失恋は、甘いチョコの味
「ほら、大丈夫? 手つかまって。立てる?」
「あ……うん。大丈夫」
そう言って握り返してきた手は予想通り小さくて柔らかくて、なんだかとても気持ちよくて。
小さなかけ声と共に立ち上がり、パンパンと服についた泥を叩き落としてにっこりと笑ったその笑顔は、なんだかひまわりの花が咲いたような笑顔で。
それは、春爛漫の花の季節。
ブランコの取り合いで小学生と喧嘩していたあいつを必死で助けた、幼稚園生の俺にとっての初めての武勇伝。
そして、俺とあいつのはじめての出逢い。
大きな茶色い目。マッチ棒が乗るんじゃないかと思うほど、めちゃくちゃ長い睫毛。パーマでもかけてるみたいにふわふわとウェーブがかかっている髪。
ひまわりのような笑顔をした美少女。
それがあいつの第一印象。
――――――だったのに。
――――――「はい。ポップコーンお待たせしました」
「ありがとうございます」
「可愛いカップルさんね。中学生?」
「……え?」
スマイル0円どころかもうちょっと取ってもいいんじゃないかと思われるような、最大級の笑顔でポップコーンを差しだした映画館の売店のお姉さんに向けられた来生の顔が、その時、端で見ていて怖くなるほど引きつった。
これは、かなりヤバイ状況かも。
「……誰が……?」
「は?」
「誰と誰がカップルだってんだー!っつーかそれ、どっちが女だと思ってその暴言吐いた!?」
なんて思う間もなく、暴言というのは売店のお姉さんじゃなく、まさに今、お前が吐いてるもののことを言うんだと突っ込みたくなる声量で来生が叫ぶ。
「んなの一目瞭然だろ」
「…………は?」
そんな来生についつい横から口を挟んでしまった俺は、その0.1秒後、またやってしまったと後悔に落ちた。
いつものパターンだとはいえ、ホント成長しないにもほどがある。
まあ、それでも、売店のお姉さんに今にも掴みかからんとしていた来生のターゲットが瞬時に俺の方に向けられたので、いちおうこれも人助けなのかも、なんてところだけで自分を慰めてみる今日この頃。
「てめー! 井沢! なんだそれ!? 何が一目瞭然だ!!」
「落ち着け!来生!っつーか売店で暴れるな!周りの視線に気付け!」
慌てて暴れる来生を羽交い締めにして、俺は売店の前から退いた。
まったく、これで何度目だろう。来生が俺と一緒にいる時、女の子に間違われるのは。
来生哲兵。
そうなのだ。名前だけ聞いたら、いかにも男の子でしかあり得ないような名前のくせに、こいつはもうそろそろ高校生になろうかというこの時期になってもまだ女の子に間違われる。
しかもその時には何故か謀ったように俺が隣にいるのだ。
俺の勘違いかと思って、この間滝に聞いたら、不思議と滝と一緒の時は別に間違われたりはしないらしい。
まったく納得いかない。いったいそれってどういうことなんだ。
俺がそう尋ねると、滝はニヤリと笑って、「そりゃ、隣にいるのがお前だからだろ」と意味深な目を向け、それ以上説明してくれなかった。
「……ったく。なにが可愛いカップルだ。何処をどう見たら、あんな言葉が出てくるんだよ」
どうやら映画上映中の2時間程度の時間では、来生の怒りは治まらなかったらしく、来生は帰り道の最中もまだ俺の隣でブツブツ文句を言い続けていた。
「だいたい普通しゃべったらさすがに気付くだろ。男か女かなんて」
「……いや、逆に声聞いたから確信持たれたんじゃないのか?」
「…………」
俺の無意識の突っ込みにピタッと来生の足が止まった。
ヤベ。俺、また地雷踏んじまった。
「……それ、どういう意味だ? 井沢」
「いや……だから……」
俺達は今、中学3年だ。しかも季節は冬。2月である。
当然のごとく俺を含め、ほとんどの男子生徒は声変わりをしているというのに、何故か来生はまだ甲高いボーイソプラノを維持し続けているのだ。
まあ、こいつの顔から野太い声が出てくるなんて想像出来ないので、イメージに合ってると言えば合ってるんだろうけど、本人としては堪らないんだろうなぁ。
などと思ったとしても、やっぱりその事実は俺にとっては他人事で。
「……てめえ、ちょっと俺より背が高いとか、声が低いとか思って、人のことバカにしてんだろ」
