微熱

ドタドタと息も切れ切れに酷く慌てた様子で、禅が斎の眠る奥の座敷へ駈け込んで来た。
あまりの勢いに驚いて斎が目を覚まさないかと、そばについていた雫は、禅と禅の後ろに隠れるように付いてきていた紅に向かって僅かに顔をしかめる。
「あまり騒ぐな。禅。紅」
「わ…悪い」
「すみません」
素直に謝りつつ、二人は雫の身体を押しのけるように座敷の奥を窺った。
「……斎は? 大丈夫なのか?」
ふだんほとんど口を開くことがない紅の方が禅より先に問いかけてきたので、多少の苦笑を洩らしながら、雫は安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。ただの暑気あたりとのことだ」
「本当に?」
「お前達に嘘をついてどうする。滋養に良いものを食して、しばらく休んでいればじきに良くなるから安心しろ」
「…………」
まだほんの少し疑わしそうに、禅と紅は眠る斎の顔を見下ろした。
身体が極端に弱いということはないが、かといって自分達ほどには丈夫と言えない斎の顔色は、今透き通るように白い。
暑ければそのまま褌一つで川に飛び込んで涼を取れる自分達と違い、斎の場合はそういう行為は不可能だろうし、以前、どちらかというと寒さより暑さの方が苦手だと言っていたのは、なまじ冗談ではなかったということだろう。
「……滋養に良いものを食せばいいんだな?」
紅が念を押すように雫に問いかける。
「そうだ。あとは安静にしてよく眠ること。だからあまり周りで騒いだりしないように」
「わかった」
ひとつうなづいて立ちあがると、紅は隣にいる禅の着物の裾を軽く引っ張った。
「了解」
それだけですべて理解したというように、禅も一緒に立ちあがる。
「じゃ、行ってくる。日が落ちる前には戻るから」
「気をつけて」
くるりと踵を返し、禅が先に立って襖を開けた。そしてそのまま連れだって出ていく二人と入れ違うように部屋に入って来た柳の目が、そんな二人の背中を見送った。
「山へ行くのか? それとも川?」
「両方じゃないか?」
柳の手から冷たく冷やした手拭いを受取りながら、雫がフッと笑みを浮かべた。
「滋養に良いものをと言っていたから、鰻でも探しに行ったかもしれないな」
「さすがにこの時期、この近辺でそれは無茶では……」
「無茶を無茶と思わないのが、あいつらだろう」
「確かに」
苦笑しながら柳が氷の入った桶を枕元に置いた。
「様子は?」
「今、寝入ったところだ」
「熱は?」
「微熱だな。普段どちらかというと体温は低い方だから、多少の微熱でも堪えるんだろう」
そう言いながら、雫はそっと斎の額に手を添えた。
そして、先ほど受け取った冷やした手拭いを乗せる。
柳がそんな雫の一連の動作をずっと目で追っているのに気付き、雫は突然含み笑いを洩らしてすっと立ち上がった。
「では俺は少々はずすので、一刻ほどしたら手拭いを変えてやってくれるか?」
「……え…」
「あと、汗をかいているようなら、首周りだけでも拭ってやって……」
「ちょ……ちょっと待ってください」
慌てて柳が雫の言葉を遮った。
「こ…困ります」
「何が?」
からかうような視線が柳に向けられる。
「……あ……」
柳の頬がカーッと赤く染まっていく。そして耐えられなくなったのか、とうとう柳は雫から視線をそらせてうつむいた。
「……あなたは時々、ずいぶん酷いことを言う」
「そのようなつもりはない」
「……だが…」
「お前はもう少し自分に甘くても良いと俺は思うぞ」
「…………」
柳が目を瞬いた。
「とにかく、俺は少し出るので、その間、斎の面倒をみてやってくれ」
「………はい」
「頼んだぞ」
微かに、だが間違いなく柳が頷いたのを確認して、雫は部屋を出ていってしまう。
あとに残された柳は困ったようにため息をついて、斎の寝顔を見下ろした。
困る。
本当に困るのだ。
こんなところに、こんなふうに二人きりにされても。
面倒をみろと言われても。
どうしていいか分からなくて。
ほんの僅かの身動ぎが、斎の眠りを妨げてしまうのではないかと緊張して、息さえも出来なくなりそうだ。
「…………」
閉じられた長い睫毛。つややかな髪。透き通るような肌。
見ているだけで引き込まれそうになる。
そう言えば、こんなふうにじっと斎の顔を見つめることが出来る状況というのは、柳にとって初めてのことかもしれない。
何故なら、いつも正視出来なくて、すぐに目をそらしてしまうから。
あまりにも眩しくて。
自分などがそばにいることがおこがましく思えてしまって。
今もそうだ。
恐らく斎が本当にそばにいてほしいと願う人物は、自分ではなく雫だろう。
気を利かせなくてはいけないのは、むしろ自分のほうだったのに。
それなのに、雫に席を外させてしまった。
それは、自分が心の何処かで、願っていたから。
斎と二人きりになることは出来ないだろうか、と。
実際にそうなっても戸惑うばかりのはずなのに。それなのに、願ってしまった。僅かでも考えてしまった。
