結晶

「……あ、雪」
真っ白な空を見上げ、伸が小さな声でつぶやいた。
隣を歩いていた征士も、伸の声につられて同様に空を見上げる。
「雪か……もう、そんな季節なのだな」
北海道や東北地方では、少し前から初雪のニュースが流れてはいたが、ここ小田原地方でも、ようやく雪の季節が訪れたようだ。
伸達の少し前を歩いていた秀も嬉しそうに空を見あげて両手を大きく広げた。
「積もるといいなあ、なあ、遼、積もったらでかい雪だるま作ろうぜ」
「この雪じゃ、そんな積もらないよ、秀」
山育ちの遼が、空の様子を見ながら、そう秀に言うと、秀は不満そうに口を尖らせた。
「ちぇっ、そうなんだ」
「やっぱりわかるものなの? 空の様子で」
秀と同じく、あまり雪になじみのない地方で育った伸も、不思議そうに隣の征士を見上げる。
征士はふっと笑って伸を見て言った。
「わかると言えば、わかるな。気温の低さと、空気の状態、雪に含まれる水蒸気の量など。お前もちょっと考えればわかるのではないか?」
「僕がわかる? なんで?」
「何故も何も、雪というのは水の結晶だぞ。お前がわからなくてどうするんだ」
「……水の結晶……そんなふうに考えたことなかった」
「遠目ではわからないがな。この雪の一粒一粒は、すべて見事な結晶なんだ」
「そっか……そういえばそうなんだよね」
ふわりとコートの上に舞い降りてきた雪を見て伸は笑みを浮かべた。
「ホントだ。綺麗な結晶」
これが自然が創り出した奇跡というのだろうか。
ほんの1mm程のその結晶は、見事な樹枝状をした結晶だった。
「上空の水蒸気の量はかなり多いと見た」
伸のコートの袖口に舞い降りた雪の結晶を覗き込んで、当麻が言った。
「何、それ。そんなことわかるの?」
「わかるさ。まあ、これは征士達雪国育ちの奴の勘と違って科学的に証明されてることだけどな。雪の結晶の形はそれぞれ違ってて、同じものはひとつとして存在しないんだ。それぞれの結晶は、気温と水蒸気の量、つまり気象条件によって形が違ってくるんだけど、その形成される形にも規則性があるから、結晶の形をみれば、だいたいの見当はつく」
「さっすが、理系の奴は発言の方向性が違うなー」
秀が大袈裟に感嘆の声を洩らした。
「難しいことはわかんないけどさ、雪が降るとわくわくするのって、やっぱりそんなふうに、雪ってのが一個一個綺麗な形してて、それを愛でてるからって事なのかな」
眩しそうに雪の降りしきる空の上を見上げて遼が言った。
「……わくわくする……?」
ふと、歩き続ける当麻の足が止まった。
「雪が降るとわくわくするのか? みんな」
「…………?」
当麻の言葉に伸も思わず足を止める。
「当麻……?」
当麻は少し戸惑ったような表情をして、はしゃぐ秀と遼の後ろ姿を眺めている。
「そういうものなのか?」
「……君は違うの?」
伸の問いに当麻は僅かに目を伏せた。
「当麻……?」
「……雪は……あまり好きじゃない」
「……えっ? ど、どうして?」
当麻は僅かに苦笑いを洩らして、小さく首を振る。
「ちょっとな」
「…………」
「……あまり雪には良い思い出がないんだ」
「そう……なの……?」
「ああ、そうなんだ」
「…………」
伸はそれ以上何も聞かずに、じっと当麻の横顔を眺めていた。
少しずつ少しずつ雪が激しさを増す。
当麻はふっと真っ白な空を見上げた。
真っ白な真っ白な雪。
落ちてくる白い結晶が美しければ美しいほど、苦々しい思い出が蘇る。
どうしても忘れることの出来ない、遠い遙かな記憶が蘇る。
遠い、遙かな昔の。

 

――――――『ごめんね……ごめんね……』
降りしきる雪に混じってそんな声が天城の元に届いた。
『ごめんね……ごめんね……ごめんね……』
繰り返し繰り返し、その優しいささやきは天城の耳に届いてくる。
同時に、噛みしめた唇の隙間から堪えきれない嗚咽が洩れる。
「なんで……どうしてだよ……」
天城の目からは止めどなく涙が溢れていた。