「ば……バカになんかしてないぞ。絶対」
「うるせえ!だったらなんでお前といるときばっか、俺、女の子に間違われるんだよっ!!」
「そんなの知るか!文句なら間違えた相手に言えよ!」
「言おうとしたら今日もお前が止めたんだろうが! だいたい滝や翼といるときは一度も間違われたことないんだぞ!! 高杉や石崎といてもだ!絶対おかしい!お前、なんかやってるだろ!!」
「なんだ、その無茶苦茶な論理は!? 俺が何をやったら、そんな現象起こるってんだよ!?」
「だってそう考えないとおかしいじゃねえか!」
「全然おかしくないっ!」
「いいや、おかしい!!」
「おかしくないっつってんだろ!」
「いい加減にしなさい、あんた達! 人ん家の前で何大声で喧嘩してんのよっっ!!」
自分の声が今までの中で一番大きかったということに気付いているのかいないのか。
突然俺達の目の前の家の扉がけたたましい音をたてて開き、鬼の形相をした見慣れた顔が仁王立ちで俺と来生を睨み付けていた。
「ハ……ハッスル姉ちゃん!?」
隣で来生が驚いた声をあげる。
「誰がハッスル姉ちゃんよ。ちゃんと初音さんって呼びなさい」
「……滝ん家の前だったのか?ここ」
見あげた家は俺達が良く見知っている滝の家。そして今、目の前にいるのは、昨年高校へ進学した1つ上のお姉さん。初音さんだった。
中2の時の体育祭や文化祭では色々と、本当に色々とお世話になった相手である。
「ま、ちょうどいいわ。あんたたち。暇なら家入って」
「はい?」
「ちょっと頼みがあるのよ」
「…………」
おもわず俺は来生と顔を見合わせた。
俺と来生と滝は、小学校の頃からの幼馴染みなので、もちろんこの初音姉さんとも長い付き合いである。年も弟である滝とひとつしか違わない年子だったので、小さい頃はよく一緒に遊んで貰った。貰ったというか、弟以上の策士である初音さんの無謀とも言える実験(?)に加担して被害を被ったと言った方がいいだろうか。
まあ、そんなこんなで良い思い出も悪い思い出も、数えだしたらきりがないくらいには、たくさんの出来事があった。
でも、さすがに初音さんが高校に進学してから、つまりここ1年ほどは、あまり交流もなかったのだ。
というのも、何故か高校の制服に身を包んだ初音さんが随分と大人に見え、俺達が気後れしてしまって前のように接することが出来なくなっていたということなんだけど。
「……頼みって?」
「ちょっと……ね。とりあえずあがって」
勝手知ったる他人の家。今まで何十回となくあがった家なので、俺も来生も遠慮というものはもうないに等しい。
初音さんに促されるまま、家に上がり込んだ俺達はそのまま奥のキッチンへと通された。
「……これ、チョコレート?」
キッチンにはいったとたん、そう言いながら来生が鼻をひくつかせた。確かにキッチン内にはチョコとバニラエッセンスの香りが充満している。
どうやら手作りチョコを作っていたらしいのだ。初音さんは。
「そう。手作りチョコなんて初めてだからさ。あんた達に味見して貰おうと思って」
「毒味の間違いじゃないの?」
「何か言ったかな?テッちゃん?」
「いえ、何も」
初音さんが悪魔の微笑みを見せたので、隣で来生が震え上がる。
「にしても何で今頃手作りチョコ?」
俺の疑問の声に、初音さんは心底呆れたといった顔をしてため息をついた。
「あのねえ……いくらあんた達自身には縁のない行事だとしても、世の中の常識くらい覚えててよ」
「……は?」
「もうすぐじゃない。2月14日」
「…………!?」
思いだした。2月14日。聖バレンタインデー。
いや、忘れてたわけじゃないんだけど。まさか、その為にこのハッスル姉ちゃんが手製でチョコを作るなんて想像出来なくて。
っつーか、俺達には縁のない行事って、それ随分失礼じゃないですか? お姉さん。一応、俺、去年は3つほど貰いましたけど。
なんてことはどうでもいい。チョコを手作りするってことは。それってつまり。
「……本命、いるの?」
俺の疑問を代弁するかのように来生がポツリと呟いた。
その声になんだかわからない違和感を感じ、俺は思わず横目で来生を盗み見る。
こいつ、今、声が震えてなかったか?
