笑わない天使 (2)

「いったいいつになったら念の修行を始める気なのだ。貴様は」
かなりせっぱ詰まった口調で、クラピカが俺にそう言って詰め寄る。
ここ1週間程、ずっとこの調子だ。
「貴様じゃない、師匠と呼べと言っただろう。小僧」
返す俺の言葉も同じ。
クラピカは悔しそうに唇を噛み、俺を睨みつける。
ぶっ倒れてこの山小屋に運んだ当初に比べれば、ほんの僅かだが肉付きも顔色も良くなって来ていたクラピカの顔には、それでもまだ多少の翳りが見える。
「いいか。念というのは、肉体的にも精神的にもベストの状態で取得するのが一番身に付きやすい。まずは身体を完全にしろ。今始めたって、ぶっ倒れるだけだ」
「私はもう平気だ」
もう引く気はないぞ、とでも言いたげに、クラピカは俺の前に立ちはだかって、通せんぼの状態を続けている。
「何処が平気なんだ。そんななまっちろい顔で、細い腕で、今のお前だったら小指一本で勝てる自信があるぞ、俺は」
「なんだと……! だったら今すぐ勝負しろ。それで私が勝ったら私を認めろ」
無茶苦茶言うな。こいつは。
たとえこいつがベストの状態だったとしても、この俺に、新人ハンター風情が勝てるとでも思ってるのか。自意識過剰にも程がある。
「ああ、わかった。勝ったらな」
余裕のつもりで俺がそう言った途端、クラピカは何処に隠し持っていたのか、いきなりヌンチャクのような、柄が紐で繋がれた二本の刀を取りだし、俺に襲いかかって来た。
「……おいっ、てめえ……!!」
咄嗟に防衛し、クラピカの攻撃を避けると、俺はトンと地面を蹴って飛んだ。
「いきなり何しやがる!」
「うるさい! お前に勝ったら修行を始めてくれると言ったではないか」
「だからって……お前なあ……」
素人相手に念を使うのは趣味じゃないが、こいつの本気さ加減をみていると、そんなことも言ってられない。俺は相手の動きを観察しながら身構えた。
クラピカの突きだした刀が俺の頬すれすれを掠める。
スピードはかなりあるほうだ。身も軽い。重量級ではない自分の身体能力を活かすには、技のキレと身軽さ、スピード、間の取り方が必要不可欠。こんな子供のくせに、こいつはもしかしてかなりの修羅場をくぐってきたのではないだろうか。
繰り出される攻撃をかわしながら、俺はクラピカを観察する。
本当に、驚くほどに身が軽い。スピードもどんどん早くなっていってる。
まだまだ俺の敵ではないとはいえ、油断すると危うくなるのも確かだろう。
何故。
不思議になる。
何故、こんな顔した、こんな子供が、こんな技を使う。
これ程までに必死になる。
そりゃあもちろん、ハンターになろうって奴だ。それなりに腕に覚えがなければ、目指したりしないだろう。
だが。これは。
この目は。
「……あっ……やべぇっ!」
思わず本気で発(ハツ)を放ってしまって、俺はしまったと声をあげた。
想像通り、発の攻撃をもろに食らって、クラピカが地面に倒れる。
「……マジでやっちまった……」
完全に気を失っているクラピカを見下ろし、俺は頭を抱えた。

 

――――――雨が降ってきた。
俺が気絶してしまっているクラピカをそのまま放置して山小屋に戻ってから、小一時間が過ぎていた。
起こすべきか、はたまた小屋に運んで休ませてやるか。少し悩んだ俺は、結局何もせずに一人で小屋へと戻ったのだ。
理由は簡単完結。
奴の全身から、拒否のオーラが発されていたからだ。
まったく。気絶してまで他人を拒否するなよ。あのくそガキ。俺はまだまだ未熟者。あんな態度でいる奴にまで優しく出来るほど心は広くない。
だから、俺は奴を放っておいた。恐らく奴もそれを望んでいるだろう。
多分、奴はかなりプライドの高い方に属する人種だ。いくら念を教えられる師匠相手とはいえ、こうあっさりやられてしまっては、奴のプライドはズタボロのはずだ。だとしたら、今、一番俺とは顔を合わせたくないかも知れない。だから、奴を放っておいていることは奴の希望でもあるのだ。
つらつらとそんなことを考えながら、俺は大きくため息をついた。
だが、さすがにそろそろ迎えに行ってやらないとマズいかもしれない。
俺は降り続く外の雨音に耳を澄ませた。このまま雨に降られ続けたら、せっかく回復しかけた体力がまたなくなっちまう。
まったく、あいつは何をあんなに焦っているのだろう。何であんなにまで頑ななんだろう。
何故、ああまで必死なのだろう。
頑ななまでの必死さ。ピリピリと張りつめた神経。気の休まることのない時間。
あんな状態で保つわけはないのに。
あいつは、まるで、わざと自分自身を追いつめてでもいるみたいだ。
俺は、根っからの楽天家なんで、そういう自虐的な行為ってのは性にあわねえんだがな。
だが、だから気にかかる。
自分と対局にいるあいつが、何故ここまで自分をボロボロにしたがるのか。気になる。
何故ここまで、頑ななのか。
ザーッという音が聞こえる。雨が更に激しくなってきたんだ。
俺は、仕方なしに山小屋の扉を開けて外に出た。すると、クラピカはまるで俺が出てくるのをずっと待っていたかのように、ずぶ濡れの状態で、戸口のところにじっと立っていた。
「クラピカ……お前、いつからそこに……」
「ずっとだ」
消え入りそうな声でクラピカが言った。
「ずっと?」
「ああ……」
雨の音に気配がかき消されていたのだろうか。戸口の外にいたこいつに気づかなかったなんて。
いや、違う。俺は小さく舌打ちをした。
気配を消してたんじゃない。こいつは、消す必要もないほど、憔悴していたんだ。
先程まであった、張りつめたような緊張感も、自分を追いつめてでもいるかのような気迫も。
今のこいつからは感じない。
ただ。
ただ、雨に打たれて、今にも消えてしまうんじゃないかと思うほど、こいつは。
儚げで。
何故。
こんなずぶ濡れのまま。
このままだと、こいつは消えてしまうんじゃないだろうか。雨に溶けて。煙になって。
「……頼む。念を教えてください。師匠」
うつむいたまま、クラピカが言った。雨の滴がクラピカの前髪を滑り落ちる。
「私には……時間がない。早く……」
「…………」
「私は、早く、強くなりたい」
きつく握りしめた拳が色を失って白くなっている。
まだ戻りきってない体調で、真正面から発の攻撃を受けて、その上、雨に打たれて身体も冷え切って。もう、体力なんぞ欠片も残っていないだろうに、それでも。
それでも、強くなりたいのだろうか。こいつは。
強く。
「念を……教えて下さい。師匠」
「……クラピカ……」
「もう、他に頼るべき人はいない。お願いだ」
「…………」
「お願い……します……」
深々とクラピカは頭をさげる。頬を滑り落ちた滴が地面で弾けた。
泣いているのだろうか。
ふとそう思ったが、俺はすぐさまその考えを否定した。あり得ない。この滴は雨の滴だ。
こいつは泣かない。こいつは笑わない。
いつもいつも張りつめた目をして、真っ直ぐに何かを見ている。
そう。一度だって、泣きも笑いもしないのだ。
俺の前では。
そうしてまた、俺は底なし沼に一歩足を踏み込んだ。

 

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