雫はそれに気付いたのだ。
なんてことだ。
自分は、なんて心の狭い男なのだろう。
そんなだから、いつまで経っても追い越せないのだ。
「すみません」
無意識のうちに、誰に告げる為でもない詫びの言葉が柳の口をついて出た。
すると、それに連動したかのように、ゆっくりと斎の瞼が持ちあがった。
「…………」
まさかこんなことで目を覚まさせてしまうなんて。
さっきまで呼吸さえ遠慮していたのに。何をやっているのだろう。
「す……すみません」
「何を…謝っているのですか?」
不思議そうに斎が柳の顔を見上げていた。
眠りから覚めたばかりなので、まだ意識もはっきりと覚醒していないのだろう。斎の瞳はぼんやりとして焦点も合っていないように見える。
「……兄様は……?」
斎の目が雫の姿を探して、揺れた。
「あ…雫は…今ほど少し出て行かれてしまいました」
「……そう……」
小さくつぶやく斎の声に、胸が痛んだ。
「あの…気分はどうですか?」
「……平気です。申し訳ありません。気を遣わせてしまって」
「……いえ」
「私なら大丈夫ですから、柳もご自分の用事をすませてください。一人でも眠っていられます」
「そういうわけにはまいりません!」
自分でも思いがけない程、大きな声がでてしまい、柳は自分の声に驚いて口をつぐんだ。
斎も多少驚いたように、目を見開いている。
「あ…いえ、すみません。雫に貴女のことを頼まれているので……」
「兄様に……?」
「はい。だから俺の用事は此処にいることです」
「…………」
「あと、恐らく雫は薬師の所へ行っているものと思われます。それが雫の用事です。それに禅と紅は、貴女に滋養に良いものをと食料を調達に行きました。それがあいつらの用事です」
「そして柳は私のそばにいて下さるのが用事である…と」
「……はい」
柳がきっぱりと言い切ったのに斎は笑みを返した。
そして布団代わりに掛けている着物の裾から、そっと手を差し出した。
「では、その用事にもうひとつ追加をお願いしてもいいですか?」
「……え?」
「もしご迷惑でなければ、手を握っていてください」
「……!!」
「そのほうが安心して眠れます」
先ほど雫と話をしていた時の比ではないくらいにカーッと頬が熱くなった。
心臓の鼓動まで大きくなっている。
「い…いいんですか?」
「ご迷惑でなければ…ですが」
着物の端から見えている斎の手が所在無げに動いた。
それを見たとたん柳の手が斎の小さな手を包み込むように握り締められる。
ほとんど無意識の行動だった。
「有難うございます」
ささやくようにそう言って、斎が目を閉じた。ほうっと安心したような息が洩れる。
なめらかな斎の指が自分の無骨な指に絡まっている。
触れあった指先にしびれるような感覚が襲ってくる。
これは自分自身の熱だろうか、それとも斎の発している微熱の所為だろうか。
そんなこと、どちらでも構わない。
ただ、この感覚をいつまでも感じていたい。
出来るだけゆっくり、ゆっくりと時が過ぎてくれないだろうか。
気が付くと、斎の手を握る柳の力が強まっていた。斎は嫌がるふうもなく、その手を握り返す。
それが何より倖せで。
倖せで。
倖せでしかたがなかった。
やがて山の向こうから真っ赤な夕日の影が差してくるだろう。
そして、その頃には、両手いっぱいに山菜や魚、もしかしたら鰻かアナゴを持って禅と紅が帰ってくるはずだ。
雫も麓の薬師から、斎の為の薬を調達して戻って来るはずだ。
だから、それまで。
柳は自分に課せられた自分の用事を遂行することに全力を注ぐ決心をした。 

FIN.     

 

 

後記

お疲れさまです。如何でしたでしょうか。
324000HITキリ番リクエスト。今回のお題は「みんなから大切にされている斎ちゃん」ということでした。
ということで、みんなで斎の看病をしてもらいました。って、最終的にずっとそばにいたのは柳だけですが(笑)。
なんというか、柳くんは、遼や正人と比べると、奥手にもほどがあります。書いててモヤモヤしちゃいましたよ。でも、昔の時代って今みたいなスキンシップはないだろうから、ああいう感じが精一杯なんだろうなあと思ったりして。
斎は唯一の女の子ですが、あの頃は女の子だからこそ余計にみんなの女神的な感じで、すっごい好かれてたんだろうなあと思います。
で、次の時代の水凪も、最年少ってことで、みんなにねこ可愛がりされてましたし。
ということで、いつの時代も水滸は人気者なのです。作者の愛も一番に受けてますし(笑)。

さてさて、こんな感じでご満足頂けましたでしょうか。水瀬さん。
楽しんでいただけると幸いなのですが。リクエスト有り難うございました。
これからも宜しくお願いします。

2015.06.13 記   

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