「……いちゃ悪い?」
初音さんは来生の変化には気付かなかったのか、ほんのりと頬を染めて睨むように来生を見ていた。
何故か思わずドキッとした。
一瞬、初音さんが女に見えたからだ。
いや、別に初音さんは女なんだし立派な女子高校生なんだから、女に見えて当たり前なんだけど。
そうじゃなくて。
「付き合ってんの?」
重ねて来生が聞く。やっぱりそうだ。声が震えてる。ほんの僅かにだけど。
「ど……どんな人?」
なんだか、それ以上来生に口を開かせたくなくて、俺はわざと大き目の声でそんなことを聞きながら、初音さんの方に一歩近づいた。
「どんなって……うちの高校の先輩なんだけどね。バスケ部で。ほら、あたしマネージャーやってるじゃない。で、いつも話するようになって……」
「背、高い?」
俺の思惑は外れ、再び俺の後ろから来生が声を発する。
まあ、打ち合わせをしたわけでもなけりゃ、お前は黙ってろなんて言ったわけでもないんだから、当たり前なんだけど。
「そりゃ、バスケ部だしね。背が高くて色が浅黒くて、結構いい男なんだな、これが」
そう言って初音さんは照れたように笑った。
背が高くて、色が浅黒くて。東邦の日向タイプかな、ということは。
つまり来生とは真逆のタイプ。
「へ……へぇぇ、ハッスル姉ちゃんに彼氏が出来てるなんて知らなかった」
「だからハッスル姉ちゃんって呼ぶなって言ってるでしょ」
声の震えを覆い隠して、来生は素っ頓狂な声をあげている。
「じゃあ、ちゃんと作らなきゃ、愛想つかされちゃうね」
「あんたはもう、口が減らない子ねえ」
「どんなやつにするの?やっぱ巨大なハート型?」
「そこまで恥ずかしい真似できるかっ!」
端から見てると初々しい姉弟にしか見えない。いや、むしろ姉妹か。
なんて事を思ってると、パタパタと軽い足音と一緒にキッチンの入り口から初音さんの弟である滝が姿を現した。
「誰かと思ったらお前等か。テツ、そうやってるとまるで姉ちゃんの妹みたいだな。俺にも義理チョコでいいから作ってくれ。我が妹よ」
「誰が妹だ。誰が」
地雷と分かりつつ、こういったことを言えるってのもある種の才能なのかもしれない。
思った通り始まったキッチン内での喧騒は、いつもだったら必ず加わるはずなのに、何故かその時の俺は加わることが出来なくて、ひとり離れて壁にもたれていた。
何だろう。胸が痛い。
とてもとても痛い。ような気がする。
これはいったいどういうことなんだろう。
――――――それから数日後。2月14日。聖バレンタイン当日。
朝、俺と来生が登校中、滝の家の前まで来たところで、待ってましたとばかりに初音さんが飛び出してきて、俺達2人に大きな包みを渡してくれた。中身はもちろんチョコレート。
先日、手伝ってくれた御礼にということで、チョコをくれたのだ。
それは、義理にしても冗談にしても巨大すぎるほど巨大な手作りチョコだった。しかもハート型。ったく、どういうつもりなんだ。
俺が不満そうな顔を見せると、初音さんは、「良い虫除けになるでしょ」と笑って言い放った。
おいおい。なんで俺に、俺達に虫除けが必要なんだ。
って、なんでこれが虫除け?