寒い寒い雪の朝、水凪が死んだ。
結局、誰の言葉も受け入れないまま、ひっそりと、眠るように水凪は息をひきとった。
「……水凪……」
呼びかけても水凪は答えない。
もう二度と、その瞳を開けてはくれない。
「オレは……見たかったんだ……お前の……」
お前の。
倖せな、倖せな笑顔を。
ほんの一瞬でいいから、倖せだった頃のあの笑顔を取り戻して欲しいと。
それだけが願いだったのに。
『ごめんね……ごめんね……ごめんね……』
何も映すことのなかったあの瞳に、もう一度光を取り戻してやりたかった。
あの人はもういないとしても、自分がいるのだと。
いつでも此処にいるのだと。
それだけ告げたかったのに。
どうして届かない。どうして、何もしてやれない。
どうして、こんな思いのまま独りで逝かせてしまったのだろう。
ずっとずっとずっと。
ずっとそばにいたのに。
あんなに近くにいたのに。
何故自分は、あいつに何もしてやれなかったんだろう。
『ごめんね……ごめんね……ごめんね……』
言葉と共に雪が降る。
しんしんと雪が降る。
何もかもを覆い尽くすように。
すべてを覆い隠すように。
息をひきとる最期の時、ほんの一瞬、水凪の目が詫びるように天城の姿を捉えた。
『ごめんね……ごめんね……ごめんね……』
言葉にならない声が聞こえる。
『ごめんね……ごめんね……ごめんね……』
何もできなくてごめんね。
何もしてやれなくてごめんね。
気付いてあげられなくてごめんね。
護ってあげられなくてごめんね。
天城の頬を涙が伝う。
『ごめんね……ごめんね……ごめんね……』
今度こそ、護ってやる。
今度こそ、そばに居て。
今度出逢ったら。
今度こそ、離さない。絶対に。
ずっとずっとずっとそばにいる。
ずっと、そばにいるから。
誰にも渡しはしないから。
降りしきる雪は水凪の心をそのまま映し込んだかのように美しかった。
「そばにいるよ」
天城の周りでふわりと雪が舞う。
「そばにいるよ」
はらはらと雪が降り積もる。
「そばにいるよ」
蒼い天空の鎧の肩に、雪の結晶が舞い降りた。
「ずっとそばにいるよ」
だから、お願いします。
どうか。
どうか、もう一度。
もう一度だけ。
自分に力をください。
大切な人を、今度こそ護り続けられるだけの力を。

 

――――――「雪も氷も結局は全部水なんだよね」
突然、思い出したように伸がそう言った。
「今、此処に降り続けてる雪は、水の結晶なんだよね。当麻」
「……あ、ああ」
ふわりと笑って伸は当麻を見上げた。
「……君の元に降る雪が、いつもいつも、優しくあることを祈ってるよ」
「…………!」
「いつもいつも祈ってるよ」
「……伸……」
「……どんな時も、君の元に降る雪が最高に綺麗な結晶を形作ってくれるように。僕の力でそれが叶うなら、僕はずっと、そう祈り続ける」
「………………」
『ごめんね……ごめんね……ごめんね……』
遥か昔に聞いた声が、再び当麻の耳にこだまする。
遠い遠いリフレイン。
「おーい、何やってんだ2人共、置いてくぞー!」
少し先で立ち止まって、秀が手を振った。
「ごめん、今行く」
大声で秀に返事を返し、伸は、にこりと当麻を振り返った。
「さ、行こう。当麻」
「ああ」
短く返事をして、当麻は伸と共に再び歩きだした。
雪はまだ、しんしんと降り続いていた。

FIN.     

 

 

後記

お疲れさまです。如何でしたでしょうか。
85000HITキリ番リクエスト。今回のお題は「天空の鎧に優しく降り積もる雪」でした。
優しくっつーか、哀しくっつーか。蓋を開けたらこんな事になってしまいました。
心温まるお話ではなくて、どうかすると救いようのない話になりかけてる気が……
うーん。頑張れよ、当麻。(かなり無責任発言だなあ)
このリクエストをいただいた時に聞いた話なのですが、水から結晶を作るとき、優しい言葉をかけてやると綺麗な形の結晶が出来、逆に汚い言葉をかけた時は形の崩れた結晶ができるんだそうです。
これもまた、神秘ですね。
伸は水滸ですから、結晶を作る際の影響力も他の者より大きいのかなあなんて考えると、きっと当麻や遼の元に降る雪は、いつもとても綺麗なのではないかと。
そんな事を考えてしまいました。
ご希望いただいたものと、話の方向性がすこーし違っているかもしれませんが、こんな感じでも宜しかったでしょうか。yukimushiさん。(ドキドキ)
これからもどうか、宜しくお願いします。

2004.01.24 記   

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