。で、部を代表してオレ達がそれを担当することになったんだ」
「オレ達って、つまりお前と如月?」
「そういうこと」
「……だから昼休みも二人揃って部室に来てるってことか」
「ま…ね」
「へぇ……」
聖香が昼、よく部室で食べていると言っていたのは、これが理由だったのか。
でも、毎日二人だけで昼を食べ、打ち合わせをし、パンフレットの製作をする。
誰にも邪魔されない二人だけの時間。
二人きりの空間。
「……なんか、オレ、お邪魔虫?」
「羽柴くん。それ以上言ったら殴るわよ」
「……え?」
当麻の呟きと、それに対する聖香の返答は、遼には意味が通じなかったのか、ひとりきょとんとした顔をしている。
それを見て当麻はこれ見よがしにため息をついた。
「何だよ、当麻」
「なんでもねえよ。ちょっと如月が不憫に思えてきただけ」
「羽柴くんっ!」
無自覚という意味では、遼も伸と似ているのかも知れない。
知らないから。気付かないから。
それこそ、思ってみもしないのだろう。
自分が誰かに、こんなにも想われているなんて。
何故なら、彼らは基本的に、自分自身をあまり好きではないのだ。
こんな自分のことを好いてくれる人なんかいない。
そんなふうに思いながら日々過ごしている。
いや。
でも、だからこそ、今はまだ一緒にいられるのだとしたら、それは悪いことなのか良いことなのか。
「でさ、当麻。ちょっと知恵貸して欲しいんだけど」
先に弁当を食べ終わった遼が、そう言って当麻の前にどさりと写真の束を置いた。
遊ばせていた思考を元に戻し、当麻の視線が机の上の写真に注がれる。
「いいけど……オレ、さすがにデザインの知識なんかねえぞ」
「そこまで期待してないって。頼みたいのは、写真の選別。オレだとどうしても主観が混じっちまうから」
「主観?」
「自分が撮ったやつと聖さんが撮ったやつを比べてどっちが良いかなんて考えられないだろ」
「同じ理由で、私もあまり客観的とは言えないし」
向かい側から聖香もそう同意した。
聖は聖香の兄だ。
確かに好きな奴と兄の作品を、本当に客観的に比較しろというのは、かなり難しいのかも知れない。
「ってか、そういう理由で言えば、オレだって同じだろ。そんな客観的にはなれないんじゃ……」
「別にどっちが撮ったかなんてバラさないし、それに……」
「それに?」
「お前が一番、本当に綺麗な伸を選んでくれると思うんだ」
「…………」
ほんの一瞬言葉を呑み、当麻は遼を振り返った。
「選ぶのは……伸の写真なのか?」
海野でも、征士でも、人魚姫という言い方でもなく。
「実は、伸の…伸の人魚姫を表紙にっていうのは、崎谷さんの提案なんだけどね。だからもちろんアップじゃないし、全身が写ってるロングショットっていう縛りはあるんだけど」
「…………」
「海にいる人魚姫。水の中の伸が、やっぱりこの作品の一番の要なんだって」
水の中。
伸の住まう場所。
当麻はたくさんの写真の中から数枚取り出して手にとってみた。
どれも美しい人魚姫。伸の写真だ。
撮影期間中はわざと遠ざけていた所為もあって、初めて見るものがほとんどを占めている。
そういう意味でも、自分が一番適役だと、遼達は判断したんだろうか。
でも。
「実際、どういう基準で選べばいいんだ?」
「簡単だよ。お前が一番誰にも渡したくないと思ったものを選んでくれればいい」
「…………え?」
思わず当麻はマジマジと遼の顔を見つめた。
「本当に愛おしいと思ったら、誰にも渡したくなくなる。当人自身はもちろんだけど、写真や絵だってそうなんじゃないかって……」
「…………」
「この間、聖さんの写真展に行っただろ、オレ。そん時、聖さんの撮った伸の人魚姫の写真も展示してあって……」
「たくさんの写真の中で、どうしてこれを選んだのかって聞いたら、兄さん、そう答えたんだって」
遼の言葉を繋ぐ形で、聖香がそう締めくくった。
「普通、写真家は、自分の自信作が撮れたら、みんなに見てもらいたくなるのが普通じゃないの? って聞いたんだけど、それとこれとは別なんだって言われちゃった。兄さんの考えに全面的に賛成するわけじゃないんだけど、でもちょっとだけ分かる気はするかな。だってその毛利先輩の写真、本当に綺麗だったんだもの」
「言葉通り、その写真は非売品になってて、誰にも売らなかったみたいだしな」
聖さん達の写真展では、展示してある写真のポストカード等の販売も盛んだったというのは聞いたことがある。
それにしても、あの男。
伸を見る聖の眼差しを思い出し、当麻は小さく舌打ちをした。
誰にも渡したくない。
ずっと。ずっと。
そんなこと、他の誰よりも自分自身が、長い間、ずっと思っていることだ。
「やっぱ難しいわ。オレに言わせれば、全部の写真、残らずすべて渡したくなんかねえからな」
「お前、それ独占欲強すぎ」
「事実だろ。お前だってオレに見せてない伸の写真が山程あるだろうが」
「……なっ!?」
「……あ」
口が滑った。
遼は真っ赤になって口をパクパクしている。
思わず当麻は向かいの聖香の顔を盗み見た。
と、その時、昼休み終了5分前を告げるチャイムの音が響く。
「戻らなきゃ。行こ、羽柴くん」
「あ……あぁ。じゃあな、遼」
「う…うん。またあとでな当麻。放課後にでももう一回来てくれるか?」
「分かった」
軽く手を振り、当麻は聖香の後を追うように新聞部の部室を出た。
「如月……!」
そのまま廊下を走り、階段まで来たところで捕まえる。
「如月…」
「……何?」
「すまない」
聖香の行く手をさえぎるように立ち、当麻は深々と頭を下げた。
「……どういうこと? どうして羽柴くんが私に謝るの?」
「お前に聞かせるべきでない不用意な発言をした。すまなかった」
「…………」
当麻は本当に申し訳なさそうな表情で聖香に謝っている。
聖香はひとつため息のような息を吐き、階段に座り込んだ。つられるように当麻もその隣に腰を下ろす。
ほとんどの生徒は教室に入り終えているのか、階段を通り過ぎる生徒は誰もいない。
聖香はちらりと当麻を見ると、ようやく口を開いた。
「……羽柴くんさ、以前言ってたでしょ。私が遼くんに手紙渡した頃。あれがきっかけで何かが変わるんじゃないかって期待したって」
「あぁ……」
「でも、そう考えてる自分は、とても卑怯なんだって」
「言った」
聖香は呟くように言葉を綴った。
「あの頃、私、羽柴くんが何を言っているのかよく理解してなかった。でも、分かったの」
「…………」
「あの人が……毛利先輩があなたにお弁当渡しに教室に来たとき。分かった」
「……如月」
「私も思ったから。同じこと。卑怯なこと」
当麻が顔を上げると、聖香は今にも泣き出しそうな表情でにこりと笑っていた。
「うまくいけばいいなあって。誰も邪魔出来ないくらい、うまくいけば。そうすれば……」
「………………」
「いつか……」
「如月、やめろ」
「そうすれば、遼くんも、いつか……」
「……もういい。如月」
「いつか……諦めて、私のこと見てくれるんじゃないかって……」
「分かったから」
それ以上言葉を続けさせない為に、当麻は聖香の頭を抱え込むようにして引き寄せた。
「あの人が……もっと嫌な人だったら良かったのに……」
「それ以上言うな。分かったから」
「私……ね……毛利先輩のこと……嫌いになりたい……」
「……分かってるから」
「でも…駄目なの」
「…………」
「……どうしても、駄目なの……」
「……あぁ……」
「……どうして…なのかなあ……」
「…………」
「…………」
昼休み終了のチャイムが鳴り終わるまで、当麻はずっと聖香の、その震える背中を撫で続けた。
いつか。
いつか、何かが変わればいい。
初めて。自分の為ではなく、この少女の為に、そう願っている自分に気付き、当麻は微かに苦笑した。