「そりゃ、こんな巨大な手作りチョコ貰ったってことはもう売約済みと思われるってことだろ?」
隣で見ていた滝がニヤニヤと笑いながら駆け寄って来た。
「はぁぁぁ!?」
「その大きさじゃ、鞄の中には入らないし、持ったまま学校行くっきゃねえじゃんか。ってことは……」
「おいっ! ハッスル姉ちゃん! てめえ……」
俺がチョコを突っ返そうと顔をあげた頃には、初音さんはもう走り去って行ってしまっていた。
さすがハッスル姉ちゃん。素早い。
「……ったく。本命にはあんな凝った奴作ってたくせに。なんだよこれは。嫌味か。なあ……来生」
「そだな」
俺の文句をあっさりと受け流して来生はさっさと歩きだした。
「おい、来生?」
「……何?」
立ち止まって来生が振り返る。
「あ、いや……なんでも」
「……変な奴。早く来いよ。行くぞ。遅刻したいのか?」
そう言って来生は再び俺に背を向けて歩きだした。
あれ。
まただ。
また、胸が痛い。
この間より更に。もっと胸が痛い。
本当に、なんなんだろう。この胸の痛みは。
俺は教室にはいり、授業が始まった後も治まらないこの痛みに辟易していた。
そして教室の斜め前、窓際の席に座っている来生の姿に目を向け、誰にも気づかれないような小さなため息を吐く。
来生の机の横のフックには、俺のと同じ今朝もらった初音さんのチョコが袋のままかかっていた。
それは初音さんの思惑通り、周りからは本命のチョコだと勘違いされたようで、俺も来生も不自然な程、クラスメートのみんなから羨ましがられてしまった。
俺がいくら違うと説明しても信じてもらえなくて。その所為で、戸口まで来てその騒ぎを見ていた隣のクラスの女子が諦めたように肩を落として去っていったのを俺は見た。
あれは、俺と来生と、どちらにくれるつもりだったんだろう。なんてことを考えてみる。
もし、俺宛なんだったら本当に惜しいことをした。惜しい。
惜しい……のか? 本当に?
あれ。変だ。
俺は知らず頭を抱えていた。
何故なら、俺、あんまり残念だと思ってないみたいなんだ。でも、なんで?
いや、ちょっと違うか。じつのところ、来生に渡されるのは嫌だなあと思ったんだよ。
まあ、ふつうに考えりゃそんなの当然。俺が貰えてないのに、あいつが貰うなんて悔しいじゃん。でも、そうじゃない。そういうんじゃなくて。
なんていうのかな。
俺、ホッとしたんだ。
そう、自分が貰えなかったことより、来生が貰わずに済んでることにホッとしたんだ。
って、それじゃ俺、かなり卑怯な奴みたいじゃないか。
来生にチョコを貰って欲しくないって。それってまるで。
そうだよ。それってまるで来生の恋が成就しないよう祈ってるみたいじゃないか。
なんで。
俺は来生の恋を邪魔したいのか?
来生に彼女を作って欲しくないのか?
俺は来生を誰にも取られたくないのか?
