笑わない天使 (5)
「やるときはやる。休むときは休む。そうでなけりゃ本当に効率のいい修行なんかできゃしねえ。根をつめたって無駄なだけだぞ」
裏ハンター試験の合格を宣言しても、結局俺はクラピカと手を切ることが出来なかった。
いや、俺自身が手を切りたくなかったのかもしれない。
まったく。こうなることが分かっていたから、余計に関わりたくないと思っていたのに。
だから、後悔したというのに。
ある程度、念の習得が出来てもクラピカは満足しない。こいつは、自分一人で闘い抜くための力が欲しいと言いやがった。
その物言いが、俺の勘に障る。
こいつは、此の期に及んで、まだ一人で闘う気なのだろうか。誰にも頼らない気なのだろうか。
誰のことも信用しないつもりなのだろうか。
しかも強化系の能力を欲するなど、無茶な欲求甚だしい。
念の系統ってのは、個人の資質の問題だ。最初から決まっている。それを覆すことなど出来はしない。
そんなことは百も承知のくせして、奴はそれでも力が欲しいと言う。
力が欲しい。強くなりたい。
クラピカは繰り返しそう告げる。
強くなって、こいつは何をする。何を得るんだ。何を。
「別に私は根を詰めているわけではない」
真夜中を過ぎても一向に眠ろうとしないクラピカ。
いい加減にしろと言いに行った俺に、反抗的な目をしてクラピカはそう言い返した。
「必要だと思うからしているだけだ。放っておいてくれ」
「放っておいて構わない時期はもう過ぎた。クラピカ。何故眠らないんだ」
「眠くないだけだ。私の身体が眠りを欲していないのだから、眠る必要はない。必要があれば、ちゃんと眠る」
「…………」
俺はポリポリと頭を掻いて、大げさなため息をついた。
「お前、頭は良いが馬鹿だな」
「…………」
クラピカが妙な顔をして俺を見上げた。
「なんだ?」
「師匠。その二つの言葉は相反するものだと思うが。どういう意味だ」
「そうか? 俺には同義語に思えるぜ」
ますますクラピカが不審そうな目をする。本当に可愛くない奴だ。
「分からねえんなら、お前のためにもうちっと易しい言葉で言ってやろう。お前は頭は良いが言葉を知らないと見える」
「貴様にそんなことを言われる筋合いはない」
「貴様じゃねえ。師匠だ。師匠と呼べと言っただろう」
ピシャリと言い、俺はクラピカをじっと見下ろした。
数年前の残虐シーン。こいつの頭の中にはまだその時の記憶が生々しく残っているのだろうか。
性別を隠し、強くなる為の力のみを欲し。脅えて。
何日も、何ヶ月も、何年も。そうやって襲い来る恐怖に脅えていたのだろうか。
「お前は眠れないんじゃない。眠りたくないんだろう」
俺の言葉にクラピカが目を見開いた。
「この二つの言葉は似て非なるものだ。そういうことだ。……ま、俺には関係ないけどな」
くるりと背を向けた俺にクラピカがせっぱ詰まった声をあげた。
「待て!」
「…………」
「どうして私が眠りたくないと思っていると言うんだ。その根拠はなんだ」
俺はゆっくりと振り返る。
「……それくらい分からねえとでも思ってんのか? 俺はお前の師匠だぜ」
言ってて気分が悪くなった。
師匠だから。
師匠だから、分かる。
でも、師匠でしかないから、何も出来ない。
何も。
本当に、何も。
――――――鎖を具現化したい。
裏ハンター試験の合格宣言を受け、その上で修行を続けたいと言ってきたクラピカへ、『何を具現化するか決めろ』と返した俺の言葉に対し、奴は驚くほどの早さでそう答えてきた。
鎖。
何故だろう。俺は初めから、こいつがそう言うだろうと思っていたような気がする。
刀、銃、鉾、攻撃する武器はいくらでも思いつく。
だが、こいつは、そんなものを選んだりはしないだろう。
何故だか、今のクラピカに鎖という言葉は無性に似合っている気がした。
何故鎖なんだ、と聞いた俺の問いに、奴は『冥府に繋いでおかねばならないような連中が、この世で野放しになっているからだろう』と、そう言った。
連中とは、幻影旅団。
だが、俺に見えるのは、鎖に縛られてがんじがらめにされているクラピカの姿だ。
本当に。何故そこまで自分を追い込む。
何故、そこまで必死なんだ。
同胞の仇。憎しみというものは、どれ程時間が経っても消えないんだろうか。
消えないまま、永遠にこいつの周りに鎖になって張り巡らされてでもいるのだろうか。
貴様に何が分かる。
吐き捨てるように奴は叫ぶ。悲痛にも聞こえる声で。
腹が立つ。こんなガキ相手に何をムキになっているんだろうと、自分でも思うが、それでも腹立たしいことに変わりはない。
目指すものはブラックリストハンター。目的は幻影旅団捕獲。いや、殺害か。
力を得て、幻影旅団を倒せたとして、それでこいつはどうなる。
復讐を遂げたところで、こいつに何が残る。
「あまり自分を過大評価するな。お前は、自分が思っているほど強くはない」
俺が言った言葉にクラピカは怒りを露わにする。
「何だと!?」
「言っておくが、戦闘能力のことを言ってるんじゃない」
「では何だというのだ」
「わからないのか?」
「ああ、わからない」
俺は呆れたように息を吐く。
「ほら、やっぱりてめえは馬鹿だよ。言葉を知らなさすぎる」
「…………!?」
「正しくは、分からないじゃなく、分かりたくない、だろう」
カッとクラピカの頬に怒りのため朱が走る。
「お前は復讐という大義名分があったからと言って、人を殺して平気でいられるような人種じゃない。」
「……!?」
「お前は、そこまで強くはない」
「…………」
「このままではお前は」
「……私は?」
壊れる。きっと。このまま行き着くところまで行ってしまったらこいつを待ち受けているのは狂気の世界だろう。俺は、それを分かっていて、それなのにこいつの背中を押している。
まったく。
だから嫌だったんだ。関わりたくなかったんだ。
「私は……なんだ」
「何でもない」
クラピカの笑顔が見たい。
バカバカしい話だが、何故か無性にそう思った。
ふっと気が緩んだ時、誰かを思いだしている時、あいつは微かな笑顔を見せる。
幻影旅団を倒したら、なんだか、その僅かな笑顔さえ失われてしまうような気がして仕方なかった。
締め付けている鎖が、そのままの勢いで奴を潰してしまうような気がした。
このままで本当にいいのだろうか。
奴が望む力を得る為の助力を、俺はこのまま続けていいのだろうか。
後悔しないか。そんなことをして。
いいや。後悔している。最初から言ってる。俺は後悔しているんだ。
奴と関わってしまったことを。奴と知り合ってしまったことを。
「やめておけ。復讐なんて虚しいだけだ」
そう言った俺に、クラピカは、僅かに目を見開いた。
蜘蛛の糸に縛り付けられ、もがき苦しむ蝶。
俺は、この手で、その蝶を救い出したいと思った。
そんなこと、出来ないことは重々承知していたが。それでも。
それでも。