FIN.     

 

 

後記

お疲れさまです。如何でしたでしょうか。
308000HITキリ番リクエスト。お題は「学生生活ネタ」。
伸を見ている周りの人達の動向という感じのリクでしたので、結果、伸自身がほとんど出てこないということになってしまいました。すいません。
出番は全然ないけど、中心は伸です。ちゃんと伸ですので、許してください。
で、以前いただいた、やはり学生生活ネタのリクエストで書きました「ひとつ屋根」と若干リンクしております。
まあ、時期的には、「ひとつ屋根」の1年位後の話となりますが。
つまり、あれから何度か伸は当麻にお弁当届けていて、その度に(伸の知らないところで)騒ぎが勃発していると(笑)。
そして、微妙に他の作品「CROSSING」とか「櫻花」とか、つまり聖香ちゃんの出演作ともリンクしてます。
みんな伸のこと好きなんですが、そうではない(もちろん本人も言ってるとおり嫌いじゃないけど)感情を持っている人物のことも描いてみたくなったというのが、今回の話に決めたきっかけです。
聖香ちゃんの心境って、きっと私たちと同じです。好きな人(遼)に振り向いてほしいんだけど、だからって遼が好きな人(伸)を嫌うことは出来ない。
私も、伸が好きですが、だからって当麻達を嫌ったりしないし出来ないですから。実際、本当に伸のような人がいたら、私もきっと聖香ちゃんの位置に居てしまうんじゃないかなあとか。
なので、皆様もどうか寛大な心で受け止めて、彼女のこと、嫌わないでやってほしいと切に願います。

とにもかくにも、こんな感じでよろしかったでしょうか。ミサコさん。
リクエスト有り難うございました。これからも宜しくお願いします。

2013.08.03 記   

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