「…………」
ちょっと待て。違う。そうじゃなくて。
えっと。
落ち着け自分。
俺は、来生を……。
「やっぱ、そうだったのかなあ。どう思う?井沢」
いつの間にこっそり机を寄せたのか、滝が左肘で机の下から俺の脇腹を小突いてきた。
そんなことあるはずがないのに、さっきまでの空想を勘付かれでもしたのかと、俺は必要以上にギクリとなって滝の方に顔を向ける。
「……そうって……何が?」
「テツの事だよ。あいつ、姉ちゃんに気があったのかなあ……」
「……!?」
思わずガタンと音をたてて俺は椅子から立ち上がった。
「何だよ!それ!?」
「どうした、井沢。先生の説明に不満があるなら言ってみろ」
「……バカ」
見おろすと滝が頭を抱えていた。来生も何事かと俺の方を振り返っている。
「……何でもありません。ちょっとした勘違いです。気にせず授業進めてください。先生様」
教室中の視線を集め、俺はすごすごと椅子に座り直した。
本当に、何やってるんだろう。俺は。顔から火が出そうだ。
ふと見ると、来生はもう視線を黒板の方へと向けていた。
大きな瞳。男にしては長めの睫毛。黙って立ってれば女の子みたいに可愛らしい顔。
窓際の来生の席には日の光がよく入る。
頬杖をついた手にも、丸みを帯びた頬にも、相変わらずクルクルと巻いている柔らかそうな来生の癖毛にも、まんべんなく太陽の光が粉のように降り注いでいる。
「あいつ、だから……」
昔から来生はよく女の子に間違われて、それを嫌がっていた。
というか、俺自身も初めて会った時、思いっきり間違えて殴られてたりする。
それでも、ちょっと前までは、自分から望んでではなくてもドレスなんぞ着て、文化祭で芝居をやったりもしていたのに。今はもうやらない。
自分の背が低いこと。声変わりがこないこと。気にしている。
それは、つまり。
つまり。
女の人に恋をしていたからだったんだ。
来生は。
初音さんに。
恋をしていたからだったんだ。
「……って言っても、完全な片想いじゃねえか」
俺がそう呟くと、隣で滝も小さくため息をついていた。
――――――恋をしている。
来生が。
恋をしている。
しかも俺も知っている女の人に。
そう思うだけで、俺、なんでこんなにモヤモヤしてるんだろう。
「……なあ、井沢。これ、今食っちまわねえか?」
帰り道、突然来生が今朝貰ったチョコをかかげて俺に言った。
「い……今?」
「ほら、このまま持って帰ったら、からかわれそうじゃないか。家族に。お前も麻衣ちゃんに見つかったら色々面倒くさいんじゃないかと思ってさ」
「……あ、ああ……」
まあ、確かに妹に見つかったら、何々?ってな感じで質問攻めにあう可能性は大だろう。でも、初音さんから貰ったって言ったらそんな騒ぎにはならないんじゃ。
なんてことを言いかけて俺は止めた。
だって、きっと来生だって別に家族に見つかるのが嫌だからなんて思ってるわけないんだ。
ただ、はやく処分してしまいたいだけ。持っているのが辛いから。
まあ、処分っつっても捨てるわけじゃなく食べるんだけど。
「……あ」
無意識に出た声に、0.1秒後、またもや俺は後悔した。ホントなにやってんだろう。
なんか最近の俺って、集中力が欠けてるっていうか、あとから後悔してばかりだな。
「どうした?なんかいた?」
「……いや、あそこ」
「…………」
俺が指差した先に初音さんがいた。思った通り来生の表情が凍り付く。
初音さんは彼氏と一緒に歩いていた。背が高くて、浅黒い肌。眉の太い精悍な顔つきをしている。当たり前のことだが、何処をどう見ても女の子には間違われない類の顔だ。
「ああいう人が好みだったんだな。ハッスル姉ちゃん」
「……そ、そうかな」
俺は曖昧に頷く。もうどうしていいか分からない。
俺は必死で来生から目を反らした。
俺は怖い。今、来生がどんな表情をしているのか見るのが怖い。
そしてまた胸が痛くなる。
ズキンズキンと痛くなる。
これは何だろう。何の痛みなんだろう。
もしかして、これが失恋の痛み。これが失恋の痛みなんだろうか。
え?
失恋って、誰の?誰が誰に対しての失恋なんだ?
来生の?
それとも俺の?
「…………」
ちょっと待て。
俺はおもわず自分の思考にストップをかけた。
なんで俺の失恋なんだよ。おかしいじゃないか。
だってそもそも、俺は別に初音さんのことなんか何とも思ってない。あの人は滝のお姉さんで、俺にとっても純粋に姉さんみたいなもので。それ以外のなにものでもない。
なのに。
なんで俺の胸は痛んでるんだ。
なんで俺はこの痛みを失恋と結び付けてるんだ。
「…………」
俺はチラリと隣に立つ来生を見た。
来生は俺の視線にも気付かず、じっと仲良く並んで歩いている初音さんと彼氏の姿を見ている。
一瞬、俺には来生が泣いてるように見えた。もちろん実際に涙なんか浮いてはいないんだけど。それでも。
それでも俺には来生が泣いているように見えたんだ。
そして、それを見ていると俺の胸が痛みだす。
ズキンズキンと失恋の痛みに痛みだす。
ああ、なんだ。
そうか。
そういうことか。
やっと分かった。
俺。
俺も失恋したんだ。
たった今、俺も失恋したんだ。
“俺が守ってやるよ。ずっと”
初めての出逢いで俺は来生相手にそう言った。小さな公園のブランコのそばで。
自分よりずっと体の大きい小学生相手に一歩も引かずにいた来生をなんとか助けてやりたくて。守ってやりたくて、生まれて初めて本気で戦った。
まあ、あの時の俺は、とてもじゃないけど戦うなんて格好いい感じではなかったけど。
でも。それでも。
大きな瞳。長い睫毛。ひまわりが咲いたような笑顔を見せたあの頃の来生に。
あの時、あの瞬間。俺はきっと本気で恋をしたんだ。
そうなんだ。
ずっと認めるのは癪だったけど。もういいよ。観念するよ。
あれが俺の。俺にとっての初恋だったんだ。
そしてその恋は、今までずーっと続いていたんだ。
ずーっと。ずーっと。
だから。
今日、俺は来生に失恋したんだ。
「……井沢?どうした?」
来生の声に俺はようやく振り返った。
来生はやっぱりちょっと元気のない表情で、それでも俺に笑ってみせていた。
「なんでもないよ。チョコ食っちまおうぜ」
「おしっ!」
そうして俺達は2人で手近にあったベンチに座り、大きなハート型のチョコを取りだした。
失恋は、甘いチョコの味がした。FIN.
※2017.10.14に一部改定しました。(旧題:ハツコイ)
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後記
お疲れさまです。如何でしたでしょうか。
264462HITキリ番リクエスト。お題は「井沢×来生」でした。
ホントはチューくらいさせてやろうかなって思って書きだしたんですが、どうやら、うちの井沢はそこまで度胸がなかったようです。すいません(笑)。
っていうか、告白もしないうちから失恋って、どんだけヘタレなんだよ。井沢(笑)。
まあ、この時点で彼等はまだ中3なので、今後はきっとチャンスも巡ってくるのではないかと。
なので、×××は、もう少し先の話として、生暖かく見守ってやってください。(←おい)
基本的には、うちのテツは完全ノーマルなんで(笑)、苦労するのはきっと井沢のほうです。
そんなこんなで、結局友情とも恋愛とも言えない微妙なものになってしまいましたが、こんな感じでよろしいでしょうか。のの犬様。
今後とも、彼等の友情(?)を見守ってやってください。
あ、この2人の出逢いは「天晴れ」にて詳しく書いておりますので、よろしければそちらもご一緒にどうぞ♪2011.02.11 記